246 呪殺界
あけましておめでとうございます!
本年も『骨姫ロザリー』をよろしくお願いいたします。
新年早々、呪殺の話でございます……
「……親分。オズの親分!」
セーロに揺り起こされ、オズは目を覚ました。
木に寄りかかって休んで、そのまま寝てしまっていたらしい。
森は明るく、朝の光が射しこんでいる。
追跡の夜は明けたようだ。
「セーロ。みんなは?」
「少し先にいます。行きやしょう」
「ああ」
オズは重い身体を引き起こし、セーロの後に続いた。
「セーロ、お前は元気そうだな?」
「へえ。いや……へへ」
一行でセーロだけは魔導を持たない。
逃亡の足を引っ張ることになるので、昨晩は一行の重戦士オルトンが彼をおぶってくれていた。
徹夜明けにも拘わらずセーロが元気そうなのは、きっとオルトンの背中で寝ていたからに違いない。
オズはセーロの後頭部をゴチンと叩いた。
「いちっ!」
「太え野郎だ」
「つう、面目ねえ……」
セーロの言う通り、一行はすぐ先にいた。
深刻そうな顔を突き合わせていて、老伯の姿がない。
「何かあったのか?」
オズが声をかけると、みんながこちらを向いた。
アルフレドが言う。
「やあ、オズ。よく眠れたかい?」
「おかげさまでな。で、何があった?」
一行は顔を見合わせ、それからココララが一通の【手紙鳥】をオズに差し出した。
「燃えてないのがあったのか?」
オズはそれを受け取り、手紙を開いた。
「これは……」
ビンスが言う。
「ハンギングツリーの協力者、アン=ぺネットからだ。面倒なことになった」
「面倒?」
「捕まりそうになって逃げ出した、こちらに合流したいと書いてある」
「ほ~ん。それで?」
「俺たちは合流したくない」
心底嫌そうにそう言うビンスに、オズは笑って言い返した。
「クク、そりゃそうだろう。追手がかかってるときに他の奴の面倒まで見れるかよ。だいたい、この手紙が本物かどうかもわからねえし」
するとココララが言った。
「【手紙鳥】はジャズ宛に届いた。ジャズの名を知るのは私たち以外だとオズとセーロだけ。アンは魔女騎士なので【手紙鳥】を作れる。アン本人からと考えていいわ」
「いや、にしてもさ」
オズは一行の顔を見回した。
「これは罠だぜ? わかってるだろう?」
オズの言葉にココララは険しい顔で俯いた。
すると寡黙なオルトンが珍しく口を開いた。
「協力者を見捨てるのか?」
それにビンスが言う。
「よせよ、所詮は王国人だ」
「そんな理由で見捨てるなら、初めから利用すべきではない」
「でもよ!」
「落ち着け、ビンス。オルトンも言い方考えろ」
そこから五人で議論が始まった。
(こんなんしてる暇はないんだけどな~)
そんなふうに考えつつ、オズが周囲を眺めていると。
「あ、おっさん」
老伯が樹々を潜ってやってきた。
そして一行の顔を眺め、彼らに問うた。
「結論は出たか?」
一行はアン=ぺネットに指定された場所に向かうことに決めた。
先行するのは老伯。
斥候役のジャズは殿で追跡者に気を配る。
オズは少しずつ足を早め、先行する老伯との距離を詰めた。
そうして抜き足、差し足と老伯の背中に迫る。
「――感心せんな、オズ」
「うおっ! 気づいてたのかよ」
「言っただろう、目がいいと」
「またそれか。背中に目は付いてないだろう?」
老伯はそれに答えず、黙って進むだけ。
オズは彼に並び、小声で問うた。
「……なぜ行く?」
「不満か」
「罠だ」
「だろうな」
「そう思うのに、なぜだ?」
「理由はひとつではない。我々の信条やアン=ぺネットのことを知り過ぎたこと、いろいろあるが……結局は、あ奴らが決めたことだからだ」
オズはちらりと振り返った。
怪訝そうにこちらを見るココララと目が合った。
「もしかしておっさん、あいつらの師匠だったりする? ルイーズの先生だったみたいにさ」
老伯はしばらく黙り、それから言った。
「……オズ。お前は本当に勘がいいな?」
「やっぱそうか。おっさんは正直すぎるって」
「だがそこまでにしておけ――」
老伯の左目が猛禽のような鋭い眼光を放ち、オズを射抜いた。
「――勘がいいというのは相手にとって殺す動機になり得る。したり顔で囀らぬことだ」
オズはブルッと震え、それからおかしそうに吹き出した。
「ククッ。脅しもストレートだな? 今のはビビったぜ」
「それでも軽口は直らぬか」
「性分だからな。だが奴らの決めたことだから罠に掛かりに行くってのは、さすがに相手を舐めすぎだと思うぜ?」
「罠ではあろう。だが――今のところ、騎士の姿は見えぬ」
オズの目の色が変わる。
「どういう意味だ。まさか、おっさんの目には合流地点が見えているというのか?」
「罠は儂が排除する」
そう言って、老伯も背後を振り返り、配下たちを見た。
「あれでもあ奴らは優秀な騎士でな」
「それはわかるぜ。みんな若いのにレベル高ぇ」
「だがそれは儂の配下としてだ。儂は自分の背中を見せていれば勝手に育つと、長いこと勘違いしておった。……それでは駄目なのだ、機会を与えねば。すべてを儂が決めていては優秀な傀儡にしか育たぬ。あ奴らには自分たちが決めたことがどんな結果を招いたか、それを知る機会を与えたいのだ。儂は責任だけ取ってやればいい」
老伯は真剣に言ったのだが、オズは耳をほじりながら言った。
「ほ~ん」
「納得いかないか」
「そりゃな。責任は自分で取るもんだ。どんなクソみたいな結果でもな」
「なるほど。お前はそうして生きてきたか」
「ああ」
「儂もだ」
正午を少し回った頃。
アン=ぺネットが指定した場所に辿り着いた。
ココララが手紙を開く。
「ありました、落雷した一本杉。それを左手に見ながらまっすぐ……あっ、あれですね」
枯れ木の陰に、手紙で予告された青っぽい色の服が見えた。
ココララが枯れ木へ向かい、青い服の人物を顧みる。
「アン=ぺネットですね? すぐにここを離れ――うッ!?」
アン=ぺネットは絶命していた。
枯れ木に首と両手を細い針金で結わえられ、ぶらりと足が垂れている。
老伯が彼女の元に近づき、脈を確かめた。
「惨いことを」
老伯は目を瞑り、黙して手を合わせた。
聖騎士であるアルフレドが老伯の隣へ行き、簡略化した鎮魂の儀式を始めた。
ココララは初めショックを受けていたが、次第に怒りの表情へと変わった。
「……見せしめのつもり? ふざけたことを」
オルトンやビンスなども同様に怒っていて、離れたところにいるジャズもこちらに目を奪われている。
「オルトン、下ろしてあげて」
ココララに言われ、身長の高いオルトンが針金に手を伸ばした。
と、そのとき。
オズが言った。
「待て。触れるな」
老伯以外の一行の目がオズに集まる。
ココララが言う。
「時間がないのはわかっている。だが下ろすくらいはいいだろう?」
「これは見せしめじゃない」
「じゃあ何だというの」
「……」
オズの鼻がピクピクと動き、眼球がグルグルと辺りを見回す。
「そこか!」
オズは弾かれるように動き出し、近くにあった枯れ草の多い茂みに飛び込んだ。
そして一心不乱に枯れ草を掻き分けていく。
「見つけたッ!」
枯れ草で隠してあったのは、地面が深さ三メートルほど掘られた溝。
それが地形に隠れるように曲線を描いて伸びていて、そこに大量の屠殺された牛や馬の死骸が積まれていた。
「やっぱり、先払いっ……生け贄だ! 呪詛が来るぞ!」
魔女騎士であるココララが顔色を変えてオズの元へ走り、それを確かめる。
家畜の死体の数を見て、冷たい汗が頬を落ちていく。
「儀式による広範囲遠隔呪殺罠……? もう踏んでしまった? 踏んでしまったなら発動前に解かないと……魔女騎士は私しか……」
怯えた顔で、震える手で、ココララが無残な家畜たちに指を伸ばす。
すると彼女の指先が触れる直前、無数の死骸の眼球が、ギュルン! と回り、一斉にココララのほうを向いた。
「ヒッ!」
「よせ、ココララ!」
オズが彼女の服を引っ張り、無理やり身体を引き上げる。
驚いた顔でこちらを見たココララの鼻から、ツーッと血が流れた。
「おそらく首吊り公――大魔導の呪殺だ。芯を食わなくても殺られるぞ」
ココララは青ざめた顔で鼻血を押さえ、こくん、こくんと頷いた。
「ココララ! オズッ! どうすりゃいい!」
叫んだのはビンスだ。
ビンス、オルトン、アルフレドの三人は、未だ目を閉じ手を合わせる老伯の背中を守るように構えている。
セーロは彼らの足元で頭を抱え、身を丸めて震えている。
「ココララ、俺らも集まろう。ジャズ! お前も来い!」
オズたち二人が老伯の元に集まり、遅れてジャズもやってきた。
「どうするんだ」
そう問うジャズの顔色も悪い。
状況は悪化している。
辺り一面をむせ返るような血の臭いが包んでいて、魔女騎士でなくとも呪殺の気配がわかる状況になっている。
オズが言う。
「本当はこの場所から逃げるのが一番いいんだが――」
「じゃあ逃げよう!」
そう言ったアルフレドに、オズは首を横に振った。
「――逃げられる気がしない。どうにか耐える方向で行こう」
「耐える!? どうやって!?」
その間にも血の臭いは増し、不吉な空気が辺りを満たし、心臓を締め付けるような圧がオズたちを襲う。
「あぁ……」
「ヤバいヤバいヤバいっ!」
「う……おえぇぇェッ」
呪殺が迫る混乱の最中で、オズは決断した。
「……呪殺が来たら、俺が芯を外す。俺が失敗したらココララがやれ」
ココララがぽかんと口を開ける。
「オズ、何を言って……」
「ここには俺とお前しか魔女騎士はいないからだ。そうだよな? 他にいるなら名乗り出てくれ」
一行はオズを見て、誰も名乗り出なかった。
ココララが言う。
「無理だ、オズ。私は生け贄に触れようとしただけでこんな……」
「できる、大丈夫だ。俺が最悪でも芯の外し方を見つけて、それを示すから」
「私にはできないっ! お前にだって無理だ!」
「いいや。俺にはこれがある」
そう言ってオズがゆっくりと宙に手をかざす。
カッ! と一面を白く染める閃光が起きて、その光が収まるとオズの前に一冊の古書が浮かんでいた。
「……それは?」
「〝ユーギヴの鍵〟。ユーギヴシリーズっていうらしいな?」
「オズ。お前はいったい……」
ココララが戸惑いの声を上げたとき、手を合わせたまま老伯が口を開いた。
「なるほどな」
「何だ、おっさん。今頃起きたのか?」
「奥の手を隠しているとは思っていた。まさかそれがユーギヴの遺物だとは……偶然とは怖いものだ、ユーギヴシリーズの所持者に別のユーギヴシリーズを盗ませようとしていたとはな」
「……おっさんの出番は俺とココララが呪殺を防いだあとだ。おそらくこの機に首吊り公が来る。ついででいい、セーロも皇国へ連れ帰ってくれ」
「親分! 縁起でもねえこと言わないでくだせえ!」
「うるせえ。子分は黙って親分の言うことを聞け。……いいな、おっさん?」
すると老伯は首を捻って宙を見上げ、それから言った。
「駄目だ。断る」
「ッ、はあああ!? この状況で断るのかよ、おっさん!?」
「オズの言う通りにするというのは、どうにも気に喰わぬしなあ」
「こんな時に何を!? ッ、やべ、来たッ!!」
ふいに視界が空から暗くなった。
仲間の顔が灰色に見える。
もはや互いの声も届かず、上空から不穏で、歪で、見たくも聞きたくもない穢れた何かが降ってくる。
意識が圧迫される中で、オズは必死に〝ユーギヴの鍵〟をめくる。
瞬間、オズはとても嫌な気配を感じた。
ハッと見上げると、アン=ぺネットの遺体が恐ろしい形相でこちらを見下ろしている。
(しまった! 意識が持ってかれる……ッ)
と、そのとき。
アン=ぺネットの顔の前を剣閃が通過した。
その途端、アン=ぺネットの形相は安らかなものへと変わり、かくんと首が落ちる。
剣の主は老伯だった。
彼は眼帯を外していた。
その右目には、オズの見たことのないルーンが輝いていた。
老伯が跳躍する。
高く、高く跳び、その最高到達地点でフード付きのマントがはためく。
腰からもう一本の剣を抜き、二本の剣をクロスして構える。
「儂には――見えているぞ?」
キィィィィン!!
耳をつんざく音がして、老伯が何かを斬った。
落下してくる老伯と共に、灰色の世界がひび割れて、崩れていく。
その向こうから青空が覗き、凶悪な呪殺から逃れたのだと一行は知る。
「呪殺を? 斬った? バカな、あり得ない……」
オズが呆気に取られてそう漏らすと、ずしゃりと着地した老伯が言った。
「前に言ったはずだ、オズ。どんなに馬鹿げて見えても、自分の目で見たものこそがこの世で最も正しいと」





