257 怪盗オズモンド再び―下
「見えた、ミュージアム!」
オズはほとんど人影の見えない公共施設エリアを走り抜け、ミュージアムへと辿り着いた。
正面入り口は閉ざされているが、係員や見張りの騎士の姿はない。
オズはフードを深く被り、顔を腕で覆って、入り口のドアに勢いそのままに突っ込んだ。
ドアの留め金が弾け飛び、ドアは変形して吹っ飛んだ。
「ふう。強化されてなくてよかったぜ」
オズがフードを脱ぐと、ガラスと木片がパラパラと落ちた。
肩に乗ったガラスを払いながら、館内の様子を窺う。
人の気配は感じない。
「ここは避難済みみたいだな」
目的の〝ユーギヴの腕〟は博物館エリアにある。
オズは移動を再開した。
走ることはしない。
万が一に備え、早歩きで展示場所へ向かう。
人気ない標本展示ゾーンを不気味に感じながら突っ切っていく。
やがて魔導具展示ゾーンに入り、オズは〝ユーギヴの鍵〟を呼び出した。
魔女術の真髄がオズの脳内を巡り、その瞳にも老練熟達な魔女の眼光が宿る。
「……やはり、ここの展示物だけは護られている。盗まれて困るのはここだけだから、他の守りは緩いんだな」
魔導具の入った展示ケースを指でそっとなぞりながら、通路を進む。
「【眠り薬】。【思考毒】。……これはヴィルマ教官が得意だっていう、カエルに変えるやつか。こんなふうになってんだな」
一つ一つの罠を瞬時に見破るのを楽しみながら歩いていく。
そしてついに〝ユーギヴの腕〟の展示場所に辿り着いた。
警備はいない。
ここだけガラスケースがなく、展示台の上のスタンドホルダーに飾られている。
金属製の一対の義手は、ひとつにつき四本の鎖で床と繋がれている。
オズは呻くように言った。
「呪殺罠だ……。【杭打ち】。首吊り公のだな。てことは、俺が食らうと確殺だ。発動条件はなんだ……?」
オズは〝ユーギヴの腕〟とその台座周辺をじっくりと観察した。
「鎖だ、たぶん。鎖だよな?」
オズは確かめたくなって、ゆっくりと台座に近づき、金属製の義手に指でそっと触れた。
反応はない。
「……ふーっ。鎖で確定っと。ってことは……ああ、そういうことか」
前に来たときにはこれに加えて四人の魔導騎士が警備していて、そのときは「さすがに厳重だ」とオズは思ったが、〝ユーギヴの鍵〟を持つ今は見え方が違う。
「警備の騎士は〝ユーギヴの腕〟を盗まれないためではなく、呪殺のかかった鎖に触れさせないためにいたんだ。ガキが好奇心で触ったりしたらやべえもんな」
オズは展示台の周りを回って、鎖に触れずに義手を盗む方法を考え始めた。
鎖は床から生えた金属製の輪に繋がれている。
その輪のすぐそばの床で、トン、トンと足音を鳴らしてみる。
「反応しない。鎖はちょい揺れてんだけどな。触れなきゃセーフ? 床から輪っかを全部掘り起こして、輪っかを引っ張ってくか。……いや、それだと輪っかまでが鎖の判定だったらアウトだ。鎖自体は普通っぽいから、剣投げて鎖断ちチャレンジしてみる? いや、それもな……あ~! 安請け合いしちまったかなあ!」
すると。
スタンドホルダーの上の義手が、ガタガタッと揺れた。
オズは不意のことで驚いて、身構えた。
「何だ、地震!? いや、戦闘の揺れか?」
静かに様子を窺うが、床は揺れていない。
するとまた〝ユーギヴの腕〟がガタガタッと揺れた。
今度は先ほどより長い時間だ。
「もしかして……」
義手の指がワサワサと不気味に動き始める。
「お前、勝手に抜け出そうとしてる?」
それに答えるように、〝ユーギヴの腕〟が自分を捕らえる鎖を掴む。
ギチリ、ギチリと鎖に圧力がかかり、やがて鎖を粉砕した。
呪殺罠は罠対象が生物ではないので発動しなかった。
自由になった〝ユーギヴの腕〟は、ふわりと宙に浮いてオズと相対している。
「遠隔で自由に動かせる義手だとは思ってたけど……お前、自分の意思で動くの? 想像よりヤバい奴だな?」
〝ユーギヴの腕〟は新たな主人たるオズの周囲を喜んでいるかのように飛び回った。
「ムン!」
剣王ロデリックが脚に溜めた魔導を解放し、空高く跳躍する。
彼が見上げるはさらに上。
雲を割って振り下ろされる巨大な鉄槌だ。
「見えているぞ?」
剣王ロデリックが巨人殺しをぬらりと抜いた。
隕石のごとき巨人の槌と、一メートル半ほどしかない剣王の剣がぶつかる。
ハンギングツリー上空が火花で閃光に染まった。
「――ヌゥン!!」
強大な巨人の槌は、剣王によって見事に雲の向こうへ大きく弾かれた。
しかし――。
「ぬ? これは……」
神業を見せた剣王は、落下する最中に違和感で顔を曇らせた。
やがて民家の屋根にふわりと着地した剣王は、すぐに駆け出した。
目指すはハンギングツリー城、その最も高い塔の先端。
「どうせまたすぐに来る。次はもっと近いところから見定めてやろう」
城の周辺には騎士や兵卒が残っていたが、それらを無視して軽く跳び越えていく。
騎士や兵卒のほうもそれを見つめるだけで追ってはこない。
巨人の鉄槌が振り下ろされるのが誰からも見えたように、それを弾いてみせた剣王のことも彼らは見ていたからだ。
剣王は跳躍を繰り返し、恐ろしい速度で外壁を登り切った。
塔の先端のわずかな足場に膝立ちになって、次なる攻撃を待つ。
風が強く吹いていて、オリーブ色のフード付きマントがバタバタと靡く。
剣王がちらりと西門の外へ目をやる。
遥かなる巨人の巨体は変わらずそこにあり、ロザリーと首吊り公の術の影響下にある。
再び頭上の雲に目を戻し、剣王がひとりごちる。
「機は丸見えなのに全貌が見えぬのはそのためか? 確証がほしいが――来た!」
見上げる雲に再び穴が空き始める。
騎士剣を脇に携え、剣王が脚に魔導を溜める。
「今度はもっと上空まで跳び、ついでに雲の中を覗いてやろう」
すると、そのとき。
「おっさん! 待たせた!」
大声が聞こえてきて、剣王は地上を見下ろした。
城の門を潜ったところにオズがいて、金属製の義手を持った手をこちらに振っている。
「盗んだか、でかした!」
「あっ、やべっ!」
城にいた騎士や兵卒は、それを〝ユーギヴの腕〟と知っていた。
彼らに見つかり、城のエントランス付近で追いかけっこが始まった。
「何をやっておるのか……」
呆れながらも剣王が空を見上げる。
〝機〟は迫っている。
「オズ! しくじるなよ!」
剣王が跳んだ。
今度はほぼ真横だ。
それと同時に雲が割れ、巨人の槌が現れる。
振り下ろされる巨大な槌、その落下点に完璧なタイミングで交差する。
「フッ!」
剣王は短く息を吐き、騎士剣を斜めに構えた。
今度は弾かず、勢いを削ぎながら受け流す。
隕石のごとき質量を持った神の鉄槌が、剣王の技量によって次第に落下速度を緩ませていく。
「やはり!」
剣王は確信に至り、受け流すだけでなく押し返しにいった。
「ヌゥゥ――フンッ!!」
大魔導といえど一人の小さな人間に過ぎない。
その一人の人間によって、街を圧し潰す一撃が宙でピタリと止まった。
剣王が叫ぶ。
「今だ、オズ!」
「あいよ、任せろ!」
いつの間にか登った城の門の上で、オズが巨人の槌に向かって右手を伸ばす。
オズは剣王のように跳べないし、そうしたって指が届くわけもない。
が、〝ユーギヴの腕〟の片方がオズの意を捉えて飛翔した。
流れ星のような速さで剣王のいる場所まで到達した〝ユーギヴの腕〟が、槌を握りしめる巨大な拳を掴む。
オズはニヤリと笑い、左手で城壁の外を指差した。
彼が指差したのは城壁の外のはるか向こう、険しい山の絶壁だった。
そこには〝ユーギヴの腕〟のもう片方がへばりついている。
オズが呪文を唱える。
「すり替えたぜ?」
その瞬間、巨人の槌が巨人の腕ごと、上空から消えた。
行き先はもう片方の〝ユーギヴの腕〟がある険しい山の絶壁。
遥かなる巨人の上腕から先だけが、そこに磔にされていた。





