20 王国史
ロザリーの属する三年生は基本、クラス単位でカリキュラムが進む。
それは例えば、まじないの授業を聖騎士が受けても意味がないからだ。
魔術はもちろんのこと、蓄えるべき知識やとるべき戦略なども魔導性によって違う。
必然、クラスメイトとばかり行動することになる。
だが週に数時間は、三年生が一堂に会する授業があった。
魔導性に関係のない、教養科目の授業だ。
この時間は王国史。
担当教官は陰湿な性格で知られるルナールだ。
「この時間は王国史の時間だが、少し紋章学に触れておく」
そう言ってルナールは、生徒に紙を配布した。
紙には百を超える紋章と、その解説が記されている。
「諸君らは、じきに実習へと赴くことになる。実習先は騎士団のいずれか。当然、多くの先輩騎士がいる。重要なのは名家の騎士を見分ける知識だ。媚びを売ってコネを作るにしろ、不興を買って疎まれるにしろ、相手を選ばねばならない。この紋章一覧が必ず諸君らの役に立つと保証しよう」
ルナールは紙が行き渡ったことを確認すると、一人の生徒を指差した。
「ジュノー=ドーフィナ」
「はい」
返事をして立ち上がったのは、背の高い女子生徒。
肩にかかる紺青色の長い髪は、豊かで色鮮やかだ。
ドーフィナ家は、王国一の港湾都市を領地に持つ大貴族。
貴族ばかりの同級生の中にあって、彼女は筆頭格の高位貴族だった。
ルナールがジュノーに問う。
「ユーネリオン王家の旗印はなんだ?」
「吼え猛る獅子です」
「その通りだ。では、かつての――王家となる以前のユーネリオン家の旗印は?」
「有翼獅子です」
「素晴らしい! よく学んでいる。さすがはドーフィナ家のご息女だ。座ってよろしい」
ジュノーが座り、ルナールがまた一人の生徒を指差す。
「グレン=タイニィウイング」
「はい」
グレンが立ち上がる。
「かつて有翼獅子だった旗印が、どうして吼え猛る獅子になった?」
「翼は皇国騎士の象徴だからです。皇国から独立しユーネリオン獅子王国となった際に、ユーネリオン家は翼を捨てました」
ルナールは目を見開き、大袈裟に驚いてみせた。
「その通りだ! よく知っているな、タイニィウイング。いや、当然と言うべきか?」
グレンは黙して答えない。
するとルナールはさらに質問を重ねた。
「タイニィウィング。お前の名に翼があるのはどうしてだ?」
「自分が鳥籠出身だからです。鳥籠出身者はみな、家名がタイニィウイングとなります」
「ふむ。では鳥籠とはなんだ?」
「皇国騎士の子を保護する施設です」
「そうだ。お前は翼を崇める敵国の騎士の子。卵のまま潰すこともできたのに、陛下はそうなさらなかった。鳥籠に入れて、雛鳥のお前たちを育ててくださったのだ。陛下のご恩情に感謝しているだろう?」
「はい。感謝しております」
生徒たちの間から、クスクスと笑い声が漏れる。
しかし、グレンは眉一つ動かさない。
子供の頃から、この手の悪意を向けられるのは慣れっこだったからだ。
ルナールは面白くなさそうに言った。
「ふん。まあいい、座れ」
グレンが座ると、幾つもの好奇の視線が彼に注がれた。
中には同情的な視線もあり、その一つはロザリーのものだった。
「ルナールに目をつけられるなんて、グレンも災難ね」
誰に言うでもなくそう呟くと、心の中から声がした。
『アノ教官は魔女騎士だネ。間違いない』
ロザリーが声を潜めて窘める。
「ヒューゴ。授業中は口を挟まない約束よ」
入寮してからというもの、ヒューゴはロザリーの影の中にいるのが常だった。
しかし影の中からでも外の様子はわかるようで、事あるごとに口出ししてくるのだった。
『いいじゃないか。退屈なんダ』
「本でも読んでて」
『全部読ンだよ。そうだ、今から魔導書図書館行かない?』
「ふざけないで。授業中よ?」
脅すように言っても、ヒューゴはどこ吹く風。
『あァ、なんてつまらない答えなんだ。育て方を間違えたかなァ?』
「こいつ……」
ロザリーはふと、疑問を持った。
「なんでルナールが魔女騎士だってわかるの?」
『陰湿で姑息な男はたいてい魔女騎士サ』
「なによそれ。ただの偏見じゃない」
『間違いないヨ、信じなくても構わないケド。それより、この歴史の授業、本当に正しいのかイ?』
ロザリーは教壇に意識を向けた。
ヒューゴと会話している間に、王国史の授業が始まっていた。
「――獅子歴元年、始祖レオニードは皇国からの独立を宣言した。皇国はそれを許さず、大軍をもって王国を攻めた。だがレオニードはそのすべてを跳ね返した。三年に渡った獅子鷲戦争は、無条件で独立を認めるという王国側の完全勝利で幕を閉じたのだ」
ロザリーが囁き声でヒューゴに尋ねる。
「どこかおかしい?」
『気になる点はいろいろあるがネ。特に、今の完全勝利って言葉は聞き捨てならない』
「脚色してるんじゃない? 歴史は勝者が作るっていうしさ」
『ソレにしたって完全勝利は言い過ぎダ。ボクには、王国が勝てたことさえ疑わしいのに』
「そうなの?」
『たしかに獅子王国は、守るに適した土地ダ。しかし、それでも戦力差は歴然だった。レオニードが覆せたとはとうてい思えなイ』
「まるで見てきたように言うのね」
『そりゃ、見てきたからネ』
ロザリーは一瞬、言葉に詰まった。
「そっか、これって五百年前――ヒューゴが生きていた時代の話なのね」
『キミが【葬魔灯】で見たのは、まさにレオニード独立戦争の最中の光景サ』
「あれが……」
『ボクは皇国側の騎士として参戦したんダ。こんな戦、すぐに終わると思っていたヨ。レオニードは確かに優れた騎士だけど、皇国側には彼に比する騎士が何人もいたからネ』
「ヒューゴってその中でどのへんなの?」
『どのへん、とハ?』
「強さのこと。強い騎士が揃っていたのよね? その中で、ヒューゴは何番目くらいだったの?」
『単純に魔導量でいうなら、三番目くらいかナ』
「それってレオニードくらい強い?」
『そうだねェ。彼と十回やり合ったら、七、八回は勝てると思うケド』
「え、それって相当強いんじゃ……」
『魔導戦って相性があるんだヨ。ボクより強かった二人は、逆に苦戦すると思うネ』
「へえ、そうなんだ」
『でも、レオニード陣営には彼以外に目ぼしい騎士はいなかった。なのに、なぜ皇国は負けタ……?』
影の中で考え込むヒューゴ。
そんな彼に、ロザリーは思い浮かんだ答えを口にした。
「それってさ、ヒューゴのせいじゃない?」
『はァ? 唐突に何を言うんだ』
「だって、ヒューゴは皇国で三番目の騎士で、レオニードと特に相性良かったんでしょ? なのにそのヒューゴが、戦の最中にポックリ死んじゃったと。あてにしてた戦力を失って、計画狂うよね?」
『ポックリとは死んでないが。でも……そうだネ、たしかに。ボクが敗因だとすれば……ああ、なんてことダ……』
それっきり、ヒューゴは押し黙ってしまった。
彼を傷つけてしまったかと思い、ロザリーは思いつきを口にしたことを後悔した。
「元気出して、ヒューゴ」
『ン?』
「もう五百年も前のことだよ」
『あァ』
「もう忘れよう? 気にしたって意味ないよ」
『……もしかして。ボクを励ましてるのかイ?』
「そうだよ。しょげちゃったみたいだからさ」
『しょげてなんかいないサ。ボクを誰だと思っているんダ』
「陰気な死霊」
『……確かに死霊は年中しょげてるものだケド。ボクは別にしょげてないヨ』
「でも黙りこんでたじゃない」
『赤目のことヲ考えていたのサ。彼が戦争自体に介入したなら、戦力差も覆るかもしれないってネ』
「あー。……どっちにしたって考えても意味なくない? 戦争は五百年も前に終わってるんだからさ」
するとヒューゴの呆れ声が返ってきた。
『何を言ってるんダ。終わってなんかいないヨ』
「ん? どういうこと?」
『さっき、あの男が言ったこと聞いてなかったのカ?』
ロザリーが授業中の記憶を辿る。が、何も思い当たらない。
「なんて言ったっけ?」
ヒューゴはまた呆れた様子で答えを口にした。
『皇国のことを〝敵国〟と言っタ』
「ああ!」
ロザリーは思わず手を打ちそうになって、ギリギリで踏みとどまった。
「……グレンをイジメてるとき、確かに言ってた」
『国と国の確執は、まるで価値ある伝統のように受け継がれてしまうものなのサ。特に、最初が最悪だった場合は、ネ』
「そっか、なるほどね」
頷き、納得するロザリー。
ヒューゴはそんな彼女にも聞こえぬほど、小さな声で呟いた。
『それに、赤目はまだどこかデ……』