260 葬魔灯ダイヴ
四度目となる巨人の出現。
遥かなる巨人との戦いは、終わりの見えない持久戦の様相を呈していた。
「マズいぜ、ロザリー」
オズが言う。
「きっと術者が複数いるんだ。何かクソデカ巨人の幻を生み出せるギミックがあって、それを術師の誰かが発動させる。これだけの幻術だ、一度使えば魔導が枯渇するんだろう。だからあらかじめ複数人用意してんのさ。三度目の術師は首吊り公が呪い殺したが、そもそも次を用意してるからさほど問題にはならないってわけだ」
それを聞いていた首吊り公が忌々しそうに言った。
「ならば全員、呪い殺してくれる!」
そう言い放つなり、剣王のいる西の城門のほうへ立体移動で飛び去った。
「……仮に複数人いたって限りはある。倒せるわ」
「わかってねえな、ロザリー。複数人用意できるってことは、術者のハードルが低いんだよ。ギミックのほうに強い力があって、術師はわりと雑でもいいってこと。だとすれば何人用意してるか見当もつかねえ。何なら術師を途中補充なんてこともやりかねねえ」
「……理屈ではそうかもしれないけど」
ロザリーは訝しげに首を振った。
「納得いかないのか?」
「……ん。そもそも本当に複数人いるのかな?」
「そこからか? 首吊り公の呪殺はたしかに通っただろ? 通ってしまえば、剣王のおっさんですら斬りようがない。術師が死んだのに大巨人が現れたんだから、他に可能性はないと思うが」
「ヴラド様が呪殺を送ったとき、一瞬だけど私にも向こう側が見えた気がしたの」
「ほーう。それで?」
「術師が死者に見えたわ」
「うん、だから首吊り公が呪い殺したから、次の術師が――ちょっと待て。それって、術師がそもそも死んでるって意味か?」
「そう。だから呪殺は通っても効かなかった」
「待て! ……待ってくれ。そりゃ元々死んでりゃ呪殺は無効だけどよ」
「でしょ?」
「でも死者が幻術なんて使うわけ……」
そこでオズがぎょっと目を剥く。
「不死者、ってことか?」
「……たぶん」
「……何でそこが『たぶん』なんだよ。ただの死者なら術なんて使えないだろ?」
「それはそうだけど」
「じゃあ不死者じゃないか」
「でも、何か違って見えたの!」
「違う? 具体的にはどう見えたんだ?」
「う~、質問ばっかりしないで! 私も遠目にチラッと見えただけなの!」
「それじゃ根拠薄いぜ、ロザリー」
「わかってるっ。言ってみただけ。……え!?」
少しムッと拗ねた顔のロザリーを、彼女の影がふわりと立ち上がって包み込んだ。
影は後ろからロザリーを抱きかかえるようにしていて、それはロザリーの意図したものではない。
「……ヒューゴね?」
ロザリーがぶっきらぼうにそう言うと、影に色が付き、ヒューゴが現れた。
「うおっ、ヒューゴじゃん。久しぶりぃ~」
「今さら何しに来たのよ、ヒューゴ」
ヒューゴはオズを見てにこりと笑い、彼に言った。
「やあ、オズ。ごきげんよう。ちょっと頼みがあるンだが、いいかな?」
「え? あ、うん。別にいいけど」
「しばらくロザリーの身体を頼む」
「ああ、お安い御用……って、え? どういう意味!?」
ヒューゴはそれに答えず、また影になって漂い、次の瞬間にはロザリーの目前に現れていた。
「っ! ヒューゴ!?」
ヒューゴはロザリーの顔を両手で押さえ、彼女の紫眸を覗き込んだ。
奇妙な感覚がロザリーを支配する。
ヒューゴの瞳が、鼻が、皮膚さえも消えていき、髪だけが残った骸骨のように見える。
眼球の消えた暗い眼窩がこちらを見ている。
それは底の見えない深い淵のようで。
月も星もない夜空のようで。
いつしかロザリーの意識は、彼の暗い眼窩へと吸い込まれていった。
まるで魅入られるように――。
――――――――――――――――――――――――――
「ここって――」
ロザリーは高原に立っていた。
夜空が近い。
高原は四方を険しい峰々に囲まれ、まるで神々の創った箱庭のようだ。
足元には白く儚げなエリュシオンの花が咲き乱れ、夜風が芳香を空へと運ぶ。
「これから君に【葬魔灯】を見てもらう」
背後から声がして、ロザリーは勢いよく振り返った。
「ヒューゴ! 何のつもり!? 今すぐ私を戻して!」
「【葬魔灯】は夢だ。だが現実でもある」
「あなたの【葬魔灯】は見たわ! 二度も見ない!」
「【葬魔灯】は魂の継承。その結末は必ず〝死〟で終わる」
会話が噛み合わない。
ヒューゴの表情は抜け落ち、まるで蝋人形のようである。
――いつもの彼ではない。
そう感じて、ロザリーは後ずさった。
「……怖いよ、ヒューゴ」
彼はなおも表情のない白い顔でロザリーを見ていたが、ある瞬間、ふといつもの顔に戻った。
「僕もさ、ロザリー。僕も怖い」
「ヒューゴ……?」
「いつか言ったね、君にもう【葬魔灯】を見てほしくないって」
「覚えてる。私の魂が壊れてしまうからって」
「そうだ。……君は、僕の役割を正しく認識しているだろうか」
「役割……?」
「君の下僕としての、僕の役割だ。今の僕の存在意義と言い換えてもいい」
ロザリーは少し考え、こう答えた。
「先代の死霊騎士で、次代の死霊騎士に自分の【葬魔灯】を見せて、魔導を継承させる。その後は……私の護衛とか、教育とか?」
「正しい答えだが正確ではない。僕も君みたいに考えていたんだが、そうではなかったようだ」
「……どういうこと?」
「【葬魔灯】は限りなく現実に近い夢だ。そして必ず〝死〟で終わる夢。その現実じみた痛みと苦しみは、死霊騎士自身の魂に大きな傷を残す。夢と現実の区別なくば、その傷は魂を殺し得るものとなる。境目が必要なんだ、夢と現実の境界線が。……それが何だかわかるかい?」
ロザリーは、ハッと周囲を見回し、それから言った。
「……それが、エリュシオンの野?」
ヒューゴは微笑んで頷いた。
「ご明察。【葬魔灯】へ誘われた君をエリュシオンの野へと導く案内人。それが僕の役割だったんだ」
ヒューゴは少し歩いてから足元の花を一輪摘み、そっと宙へ投げた。
夜風が花を攫い、花弁を散らせながら山の頂へと運んでいく。
「君には言わなかったが……僕には【葬魔灯】の予兆が見える。どうやら案内人にだけ備わる能力のようでね。今までは『【葬魔灯】を見てしまいそうだ』『見なければいいが』『ああ、見てしまったか』と、そんなふうに思ってた。でも違ったんだ、予兆を見たら必ず【葬魔灯】は訪れる。確実に起こることの先触れに過ぎず、僕には抗う余地がない。……だったらなぜこんなものを見せる! 避けられないならば予兆など見せられても意味がないだろうに!」
声を荒らげるヒューゴに、ロザリーがおずおずと尋ねる。
「……この【葬魔灯】も予兆が?」
「君がランガルダン要塞で首吊り公と共に戦っていたときさ。あのとき僕が出てこなかったのは、首吊り公に僕を見られたくなかったからだが――あのとき出現した巨人の王の姿に、僕は【葬魔灯】の予兆を見てしまった。もはや予感ではない、確信に近かった」
大きく息を吐いて苛立ちを吐き出し、ヒューゴが続ける。
「そこで僕は考えたんだ。案内人の僕がいなければ【葬魔灯】を見ないのではないか? 僕が近くにいるから【葬魔灯】を見てしまいやすくなっているのではないか? とね。だから僕は君の影――冥府の前庭からずっと奥に潜り、君の声すら届かない、落ち続ける闇の中でジッと息を潜めていた」
「なのに、どうして出てきたの?」
ヒューゴが自嘲気味に笑う。
「無駄だと知ったからさ。奈落にいる僕に、【葬魔灯】の予兆がより鮮明に見えてしまった。そんなことでは逃れられないと僕を嘲笑うがごとく、ね。……だが、同時にもう一つの可能性も見えたんだ」
「もう一つの……可能性?」
「【葬魔灯】を、運命付けられた時期より早く、君に見せることができるかもしれない。そう考えたのさ」
「どういう、意味?」
「遥かなる巨人の幻を生み出す術師――それが君に【葬魔灯】を見せる死者だ。その死者は遥か遠く離れた場所にいて、君が【葬魔灯】を見るのは本来もう少し先のこと。しかし……首吊り公の呪殺は確かにその死者を捉えた。わかるかい? 彼の呪殺によって道ができたんだ。あとは案内人である僕が仲介人として振る舞えば、【葬魔灯】にこちらから飛び込むことができる。そう思ったから君を夢に攫った。……どうやら成功したようだ」
ロザリーが微かに首を横に振る。
「わからないわ、ヒューゴ。結局は【葬魔灯】を見てしまうのよね?」
「いつかは。何か月後か何年後かわからないが、おそらく君は西域に足を運び、彼の【葬魔灯】を見ることになる。本来、【葬魔灯】は死者と相対して見るものだからね」
「だったらなぜ? 早く見せて意味はあるの?」
「今の君には遥か遠く西域まで足を運ぶ理由がない。つまりこれから理由ができるんだ。おそらくそれは〝敵討ち〟だろうと僕は思う」
「敵討ち!?」
「三人の大魔導をもってしても、繰り返し襲い来る遥かなる巨人を退けられないのだろう。君たちは仮にも大魔導だ、死にはしない。たかが幻術、自分が退けばいいだけのこと。だがその後にハンギングツリーは無く、君の知人たちもいくらかは死ぬのだろう。もしかすればミストラルまで侵攻する可能性もあるにはあるしね?」
「今、【葬魔灯】を見れば……それを避けられる?」
「おそらく、ね。正直、僕にはロザリー以外の人間のことなど心底どうでもいい。だが僕はロザリーの忠実なる僕。【葬魔灯】が運命づけられて避けられないならば、わずかでも君のためになるよう運命を操ろう」
饒舌に話していたヒューゴが、ふと不安そうな顔になって口ごもる。
「だが……一人の死霊騎士が見る【葬魔灯】は一度か二度だ。君が壊れてしまわないか……やはり怖い。恐ろしいよ」
「ヒューゴ……」
「でも、もしかしたら――」
夜風が吹き上げ、ヒューゴの前髪が上へとなびいて彼の顔が露になる。
「――君は最後の死霊騎士なのかもしれない」
「……? それってどういう……」
「いや、すまない。最後のは忘れてくれ」
ヒューゴはくるりと向きを変え、高原の端へと歩き出した。
四方を囲む峰々と高原の間には暗くて深い谷があり、底は見えず漆黒の闇が広がっている。
「首吊り公の呪殺は素晴らしかった。精巧で緻密……だからこそ、その道筋を追える」
ヒューゴが谷の闇に手をかざす。
すると闇が揺らぎ、地響きを立てながら小さな峰が隆起してきた。
ロザリーの立つ高原と同じ高さで、峰の頂――三メートル四方くらいのわずかな部分だけが闇に浮かんで見える。
その頂に背を預け、膝を抱えてうずくまる人影がある。
「あれが……?」
ヒューゴは頷き、高原と小さな峰の間の谷間を覗き込んだ。
深い闇が口を開けている。
「跳べるかい?」
「うん。ちょっと怖いけど」
「なら一緒に跳ぼう」
「うん」
ヒューゴが手を差し出し、ロザリーがそれを握る。
二人は手を握って、揃って闇を跳び越えた。





