170 大迷宮(自称)
――西の森のさらに奥。
〝樹上の麗舘エンプレス〟。
鬱蒼と茂る森の中でも、ひときわ大きな巨木の上に白を基調とした美しい舘があった。
ジュノー派の本拠地である。
麗舘の窓がひとつ開いていて、そこへスウッと音もなく折り紙の鳥が入ってきた。
窓辺にいたザスパールの胸に当たり、気づいた彼が片手で受け止める。
「手紙鳥、使えそうね」
とは、ジュノー。
ザスパールは頷き、【手紙鳥】を開いた。
ここにいるのはジュノー、ザスパールら最高幹部三名、さらに巻き貝の声を聞いて集まった幹部が四名の合計八名。
加えて、真っ赤な毛並みの魔獣の虎が一頭。
その虎を使役する、最高幹部の一人ギョームが言った。
「たまたまじゃないのか? ザスパールの海鳥は使えなかったのだろう?」
ザスパールが文面に目を走らせながら答える。
「使い魔と違って【手紙鳥】は魔導反応が微小だからな。カラス共も気づかないんだろう」
「ふ~む。戦場で実際に使われているのにも理由があるというわけか」
事前に決めておいた作戦では、情報収集・伝達はザスパールが一手に引き受けるはずだった。
しかし、上空をたむろするカラスに彼の海鳥が攻撃され、役目を果たせなくなっていた。
そこで代わりの情報収集手段としたのが【手紙鳥】だ。
ジュノー派に属する赤クラスの生徒を敵の本拠地近くに潜伏させ、状況を逐一報告させることに決めた。
今、ザスパールの手にあるのが、その最初の報告だ。
「どこから?」
ジュノーが問うと、ザスパールが簡潔に答える。
「北だ。戦闘が始まったらしい」
幹部たちがざわめき、地図を見ながら口々に話し出す。
「殿下と……この旗はグレンだよな?」
「十中八九」
「なんでこんな近くに本拠地を構えたんだろ?」
「推測してもムダだ、おそらくグレンは何も考えていない」
「ロザリーの前に潰しておくか? 横槍を入れられるのも癪だし……」
「なら、戦闘中の今が背後を討つチャンスだな。すぐ攻めよう」
そう話した幹部たちが、ゆっくりと視線をジュノーに送る。
いつものジュノーなら、視線に即座に気づいて答えを口にするはずなのに、今は違った。
眉をひそめ、明らかに苛立った様子で、ジュノーは呟いた。
「弱小勢力同士で? ロザリーを倒すのが目的なのに? 失望したわ、目的の前に戦力を減らしてどうするの」
「ジュノー?」
ザスパールが様子を窺うように彼女の名を呼ぶと、ジュノーは苛立ちをため息で吐き出して、幹部たちに答えた。
「北には触れない。元々相手にしてない。勝手に削り合えばいいわ」
幹部たちが頷く。
「アラン。集まりはどう?」
ジュノーに問われ、最高幹部アランが片目を閉じた。
西の森を支配下に置いた彼は、こうして西の森の内部の様子を見ることができた。
「……二百四十、ってとこかな? ザスパールの巻き貝効果で続々と集まったね」
「五十人以上、足りないけど……序盤の脱落者を考えると、まあこんなところかしら」
ザスパールがジュノーに尋ねる。
「幹部が揃うのを待たないのか? 三人も足りない……あと、オズもまだだ」
「オズは期待していないわ。ロザリー派に合流できなければそれでいい。どうせ忘れた頃にひょっこり現れて、仲間に入れてくれと言ってくるのでしょう」
「違いない。他は?」
「レントンはともかく、ベルとポポーは痛手ね。でも、戦機は逃せないわ」
「! ……攻めに出るのか?」
「ええ」
ジュノーは立ち上がり、幹部たちを見回した。
「これよりロザリー派本拠地を攻める。ここの守備は――アラン、お願いね?」
アランが仕方なさそうに頷く。
「勝利の報せを待ってるよ」
と、そのとき。
新たな【手紙鳥】が窓から舞い込んできた。
ザスパールがそれを掴み、すぐに折り紙を開く。
「ロザリー派の本拠地に行かせた奴からだ」
ジュノーと幹部たちが、ザスパールの次の言葉を待つ。
彼は困惑した顔で言った。
「……現在、増築中? 何だそりゃ?」
一方その頃。
ベルム南部、〝魔女ミシュレの温室〟近く。
「何よ、これ!」
ベルはわなわなと震えて、そう叫んだ。
ジュノー派の本拠地を把握したベル騎士団一行は、湿地帯を抜け出して、南に迂回しながら西の森へと向かっていたのだが。
彼らも地図上でロザリー派の本拠地は把握していた。
だから安全な距離を取りつつ、遠目に〝魔女ミシュレの温室〟を見ながら通り過ぎるつもりだった。
しかし今、彼らの行く手を谷といえるような深い堀や、土や岩でできた構造物が遮っている。
「たぶん、あれが〝魔女ミシュレの温室〟だよな?」
そう言ってギリアムが指さしたのは、半球状の土のドーム。
大きな構造物の中心に土のドームがあり、さらにその周囲を堀が幾重にも巡っている格好だ。
「こんなもの、たったひと晩でどうやって……」
そう呟いたベルに、オズが堀の中を指差す。
「あれだ。白いのがワラワラ動いてる」
「あれは……ガイコツ!? ロザリーの使い魔!?」
「ガイコツに土木工事やらせてんだな」
「酷い!」
「あ、死者への冒涜とか気にするタイプ?」
「違う! こんなのズルいって意味!」
よく見ると構造物のほうにもチラチラと骸骨の姿が見える。
彼らが恐ろしげな姿で真面目に働く光景は、どことなくシュールだ。
レントンが口を開く。
「しっかし……この構造物は何だ? 城や砦にしちゃあ雑だ。かといって土塁でもない。石壁の家がいくつもくっついてるように見えるが……」
レントンの言う通り、原始的な石壁の家がいくつもくっつき、一体化したような構造物だ。
扉の無い玄関や戸の無い窓のような穴がどこそこに空いていて、砦というより岩山にできた洞窟群といったほうが適切かもしれない。
「迷宮だよ」
ギリアムが断言したので、三人が彼を見つめる。
「……なぜ、そう思う?」
レントンが問うと、ギリアムが自信満々に構造物の一部分を指差した。
「だって書いてある」
三人が目を凝らす。
ぽっかり口を開けた一番大きな入り口らしき穴に、看板が掛けられている。
『ようこそ! 世にも恐ろしいミシュレ大迷宮へ!』
それを確認した三人は一様に黙り込み、しばらくして一斉に感想を漏らした。
「はああ!? ふざけてんの!?」
「なーにが、ようこそだ!」
「煽ってんなあ……」
すると呆れかえる三人に向けて、ギリアムが言った。
「俺は嫌だぜ? 迷宮とか何あるかわかんないし。ガイコツ怖いし」
「ギリアム……あなた臆病なの隠さなくなってきたわね……」
「ベル。ここを突っ切るのは俺も反対だ」
「レントン、あなたまで?」
「『ようこそ』ってのは『手ぐすね引いて待ってます』ってことだろ。罠と知ってて突っ込むバカがいるか?」
「それはそうかもしれないけど……だからって、また湿地帯に戻るの?」
レントンの目の色が変わる。
「は? 戻るわけないだろ! 見ろ! 膝までグチョグチョだ!」
ギリアムも続く。
「そうだ! 絶対にぬかるみには戻らないぞ!」
「あれも嫌、これも嫌って。じゃあどうするのよ……オズはどう? っていうか、あなたはロザリー派がこうすることを知ってたの?」
オズは鼻の先を掻きながら、口を開いた。
「防衛力を高めるって案は前々から出てた。そうすりゃロザリーが打って出られるからな。ガイコツ土木工事案もその時からあった。だが構造物はわからない」
「そう。罠については?」
「ベルは知ってるだろうが、魔女術には地雷系の術がある。あと、構造物の中はガイコツで満たされているだろうとは思う」
「そうね……いかにもやりそうだわ」
「あと、湿地帯に戻るのは俺も反対だ」
「オズまで! なぜなの?」
「ロザリーもジュノーも旗揚げした。互いに最大のライバルだ、すぐに戦いが始まると思う」
「……可能性は高いわね」
「先に攻めるのはジュノーだ。ロザリー派は見ての通り、守りの意識が強いからな」
「ええ」
「問題は、ジュノー派の進軍ルートだ」
オズは地図を開き、ベルに見せた。
「湿地帯には湖がある。ジュノーは水の精霊騎士だ。湿地帯のほうを進軍ルートに選ぶんじゃないか?」
「正確には海の精霊騎士だけど……でも、そうね。真水でも有る無しでは力に差が出るでしょうね」
「未来の戦場に突っ込むのは、どう考えても悪手だ」
「そうかしら? すぐにジュノーを見つけて私が降伏すればいい。あちらから迎えに来てくれると考えることもできるわ」
オズが大きく首を横に振る。
「忘れるな、ベル。俺たちはまだ、ジュノー騎士団じゃない」
「わかってるわよ、そんなこと」
「わかってない。ジュノー派もロザリー派も、同士討ち禁止を前提に戦術を組んでくるはずだ」
「!」
「仲間が敵に囲まれたら、そこに遠慮なくデカい術をぶつけたり……地雷原を作り、その真ん中に陣取ったり……『味方ごと攻撃する』のが基本戦術になるんだ。だが俺たちは、そのどちらの攻撃も受けてしまう」
「それは、そうかもしれないけど」
「そもそも、すぐにジュノーを見つけるのが不可能に思える。ロザリーがそこにいるのに、ジュノーは前線に出てくるか?」
「……出てこないかも。いえ、十中八九、出てこない」
「そう。ジュノーは下手なリスクは負わない」
「……どうしろっていうのよ」
ベルが唇を噛む。
「じゃあ、どうするのよ! 私たち、ずっと地図見てうろついてばっかり! どうすればいいの!」
「戻ろう」
「オズ、湿地帯に戻るのは反対だって」
「山だ。もう一度、山岳地帯に入って、尾根を渡って大回りして西の森を目指そう」
ベルはあんぐりと口を開け、力なく地面に座り込んだ。
「山を降って。湿地帯で泥まみれになって」
「うん」
「やっと目的地判明して。でも行き止まりで」
「だな」
「で、また最初の山に登ろうっていうの……?」
「うん。ダメかな?」
「……ちょっと考えさせて」
ベルは地面で膝を抱え、力なく項垂れた。





