18 魔女術のはじまり
その日の午後から、いよいよ術の授業が始まる。
魔女術の授業を受けるべく、ロザリーとロロは教室に向かった。
「でもよかった! ロザリーさんも赤のクラスで!」
猫背で歩くロロが、胸の前で小さく拍手する。
「これで四六時中、ロザリーさんと一緒……。ウフフフフ……」
「ロロって心の声が漏れがちよね」
「はい? 何ですか?」
「ううん、なんでも」
ロロは少し首を捻ってから、話を続けた。
「同じクラスで本当に心強いです。一般出身者が私一人だったら、間違いなく標的になってましたから」
「標的って……イジメ? それはないんじゃ、年長者だし」
「甘いです! 今までも散々だったんですよ? おばさんだ、年寄りだって! 失礼しちゃいますよね、私まだ二十代半ばなのに!」
憤慨していたロロだったが、ふいに声を潜ませた。
「……ただでさえ、赤のクラスの貴族たちは苛立っているはずですから。ロザリーさんも気をつけてくださいね」
「苛立つ? どうして?」
「ほら、魔女術って、陰険で卑怯なイメージがあるでしょう? 騎士の美徳と合わないんで、誇り高い貴族たちは好まないんですよ。他の色の貴族からも軽んじられる傾向にありますし」
「へぇ、そうなんだ」
「ま、私なんかは色があるだけで大喜びですけどね」
「色があれば騎士になれるもんね」
「そうなんです! 山奥で一人炭を焼いて老いさらばえていくんだろうなぁ、って思っていましたから。卒業して魔導騎士になれば、炭を焼かなくてもお金に困らない!」
「炭焼き小屋じゃなくお屋敷に住むようになるかもね」
ロザリーが悪戯っぽくそう言うと、ロロは遠くを見つめた。
「ほんと、人生わからないものですよねぇ」
赤のクラスに着き、教室の扉を開ける。
すると、中にいた生徒たちの視線が一斉に彼女たちに注がれた。
この教室に来ることがそのままクラス分け発表でもあるので、生徒たちはクラスメイトの顔を確認し、また視線を戻す。
クラスメイトたちはそれぞれに小さなグループを作って雑談している。
雰囲気は心なしか暗い。
これから一緒に学ぶ仲間がわかるのだから、もっと賑わっていいはずなのに。
教室に入ると、扉近くに席順表が貼られていた。
「やったっ。席もすぐ近くですね!」
「私が前でロロが後ろ。寮の部屋と同じで、一般出身者をくっつけたんだね」
「フフッ。これならロザリーさんを見つめても不自然じゃないわ。だって前を向いてるだけだもの。ウフフフフ……」
(また漏れてる……)
席に着いたロザリーは振り返って、声を潜ませロロに言った。
「言ってた通りだね」
ロロは机に這うような姿勢で、クラスの顔ぶれを確認していく。
「うちのクラス、高位貴族が少ないです。それもみんなが暗い理由の一つでしょうね。大貴族なんて一人もいない。赤クラスの立場がいっそう悪くなる未来がはっきり見えますから」
「んん、そういうものなのね」
「成績優秀者もロザリーさんくらい。これでは先が思いやられます」
ロザリーは目を瞬かせた。
「成績優秀者?」
「ええ」
「誰が?」
「ですからロザリーさんが。座学は完璧、剣技会準優勝。まじないだってすでに使えると聞きましたよ?」
「……そうなんだ」
たしかにロザリーは、座学に人一倍、打ちこんでいた。
それは他の生徒と違い、現代常識や知識を得ることが魔導騎士養成学校へ来た目的だったからに他ならない。
「自覚がありませんでしたか」
「ん。まあ、ね」
「ロザリーさんやグレン君は、そんな感じですよね。我が道を行くというか。自分と周りを比較しない」
「私たちはほら、貴族じゃないから」
「でも、周りは違います。視線を感じませんか?」
ロロに言われて、ロザリーは意識して周囲を見回した。
ざっと視線を動かしただけなのに、何人ものクラスメイトと目が合った。
「みーんなロザリーさんを意識してる。隙あらば追い落とそう、あるいは取り入ろうとね。常に自分と他者を比較し、少しでも良い位置にいようとする。それが貴族というものです」
ロザリーは感心したように言った。
「ロロ、すごい。貴族じゃないのに貴族のことよくわかってる」
「人間観察が好きなんです。山奥に長く一人でいたせいですかねぇ」
一瞬、教室の中が慌ただしくなった。
立っていた生徒が、慌てて席に戻る。
教室が静けさに包まれた瞬間、扉が開いた。
入ってきたのは、やけに艶っぽい女性の教官。
胸元や短いスカートの裾から、褐色の肌が覗いている。
彼女が生徒たちを見回すと、教室のどこかで口笛が鳴った。
机の下でこぶしを握って喜ぶ男子生徒までいる。
彼女は魔女術担当の教官、ヴィルマ=サラマン。
女子生徒の人気はそうでもないが、男子生徒の人気はぶっちぎりの一位。
その色香は、「彼女は淫魔と契約したに違いない」と、まことしやかに囁かれているほどだ。
ヴィルマはそんな反応には慣れているのか、特に何も言わず教壇に立った。
「これより魔女術の授業を始める」
すると教室から無数のため息が漏れた。
今の今まで喜んでいた男子生徒までも、憂鬱そうな表情を隠さない。
ヴィルマは眉を寄せた。
「毎年のことだけど。魔女とわかってがっかりしている人たちがいるようね?」
生徒たちは答えない。
が、否定する者もいない。
「いいわ。魔女術の授業に入る前に、魔女騎士について話しましょう」
ヴィルマは持ってきていたテキスト類を端に寄せ、教卓に座って脚を組んだ。
「我々は魔女騎士である。では魔女とは何か? なぜ男もいるのに魔〝女〟なのか?」
生徒たちは答えない。
答えを知らないからだ。
「その由来は、〝はじまりの騎士〟まで遡る。〝はじまりの騎士〟とは、最初の魔女騎士のこと」
ヴィルマは指先で宙に何かを書いた。
指の軌道が光を残して文字となる。
宙に浮かぶ文字は〝ユーギヴ〟。
「彼女の名はユーギヴ。家名はわからない。ただのユーギヴかもしれないし、もしかしたらユーギヴは家名なのかも。どこに生まれ、何に仕えたかもわからない。諸説あるけどね」
ヴィルマが浮かぶ文字を撫でる。
文字が蠢き、女性のシルエットを作り出した。
「確かなのは、彼女は女性で魔女騎士であったこと。現代に残る魔女術の大半は、彼女が編み出したものよ」
ヴィルマが女性のシルエットを撫でる。
シルエットが蠢き、〝ウィッチ〟の文字となった。
「単純な話ね。魔女騎士の祖が女性だったから、魔〝女〟と呼ぶわけ。男性もいるのにそう呼び続けるのは、彼女への敬意の表れよ」
ヴィルマが再び文字を撫でる。
文字がぐにゃりと変容し、〝ソーサリー〟の文字となった。
「魔女騎士の祖であるユーギヴだが、彼女自身は魔女騎士とは呼ばれていなかった。理由はこれも単純な話で、その時代には四つの色――魔導性の概念自体が存在しなかったの。彼女が魔女と呼ばれるようになるのはずっとあとの話。当時の人々は彼女を〝魔導使い〟を意味するソーサリーと呼び、敬い畏れた……さて、勘のいい人は気づいたかしら?」
ヴィルマは〝ソーサリー〟の文字の、最後の一字だけを撫でた。
「ソーサリーとはソーサリア、すなわち魔導騎士の語源。彼女は最初の魔女騎士であると同時に、最初の魔導騎士でもあった。すべての魔導騎士は、ユーギヴから――魔女騎士から始まったの」
ヴィルマは浮かぶ文字を両手で握り締めた。
彼女の手が内から発光する。
そして手を開き、ふっと息を吐いた。
光は教室に散り散りになり、生徒一人一人の元へ舞い降りる。
ヴィルマの威厳ある声が教室に響く。
「我々は魔女騎士である。我々はユーギヴの教えを継ぐ者。我々こそが魔導騎士。我々こそがソーサリアなのだ。誇りなさい。胸を張るのです」
生徒たちはヴィルマを通して〝はじまりの騎士〟ユーギヴの姿を見た心地だった。
彼らの顔から憂鬱さは消えていた。
◇
授業を終えたロザリーは、ロロとともに校内の食堂(生徒無料)で夕食をとった。
その後ロロと別れ、ヒューゴのために魔導書図書館で本を借り、部屋に戻ると。
「わ、真っ暗」
部屋は暗闇だった。
二段ベッドの上から声が返った。
「この部屋、ランプがないんですよねぇ。明日にでも寮母さんに頼んでおきます」
「ああ! そっか、あ~、なるほど……」
心当たりのあるロザリーは、ただ頭を掻いた。
「とりあえず、今日はもう寝るしかないかな、と」
「そうだね」
「では、おやすみなさい、ロザリーさん」
「うん、おやすみ、ロロ」
ロザリーは二段ベッドの下に寝そべった。
瞼を閉じると、早くもロロのいびきが聞こえてきた。
「はあ。しまった」
すると心の中で声がした。
『どうかしたかイ?』
ロザリーはヒューゴにだけ聞こえるよう、静かに言った。
「耳栓を買い忘れた」
『そう。熊みたいないびきだものネ』
「熊のいびきを聞いたことないわ」
『ボクだってないよ。あ、ランプ悪かったね』
「いいよ、私の言い出したことだし」
『……子守歌でも歌ってあげようか?』
「いい。呪われそうだから」
『呪いの子守歌か、そいつはいいネ! ではさっそく――』
「やめてよ、もう!」
ロザリーは枕を頭から被り、ようやく眠りへ落ちていった。





