179 ロザリー攻略戦―3
――実況席。ヘラルドが眉をひそめる。
『これは……何をしているのでしょうか?』
見ている先は〝黄金船アルゴ〟の内部。
中に引っ込んで出てこないグレンは何をしているのか、という首吊り公の疑問に答える形でビジョンを切り替えたのだが。
『一見、治療を受けているのかとも思ったが、これは――』
首吊り公がビジョンに目を細める。
そこには全裸に近い状態で寝そべるグレンを、多くの聖騎士たちが取り囲む光景が映し出されていた。
聖騎士にはウィニィも含まれていて、皆、真剣な表情だ。
『もっと寄れないのかね』
『はい、では……おや? グレンの身体に絵を描いてる? いや、これは刺青でしょうか?』
『これは……聖紋術だ』
『は……聖紋術?』
『基本的に強化系聖文術の対象は集団だ。部隊ごと、あるいは騎士団ごと強化するのが特徴であり、強みでもある。一方、一人一人に対する強化は少々心許ないところもある』
『そうですね、私もそのような認識です』
『これは欠点ではない、特性なんだ。そういうもの。それが自然なこと。……しかし、それに納得しない者たちがいた。当の聖騎士の一部だ。彼らは強力な騎士に対抗し得る手段を追い求めた。強力な騎士とは例えばそう――私のような大魔導のことだ』
『聖騎士の大魔導は歴史上、少ないと聞きます』
『それが彼ら最大の動機だ。自分たちの魔導性は他属性に劣っているのか? そんなはずはない。やり方が違うのだ、と。そうして彼らは、ついに集団に向いた強化を個人に集約する技法を編み出した』
『それが聖紋術?』
『聖灰を用いた刺青。核となる術者の技量。時間制限。特にこの時間制限が問題でね、タイムオーバー=強化対象者の死を意味する』
『なんと……!』
『だからこそ忌むべき技法として封じられてきたのだが――ここは最終試練だ。与えられるのは偽りの死に過ぎない』
『理にかなっている、と』
『あとは倒せるかどうかだね、強力な騎士を』
テレサは戦列に参加せず、統率に徹していた。
仲間たちと、二号、三号、四号との戦いを、腕組みして睨みつけている。
「デリック! 【守護壁】を受けに戻ってきて! シリウス、前へ!」
少し前から、ウィニィ派のおよそ半数が船外に下りてきて、戦列に加わっていた。
加わると言ってもあくまで後衛。
聖文術による強化と、怪我人の治療が役割となる。
テレサが親指の爪を噛みながら呟く。
「よし、いける……。やれてる……!」
「首尾は上々みたいだな」
ハッと気づくと、テレサの横にグレンが立っていた。
「グレン、いつから?」
「今だ。何人か殺られたと聞いたが?」
「ロザリーがこっちの数を減らせとガイコツ共に命令したからね。ブーメランみたいに飛んでくる頭蓋骨には手を焼いたけど――でも、何てことなかった」
「そうなのか?」
「奴らは使い魔だから。使い魔と主人は一心同体。主人に危険が迫れば、その身を守ることを何よりも優先させる。たとえそれが、主人の命令に逆らう行動でもね」
「なるほど。むこうが取りに来るならこっちも、ってわけか」
「攻撃は最大の防御なり、ってね。……グレンは仕込み終わったの?」
「ああ」
グレンはシャツを開いて胸板を見せた。
刻まれた紋様からは血が滲んでいる。
「うわあ、痛そ……」
「全身こんな感じだ」
「痛くないの?」
「痛い。なめてた」
「グレンが弱音吐くなんて相当ね」
「それで、戦列に加わってる聖騎士もこっちにもらいたいんだが……?」
テレサは母からもらった懐中時計をポケットから取り出した。
「……全回復まで残り十五分少々。あとは何もしなくても問題ないわ。私らは包囲だけしてる」
「頼む」
「十五分で倒せるよね?」
「心配するな。そもそも効果時間が十五分もたない」
「あはは。おっけ、わかった」
テレサがピィーッと指笛を吹いた。
戦っていた青のクラス生たちが、敵を凝視しながら下がっていく。
戦列に加わっていたウィニィ派も下がり、船に残っていたウィニィ派が合流した。
〝黄金船アルゴ〟直下で、グレンを四十人の聖騎士が囲み、合唱が始まる。
核となるのはウィニィだ。
「グレン。動けないロザリーを置いて、強化状態で〝魔女ミシュレの温室〟に攻め込む方法もあるが」
「ウィニィ?」
「ああ、わかってる。言ってみただけだ」
合唱の様を振り向き見ながら、テレサがロザリーに近づいていった。
「テレサ。それ以上、近づくな」
シリウスがそれを窘めるが、テレサはウィンクで返した。
テレサはロザリーに近づき、しかし十分に距離を取ったところで足を止めた。
二号がジョキン! ジョキン! と大鋏を鳴らして威嚇するが、それに怯えるような間合いではない。
「ロザリー。あれ、見える?」
テレサが指さすのは、合唱の強化を一身に受けるグレンだ。
「聖紋術っていうんだけど。別名、天使化ともいうらしいの。ほら、翼が見えるでしょ?」
テレサが翼と表現したのは、グレンの肩甲骨辺りから斜め上方に生えた光の束だ。
集約された光の魔導が肉体に収まりきらず、心の臓の左右から肉体を突き抜けて排出されている。
「私にもわかるわ。あのグレンならロザリーに届く。グレンは必ず勝つ」
そしてロザリーを指差し、テレサは言った。
「ロザリー。ここまでよ」
ロザリーはふうっ、と息を吐いた。
「そうね……ここまでかも」
「あら。ずいぶん物分かりがいいのね?」
「確証はない。でも、大丈夫。きっと足りる。私はロロを信じる」
「ロロ? 何を言って――」
ロザリーがニヤッと笑った。
それは勝利を確信したわけでも強がりでもなく、賭けに臨む高揚感からくる表情だった。
真っ先に気づいたのはシリウスだった。
「ッ! テレサ!」
「何よ、シリウス。これ以上は近づかないったら」
「魔導充填薬だッ!」
「!!」
ロザリーが腰の道具袋から取り出したのは魔導充填薬の瓶だった。
ロロ謹製スペシャル魔導充填薬で、ラベルに大きく『危険☠ロザリー専用』と書かれている。
それが左手の指の間にそれぞれ――計四本。
「飲ませるなッ!」
そう叫んだシリウスはすでに走り出していて、遅れてテレサも走り出す。
しかし、遠すぎた。
ロザリーは左手に瓶の口を集め、手刀で切り飛ばして開封し、そのまま一気に呷った。
「あーっ!」
絶望の悲鳴を上げたテレサの前で、四本一気に飲み干したロザリーがゆらりと立ち上がる。
続いて悪魔鎧を力任せに脱ぎ捨て、「んーッ!」と大きく伸びをした。
「全・回・復! さっすがロロ! 愛してるわ!」
そして口元の魔導充填薬を手の甲で拭き、その煌く紫眸がゆっくりとテレサを捉える。
「やば……」
ドンッ! と地面を揺らす衝撃が走った。
その音はロザリーが地面を蹴った音だと気づいたときには、ロザリーはテレサの眼前にいた。
「お待たせ、テレサ」
「~~ッ!」
言い返す間もなく、手刀、ひと突き。
テレサの心の臓が、ロザリーの爪先で両断される。
「か、はっ」
「テレサ!!」
シリウスは叫んだ。
そして倒れゆく彼女を目で追った。
「あ、れ?」
突如、倒れゆくテレサが回転した。
彼女だけでなく、地面も空も、クルクルと回っている。
「あ、回ってるの俺か」
シリウスの刎ね飛ばされた首は回転しながら放物線を描き、やがて地面にバウンドして止まった。
「集まれッ!!」
怒号を飛ばしたのはデリックだった。
「合唱の邪魔はさせん! 聖騎士に代わり、我らが壁となる!」
「「おおッ!!」」
残った青のクラス生たちが、デリックの元に集まる。
ロザリーはそれを見据え、しゃなりしゃなりと歩いてきた。
気取った歩きぶりとは裏腹に、恐ろしい重圧がデリックを襲う。
(殺る気を出したらこうも違う……かッ)
(息が……詰まる……ッ)
(潰され……る……)
デリックは倒れるわけにはいかなかった。
自分が倒れれば、他の者も卒倒するに違いない。
自分が先頭で圧を受け止めるから、仲間も立っていられるのだ。
意識朦朧とする最中、ロザリーが止まった。
「なん、だ?」
するとロザリーは手で自分を目隠しした。
そして悪戯っぽく言う。
「いない、いなーい……」
青のクラス生たちがざわめく。
「は?」「なんだ?」「おい……」
デリックがハッと気づく。
「影だ! 影が伸びてきてる!」
「ばあっ!」
彼らの下まで伸びたロザリーの影から、二号、三号、四号が躍り出た。
「オ掃除シナキャ……」
「ケケケッ!」
「ドォォモォォ! 赤ノ他人Deathゥゥ!」
覚悟を込めて集まった場所があっという間に死地となり、悲鳴と断末魔が溢れかえる。
デリック以外の者がバタバタと倒れていき、デリックはそれを見ていることしかできなかった。
仲間の死の連続で、デリックの中にぽつりと怒りの火が点る。
「~~ッ、こんなやり方ッ」
鬼の表情でロザリーを振り返るデリック。
その両頬を、冷たい手のひらが包んだ。
驚いて思わず仰け反ると、ロザリーはデリックの上にふわりと舞い降りた。
デリックの腰と太ももにつま先をかける形で立っていて、母が子を見るような瞳で彼を見下ろしている。
「ロ、ザ、リー……」
「あなたが一番だった。三人の中ではね?」
両頬を包んでいた慈愛の手が、死神のそれに変わる。
ゴキリ。
鈍い音とともに、デリックの視界は真っ暗になった。





