251 再来
首吊り公ヴラドは自身でも思わぬことを口走った。
「では私の娘になれ、〝骨姫〟」
激昂していたロザリーはそれを聞いてピタリと動きを止め、それから剣を弾いて剣王ロデリックから離れた。
距離を取った上で、横目でジトリと首吊り公を見る。
「……ヴラド様?」
「ん……許せ、〝骨姫〟。突拍子もないことを言った」
「はあ……」
剣王が鼻を鳴らす。
「フン。妨害するためとはいえ、つまらぬ茶々を入れるな? 首吊り公」
すると首吊り公は心外そうに言った。
「何を言う。思い付きだが本心からだ」
続けてロザリーに語りかける。
「吊るし人のリセは覚えているか?」
「ええ、もちろん」
「あれは私の娘だ」
「えっ? そうだったのですか?」
「正確に言えば義理の娘、養子だ。私たち夫婦はなかなか子を授からなくてな。それでも子を諦めきれず、孤児を引き取ったのだ。それからあとに二人の娘を授かったが、リセにも変わらず愛情を注いだつもりだ。……吊るし人に入団するなどと言い出してからは厳しくしているが」
「……そうでしたか」
「私は本気だ。今さらもう一人娘が増えたところで大差ないからな」
「それは……乱暴ですよ、ヴラド様」
「そうか? お前は『母はいない』『話など聞きたくない』と言いながら、それに対して怒っている。まだ心の中にルイーズがいるからだ」
「……」
「だったら――」
首吊り公は、悪い顔で笑ってロザリーに言った。
「――自分を捨てた母親など、こちらから捨ててしまえ。そんなものいつまでも大事に抱え込んでも何の価値もない。そうではないか?」
そして次に父親の眼差しになって、宣言した。
「私は娘たちを捨てない。裏切らない。人生を捧げて彼女たちを愛し、そのためならいかなる犠牲も厭わない。……ロザリー、お前のことも、だ」
ロザリーは彼に初めて名で呼ばれ、それから彼の妻や娘たちのことを思い出し、きっと彼の言葉に嘘はないのだと感じて胸が熱くなった。
「ヴラド様……」
「もう、いい」
そう冷たく言い放ったのは剣王だった。
彼は不愉快そうに眉を寄せながら言った。
「ロザリー、悪く思うな」
彼の右目から濃密な青い魔導が迸り、それと同じ輝きが彼の胸――心臓辺りからも服の下から透過しているのが確認できる。
「首吊り公を殺し、お前を攫うことにする」
ロザリーは即座にバックステップで距離を取って、首吊り公と並んだ。
そのまま彼に囁く。
「こっちは大魔導二人。できるものならやってみろ――と言いたいところですが」
首吊り公が愉快そうに笑う。
「できそうだからそうも言えんな。胸の輝きもおそらく固有ルーンだろう。固有×固有の組み合わせで異常な能力を実現している……? 奥の手も隠しているな」
「ヴラド様は?」
「ん?」
「ヴラド様こそ、奥の手を隠しておいでだと思っているのですが。おそらくは、対大魔導用の呪殺を」
首吊り公は目をパチクリとさせて、それから言った。
「……あるにはある。だが奴には通じまい」
「私が剣の動きを押さえたらいかがですか?」
「いや、無理だろう?」
「もちろん一瞬だけです」
首吊り公は剣王を見つめて一考し、答えた。
「奴が剣を振れぬなら呪殺は通せるはず。だが、〝骨姫〟こそできるか?」
ロザリーの代わりに剣王が答えた。
「やめておけ、ロザリー。お前には無理だ」
ロザリーはそんな剣王をつい、と見て、それから首吊り公に言った。
「できます」
剣王は大きくため息をついた。
「……人は自分に都合のいいものを見たがる。例えば、儂に勝てるなどという幻想をな。だが現実は残酷だ、勝つどころか転んで終わる。特に、甘い幻想に酔いしれる者は、な」
ロザリーは片眉を上げて言い返した。
「勝てるとは言っていないわ。一瞬なら届くと言っている」
「同じことだぞ、ロザリー?」
「そう? 本当は届きそうで怖いのではなくて?」
「……舐められたものだ」
初めて、剣王がその強大な魔導で圧をかけた。
「く……っ!」「ぬうっ……!」
大魔導である二人にとって、ほとんど経験しない格上からの魔導圧は、視界を遮る猛吹雪のようであった。
「行けるか、〝骨姫〟」
「……お任せを」
ロザリーは自分の肩を抱いて身体を小さくした。
すると彼女の足元から〝野郎共〟がうぞうぞと出てきてロザリーを包み、彼女ごと影に沈んで消えた。
この世からロザリーの気配が消え失せ、首吊り公と剣王だけになる。
「知らぬ術だ」
剣王が言う。
彼は右の剣を鞘に納め、腰を落として抜き打つ構えで待っている。
「だが――見えているぞ?」
剣王が首を後ろに回し、彼の右目のルーンが残像となって光の線を描く。
彼の真後ろに向けて放たれた抜き打ちは、目にも止まらぬ速さで対象を捉えた。
「ベベベベッ、痛エエエ! コン畜生ガァァ~ッッ!」
「ぬ、スケルトン!?」
剣王の背後から現れたのは、ロザリーではなくナンバーズ三号だった。
彼の特徴である取り外し自由の頭蓋骨で剣閃を受けようとしたのだが、歯をいくつも砕かれ、顎骨も断ち切られそうになり、結局頭蓋骨を身体で包み込んで剣を押さえている。
「ロザリーだと思い、加減してみれば……まさか骨とはな!」
剣王が剣から三号を振り落とそうとするが、執念深い彼はなかなか離れてくれない。
そこへ――。
「フッ!」
剣王の正面――影の中から黒髪を舞い上げてロザリーが現れた。
現れたときからすでに剣を振る直前の姿勢になっていて、そこから雷のごとき一撃が剣王を襲う。
「ムンッ!」
剣王はすんでのところで左の剣で受け、それをロザリーが押し込んで、刃と魔導のぶつかりがギィィィ――と鳴る。
剣王は髭の奥で頬を緩ませた。
「なんと素晴らしい一撃よ! 見事だ、ロザリー! ……だが、右の剣はどうする?」
そう言って剣王が右の剣を持つ手首を九十度、回した。
バキン! と嫌な音がして、まとわりついていた三号がバラバラになって地面に落ちていく。
「~~っ、ナンバーズ!」
剣王の周囲三方向から、一号、二号、四号が躍り出る。
「無駄なことよ」
左手でロザリーを押さえたまま、右手一本で軽々とナンバーズを打ち払う。
愛するナンバーズが骨の雨となって降ってくるが、ロザリーは剣王の左の剣を押し込むことだけで、全神経を奪われている。
剣王は瞬く間にナンバーズをすべて倒すと、右の剣をゆっくり回してロザリーに言った。
「死霊は打ち止めか?」
「まだっ……〝野郎共〟っ!」
剣王を包囲するように〝野郎共〟が現れる。
剣王はそれをふいっと見回し、それから言った。
「これは愚策だ、ロザリー。こやつらは先ほどのナンバーズとやらに比べるとはるかに劣るではないか。己が苦しいことを敵に伝えてはならん」
「……この状況で私に教えを授けているつもり? バカにしないで!」
「フ、それはすまなんだ。年寄りの悪い癖よ。だが、見込みある若者に教えるのは、年寄りにとって何よりの喜びでな?」
「だったら。そっちの彼にも教えてあげれば?」
「彼?」
剣王の向いた方向では、〝野郎共〟が群がってぐちゃぐちゃになっていた。
その骨の中から、生身の腕がにゅっと突き出てきて、骨と骨の間から人間の顔が現れる。
「オッサァァン! 俺、死ンジマッタァァ!」
「オズ、ッ!」
オズの腕が、たどたどしい動きで剣王の右手を掴んだ。
「何デェェ、俺ヲ見捨テタンダァァ!」
オズの顔をまじまじと見て、剣王はその顔に口を寄せた。
「生きていたか。嬉しいぞ、オズ」
「……何だよ、即バレかよぉ」
「一瞬、驚いたがな。死霊と見紛うものか。……そうか、ロザリーは友を殺してなかったのだな。やはりルイーズの娘、優しい子だ」
「……」
謀を見抜かれたからか、ロザリーは黙して返事をしない。
代わってオズが言う。
「裏切られたのに余裕あるねぇ。さすがだ。でもよ――」
いつの間にかオズの手は、剣王の右手からそれが持つ右の剣に移動していた。
そして右の剣の柄尻を握り、呪文を唱えた。
「――すり替えたぜ?」
【すり替え】の術が発動し、剣王の右の剣がオズの左手へと瞬間移動した。
オズがすぐさまその剣を地面に向けて投げ捨てると、そこで頭蓋骨だけとなり動かなくなっていたナンバーズ三号の眼窩が怪しく輝き、剣をバクッ! と咥えて、そのまま影に飛び込んだ。
一瞬のうちに剣を失った剣王は、驚きのあまり空になった自分の右手を眺めている。
オズは後ろへ飛んで退避しながら、大声で叫んだ。
「今だ、ロザリー!」
「ッ……ああああアアアァァッ!!」
ロザリーは爆発的に魔導を生み出し、血管の中で限界以上に巡らせた。
一時的にでも剣王と魔導の面で並ぶためだ。
こんな魔導の使い方をすれば数分ともたないが、この瞬間しかない。
すべての力で残る左の剣を押し込んでいく。
剣王は残った剣を両手で握り、させまいと踏ん張る。
そこへ、今まで見せていなかった短い剣〝黒曜〟をぬらりと抜いて、小手を狙った。
「ぬ、っ!?」
剣王は最小の動きで躱そうとしたが、〝黒曜〟が放つ禍々しい妖気が躱した手のほうへ寄ってきた。
「そこっ!」
剣の握りが浅くなったところを、ロザリーが〝白霊〟で叩き落とした。
〝剣王〟から剣が消えた。
その瞬間、ロザリーもオズのように後ろへ飛んで退避した。
まさにこのタイミングで放たれるであろう、首吊り公の呪殺の影響下から逃れるためだ。
しかし――。
「? ヴラド様!?」
呪殺は来なかった。
驚いて振り返るロザリーが目にしたのは、彼女と同じように驚いた顔で空を眺める首吊り公だった。
「何をして――」
ロザリーは首吊り公の視線を追い、絶句した。
オズも。
剣王ですら言葉を失った。
森の樹々の向こう。
西の空を覆いつくすように。
山脈よりも大きく、雲をまとい、太陽のような大きさの赤い光が二つ。
遥かなる巨人の王が、彼らのすぐそこまで来ていた。





