193 宴が終わり遠雷轟く
先王弟はロザリーに会うことが目的だったようで、彼女と離れるとウィニィと少し話しただけで、お供を連れてダンスホールから退出していった。
ロザリーは一部始終を見られた大貴族席には居づらくなり、卒業生が多くいるエリアへと足を運んだ。
「ロー、ザリっ!」
「あ、ラナ!」
後ろから肩を叩かれて、ロザリーがラナを振り返る。
彼女はこういう場には珍しい、黒のドレスだった。
「すごい、ラナ。そのドレス目立ってる!」
「あはは。一番目立ってやるつもりで選んだんだけど、ロザリーには負けるねぇ」
「そうかな?」
「私ですら良さがわかるよ。ちょっと、そこで回ってみてよ」
「こう?」
ロザリーがその場でくるっと回って見せると、ラナが手を叩いて笑った。
「アハハッ。回った、回った!」
「もう!」
ロザリーがラナをはたこうとすると、その手首を掴んでラナが身を寄せてきた。
そして小声でロザリーに問いかける。
「……さっきのアレ、何だったの? こっちからよく見えなかったけど、すごい雰囲気だったよね?」
ロザリーはラナの耳に唇を寄せ、もっと小さな声で答えた。
「アーサー=ユールモンから挑発を受けたの」
「アーサ……誰?」
「北ランスローの公子らしい」
「北ランス……え゛っ゛。まじで!?」
「しーっ!」
ロザリーが眉をひそめて窘めるが、ラナは興奮した様子で続ける。
「それって、あの件がバレたってことなの!?」
「バレたっていうか、辻褄が合っちゃったっていうか」
「そっか、賊に扮した北ランスロー騎士団を倒す戦力がないから疑われなかったんだもんね。ロザリーが金獅子なら……あちゃー」
「どうしよう。アデルとアルマに報せに行ったほうがいいかな?」
「それは【手紙鳥】でよくない? そのアーサーとやらの件がなくても、また北からのちょっかい始まったみたいだし」
「あ、連絡とってるの?」
「ロブロイ経由でね」
「でも……だったらなおさら一度行って伝えておこうかなぁ」
「大丈夫だって。私がちゃんと伝えとくからさ」
「え? イェルに行くの?」
「実家に帰るついでに寄る予定なの。アイシャもあっち方面だから旅行がてら、ね」
「ええ! いいなぁ!」
「あんたは王都でしょ。王都組はたくさんいるんだから――ほら、王都組代表が見てるよ?」
ラナに促されてそちらを見ると、王都守護騎士団に入団が決まっているグレンが、こちらをチラチラと見ていた。
「はい、行ってらっしゃい!」
ラナに背中を強く押され、ロザリーは少しよろけながら歩き始めた。
グレンはそれに気づき、緊張した面持ちでロザリーを待っている。
ロザリーはドレスを気遣いながら、ゆっくりと歩を進めた。
(……グレン、騎士様みたい)
グレンの服は貸し衣装なので一級品とはいかないが、それでも彼の体格と自信がそう見せるのか、まるで一人前の騎士さながらである。
(でも、そっか。もう騎士様なのよね。私もだけど)
そうしてグレンの元まであと少しというところで、二人の間に青いドレスの女性が割って入ってきた。
ジュノーだ。
彼女はロザリーに「失礼、ロザリー卿」と微笑み、それからすぐに背を向けた。
「グレン。踊っていただけますか?」
グレンは愕然としながら、見開いた目でジュノーとロザリーを交互に見ていた。
しかしジュノーから差し出された手に気づき、仕方なくその手を取った。
舞踏会で女性からの誘いを断ることは恥をかかせることである。
そのくらいの常識はグレンでも持ち合わせていた。
(ジュノー! 意地悪っ!)
ロザリーが心の中でそう叫ぶと、彼女はそれに応えるようにロザリーにウィンクして踊り始めた。
踊りながら離れていく二人を見て、ロザリーがため息をつく。
すると、同時にため息をついた人物がすぐ近くにいて、その人物と目が合った。
ザスパールである。
彼はジュノーと踊りたい、これから正真正銘の主従関係となる以上、これが最後の機会かもしれないと考えていた。
だがジュノーは婚約者であるウィニィと共に大貴族席にあり、ダンスホールの中央には降りてこなかった。
それでも彼らしくジッと待ち、やっと降りてきたところを捕まえようとした矢先に、ジュノーはグレンと踊り始めてしまった。
なんともやるせない気持ちがつい、ため息として漏れてしまったのだ。
同じようにため息をついたロザリーを見ていると、彼女が悪戯っぽく微笑んだ。
そして微笑んだまま手を差し出す。
「おいおい……本気かよ、ロザリー……」
「いいじゃない、フラれた者同士。ね?」
「ハァ。……だな」
「じゃ……踊っていただけますか、ザスパール?」
「ああ、喜んで」
ロザリーはザスパールと手を重ねて、踊り始めた。
彼はさすがに扱いが巧く、洗練されていた。
ロザリーは安心して体重を彼に預けた。
そうして心地よく踊っていると、いつの間にか踊っているグレンとジュノーに近づいていた。
ザスパールが意図してそうしているようだ。
「は? ~~っ!」
ある瞬間、ジュノーがロザリーとザスパールに気づき、わかりやすく顔色が変わった。
ジュノーとザスパールがすれ違いに言葉を交わす。
「これは裏切りよ、ザスパール」
「さて、何のことだか」
ザスパールはわざとらしく惚けてみせて、それからロザリーと笑い合った。
ロザリーはザスパールと踊った後も、相手を変えながら何人かと踊った。
ウィリアスにルーク。シリウスになぜかパメラ。
パメラと踊ったあとには、じゃあ私もとラナ、ロロ、アイシャ。
ギムンと踊ったときは見上げすぎて首が痛くなった。
そして最後に恐ろしく自分本位なダンスをするオズと踊って、熱を冷まそうと中庭に出た。
日はとっぷりと暮れていた。
風が吹いていて、少し寒い。
中庭のわずかな灯りも消えていて、ダンスホールから漏れる光だけが頼りの暗さである。
人影もわずか。
「グレン」
暗い中でもひと目でわかった。
彼は待っていたのだ。
ロザリーの前まで来て、手を差し出す。
「ロザリー。踊っていただけますか?」
「ここで? 音楽も聞こえないけど」
「邪魔が入らない」
「それはそうかも」
「このまま帰ったら俺は後悔する。嫌か?」
「……ううん、嫌じゃない」
グレンの手を取り、それからゆっくりと手を重ねる。
「でも。グレンって踊れるの?」
「さっき見ただろ」
「見た。ジュノーにリードされてたよね?」
「言うな」
暗い中庭で二人は踊り始めた。
甘い学生生活を終えるために。
いつか、そんなこともあったねと語り合うために。
――城下。ユールモン邸。
冬はとうに過ぎたというのに、暖炉で薪が燃えている。
アーサーはその炎を食い入るように見つめている。
「……ドルクか?」
「はい、アーサー様。調べがつきました」
アーサーは無言で手招きし、続きを話すよう促す。
「グレン=タイニィウィング。ロザリーと同じ卒業生で、最も親交の深い友人であるようです」
「タイニィウィング……まさか雛鳥か?」
「はい」
「なんとまあ、お似合いであることよ。ならばグレンを庇護する貴族家はないな?」
「おそらく。しかしグレンは王都守護騎士団に入団が決まっています」
「それは……手を出しにくいな。だが長続きはすまい? あそこは家格がなければ上には行けんだろう」
「おっしゃる通りかと。王都守護騎士団に所属するユールモン家の縁者に、グレンが退団するよう仕向けることも可能ですが」
「焦らなくていい。じっくり、じっくりでいい」
「は。それでは……」
家来は首を垂れ、静かに部屋を出ていった。
一人になったアーサーが、ソファの背もたれに仰け反って天井を見つめる。
「ロザリー……あの生っ白い肌……焼くとどんな声で鳴く……?」
そう呟いた瞬間、窓の外で轟音が鳴った。
稲光が走り、アーサーが窓を見る。
その雷光に照らされて、窓辺に椅子に座った黒い人影が見えた。
「ッ! 父上!」
アーサーはソファから飛び上がり、父の元へ走り、跪いた。
「いらっしゃったのですか、父上。お声かけ下されば……」
「……ならん、ならんぞ、アーサー」
「はっ」
「……先王弟殿下はユールモンの恩人。ロザリーに手を出してはならん」
「理解しております。ゆえに周りの者で我慢しようと……」
「……アーサー! 暗い欲望に身を任せてはならん!」
「わかっております! お身体に障ります、どうか、どうかお怒りをお鎮めください……」
「……火炙り公ユールモンは獅子王国の建国より、始祖レオニードの重臣としての責務を……」
「はい、存じております」
「……我ら栄光ある獅子の吠える声として――」
「はい、父上――」
――城下、〝金の小枝通り〟。
「チッ。降ってきたか」
グレンはマントの襟を上げ、身を小さくして歩く速度を上げた。
いつも心のどこかで飢えている彼には珍しく、この日は心が踊っていた。
思い通りにいかないこともあったが、そんなものは日常茶飯事。
暗い中庭で彼女を待ったのは、会心の選択だった。
今宵は良い夜だ。
「これで雨さえ降らなければ完璧な夜だったのにな」
そう不平を口にしつつも、気持ちは華やいでいる。
頭の上を稲光が走った。
雨はまだ止みそうにない。
風も出てきた。
グレンは横雨を避けるため、路地へ入った。
狭い路地内で靴音が反響する。
しばらく歩いて、やっとグレンは気づいた。
背後に靴音がもうひとつ。
つけられている。
グレンは最悪の気分になった。
浮ついていたさっきまでの自分を叱り飛ばしてやりたい。
しかし、すぐに冷静さを取り戻し、もうひとつの事実に気づく。
背後の靴音の主は、わざと音を立てている。
グレンは路地の中ほどで足を止めた。
そしてゆっくりと振り返る。
相手は、四十代くらいの男性。
年季の入った魔導騎士外套を着ている、どこにでもいるような騎士だった。
彼は言った。
「卒業おめでとう。グレン=フェザンテール」