214 ランガルダン要塞
先週はお休みしてすみません。
台風やらなんやらで作業できませんでした。
ランガルダン要塞は対西域の最前線拠点である。
〝大オラヴ〟と呼ばれる大河――オラヴ川対岸を監視するように、荒野の中に建っている。
城壁は王都のそれを上回る高さで、その堅牢かつ武骨な造りは全身鎧の重騎士を思わせる。
そんなランガルダン要塞の会議室〝守護者の間〟。
大きな長方形のテーブルを二十人余の貴族が囲んでいる。
彼ら一人一人が対西域騎士団連合に名を連ねる者たち――つまりそれぞれが騎士団長である。
テーブル中央には要塞周辺の立体図が置かれ、その其処彼処に戦報のメモが貼られている。
「五十万!?」
「何かの間違いであろう?」
「多すぎる……!」
物見からの報告を受けた騎士団長たちは一様に渋い顔をして、腕を組んだり天井を仰いだりした。
「対して我らの戦力は?」
「三万がいいところだ」
「ここは雑兵は数に入れず、騎士だけで考えよう」
「ならば千二百だな」
「騎士一人当たり……蛮族四百人討てばいい計算か?」
「四百十六だ」
「馬鹿げている」
「そうだろうか? 所詮は蛮族、無理な数ではないと思うが」
「ほう! では卿に先陣を任せよう!」
「煽るような物言いはやめたまえ。蛮族ガーガリアンにも魔導者はいる。雑兵だけではない」
「〝巨人〟だな」
「そう、〝巨人〟だ。ふざけた話だが、奴らは魔導が多いほどに体格が大きくなる」
「こちらにとってはわかりやすくてよいではないか」
「確かに。具体的にどのくらいの大きさだと、どのくらい強いのだ?」
「さて……ここ百年は蛮族との戦はありませんからな」
「お待ちを。ちょうど今、古典の記述を眺めていたところで……ありました」
司祭帽を被った男が、ゴホンと咳払いをしてから続ける。
「王歴二百十七年の記録です。『巨人の王が襲来した。雲を食み、要塞を見下ろすほどの身の丈で、金獅子〝銀の腕〟が迎え撃ち、共に果てた』とあります」
一同がどよめく。
「共に果てた? 金獅子が相討ちになったというのか!?」
「銀の腕……〝ユーギヴの手〟の所持者か」
「首吊り公が保有しているというあれか?」
「そうだ。公は保有しているだけで使えないようだが」
「そんなことはどうでもいい! そんな化け物がいるならば、数で劣る我らが敵うわけがない!」
「落ち着け。そんな大きな巨人は確認されていない」
「対岸の巨人の大きさは?」
「今のところ……対岸の蛮族で巨人と呼べる大きさの者は四体。最も大きいのが四メートルほどですな」
「何だ。ランガルダンの城壁さえ越えられないではないか」
「――ご一同。よろしいか」
そう言ったのは、この席に居並ぶ騎士団長の中で最も若い三十代半ばの騎士、レーンだった。
レーンは苛立った様子で騎士団長たちに問う。
「先日のダレン救援の件はどうなっているのでしょう? 救援部隊を送るどころか、それが議題に上がる気配すらありませぬが」
すると上座に座る騎士団連合総帥のボーゴンが言った。
「熟慮している」
「熟慮ですか。その答えはいつ出るのですか?」
「今も熟慮の最中だよ」
レーンがテーブルを強く叩く。
「ダレンには周辺地域から二千の民が避難していると、救援要請の書面にあったではないですか! 最初の救援要請から丸二日! 多数の民を抱えていては兵糧が持たず籠城も長くはできない! 時は一刻を争うのですぞ!」
総帥ボーゴンがコツコツとテーブルを叩く。
「……もう、落ちているのではないかね?」
「な……っ!」
レーンは絶句した。
二日間何も手を打たなかったこの総帥は、二日経って「手遅れだ」と言っているのだ。
しかし、居並ぶ騎士団長の中には賛同するようにしきりに頷く者が多かった。
「確かに」
「もし落ちていたら回した部隊が無駄になる」
「六時間おきに来ていた【手紙鳥】も昨夜から届いていないらしいぞ?」
「それはもう、昨夜に落ちていますな」
レーンは拳を震わせ、俯いて呟いた。
「だから即刻、部隊を送れと言ったではないか……!」
ボーゴン総帥が片眉を上げる。
「不服かね、レーン卿?」
レーンは怒りを押し殺し、努めて穏やかに言った。
「たしかにダレンの安否は不明です。しかし陥落か健在かわからない状況でも、救援は送るべきだと愚考するのですが……」
ボーゴンは呆れたように首を横に振る。
「わからないことに兵は出せんよ」
しかし、レーンも食い下がる。
「騎士の本分は弱きを助けること、民を護ることにあるとは思われませぬか? 総帥閣下にはお分かりのはず。なにせ〝守護者の間〟の頂点に立つお方ですから」
「フ。卿はオラヴの向こうに家族でもいるのかね?」
「おりません。私は十六年前の獅子侵攻より天涯孤独の身。この命は苦しむ民のために使うと決めております」
「……なるほど。卿は志願して西方へ来たのだったな」
総帥は再びコツコツとテーブルを叩き、それから言った。
「決を採る。オラヴ対岸へ救援を送ることに賛同する者は?」
〝守護者の間〟が静寂に包まれる。
挙手したのはレーンただ一人だった。
「否決。救援は送らぬものとする」
するとレーンは、黙って席を立った。
「レーン卿?」
「我が手勢のみで向かいます。それもお許しいただけませぬか?」
総帥は少し考え、レーンに言った。
「卿が行くのは許そう。しかし手勢の同行は許可できぬ」
「なッ!? 私の騎士団ですぞ!」
「卿の騎士団は対西域騎士団連合に所属している。戦時の指揮権は私にある」
総帥は騎士団長の面々を見渡した。
「レーン卿の配下は聖騎士が多い……司祭長殿にお願いしたい」
すると司祭帽の男がにんまり笑った。
「ええ、ええ。お引き受けいたしましょう」
立ち竦むレーンに、総帥が言った。
「どうした? 行かぬのか?」
要塞の廊下をレーンが早足に歩いていく。
目の前で自分の部下を取り上げられ、別の騎士団に編入されてしまった。
それも編入先は総帥へのごますりで出世したという噂の司祭長。
レーンは激しく苛立っていた。
「西方の騎士は血筋は一流、実力は二流、人間は三流! 疎まれて王宮から遠ざけられた厄介者ばかり! まさに王都の評判通りだ!」
そう吐き捨てて、それからレーンの顔が曇る。
「……三流は私も同じか。意地のために命を投げ出そうとしている」
レーンはたった一人でも、ダレン救援へ向かうつもりだった。
歩きながら、首に下げた翡翠の十字架を左手で握りしめる。
「それでも。誰も助けてくれないと絶望しながら死なせるよりはマシなはずだ」
それが本当に正しいのか、問いかけるように十字架を握り続けた。
レーンは、東の城門から要塞を出ることにした。
西から単騎で出たところを、ガーガリアンに見つかって嬲り殺しにはされたくない。
死など恐れないが、〝守護者の間〟にいた連中の目の前で死に、それを彼らに嘲笑されるのは我慢ならないのだ。
そしてレーンが東の城門側の馬屋に辿り着き、愛馬に馬具を付けていると。
「……何だ?」
城門の衛士たちがやけに騒がしい。
東側にはガーガリアンはいないはず。
レーンは馬を置いたまま、東の城門へ向かった。
「おい、どうかしたのか?」
「あ、レーン卿!」
衛士がぺこっと頭を下げて、それから十メートルはある城門の上の衛士を指差す。
「あいつが『伝令が来る』って言うから十人がかりで城門を開けたところなのです。でもあいつ、今度は『すぐ閉めろ』って言うんですよ。蛮族が来たのかって聞いたら『蛮族じゃない』。じゃあ何でだって聞いても『わからない』って! あいつ、俺たちを揶揄って遊んでやがるんですよ! 必死に城門を開けるのを見下ろして楽しんでやがるんだ!」
「ふむ」
ランガルダンの城門は鋼鉄製の非常に重いもので、開け閉めには多大な労力を要する。
実際、目の前の衛士たちは十人がかりで馬一頭分の隙間を開けただけで、汗だくになっている。
騎士団長であるレーンを前にしても、地面に座ったまま立てない者までいる始末だ。
「お~い。何があった?」
レーンが城門上の衛士に呼びかけると、彼は大きな身振り手振りで「閉めろ! 閉めろ!」と連呼している。
「要領を得んな」
レーンは城門の開いた隙間から顔を出し、東方面を眺めた。
「……何だ?」
土煙が上がっている。
最初は荒野に起きたつむじ風かと思ったが、どうも違うようだ。
土煙の発生源がこちらに向かってくる。
おそらく騎馬。
小数か単騎。
「速い。速すぎる……!」
レーンはやっと状況を理解し、そこにいる十人の衛士に命令した。
「門を閉めるぞ! 急げ!」
「レーン卿、そんなご無体な……」
「何かが来る! 私も手伝う、急げッ!!」
レーンがその場で具足を脱いで腕まくりしたのを見て、衛士たちがようやく異常事態であることを察する。
「いくぞ! 息を合わせて――押せっ!」
「「オオーッ!!」」
内開きの重い城門を、レーンと衛士たちが力を込めて押し込む。
魔導騎士であるレーンが加わったことで、衛士だけでやるよりずっと城門が閉まるスピードは速かった。
それでも城門はジリジリと、ゆっくり閉まっていく。
城門の上から声がかかる。
「早く、早く! もうそこまで来てるっ!」
「押せぇーッ!!」
「「オオオ!!」」
最後の気合の直後。城門がズズゥ……ンと地響きを立てて閉まった。
「よおおおし!」「やったぞ!」「うおおお!」
歓喜の声を上げる衛士たち。
レーンもホッと息をつく。
しかし。
そんなレーンと衛士たちの頭上に、急に影が差した。
「何だ?」
一斉に上空を見上げると、十メートルの城壁の上から黒い巨馬が落ちてくるところだった。
「うわあああ!」「何だッ!?」「ヒイッ!」
いくつかの悲鳴の後に、黒い巨馬が着地するドーン!! という轟音が響く。
城門を閉めたときに倍する地響きが起こり、レーンたちの足元では実際に地面が揺れた。
レーンは喉を鳴らし、手で汗を拭って言った。
「……何者だ」
黒い巨馬は化け物だった。
身体が骨で、チャカつくと足元で青い炎が燃え盛る。
そして化け物に跨る主人は、黒髪の美しい少女だった。
「ロザリー=スノウオウル」
ロザリーはふわりと舞い降り、黒い骨馬の頭を撫でて、自分の影へと導く。
黒い骨馬グリムは、彼女の影へ飛び込むように消えていった。
レーンはどこか聞き覚えのある名を、記憶の中で探っていた。
そしてロザリーの魔導騎士外套の隙間からチラリと見えた騎士章を見て、すべてが繋がった。
「……金獅子! 〝骨姫〟ロザリー!」





