250 縁
〝首吊り公〟ヴラドと〝剣王〟ロデリック、二人の大魔導の織り成す破壊が地面を揺るがし、森の樹々が弾け飛ぶ。
その光景をバックに、ロザリーとオズはじっと重なってる。
オズがロザリーを後ろからギュッと抱いて、静かに言った。
「俺と一緒に皇国へ逃げよう。なっ?」
ロザリーはもうオズを殴るそぶりを見せなくなった。
オズが続ける。
「ルイーズは皇国で一番の騎士で、とても優しい人だったそうだ。きっと今でも皇国人に尊敬されてる。ロザリーにとって皇国のほうが生きていきやすいはずだ」
「……」
「皇国の……元老院だっけ? そいつらだって、大魔導のお前が寝返るなら、喜んで受け入れるはず。障害はない。何も心配しなくていいんだ。だから……俺と行こう。皇国へ」
ロザリーは抵抗せず、オズの腕を振り解きもしない。
そのことでオズは説得に手応えを感じ、だから腰に回していた腕を解いてロザリーの肩を持ち、こちらを向かせた。
「!」
ロザリーは泣いていた。
その涙は、さっきオズの母の話をしたときの悲嘆に暮れるものとは違う。
失望。
オズにはそう見えた。
「なぜだ、ロザリー……?」
ロザリーは目を背け、袖で涙を拭った。
「変だよ、オズ……いったい、どうしちゃったの?」
「……俺、変か?」
「だってオズは誰にも指図を受けない人。押しつけを何より嫌う人。そうでしょ?」
「そうだ。俺は――」
「――なのにどうしてそんなこと言うの? オズは私のお母さんのことなんて何も知らないじゃない」
「!!」
「私ですら五才までしか一緒に過ごしてないんだよ? お母さんが皇国でどんな人だったかなんて私は知らない。お母さん、話してくれなかったもの」
「……」
「オズ、私ね? お母さんの昔のことなんて、別に知りたいと思わないの。知りたいのはどうして私を捨てたのか、その理由だけ。だから皇国に行きたいとも思わない。お母さんの知り合いが優しくしてくれるって言ったって、私にとっては他人だもん。なのに……オズからそんなこと言われたら、どうしていいかわかんないよ」
「俺、俺は……」
いつの間にかオズも泣いていた。
なぜ泣けてくるのか自分でもわからない。
これがもらい泣きなのか、己が情けなくて泣いてるのか。
「俺は、何も知らないくせに押しつけてたのか。よりによって一番大事なロザリーに……」
ロザリーは俯いて、ただコクコクと何度も頷いた。
手の甲で涙を拭って、オズが言う。
「今からでも……やり直せるか?」
ロザリーも涙を拭いて、聞き返した。
「……何をする気?」
「おっさんを裏切って、お前に付く」
「! ……オズはそれでいいの?」
「構わないさ。どうせ裏切ったり裏切られたりの人生だし……それに」
オズは目を赤くしたまま、ニッと笑った。
「ロザリーだけは裏切らねえ。信じてくれるか?」
「……信じる」
ロザリーはこくんと頷き、それから笑った。
「裏切らなくても、世話ばかりかけるけどね?」
「そこは勘弁してくれ。埋め合わせはするから」
「どうするつもり? あのおっさん、とても強いわ。たぶん私よりも」
「だな。おそらく首吊り公よりも――」
オズは遠くで行われている首吊り公と剣王の戦闘を眺めた。
樹々や斜面が切り払われて遮蔽物がなくなり、ここからでもよく見える。
首吊り公は赤いロープを使った立体的な高速移動で剣王から距離を取っている。
移動しながらロープを駆使して罠を張り巡らせているが、剣王はそれをたちどころに見破り、悠々と破壊しながら追っている。
「ヴラド様が不利だわ。魔導消費を抑えながら罠を張っているけど、剣王は剣を振るだけでほとんど魔導を消費してない」
「だな。そもそも、おっさんのほうが魔導量多いだろう、ってのもある」
「八翼第二席。皇国で二番目だものね」
「でも、首吊り公が魔導消費抑えてるのは、たぶん奥の手がまだあるんだよな? 決まればおっさんでも倒せるような……例えば強敵用の呪殺とか」
「そうね、そうだと思う。ヴラド様は呪殺の名手だし……ただ、またあの理不尽な剣閃で断ち切られかねないから出せない」
「ってことは、おっさんが剣を振れない状況に持ち込めばいいんだ」
ロザリーは目を瞬かせた。
「それはそうかもしれないけど……いったいどうやって?」
「そこをどうにかするんだよ。おっさんは二刀使いだ、一本はロザリーに任せる。突っ込んで、切り結んで押さえてくれ」
「ええ? 自信ないよ」
「大丈夫だ。何でも斬れるおっさんでもロザリーのことだけは斬れない。お前に会うためだけにリスク背負って王国まで来てんだからな」
「なんかズルい気もするけど……わかった。もう一本はオズがやるの?」
「俺がやるけど、俺のほうもロザリーの手を借りたい。なんせ、俺だけ大魔導じゃないだからさ」
「何をすればいいの?」
「それは、ゴニョニョ……」
「ああ……できると思うけど。でもそのあとは大丈夫なの?」
「何とかする。はっきりと隙を作れば、首吊り公は見逃さないよな?」
「ええ。ヴラド様は仕留めるわ」
「……よし。行くかあ、大魔導狩り!」
「うんっ!」
首吊り公の赤いロープの斬撃が森を斬り払う。
そうして剣王の動きを制限し、そこへ首吊り公の指がわずかな動きで〝貫き〟を放った。
極細の糸が音も立てずに剣王の心臓へまっすぐに飛んでいく。
「……フッ、ブラフだな?」
剣王は〝貫き〟を斬らず、そのまま身体で受けた。
極細の糸は剣王の身体に当たって、ただ緩んで消えた。
「見え見えだよ、首吊り公」
剣王は大きく跳躍し、首吊り公へと剣閃を放った。
「ぐ、うっ!」
偽の〝貫き〟で誘導して決め手を放とうとしていた首吊り公は、身を仰け反り、すんでのところで致死性の刃を潜った。
首吊り公の前髪が数本、パラパラと落ちる。
「~~ッ、その、すべてお見通しという面が腹が立つ!」
赤いロープで上空へ逃げ、距離を取る。
首吊り公は同じ金獅子であり、かつては皇国側だった〝不老不死〟グウィネスとの会話を思い出していた。
「『魔女は〝剣王〟ロデリックと戦うな』、か。大袈裟なことを言うと思っていたが……まさか事実だとはな」
剣王は宙にいる首吊り公までは追わず、地表で剣を持ったまま腕を組んで、こちらを見上げている。
「剣閃の間合いに入れば、その瞬間に終わる。想像の数倍の広さがある間合いだが、宙にいればさすがに届かぬ、か」
剣王を見下ろしていると、彼の右目のルーンが波長をもって光っていて、嫌でもそこに目がいく。
「あの右目の固有ルーンが〝何でも斬れるルーン〟なのか? ……そんな都合のいいルーンがあるとは思えぬが。瞳に宿っているのだからブラフを見抜く能力のほうと考えるべきか。では何でも斬るタネはなんだ? 奴の持つ剣か? 二本とも魔導騎士剣のようだが……」
そのとき、首吊り公が見下ろす前で剣王が後ろを振り向いた。
彼の背後から黒い影が地を這って迫ってくる。
「ぬ、〝骨姫〟か!」
剣王は影から逃げるように宙へ飛び、そのまま地面を払った。
首吊り公が目を剥く。
「ッ! 影すらも斬るか!」
ロザリーの影は斬られた先から霧散して消えた。
影が来た方向から、ロザリーがゆっくりと歩いて現れる。
「……〝骨姫〟ロザリー、だな?」
剣王に問われたロザリーは答えもせず〝白霊〟を抜いた。
魔導銀製の幅広の剣身に刻まれた古代魔導語が不気味に輝いている。
「オズはどうした?」
「死んだわ」
「!」
「私が殺した」
剣王の右目のルーンが波打つように光る。
「……遺体はどこだ?」
「影の中。私の影は冥府の入り口だから」
「そう、か」
そう言った瞬間、剣王が仕掛けた。
首吊り公が叫ぶ。
「下がれ、〝骨姫〟ッ! 間合いに入るな!」
ロザリーは下がらなかった。
自身の影に手をかざし、僕を呼んだ。
「来い! 〝巨人共〟!」
影が大きく広がり、具足を着けた巨大なスケルトンたちが這い出てきた。
この西方争乱で影に落とした巨人たちのなれの果てである。
しかし剣王は怯むことなく、むしろ加速した。
這い出てくる巨人共の上を通過しようとして、それを打ち落とそうと巨人共の巨大な拳や武器がいくつも唸りを上げて飛んでくる。
「フ、ッ!」
剣王は双剣を持った両腕を交差させ、身を回転させながらそれらを見事にいなしていく。
巨大な拳を次々と躱し、剣王はついにロザリーの目前に迫った。
ロザリーは〝白霊〟で迎え撃ち、両者の剣が火花を散らす。
鍔迫り合いになり、二人の顔が近くなる。
「ふぅむ。美しい、よい剣だ」
「……呪いを帯びた邪剣よ」
「儂のもだ。〝骨喰い八十丸〟。お前と戦うために持ってきた剣だよ、〝骨姫〟」
「ッ! あなたと皇国へは行かないわ!」
「それでもいい」
剣王の瞳がロザリーをまじまじと見つめ、豊かな髭の奥の口元がわずかに緩む。
「髪の色が違う。瞳もだ。だが……似ている。ルイーズに瓜二つだ」
ロザリーが叫ぶ。
「嘘! 母さんはこんな顔じゃなかったわ!」
「それは自分ではわからぬだけだ。儂はロザリーくらいの年頃のルイーズも知っておる。今のお前にそっくりだよ」
そして剣王は鍔迫り合いを維持したまま、ずいっと顔を寄せ、ロザリーに言った。
「会いたかった。もっとよく顔を見せてくれ、ロザリー」
中空から首吊り公が叫ぶ。
「聞くな! 〝骨姫〟!」
「口出しするな、首吊り公! これは儂とルイーズ! そしてその娘ロザリーの話だ!」
鋭くそう言い返してから、剣王は言った。
「もっと早く、こうすべきだった。近くで一目見ればすぐに娘とわかったのに。そうすればオズを死なせずに済んだだろうに」
ロザリーが吐き捨てるように言う。
「他人事みたいに言うのね。あなたが利用したせいなのに」
「友だと聞いておったからな。殺されはせんだろうと。……ロザリー、なぜオズを殺した? ルイーズなら友を殺めたりはしないぞ? どんな手段を使ってでもその状況を回避するだろう」
「……やめて」
「オズは儂の下を去ろうとした。だがルイーズの話を聞いて踏み止まったのだ。友であるロザリーのためにそうすべきだと考えたのだろう。お前を皇国へ逃がすために――」
「――いい加減にして!」
ロザリーは剣をぶつけたまま、目を剥いて顔を寄せ、怒鳴った。
「母は消えたの! 五才の私を置いて! それっきりよ!」
「ッ!」
「勝手に母を語らないで! 勝手に私の生き方を決めないでよ! 私にはもう家族はいない! あなたの話なんて聞きたくないわ!」
「ロザリー……!」
会話を聞いていた首吊り公は、知らず知らずのうちに二人の会話に引き込まれていた。
実のところこの戦まで、首吊り公はロザリーにさして興味はなかった。
最終試練で見つけ「大魔導であろう」と思い、彼女が金獅子となり「やはり大魔導か」と思う。
その程度の興味だった。
だがこの戦でロザリーと轡を並べ、魔導と人となりを知った。
そして彼女の母親〝白薔薇〟のルイーズと、首吊り公は会っていた。
獅子侵攻で黒獅子ニドに敗北したルイーズを、獅子王エイリスは「捕虜とし、王都へ連れ帰る」と宣言した。
その際に王都まで連れ帰る任を命じられたのが首吊り公だったのだ。
(この母娘……妙に縁がある)
そう思った首吊り公は、自身でも思わぬことを口走った。
「では私の娘になれ、〝骨姫〟」





