208 自由なる者―2
暗闇から現れた人物は、王都守護騎士団の装束を着てはいるが、オズがよく見知った顔だった。
その人物が少し呆れた声で言う。
「オズ。何をやってるんだ、お前は」
「お前は……グレン!?」
彼の隣に小柄なもう一人。その人物もまた、オズにとって元同級生だった。
「グレンと……誰だっけ?」
「ピートだよ!」
「そうそう、ピート。黄クラスだったよな?」
「青だよ! わざとだろ、オズ!」
「悪ぃ、悪ぃ。怒んなって」
冗談めいたやり取りをするオズとピートだが、両者の顔は強張っている。
王都守護騎士団と王宮審問官に挟まれているのだから無理もないことなのだが、グレンだけは慌てる様子もなく、落ち着いた声で言った。
「オズ、警戒しなくていい。ピートも俺も、無理やりどうこうする気はない」
それを聞いたピートが呆れたように言う。
「おいおい、グレン。禁書を確保しろって命令だったけど?」
「やり方は指定されてない。だったら俺は説得を選ぶ。隊長が俺とピートを使うのも、それができると踏んだからだろう?」
「まあ、そうとも言えるけどさ」
グレンはオズに向かって、胸に手を当てて言った。
「俺に任せろ。大丈夫だ、どうにかする。決してお前を害させはしない」
付き合いの長いオズには、それが本心からであることはひと目で分かった。
「……良い奴だな、お前」
言われたグレンは少し首を傾げた。
オズは思案した。
グレンの説得に乗る気はない。
そもそも二人は自分を助けに来たわけじゃない、レディの部下としてここにいるのだ。
オズの言うことすべてを信じてはくれないだろうし、特にゴモリーがレディであることなどは今でも信じていないだろう。
王都守護騎士団に捕縛されれば、獄中で消される。
グレンはそれを阻止できるとも思えない。
――そんな風なことを考えていると、ふと辺りが暗くなった。
オズが点していたマッチが消えたのだ。
オズは慌てて新しいマッチを箱から取り出し、火を点けて、それを掲げた瞬間だった。
「あぐッ!?」
強く打たれたような衝撃。
次いで激しい痛みがオズを襲う。
痛みの元を見ると、マッチを持っていたほうの肩口から、一本の矢が生えていた。
「く……っ」
マッチを取り落としていることに気づき、足元に落ちたまだ燃えているマッチを拾おうと屈みこむ。
そこへ再び矢が一本、二本と飛来し、オズは右手で頭を庇う。
一本は外れ、一本はオズの二の腕に突き刺さった。
副長の野太い声が響く。
「かかれ!」
たちどころに二十余名の王都守護騎士団が剣を抜き放ち、オズへ向かって襲いかかる。
そしてオズが一戦交える覚悟を決めたときだった。
彼と王都守護騎士団の間に立ち塞がった人物がいた。
「動くな! 止まれぇッ!!」
彼の声は獅子の雄叫びのごとく響き渡り、手練れ揃いの王都守護騎士団の足を止めた。
屈んだままのオズが、グレンの背中に言う。
「……グレン。お前こそ何やってんだよ?」
立ち塞がったのはグレンだった。
問うてはみたものの、長い付き合いだからわかってはいる。
グレンに何か深遠なる考えなどあるわけもなく、その場の感情で行動している。
現に、オズの問いに何も答えないではないか。
「タイニィウィング――」
レディが言う。
「――任務を果たせ!」
それに続いて、彼女の部下たちが強い口調でグレンを責める。
「何をしているかわかっているのか!」
「裏切り行為だぞ!」
「騎士の道に反するッ!」
グレンがそれに眉も動かさないと見るや、今度は近くにいる小柄な新入りへ矛先が向かう。
「ピート!」
「お前も同罪だぞ!」
「すぐにオズモンドを討ち取れ!」
ピートは先輩たちとグレンの顔を交互に見つめ、それからため息をついてから、剣を抜いてグレンの隣に並んだ。
「ピート。付き合わなくてもいいんだぞ?」
「……そういうの、もういいから。今さらだから!」
オズが二人の背中に言う。
「お前らほんとにわかってるのか!? お前らの隊長は俺を捕まえたいんじゃない! 俺を殺したいんだよ!」
するとグレンがチラリとオズを見下ろして言った。
「だったら尚更、身内の俺が正さないとな?」
「……ハァ。ダメだ、こいつ」
一連の動きを傍観していた王宮審問官のオスカルが、部下に言った。
「身柄を押さえるぞ」
「ハッ!」
王宮審問官が動き出し、それにいち早く気づいたピートが、オズの背後に回って叫んだ。
「あんたらもだ! 来るなぁッ!」
それでも王宮審問官は整然とした動きで近づいてくる。
オズがピートの横から身を乗り出し、禁書とマッチを近づけて見せると、ようやくオスカルが止まった。
「オズモンド君!」
オスカルが言う。
「正直に言おう! たしかに君のことを疑っている! しかし、同様にゴモリー隊のこともだ! 我々王宮審問官に投降しろ! 悪いようにはしない! 君のことも、友人二人のこともだ!」
ピートはふんふんと聞いていて、すぐに振り返ってオズに言った。
「悪くないと思うけど!」
しかしオズは矢傷を気にしながら、吐き捨てるように言った。
「甘っちょろいよ、お前もオスカルも」
「ええっ、なんでだよ?」
オズは答える代わりにグレンの背中に問うた。
「グレンはどう考える?」
するとグレンはレディをじっ、と見つめて言った。
「隊長はもう、オズを捕らえる気はないように見える」
ピートが声を潜めて聞く。
「……オズを殺る気ってこと? 白服も見てるのに?」
「たぶんな。だから王都守護騎士団と王宮審問官どっちが捕らえるとか、もう考えてないんじゃないか。場合によっちゃあ王宮審問官とやり合ってでも、オズから禁書を手に入れる気に見える」
「うえぇ……まじかぁ」
「だからさ――」
オズが小声で二人に語りかける。
「――俺が逆にレディを殺るしかないんだ。本当はレディを王宮審問官に突き出す予定だったんだけど、それはレディが王都守護騎士団だった時点で不可能になった。レディが俺を殺る気なら、俺が先にレディを殺るしか道はない」
「「……」」
自分たちの上司を殺すという提案に、グレンとピートは黙り込んだ。
オズが慌てて言葉を繋ぐ。
「いや、お前らに手伝えと言ってるわけじゃないんだよ。いや、ええと手伝ってはもらうが、王宮審問官を足止めしてくれればいい。レディは俺が殺る」
ピートがつい、大きな声で叫ぶ。
「そんなの自殺行為だ! できるわけない!」
続いてグレンも。
「ゴモリー隊長とお前じゃ、タイマンでも分が悪い。これに王都守護騎士団二十人が加わるんだぞ? 万にひとつも勝てはしない」
オズはフッと笑って言った。
「お前らこそ無理だろ? 部隊の仲間と斬り合えるのか?」
二人が再び黙り込む。
それを肯定と受け取ったオズは、矢傷を押さえて立ち上がった。
「じゃ、そういうことで」
グレンの肩をポンと叩き、彼を追い越して王都守護騎士団のほうへ歩いていく。
「おい、オズ!」
「だいじょーぶ、だいじょーぶ。いざとなれば逃げるからさ、へへ」
そうヘラヘラと笑いながら、オズは両手を上げて歩いていく。
その左手には禁書が握られている。
オスカルと王宮審問官はそれを止める様子はない。
再び傍観するようだ。
オズはゆっくり、ゆっくりと歩く。
(さあて、どこまでやれるか……)
(レディを殺るにせよ、失敗して逃げるにせよ、数を減らさなきゃだな……)
ある程度近づくと、副長が言った。
「オズモンド。投降か?」
「ああ、降参だよ。参った、参った」
「禁書を渡せ」
「ああ、ほらよ」
オズは無造作に禁書を差し出した。
副長が顎で指示し、一番近くにいた王都守護騎士団がそれを受取ろうと近寄ってきた。
オズと二メートルほどのところまで来て、禁書に手を伸ばす。
その爪先が禁書に届こうかとする刹那、オズは禁書を腕ごと引き戻して、その反動で父の形見の剣を抜き打った。
王都守護騎士団は反応して身を引いたが、その首に赤い筋が走る。
そこから鮮血が垂れ落ちていき、王都守護騎士団は驚いた顔で傷を押さえ、やがて膝から崩れ落ちた。
「ちょろっ。王都守護騎士団もたかが知れてんなぁ」
王都守護騎士団の面々は一様に倒れた仲間を見、それから気味悪いほど同じタイミングでオズを見た。
その顔はどれも、怒りと戦の熱で紅潮していた。
「あらら。怒っちゃった?」
オズは不敵に笑いながら、肩に刺さったままの矢をぐりぐりと動かした。
一斉に動き出した王都守護騎士団。
オズは迫りくる敵部隊を睨み、距離を測る。
「ここだッ! 【激痛】!!」
「グッ!?」「ギャッ!」「うがああッ!」
オズの痛みが呪詛を伝って周囲にばら撒かれた。
オズはかつてベルムでそうしたように、動きを止めた敵から手早く正確に命を絶っていく。
「二人! ……三人、四人! ……ごに、くッ!」
その場に座り込んでいた五人目の喉笛を掻っ切ろうとして防がれ、オズはそいつに乗り上がって、体重をかけて剣を鎖骨の内側へ刺し込んでいく。
「……ごに、んんんッ!」
十分に突き刺してから剣を引き抜くと、残る王都守護騎士団はすでに立ち上がり、態勢を立て直しつつあった。
「……奥の手使って五人ぽっちかよ。現実は厳しいねぇ」
オズは剣を持った手にマッチを取り出し、器用に火を点けた。
「さあ! 道を空けろ!」
こうすれば王都守護騎士団は動けないことをオズは理解していた。
禁書を人質にしながら、隙を見せた者を討ち取る。
それをマッチの残り本数ぶん続けてやろうと思っていたのだが。
レディの声が冷たく響く。
「できるものか。……殺れ」
王都守護騎士団たちは、レディの命令に脊髄反射的に反応した。
迷いなく、殺気立って襲ってくる。
「チィッ!」
オズは避けながら後退するしかなかった。
それでも王都守護騎士団の剣が迫る。
「う、ぐぅ……!」
オズは剣で受けたが、矢傷の痛みで力が入らない。
何合か重ねるうちに、ついに形見の剣を取り落とした。
拾おうとした瞬間、首に剣先が突きつけられる。
再びレディの冷たい声。
「オズモンド。禁書を置け」
オズはヘラッと笑った。
「しゃあなし、か」
「最後だ。禁書を置け!」
「レディ。追い詰めたお前が悪いんだぜ?」
そう言うや否や、オズがカッと目を見開く。
もう何本目かわからないマッチを擦り、今回は躊躇なく、禁書に火をつけた。
油に引火し、瞬く間に燃え上がる。
すぐに持てなくなり、オズは地面に禁書を落とした。
レディが叫ぶ。
「消せ! 早く消せぇッ!!」
レディの部下は、彼女の命令に従順だった。
周囲にいた全員――剣を突きつけていた者まで、一斉に禁書に群がった。
オズは禁書を持っていた左手で剣を拾い、無防備な王都守護騎士団を背中から斬り捨てる。
燃え上がる禁書を足でコントロールしながら、近づく者から斬っていく。
「六、七、八……ぐっ」
オズは膝に手をついて止まった。
動くたびに傷が痛み、血を流し過ぎたせいなのか、息が切れる。
霞む目でグレンのいる場所を見つめると、彼が何か叫んでいる。
「――オズ、後ろだッ!」
ハッと振り向き剣を構えると、猛牛のような勢いで副長が踊りかかってきた。
咄嗟に剣で受けるが、勢いを殺せず橋に叩きつけられるオズ。
馬乗りになった副長がギリッ、ギリッと刃を押し込んでくる。
「八人もやられた! 大したものだよ、オズモンド!」
「っ、そりゃ、どうも!」
オズは力を振り絞って、燃える禁書をグレンのほうへ蹴った。
橋の石畳を滑り、彼のすぐ近くへ届く。
「グレンッ! それを川へ捨ててくれッ!」
すぐさま副長が言う。
「命令だ、タイニィウィング! 禁書を確保し、隊長へ届けよ!」
「グレン、聞くな!」
グレンはすぐに動き、燃える禁書を川のほうへ思い切り蹴った。
欄干の下の隙間を通り抜け、禁書が暗い水面へ落ちる。
副長がレディを見ると、彼女はすでに鎧を脱ぎ捨てていた。
『オズを殺れ』
そう手振りで命令し、レディは欄干に登って川へ飛び込んだ。
「慌てちゃって。かわいそうになぁ」
そうオズが言うと、オズの上の副長が笑った。
「無駄なことを。それとも火を消そうとしてくれたのか?」
「俺は自由な男でね。お前らの思い通りになるのが死ぬほど気に喰わないだけさ」
「そうか。悪足掻きだな」
副長が膝でオズの肩の矢傷を押し込む。
オズは痛みに身を悶え、左手から剣がこぼれ落ちる。
「……八人分は痛めつけんとな」
副長は自分の剣を後方の石畳に突き立て、素手になった左右のこぶしをオズの顔に振り下ろした。
ボグッ。ガッ。ドズッ。
オズは満足に腕も上げられず、無防備な彼の顔にこぶしが連続でぶち当たる。
「あ、ぅぇ……」
細い喘ぎを漏らすオズを、さらに体重の乗った追い打ちが襲う。
何度も、何度も。
(やべ……あんま痛くなくなってきた……)
数十発を見舞った副長は、自分のこぶしにベットリと付いた血を見て、眉を顰めた。
迷惑そうにオズのマントでそれを拭く。
そして後方に突き立てた剣を抜き、急がず、緩みなく、剣をオズの心臓に向けて構えた。
オズにはもう、己の命を守る術はなかった。
「さらばだ、オズモンド」
終わらなかった……_| ̄|○
あと1話、続きます。
 





