258 固有ルーン
ハンギングツリー城壁の外、そのはるか向こうの絶壁に、 遥かなる巨人の腕だけが磔にされている。
剣王ロデリックは宙を蹴り、オズのいる城の門の上へふわりと舞い降りた。
「オズ、でかした!」
オズは褒められたのに、顔を青ざめさせて言った。
「腕が千切れて飛んじまうなんて……っ! 肉体に使うとこんなにやべえ術なのか!」
剣王はフ、と笑った。
「まさか腕だけ飛ぶとはな?」
「笑うなよ! こっちはわりと本気で傷ついてるんですけども!」
「傷つくことはあるまい。ほれ、当の巨人は血の一滴も出とらん」
「うう? そういえば……」
「すり替え術のせいではない。そもそも腕だけだったのだ」
「……はあ? どゆこと?」
剣王がフン、と鼻を鳴らす。
「まやかしよ」
「……まやかし!?」
「遥かなる巨人は幻術によって生み出された幻だということだ」
「あれが、幻? ……いやいや、そんなのあり得ねえって! 幻が人を踏み潰したり、建物壊したりするかよ!」
「するぞ」
「するの!?」
「深度の深い幻術は召喚術と何ら変わらん。触れることもできるし、実世界に物理的に影響を及ぼすこともできる」
「そうなのか……」
「ただ、所詮は幻――術者の空想の産物だからな。ひょんなことからボロが出る。儂はあの神の鉄槌のごとき一撃をこの手で受けたが――」
そう言って、剣王は騎士剣を握る右手を見た。
「――軽かった。いや、重いといえば確かに重いが、見えた形状・大きさから推し量れる質量からはほど遠い軽さであった。術者にはそこを正確に想像する能力がなかったのだろう」
「なるほどな。……そういや不思議だったんだ」
「何がだ?」
「だって、あんなクソデカハンマーおかしいだろ。金属製みたいだけど、どこでどうやって作るんだよ。そう考えるとあの馬鹿デカい巨人も不思議だ。どこで何食って生きてこれたんだって」
剣王はポカンと口を開けて聞いていて、やがて爆笑した。
「クハハハ! 確かにそうだ! 初めからお前に考えさせればよかったわ!」
「褒めても何も出ねえぜ。それに、幻だってネタが割れてもあんまし意味ないんじゃねーの? 実物と変わんないんだろ?」
「そんなことはない。……ほれ、来たぞ?」
「んっ?」
オズが剣王が見つめる先に目を向ける。
ロザリーを乗せた天馬と、立体移動する首吊り公がこちらへ向かってきている。
首吊り公は、城の門の上に剣王の姿を認めると、声を荒らげた。
「剣王ロデリック! なぜ貴様がここにいる!」
剣王は揶揄うように言った。
「なに、困っている様子だったからな。礼ならいらぬぞ?」
「ふざけるな! 誰が貴様に礼など言うか!」
「待て、首吊り公。儂が助けたのはロザリーだ。お前など助けるわけがなかろう、馬鹿めが」
「……この老いぼれ、やはり吊るすべきか」
「フン。やってみろ、若造」
二人の間に殺気が満ちると、ロザリーが天馬から飛び降りて間に入った。
「おやめください、ヴラド様! ロデリック様も! 状況をお考え下さい!」
するとオズがロザリーに言った。
「ほっとけ、ロザリー。こいつら本気でやり合う気はねーんだよ。じゃれ合ってるだけさ」
「なんでオズにそんなことわかるの。っていうか、なぜオズまでいるの?」
「なぜ、はねーだろ。さっきクソデカ巨人の腕をすっ飛ばしたのはこの俺だぜ?」
「うそ!? あれ、オズが?」
「マジマジ。ほめてほめて?」
オズが頭を差し出すが、ロザリーは信じられなくて剣王に尋ねた。
「本当なのですか、ロデリック様?」
すると剣王は目を細めてロザリーを見、髭の奥で微かに微笑むだけで何も答えない。
「……オズ。ロデリック様はどうしたの? 様子がおかしいけれど」
「あ~、たぶんだけど……お前に名前で呼ばれて嬉しいだけだ」
「え? そうなのですか、ロデリック様?」
ロザリーが見つめると剣王はなお嬉しそうに微笑んだ。
まるで孫の成長に目を細める祖父のような表情だ。
その様子を呆れ顔で見ながら、首吊り公も城の門の上に降りてきた。
「チッ。こんな奴と争っていたのが馬鹿らしいわ」
「そんなこと言わないで、ヴラド様。今は非常時です」
「わかっているよ、〝骨姫〟」
首吊り公は門の下に目をやり、集まってきていた配下の騎士に指示した。
「ここはいい! お前たちは市街に残る住民を避難させよ!」
「「ハッ!」」
市街へ走っていく配下たちの背中を見送り、首吊り公が言った。
「オズモンド。お前が巨人の腕を吹き飛ばしたというのは本当か?」
オズはロザリーの手前、胸を張って答えた。
「ああ、俺がやった」
「どうやって?」
「俺はあんたらと違って大魔導じゃないからな。〝ユー……」
「ん? 『ユー……』なんだ?」
オズは笑顔を張りつけたまま、内心で冷や汗を滝のように流した。
(あっっぶねえええ! 持ち主の前で盗みを告白するとこだったっ! 危うく縛り首にされかけたぜ……)
オズは気を引き締め、言い直した。
「俺はあんたらと違って大魔導じゃないから、有効な手段を使ったのさ!」
「……? よくわからんな、具体的にどうやった?」
「そ、そんなことより! あんたとロザリーはなんでここに来た? クソデカ巨人の足をふん縛っていたんじゃないのか?」
首吊り公はロザリーと顔を見合わせた。
そしてロザリーが答える。
「オズが腕を吹き飛ばしたら、しばらくして下半身が消えたの」
「ああ、そういう……! そういや飛ばした腕も消えてる! 幻だからか、なるほどな」
「幻ですって?」
「やはりそういうことか……!」
ロザリーは驚き、首吊り公は小さく頷く。
「だよな、おっさん! いつまでも鼻の下伸ばしてないで答えろよ」
剣王は少しムッとした顔でオズを睨み、それから解説を始めた。
「あれは何者か――おそらく蛮族のシャーマンによる幻術だ。雲を纏うのは、そこに何も存在していないのを隠すため。オズの術で全身ではなく腕だけが吹き飛んだのは、上腕が繋がるはずの上半身が存在しなかったからだ」
ロザリーが何度も頷く。
「それならば私の影に沈まなかった理由にも納得がいきます。そもそも生物でも物でもなかった……!」
「幻術、か……」
首吊り公が口に手を当て考える。
「だとしてもこれほどの幻、恐ろしい術師だということになるが」
「かもしれぬ」
剣王が断定しなかったので、首吊り公は首を傾げた。
「これは規格外の幻術だ、術師が未熟であることがあるか?」
「儂に言えるのは、これが大魔導クラスの術師によるものならば、そ奴はハンギングツリー付近にはおらぬ、ということよ」
首吊り公はパチンと指を鳴らした。
「お前に見えないから、ということか」
「そうだ。大魔導クラスなら見逃しはしない」
「……だとすれば確かにおかしい」
「だろう?」
そこから首吊り公と剣王が、その経験に基づく議論を交わす。
「遠方からこの幻術を放てるなら、たしかに攻撃目標に近づく必要はないが……」
「にしてもある程度、戦場近くにはいるものだ。幻術はふとしたことで破られる」
「その通り。それだけに頼るのはいかにも心許ない」
「大魔導クラスの術師なら、魔導に裏打ちされた身体能力を併せ持つ。使わぬ手はあるまい」
「近づかないのではなく、近づけない?」
「動けない線はあるな。この幻術を発動できる場所が限定されている、とかな」
「あり得る。特定条件下でのみ威力を発揮する術は世界中に存在するからな」
「だとすれば未熟とまではいかずとも、たいした術師ではない可能性も残る」
「特定条件によって術の効力を嵩増ししている、ということか……」
そのとき。
西門の方角から大きな地響きが起こった。
西門の外で白い煙が大量に発生し、それが竜巻のように渦を巻いて天へ立ち昇る。
煙は上へ昇って雲となり、煙が消えた場所に遥かなる巨人が再び姿を現した。
「幻なら再登場もカンタン、ってわけね?」とはロザリー。
「すぐそこに出せるのか。ってことはさっきは演出として遠くから歩いてきたのか? ご苦労なこったぜ」とはオズ。
「魔導に余裕がないだけかもしれんぞ? これだけの幻だ、維持するだけでコストは膨大なはずだ」とは首吊り公。
「ならば何回続けられるか、試してやろう」
剣王はそう言うや否や、城の門の上から跳躍した。
一足飛びで城壁付近の民家まで至り、その赤い屋根を蹴って高い城壁の上に到達する。
そして今度はじっくりと魔導を脚に溜め、そこからこの戦乱で最大の跳躍を見せた。
「ぬおっ、おっさんヤバッ!」
「雲まで届く――信じられない……!」
「初めて身体強化系のルーンを使ったな。それも五つ以上の重複掛け……!」
剣王ロデリックが天を舞う。
巨人の上半身を包む雲に到達し、右目の固有ルーンが光を放つ。
「やはり何もない、実体が見えぬはずだ。しかし、そうまでして大きく見せたいか……健気なことよ」
上昇推力が衰えていき、やがて剣王の身体が落下を始める。
その刹那、剣王は身体強化系のルーンに加え、右目の固有ルーンを完全開放した。
彼の右目の固有ルーン【天駆ける翼のルーン】は、鳥系ルーンの集合体。
通常時は【鷹のルーン】による遠視、【金糸雀のルーン】による第六感、【梟のルーン】による聴覚強化と空間把握などの能力を組み合わせて拡張することで、超人的な知覚能力として使うに留めている。
完全開放すると、その他のルーンの強化もすべて、その身に宿る。
「斬らせてもらうぞ――」
剣王は身を翻すと、一気に地上へ向けて加速した。
【隼のルーン】による急速落下と動体視力強化により、凄まじい速度の中でも機を逃さない。
雲を抜け、遥かなる巨人の身体の始まりが見えた。
「――断ッッ!!」
その落雷のごとき一撃が、遥かなる巨人を両断する。
巨大な脚が右と左に分かれ、傾きながら陽炎のように消えていった。





