248 魔導八翼
老伯がチラリと後方上空を振り返って言う。
「……早いな。もう、喰いつかれたか」
視線の方向に魔導の高まりを感じ、老伯は身を翻して急停止した。
「来るぞ! 上空!」
オズたち一行も足を止め、木々の枝葉の奥、わずかに覗く空のほうを見上げる。
首吊り公の攻撃は、一斉に、辺り一面に降ってきた。
「赤い、糸!?」
「無数に、ッ!」
赤いロープを糸の細さまで割いて数を増やしたものが、雨のように枝葉の隙間を縫って、降ってくる。
「呪詛の糸だ! 素手で触れるでないぞ!」
老伯の声に、全員が得物を抜いて対処する。
各々が武器を振るい、赤い糸を弾いていく。
が――ココララが叫ぶ。
「数がっ、多すぎっ!」
首吊り公の攻撃はまさに雨のごとくで、とてもすべてを打ち払えない。
「ココララ! こっちだ!」
ビンスが槍を風車のように回して傘のようにし、その下にココララを入れる。
近くにいたアルフレドもビンスの風車のそばで難を逃れ、身軽なジャズはどうにか避け切った。
ココララが悲鳴を上げる。
「ああ、オルトン!」
的の大きいオルトンは避け切れなかった。
赤い糸が腕や腰、太ももなど複数か所を貫いている。
オルトンはこちらに背を向けたまま、俯いてブルブルと震えている。
「おい、オルトン! お前ならそんな小さい傷、どうってことないだろう!」
ビンスが発破をかけても、オルトンは震えたまま。
堪らずビンスはオルトンに駆け寄った。
ココララが止める。
「戻れ、ビンスッ!」
「このままにしておけるか! おい、オルト――」
「――ウガァァァアア!!」
「うあっ!?」
オルトンが振り向きざまに獲物のメイスで攻撃してきた。
異常を察したジャズがビンスの後ろ襟を掴んで、ビンスは腰を抜かしたように後ろに転んだので直撃を免れた。
ビンスの鼻先の肉が抉れ、血が滴る。
「お、オルトン?」
「ウ……ア……老……伯……」
オルトンは虚ろな目で、まるで人形のようなカクついた不気味な動きで、ビンスに迫る。
ジャズが言う。
「ぐ……やるぞ、ビンス!」
「で、できねえよ! できるわけねえ!」
オルトンがメイスを振りかぶり、ビンスは転んだまま。
ジャズが遅すぎる覚悟を決めたとき、オルトンの身体の上方からジャキン! と裁縫バサミで切るような音がした。
オルトンは糸の切れた操り人形のように倒れる。
「あ、老伯ッ!」
オルトンを操る何かを切ったのは老伯だった。
老伯は糸を斬った白刃をツイッとなぞり、上空を見上げる。
「洗脳系の術か」
すると上空から返事が来た。
「【マリオネット】という。呪詛糸で意のままに操る術だ」
ロープに吊られ、首吊り公がゆっくりと降りてきた。
その圧、大魔導と敵対する畏れに、一行は動けずに固まった。
「〝首吊り公〟……ッ!」
「知っていてくれて嬉しいよ、皇国の女騎士殿。――しかし。君たちはなぜ、ここにいるのだろうか?」
誰も答えない。
首吊り公が続ける。
「君たちは皇国の騎士でありながら、蛮族の襲来に紛れて王国の地に忍び込んだ。それは間違いないな?」
やはり一行は答えない。
さらに首吊り公が続ける。
「獅子王国と魔導皇国は現在、休戦協定の下にある。君たちの行動は協定破りであり、両国にとって重大な罪だ。しかも貴様らは――」
首吊り公の激情が語気を強くさせ、表情を憎々しげなものへと変える。
「あろうことか私が支配し、私の家族が暮らすハンギングツリーに忍び込んだ! ふざけおって……許せるものか! たとえ法が許そうとも私が許さん!」
首吊り公の瞳に殺気が満ちて、爛々と赤く輝いた。
「縛り首だ!」
首吊り公が天を指差した瞬間、老伯一行の一人一人の首に赤いロープが巻かれた。
先ほどの糸とは比較にならない、強力な念と魔導が込められたもの。
オズですら逃れる術はない。
「グッ……! これは……やべえッ!」
しかし、その刹那。
老伯が跳んだ。
「ムゥン!」
ジャキィィン!
目にも止まらぬ剣閃が赤いロープを薙ぐ。
すべてのロープがぶつりと切れ、力なく弛んで消えていく。
「な……っ!?」
首吊り公は目を見開き、固まった。
スタリと着地した老伯が、首吊り公を睨んだまま言う。
「……ビンス。オルトンを担いで逃げられるか?」
「はっ? ……ハッ! もちろんです!」
ビンスは気を失ったままのオルトンを肩に担いだ。
「ココララ、お前が指揮を執れ」
ココララは必死に首を振った。
「できません! 老伯を置いて逃げるなど、できませんっ!」
「わからんか。足手まといだ」
「っ……!」
「ジャズ、先行しろ。ぬかるなよ?」
「ハッ!」
返事と共に動き出した斥候役のジャズ。
しかし素早い彼はそれを活かせず、すぐに足を止めることになる。
「逃がさない」
彼らの知らぬうちにロザリーが回り込んでいたからだ。
手のひらを向けて通さないと意思表示するロザリーを、ジャズは険しい雪山か、深いクレバスのように感じた。
「う、〝骨姫〟ロザリー、かっ……」
ロザリーは言葉を返さない。
圧に負けて後ずさるジャズ。
しかし一方のロザリーは、ジャズのことなど意識にも無かった。
(あの老伯という男、普通じゃないわ)
(ヴラド様の〝縛り首〟は、もはや呪殺そのもの。ロープとしての実体があるかどうかすら怪しい)
(それを剣で切る? 一体何者なの……)
(呪殺界を破壊したのもおそらく老伯……)
(〝覗き魔〟は老伯ね……!)
首吊り公と老伯は睨み合ったままだが、動きはない。
老伯は着地した姿勢のままだし、首吊り公も〝縛り首〟を仕掛けた状態のままだ。
しかし首吊り公の表情だけは、激情が抜け落ち、冷静なものへと変わっていた。
「もしや、とは思っていた」
淡々とした声で首吊り公が言う。
「オババ様より〝鷹〟と聞かされてから、もしかしたら、と。だがそんな可能性がどれほどあるのかと考え直し、頭から消していた。――だが、我が【絞縄術】を剣で断ち切るなど、他にできる者はおるまい」
一行を挟んでロザリーが問う。
「鷹……? ヴラド様、〝覗き魔〟をご存じなのですか?」
「ああ、知っているとも」
首吊り公が目を大きくして、老伯の顔を覗き込む。
「こやつは魔導八翼第二席〝剣王〟ロデリック=ファルコナー! 皇国でミルザの次に強い魔導騎士よ!」
「皇国の――大魔導!?」





