22 クラスの代表
教官室は生徒が学ぶ校舎とは別棟にある。
校舎の騒々しさは鳴りを潜め、ロザリーとロロは静かな廊下を歩いていく。
「ここですね」
ロロは、ある部屋の前で立ち止まった。
扉には〝ヴィルマ=サラマン〟とプレートがかかっている。
ロロはためらいなく扉をノックした。
しかし、しばらく待っても反応はない。
ロロはもう一度ノックし、
「ヴィルマ教官。ロクサーヌ=ロタンです」
と、名乗った。
だが、やはり反応はない。
「帰ってないのかな?」
ロザリーがそう言うと、ロロは首を横に振った。
「ヴィルマ教官は教室と教官室の往復しかしません。食堂にさえ顔を出しませんから」
「よく知ってるね……」
「居留守ですよ! 絶対に中にいます!」
ロロはガチャガチャと力任せにドアノブを回す。
「まずいって、ロロ!」
ロザリーが止めるがロロは聞く耳を持たない。
終いには壁に足を置いて、ドアノブを思いきり引っ張り始めた。
「うぐぐ……だめっ、開かない!」
ロロは肩で息をしながら、扉を睨んだ。
「はあ、はあ……尋常じゃない堅さだわ。きっと、まじないで閉じてあるのね」
そしてロロはロザリーを見つめ、扉の前から退いた。
「どうぞ、ロザリーさん」
「どうぞって、何?」
「【鍵開け】のまじないです。どうせ使えるんでしょう?」
「嫌だよ! それじゃ私も共犯になっちゃう!」
「ということは、やはり【鍵開け】を使えるんですね?」
「うっ」
ロロはずいっ、とロザリーに顔を寄せた。
彼女の眼鏡がキラリと光る。
「私の魔導騎士人生がかかっています。お願いします、友人を窮地から救うと思って!」
「そんな大袈裟な……」
「なにが大袈裟なものですか。自分で言うのもなんですが、魔導騎士養成学校史上、最低最悪の代表となること請け合いです。するとどうなるでしょう? 無能な代表の烙印を押され、みんなから失望され、やがて相手にもされなくなり。そのうちに教官方にも無視され始め、ついにはロザリーさんも口を利いてくれなくなり……ああ! そんなの炭焼き小屋で一人暮らししてた頃のほうがまだましよ!!」
「だからー。大袈裟だってば」
呆れたようにそう言うロザリーに、ロロは鼻が触れるほど顔を寄せた。
「私が代表になったとして、誰が私の言うことを聞くというのです!」
ロザリーは負けじと言い返した。
「私は聞くよ」
そう胸を張るロザリーに、ロロは目を丸くした。
嬉しさのあまりニマニマと緩む口元を、必死になってへの字に曲げようとする。
やっとのことで笑みを押し殺したロロは、黙ってロザリーの前から退いた。
そして扉を指差して言う。
「では代表命令です。開けなさい」
「うぐっ」
ロザリーは自分の発言を後悔したが、ロロはもう交渉の余地はないとばかりに腕組みして目を閉じている。
ロザリーは仕方なく扉に向き合った。
細く白い指を波打つように動かし、両手を重ねる。
そして手先を尖らせ、鍵穴に向けて差しこむイメージ。
「開きそうですか?」
「確かにまじないかけてあるね。でも――」
扉の鍵はこれまでロザリーが【鍵開け】を試みたどの鍵よりも複雑であったが、それでも数秒の内に全容を把握した。
手の形を鍵の形に合わせ、そのまま左にねじる。
――ガチャリ。
鍵が開き、扉がひとりでに開いた。
「すごい! 開いたっ!」
胸の前で小さく拍手するロロ。
「じゃ、私はこれで」
そそくさと帰ろうとするロザリー。
しかしロロはロザリーの袖をむんずと掴み、
「ロロです! 入ります!」
と、臆することなく扉から入っていった。
ロザリーも引きずられるように後に続く。
ヴィルマの部屋は薄暗かった。
奇妙な形のオブジェや、薬品の入った瓶の数々。
魔導書や巻物の類も多い。
だが雑然としているわけではなく、よく整理されている。
「やはり居留守でしたか」
ロロはすぐに目当ての人物を見つけた。
「……あなたたち。どうやって入ったの?」
椅子に座るヴィルマは、驚いた様子で二人を見上げている。
手に持つティーカップからは湯気が立ち上っていた。
「ロザリーさんに開けてもらいました」
ロロはあっさりと白状し、椅子の対面にあるソファに勝手に腰を下ろした。
ヴィルマがじっ、とロザリーを見つめる。
「【鍵掛け】してあったんだけど?」
「すいません。【鍵開け】しました」
「……ふぅん。学生のあなたが私の鍵を、ねぇ」
挑発的ともとれる目つきで、ヴィルマはロザリーの全身を舐めるように見る。
「鍵のことなんてどうでもいいんです!」
ロロは椅子の肘置きをダンッ! と叩いた。
彼女の怒りはヴィルマを前にしても鎮まる気配がない。
「どうして私なんですか! 代表なんて務まるわけがないでしょう!」
ヴィルマは眉を寄せて笑った。
「ロロ。あなたがそんなに怒るなんて予想外だったわ」
「私が何されても怒らないと思ったから、誰もやりたがらない代表を押しつけたんですか!?」
「そうじゃないわ。さ、ロザリーもお座りなさい」
ロザリーがロロの横に座ると、ヴィルマは二人にティーカップを手渡した。
「薬草茶だけどいいかしら?」
「あ、お構いなく」
そう言うロザリーのティーカップに、香りの強いお茶が注がれる。
続いてロロのティーカップにもお茶を注ぐが、ロロの視線はヴィルマを射抜いたままだ。
「ふふ。そんなに睨まなくても説明するから」
ヴィルマはティーポットをサイドテーブルに置いた。
そして、胸の谷間を見せつけるように椅子から身を乗り出し、指先で宙に何かを書き始めた。
指の跡はほのかに光っていて、光の軌跡は文字となり文章となる。
「んーと、青は鏡ばかり見つめ――」
ロザリーが口に出して読むと、続きをロロが引き継ぐ。
「――黄は他人の顔色ばかり窺う。……何なんですか、これ?」
「慌てる魔女は呪いをしくじる。最後まで読んで?」
ヴィルマの指先はまだ動いている。
「緑は空ばかり見上げ――」
「――赤は振り返ってばかりいる」
ロザリーとロロは顔を見合わせて、同時に首を傾げた。
「これは魔導性別性格診断よ」
「魔導性別――」「――性格診断?」
再び二人が首を傾げる。
「魔導性ごとの性格を表したものよ。俗説だけど、結構当たってるの」
そしてヴィルマは宙に浮かぶ文章をなぞりながら説明を始めた。
「青――刻印騎士は個人主義者。勝気で自分のことが最優先。黄――聖騎士は集団主義者。社交的で、他者と足並みを揃えたがる人たち。緑――精霊騎士は空想家でマイペース。……そして赤――魔女騎士はね、嫉妬深くて根に持つ性格なのよ」
「はあ」
ロロは何とも言えない表情で頷いた。
一方ロザリーには、思い当たるふしがあった。
(ヒューゴがルナール教官を見て言ってたことに似てる……)
ヴィルマが文章にサッと手をかざした。
それぞれが説明する魔導性の色に、文字の色が変わる。
「青は一番強い生徒を代表に選ぶわ。黄は誰が代表になってもまとまる。緑はカリスマ性で選ぶわね。ただ赤は、誰が代表になっても揉めるものなのよ」
「そんな……だからって私に押しつけるんですかぁ」
悲痛な面持ちで肩を落とすロロ。
「違うわ」
ヴィルマはロロの両肩に手を置いた。
「あなたなら赤のクラスはまとまるかもしれない」
「へ? なぜそうなるんです?」
「能力で選ぶなら、ロザリーにするわ。でも間違いなく、あなた以外の生徒から支持を得られない」
「……貴族ではないですし、みんな嫉妬するでしょうねえ」
「じゃあ家格で選ぶとする。うちのクラスに高位貴族は少ないけど……ウィリアスあたりになるかしら? 彼でまとまると思う?」
「……難しいでしょう。高位貴族といっても、抜きんでて家格が秀でてるわけじゃないですから。それも僻みの原因になります」
「その通り。そこであなたよ」
ヴィルマの手に力がこもる。
「成績は凡庸。家は貴族どころか炭焼き小屋。その上、教官の私より年上ときてる!」
ヴィルマの力説を聞いて、ロロはとまどいを隠せない。
「ヴィルマ教官って、私より若いんだ……」
「ええ」
「それに、褒められている気がしません」
「当然よ、褒めてないもの」
ロロはまた、ガクッと肩を落とした。
しかしヴィルマが、落ちた肩をグッと持ち上げる。
「私が買っているのはね、あなたの噂好きな性格よ。ロザリーを見てみなさい。貴族の家格なんて何にも知らない。貴族でない者はそんなものよ、縁遠い世界のことで興味がないから。でもあなたは違う。一般出身者でありながら、貴族たちに気を配れる。気を配れるってことは、渡り合えるってことよ?」
ロロは難しい顔で考え込んだ。
「それに加えて、さっき言った成績と家格と年齢。あなたに嫉妬する貴族がいたら、お目にかかってみたいものだわ」
ロロはしばし考え込んでいて、それからふと顔を上げた。
「ヴィルマ教官。引き受ける代わりに、一つ条件を出してもいいですか?」
「わかっているわ。ウィリアスたち高位貴族には、私から根回ししておく」
「いえ、そうではなくてですね」
ヴィルマはきょとんとロロを見た。
「じゃあ、なに?」
「私が代表をやりきって卒業したら、職場を紹介してください」
「……職場?」
「私、どこの騎士団でもやっていけない自信があるんです。できるだけ楽な職場がいいです、給金はほどほどで構いませんから。なんなら、授業でやったエーテル造りでも」
「別に構わないけど。……あなたって現実的ねえ」
ロロはすっくと立ち上がった。
「ヴィルマ教官より大人ですから」