168 本拠地は工事中です
ウィリアスとアイシャは旗揚げ予定地〝魔女ミシュレの温室〟へ向けて平野を移動していた。
アイシャがずんずんと歩き、ウィリアスは時折周囲を警戒しながら進む。
日頃ならもっと警戒するようアイシャを窘めるところだが、ウィリアスはそうしなかった。
自分が彼女の分も警戒すればいい。
そう考えるのは彼女と合流するまでの自分が、臆病と言い換えてもいいほど慎重過ぎたと反省しているからだった。
「そう言えば――」
ウィリアスが口を開いた。
「――俺が危ないってよくわかったな?」
アイシャが振り返って、悪戯っぽく笑った。
「洞穴の入り口にいたら声が聞こえたからね。『チッ!』とか『くそっ!』とか。あー、ウィリアスだ、なんかヤバそー、って思いながら聞いてた」
「しばらく入り口にいたのか? だったら早く助けてくれよ!」
「ロザリー待ってたんだよ。作戦通り、ロザリーがレイドボスやってんじゃん?」
「作戦はわかってるが……レイドボスってなんだ?」
「知らない? 魔導騎士ボードゲーム〝ソーサリアン〟に出てくるんだけど」
「ああ、ルークがやってたな。流行ってるのは知ってる」
「あの中で一人じゃ絶対勝てない超強い敵をそう呼ぶの。他のプレイヤーと共闘前提なんだけど、そんなうまく協力できなくて。そいつは勝手気ままにうろつくから、みんな必死に逃げ惑うの。楽しいよ~?」
「なるほど。まんま今のロザリーだな」
「でしょ? 近くで誰かが旗揚げしたからさ、集合前に潰しておこうかなって思ったわけ。で、レイドボスちゃんが来てから戦えば安心だよねーって。そしたらもう、中で誰かが戦ってるぽくて」
「それが俺ってわけか」
「そうそう。で、どうしようか迷ってたらそいつが姿を現して、ウィリアスピンチだったから突入したの」
アイシャがそいつと指差したのは、ウィリアスの肩に担がれたギムン。
ギムンは麻痺毒が効いていて、意識を失ったままだ。
「なんで即死性の毒にしなかったの?」
「魔導充填薬と間違えての誤飲狙いだから」
「あーね。似てる色だと麻痺毒になるか」
「飲んでからも暴れられたのにはビビったよ。牛でも卒倒する量のはずなんだけどな」
「魔導騎士は別枠なんじゃない? 身体デカい魔導騎士は特に」
「かもな」
「……そいつ重くない?」
「重い。代わってくれ、アイシャ」
「嫌でーす」
レイドボスロザリーを恐れてか、あるいは味方の居場所を見つけて移動したのか。
その後の二人は誰とも接触することなく、〝魔女ミシュレの温室〟に到着した。
候補地の有り様を見て、アイシャが言う。
「これが温室? 影も形もないんだけど」
彼女の言う通り、そこは温室は見えなかった。
どこからか切り出してきた丸太の山。
四方八方に堆く積まれた土の山。
あちこちから聞こえてくる騒がしい音。
平たく言えば、そこは工事現場だった。
端のほうに四メートルほどの櫓が組まれ、その上から騒音に負けない指示が飛ぶ。
「そこ! 曲がってます! そう、こっち、もうちょい……そう! ぐっじょぶ!」
その櫓の上に向けての声も飛ぶ。
「ロロ! 工事担当責任者が魔導切れ起こしかけてるけど!」
「魔導充填薬がぶ飲みさせてください! 材料は温室からいくらでも採れますので!」
「了解!」
ウィリアスが櫓の根元に近寄り、声をかける。
「ロロ! 遅くなった!」
「ややっ、ウィリアス君! 遅いですよぅ~、おかげで私が指示出しするはめにぃ」
「赤クラスの代表なんだから当然だろう?」
「また、そんな古い話を~」
「すまん。だが土産もある!」
そう言って、ウィリアスは肩に担いだ男の顔を見せた。
「緑のクラスのギムン君、でしたかね? 彼がお土産? ……そうか、彼は石の精霊騎士!」
ウィリアスがニヤリと笑う。
「これは工事の遅れを取り戻せそうです……!」
こぶしを握るロロに、また櫓の下から声が飛ぶ。
「ロロ! 工事担当責任者が魔導充填薬拒否してる! ドーピングは嫌なんだって!」
「何を悠長なことを! 無理やり飲ませなさい、作り立てからがぶがぶと!」
「了解!」
「ロロ!」
「今度は何です!?」
「ロザリーが戻った!」
「! ……みなさん、旗揚げします! あとは計画通りに!」
黒い骨馬グリムから下馬し、兜を脱いだロザリーが歩いてくると、ロザリー派の面々が囲んで口々に声をかけてきた。
「ロザリー! もう、一個本拠地潰したんだってな!」
「うん、ジーナだったよ。ちょっとかわいそうだったかも」
「ロザリー、さっきは拾ってくれてありがとー! あのままじゃ、やばかったんだよぉ!」
「ううん。逆にごめんね? 骨馬の乗り心地、最悪だったよね」
「ロザリー。ウィニィ殿下の本拠地、見た?」
「見た! かなり集まってた、油断できないかも!」
ロザリーが仲間と言葉を交わしながら歩いていくと、最後にウィリアス、ロロ、アイシャの三人が待っていた。
三人それぞれとこぶしをぶつけ、それからウィリアスが担いでいる人物に気がついた。
「……誰?」
「石の精霊騎士だ」
ロザリーは目を丸くし、それからしきりに頷いた。
「なるほど。配下にするのね?」
「ああ。これで工事担当責任者が二人。効率二倍だ」
「わかった」
ロザリーはウィリアスの肩からギムンをひょいと持ち上げ、自分の肩に担いで再び歩き出した。
その後にウィリアスだけが続く。
ロロが仲間たちに向かって大声で言う。
「さあ、旗揚げです! 順番が来たら、温室へ行って降参してください。それまでは工事のサポートをお願いします!」
「「了解!!」」
一斉に声を上げ、それから自分の持ち場に戻っていった。
〝魔女ミシュレの温室〟。
温室の周囲をすっぽり包み込むように土のドームが形成されている。
ドームは土製とはいえ強度は城壁に比するもので、表面は磨かれた石のように光っている。
一か所だけ人が通れるよう穴が空いていて、ロザリーはそこを通って温室の中に入った。
本来、温室は全面ガラス張りで明るいのだが、土のドームが日光を遮っているせいで真っ暗だ。
視界は十数個のランプが頼りで、仄暗い中にランプの明かりで植物が浮かび上がる様は、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
「起きろ、ギムン」
「う……んっ……」
ギムンが目を覚ますと、目の前に憎い男の顔があった。
「……うぃりあしゅ」
体が怠い。毒が抜けていない。
腕に毒とは別の不自由さを感じ、見上げると縛られた自分の手首が頭上にあった。
地面に膝をつき、腕を吊られている格好だ。
「うぃりあしゅ。なじぇ生かした」
するとウィリアスは言葉で返さず、自分の胸元を指差した。
団員を表すリボンがあった。
灰色地に悪魔の意匠だ。
「うちの騎士団長の意向でな」
「なじぇ。おりぇににゃにをしゃしぇる気だ」
「仲間になれ」
「にゃかま? おりぇははちゃあげしたんじゃぞ?」
「裏ルール、知らないんだな。団員は降伏できないが、団長はできる」
「そんにゃの! だましゃれんぞ!」
「お前は籠の鳥だ、騙す意味がない」
「……」
「あとは本人に聞け」
ウィリアスがその場を退くと、旗の意匠の悪魔にそっくりな、恐ろしげな全身鎧を身に着けた人物が椅子に座ってこちらをじっ、と見つめていた。
「ろ、ろじゃりー、か?」
すると悪魔鎧は立ち上がり、ガシャン、ガシャンと歩いてきた。
そしてギムンの肩を強く掴み、彼の耳元に顔を寄せた。
ギムンの鼓動が早まる。
そして緊張がピークに至ろうとしたそのとき、女の声が言った。
「降れ」
「……ほんとに、にゃかまにしゅる、って言うのきゃ?」
悪魔鎧は体を起こし、腕組みしてこちらを見ている。
ギムンは悩まなかった。
「二度みぇのちゃんしゅだ。ことわりゅ理由がにゃい」
そしてギムンは悪魔鎧に向かい、首を垂れたのだった。
ギムン団員化により〝カザドの洞穴〟の騎士団旗、消滅