181 高地の決戦
グレンが倒れ、消えていく。
ウィニィと共にいる黄のクラス生たちに動揺が走る。
「おいっ、どうする!」
「ウィニィ殿下を守らないとっ!」
「でも、足がすくんで……」
「かなうわけ、ないっ!」
ロザリーはグレンがすっかり消えるのを見届けてから、ウィニィたちのほうへ歩いてきた。
黄のクラス生たちがさらに慌てふためく。
「待ってくれ、ロザリー」
そう声を上げたのはピートだった。
〝黄金船アルゴ〟の甲板から縄梯子を伝って下りてきて、最後の数メートルをぴょんと飛び降りる。
そのままウィニィたちの前まで歩み出てきた。
「降参するの?」
そうロザリーが問うと、
「降参はしない。っていうか、君は団長じゃないから降参しても意味ないだろ?」
ロザリーは一瞬笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「降参しないなら終わらせるわ。私には時間がないの」
「わかってる。慌てるなって、ロザリー」
ピートはそう言ってから、振り返ってウィニィを見た。
ウィニィは少し考えてから頷いて、ピートに「すまない」と言った。
ピートはロザリーを前にして両膝を地面につく。
「……気が変わった?」
「いいや。ロザリーにだけは降参しない」
ピートは両膝をついたまま剣を抜き、鞘を捨てた。
そして刃を自分の首に押し当てる。
「僕ら、よくやったよね、グレン」
ピートはそう呟いてから、一気に剣を引いた。
頸動脈から血飛沫が上がり、ピートの身体がゆっくりと倒れていく。
「ロザリー!」
叫んだのはウィニィだった。
「気に病むことはない! 僕らは切り札のグレンが負けたら、こうすると決めていたんだ!」
ピートの身体が消えていく。
「ロザリー! 僕らは戦うに値したか?」
続いて団長を失ったウィニィたちの身体も薄くなっていく。
「ええ! 強敵だった!」
消えゆくウィニィは最後に、顔を崩して笑った。
それは王子様らしくない、年相応の少女の笑顔だった。
ロザリーはグリムを呼び出し、本拠地〝魔女ミシュレの温室〟へ急いだ。
墓鴉を通して本拠地を見るのは、もうやめた。
だいぶ前からすでに危機的状況にあるからだ。
「お願い、間に合って……!」
「終わりよ、ロザリーは間に合わない」
――高地の上、〝魔女ミシュレの温室〟にジュノーの冷たい声が響く。
土のドームはもちろんのこと、それが守っていた温室さえ、もはや跡形もなく。
残された団員も十名足らず。
ラナ、ロロ、アイシャ、ウィリアス、ポポー、ギムンの六人だ。
ロロが本拠地旗を抱きかかえ、ポポーとギムンが築いた石壁の裏に全員で隠れている。
一方のジュノー騎士団は、波乗りを覚えた順に続々と高地の上に上がってくる。
その数はすでに百を超えていて、まだ増え続けている。
ザスパールが降伏を勧告する。
「いい加減、出てきて降参しろ!」
返事がないと見るや、彼が手を挙げる。
その手が振り下ろされると、包囲するジュノー騎士団から精霊術の一斉射が始まった。
「来たぞ! 石壁展開!」
ウィリアスが叫び、ポポーとギムンが立ち上がる。
「おうっ!」「任せろ!」
彼らの手によって、テントサイズの半球体の石壁が造成される。
直後、精霊術が石壁に弾着し、土煙が巻き起こった。
「チッ、またこれか。厄介だな。どうする、ジュノー?」
ザスパールに言われてジュノーは、北方面に目をやった。
「……続けて。ロザリーは私が近づかせないわ」
「わかった」
石壁テントの内部。
真っ暗な中に、魔導ランプの灯りがぽつんと灯った。
「ラナぁ。もっと大きなランプなかったの?」
「しょーがないでしょ、アイシャ。腰の道具袋に入んないもん」
「それもそっか」
「ポポー、ギムン。石壁の展開はあと何回くらいできそうだ?」
「何回でもいけるぞ、ウィリアス。なんせドリンクフリーだからな」
「……私はもう、飲みたくないです」
「そう言わず飲め、ポポー」
「ぐえー!」
「……その、魔導充填薬なのですが」
ロロが言いにくそうにしながら、抱えている本拠地旗の下から、一本の魔導充填薬を取り出して石壁テントの真ん中に置いた。
「これが、最後の一本です……」
皆の視線が瓶に集まる。
「命運、尽きたな」
「急に諦めがいいですね、ギムン君!」
「だってよぉ、ポポー」
「じゃあさ。打って出ようか?」
状況に合わない高揚した声に、皆がラナを見る。
「ジュノーも焦れてると思うのよね。いつまでも穴倉に引きこもるのも性に合わないしさ」
アイシャがニヤリと笑いつつ、反論する。
「好戦的だねえ、ラナ。そうは言うけどさ、あっちは百以上だよ? 勝ち目あんの?」
「全滅狙いじゃないでしょ? 狙いはジュノーだけ」
「だけど、あのインチキ剣どうすんの? 表現じゃなく、実際に海に守られてるじゃん」
「ん~。あの剣って近距離戦は弱そうに見えない?」
「あ~。珊瑚っぽいしね。マジ珊瑚かな? だったら剣身はもろいかも」
「でしょでしょ? どうかな軍師ウィリアス卿」
話を振られたウィリアスは、耳をかっぽじりながら言った。
「好きにすればいい。どうせお前らは俺の言うことなんて聞きやしないんだから」
アイシャが不機嫌そうなウィリアスの顔を覗き込む。
「……もしかして、ロザリーを行かせたこと根に持ってる?」
ラナが手を打つ。
「ああ! だから拗ねてるんだ!」
アイシャが頷く。
「きっと『ほうらロザリー行かせたからこうなっただろ』とか思ってんのよ」
「うわー! いるよね、そういう人! 後になってから文句言わないでよねー!?」
「そうそう! 結果論だっつーの!」
「お~ま~え~らぁ~っ!!」
ウィリアスは顔を真っ赤にして、左右の手でそれぞれラナとアイシャの胸ぐらを掴んだ。
すると二人は目配せし合って、同時にウィリアスに身体を近づけた。
息が届くほど近づくと、ウィリアスの胸ぐらを掴んでいた彼の腕が彼女らの胸に押し当てる格好になった。
「おい、ちょっ」
慌てふためくウィリアスに、ラナが言う。
「ごめんね、ウィリアス。私たち悪気はないの」
アイシャも続く。
「ウィリアスにも賛成してほしいの。あなたの知恵を借りられないと勝てないから」
「お願いっ!」
「作戦考えてっ!」
ウィリアスはしばらく唇を震わせて、それからそっぽを向いた。
「~~っ、わ~かったよ! お前らいいコンビだよ、まったく!」
ラナとアイシャは笑い合い、ハイタッチした。
しばらくして。石壁テントの上部が崩壊した。
ウィリアスたちは残った石壁に身を隠すこともせず、全員が立ち上がっている。
様子が変わったことに気づいたザスパールが、彼らの元へ近づく。
「やっと降参する気になったか?」
「ああ、やっと決まった」
そう言って、ウィリアスがザスパールをギッと睨む。
「最後まで戦うぞ」
「!」
ウィリアスの後ろに隠れて、ロロがジュノーを視界に捉えた。
ロロは彼女を見つめながら、何か奇妙な手仕草をし始めた。
「……囲め」
ウィリアスたちへの包囲が狭まっていく。
ウィリアスが小声で囁いた。
「どうだ、ロロ?」
するとロロは仕草を終え、ニッと笑った。
「縫い付け完了!」
「よし! 行け、ラナ! ギムン!」
その瞬間、悪魔鎧とギムンがジュノー目がけ襲いかかる。
即座にザスパールが叫ぶ。
「討ち取れ! 抜かれるなよ!」
何十人ものジュノー派が二人を迎撃に向かう。
悪魔鎧は剣技に優れ、ギムンは二メートルを超す体格である。
人数に勝るジュノー派だが手を焼いている。
「ジュノー。念のため下がってくれ」
ザスパールが小声でそう促したのだが、ジュノーは動く気配がない。
「ジュノー?」
「動けないのさ!」
ウィリアスが叫ぶ。
「ロザリー直伝の魔女術だ! さあ、どうするザスパール!」
「小癪なことを……!」
ザスパールは空に手のひらを掲げた。
どこからともなく海鳥が集まってくる。
初めは十羽程度だったのが、みるみるうちに空を黒く染める数百羽の群れと化す。
「行けっ!」
ザスパールが手を振り下ろすと、海鳥の群れが急降下して悪魔鎧とギムンを襲った。
「きゃ、いやぁっ!」
「ぐああっ、やめろぉ!」
無数の使い魔相手に、身を守ることしかできなくなった二人。
ザスパールがジュノー派に命令する。
「精霊術用意。外すなよ?」
そう言って、ザスパールは石壁テントに目をやった。
(ウィリアスは動かないのか。ならそこで仲間が死ぬのを見てろ!)
そうして仲間たちに射撃を命じようと腕を振り上げたとき。
背後からジュノーが言った。
「ザスパール。ポポーがいない」
「!」
ハッとして、ザスパールが周囲を見回す。
「アイシャもだ……どこへ行った……?」
するとジュノーのすぐ近くの地面がもこっ、と動いた。
もこっ、もこっ。
「ぷはーーっ!!」
「な……っ! ポポー!? モグラみたいな真似を!」
「私だけじゃないですよっ!」
ギュィィィィ――と硬質な唸りが聞こえる。
ポポーが作ったトンネルから彼女に続いてきたのはラナだった。
「ラナ=アローズ!? なぜベルムにいる!?」
「ジュノー! 覚悟ッ!」
ラナがカシナ刀を振りかぶり、ジュノーに迫る。
ジュノーは腰の鉄剣を抜き、カシナ刀の一撃を受け止めた。
「……ラナ。あなただと思っていたわ。ロザリーが譲るなら、あなたしかいないもの」
「へえ。お見通しってわけ?」
「悪魔鎧は二人いた。ベルムの初めにロザリーが派手に振舞ったのは悪魔鎧=ロザリーだと印象付けるため。旗揚げと団員を受け入れるときだけ、あなたと入れ代わっていたのね?」
「まあ、そんなとこ。いい作戦でしょ?」
「冗談はやめて。このつまらない作戦でロザリーは弱くなった。現にこうして、私に負けようとしてる」
「余裕ね、ジュノー。いつまで澄ましていられるかな?」
カシナ刀の回転が上がって火花が散り、鉄剣に亀裂が走る。
ジュノーはもう一方の手に持ったサンゴの魔剣を振った。
波がうねり、ラナを薙ぎ払う。
ラナは転がり、受け身を取って、ペッと潮水を吐いた。
「~~っ、あと少しだったのに!」
「ラナを討ち取れ!」
ザスパールの声に、近くにいた四人がラナに襲いかかる。
ラナは受け身を取った姿勢からカシナ刀を低く薙ぎ、最初の一人の足首を斬り飛ばした。
続く一人の胴を払い、カシナ刀を背中に回して後ろから来た一人がこれに刻まれる。
最後の一人は腰を引いて身構えたが、構わず斬りかかり、受けた剣ごと削り斬った。
ラナはカシナ刀を担ぎ、得意げにポーズを決めた。
「鬼に金棒、ラナにカシナ刀ってね! さあ、次はジュノーの番――ぶへっ!?」
ポーズを決めたところに、大量の海水がぶちまけられた。
ずぶ濡れになったラナが、抗議の声を上げる。
「ムカついたからって嫌がらせやめてくれるー? さっきみたく波パンチで攻撃すればいいじゃない!」
ジュノーはフ、と笑い、カシナ刀に目をやった。
「あなただと思ってた。そう言ったでしょう?」
ラナが首を捻る。
「うん?」
「事前に想定していれば対策は打てる。……あなた、防水対策してる?」
「……ぼうすい?」
「知らなかった? 魔導具に潮水は禁忌よ」
「えっ。え~っ! 嘘っ!?」
ラナはカシナ刀に魔導を流した。が、明らかに反応が鈍い。
そのうちに内部から異音が聞こえ始め、終いには動かなくなった。
「えええウソ! どうしよう!」
壊れたカシナ刀を手に戸惑うラナ。
「ラナさん! 止まっちゃ危険です!」
ポポーがラナに駆け寄る。
と、走ってくるそのずんぐりとした身体の真ん中から、剣先がズ……と生えてきた。
「あれ? う、う……ゲハッ」
「俺たちを舐めすぎだ、ポポー」
そう言って、ザスパールが剣を引き抜く。
「ポポー!」
ラナがポポーに駆け寄ろうとして、ハッと顔を強張らせた。
ジュノーもザスパールも、自分を見ていない。
直後に血の気が引くほどの数の波音がした。
標的はギムンと悪魔鎧――アイシャだった。
海神のこぶしのような波が、二人を幾重にも殴打する。
悪魔鎧はボロボロに砕け、血まみれのアイシャの顔が覗く。
ギムンの大きな身体がゆっくりと倒れ、地面が揺れる。
「ラナ。今からするのは八つ当たりよ。恨んでくれてかまわないわ」
「……八つ当たり?」
「ロザリーに袖にされた八つ当たり。あなたたちは楽には殺さない」
そしてジュノーが仲間たちに言う。
「旗はロロが持ってる」
ロロは旗を抱き込んで地面に伏せた。
ウィリアスがその上に覆いかぶさる。
「放て!」
ジュノーの命令に、いくつもの精霊術が放たれる。
「ひっ! ぎっ!」
「うぐっ……!」
もはや展開されることのない石壁テントの中で、ロロとウィリアスが必死に耐える。
「~~っ!」
ラナはカシナ刀を投げ捨て、彼らに覆いかぶさるために走り出す。
と、そこへ。
一通の【手紙鳥】がひらりと高地に舞い飛んできた。
ザスパールの頬に当たり、それに気づいた彼が【手紙鳥】をキャッチして開く。
「なんだ、今頃。緊急連絡以外はもういらないと伝えたのに……」
ぼやきながら文面を見たザスパールの顔が、次第に凍りついていく。
「……ジュノー。……ジュノー!」
気がつくと、彼は手紙を握りしめて走り出していた。
「何事、ザスパール?」
最も信頼する者の異常な様子に、ジュノーが目を細める。
彼のことはよく知っている。
彼は慌てることも頭に血が上ることもよくあるが、最後の冷静さは失わない人だ。
こんな風に一心に自分を求めて走ってくるときは、ジュノー自身の身に危険が及ぶ場合のみ。
「ザスパール!」
ジュノーが彼に手を伸ばす。
ザスパールも同じように手を伸ばし、しかしたどり着く前にその姿が薄らいで消えていく。
「あいつが――」
そう言って、ザスパールは消えた。
「ああ、そんな……」
混乱する頭でそう呟いて、ジュノーは自分の伸ばしていた手を見た。
薄くなって、消えつつあった。
見渡せば、仲間たちも同じだった。
百名を超える団員が、状況を把握できぬまま、次第に消えていく。
なぜ。
どうして。
ジュノーはたった一つの答えに至った。
「……オズ。やってくれたわね」
そう言って、ジュノーは消えた。