163 旗揚げ
〝リザン山地の物見塔〟は標高五百メートルの山中にあった。
その立ち姿をみて、レントンがぽつりと漏らす。
「……頼りねぇ」
高さ七メートルほどのレンガ積みの塔なのだが、なんだか傾いて立っている。
最上部にある展望階だけは木造で、ところどころ朽ちて穴が開いているようだ。
「ベルよぉ、ほんとに大丈夫かよぉ~」
泣きつくギリアムに対し、ベルは苛立った様子で答えた。
「この候補地の長所は立地! ここにあることが重要なの! 私たちが出会った場所よりずっと奥にある! ずいぶん登ったでしょ!? これだけ山奥で地図の端っこなら誰も容易には近づかない! ギリアム、わかった!?」
「あああ、うん。よくわかったよ」
塔の裏手に回っていたオズが、顔だけ出してベルたちを呼んだ。
「来いよ、入り口がある」
入り口は両開きの扉で、片側は壊れて地面に転がっていた。
塔のレンガ積み部分はぽっかりとした空洞で、壁から等間隔に石の板が突き出て螺旋階段状に続いている。
石の板は頼りない上に勾配が急で、壁に手をつきながらでないと上れない。
薄暗い中で何周も螺旋を回り、やっと最上部の展望階に出た。
「うおお! 星が見えるぜ、ベル! 俺の隣で星を見ないか?」
「やかましいわよ、オズ。屋根も落ちてるのね……」
ここが〝候補地〟であるならば、旗揚げして〝本拠地〟とするための何かがあるはず。
四人はそれぞれに探し始めて、それはすぐに見つかった。
「これね」
ベルが三人を呼んだ。
階の中央にある太い柱に、大きな旗が立てかけられている。
旗は無地の灰色で、染みだらけで汚れていた。
「きったねぇ旗だなぁ」
ギリアムが髪が触れそうなほど旗に顔を寄せる。
「触るなよ、ギリアム」
「何でだよ、オズ。触るくらいいいだろ?」
そして指先で旗を突こうとして、その手首をレントンが掴んだ。
「俺はお前の配下にはならんぞ」
「えっ? どういう意味?」
ベルがギリアムの横に跪き、そっと旗に触れた。そして触れたままオズを振り返る。
「魔導を流せばいいのよね?」
「たぶん、な」
ベルが旗に向き直り、瞳を閉じた。するとみるみるうちに無地の旗が赤く色づいていく。
最後にはえんじ一色に染まり、中央に紋章が浮かぶ。
赤地に銀の鈴。これがベル騎士団の旗印となる。
オズが首を捻る。
「赤は魔女だからだろうけどさ。ベルが鈴って……ダジャレのつもり?」
「わっ、私は何もしてないもん! 模様が勝手に!」
「ほんとかねぇ?」
ベルを揶揄いながら、オズはその場で膝をついた。
片膝の姿勢になり、立てた膝に肘を乗せ、そこに頭を伏せる。
「オズ……」
「降参だ、ベル」
「わかったわ。認めます」
オズはすっくと立ち上がり、にんまり顔で自分の胸元を指差した。
三人がそれを覗き込む。
「胸にリボンが付いてる。赤地に鈴――旗と同じデザインね」
「なるほど。これが騎士章ってわけか」
「つーかよく見たらベルもリボン付いてたわ」
「あ、ほんとだ」
「ベル! 俺も俺も!」
ギリアムがすぐに跪き、ベルに降伏した。残ったレントンもそれに続く。
四人に同じリボンが確認できたところで、オズがレントンを手招きした。
そして彼のナイフを指差し、自分の手のひらを向けて「切れ」とジェスチャーする。
意味を察したレントンは、迷いなくナイフを抜き放ち、そのままオズの手を切りつけた。
ギリアムが甲高い悲鳴を上げる。
「ヒッ!」
オズの手とレントンのナイフが交錯したまま固まる。
そして二人は驚いた顔で手とナイフをゆっくりと引っ込めた。
「……ビビった。マジで怪我しないんだ」
「……俺もだ。切ったのに切ってない、気味の悪い手応えだった」
「えっ。ほんとか?」
ギリアムが二人に近づき、手のひらとナイフを交互に見る。
それから何か悪い顔をしてレントンの背中側に回り、彼の尻をゲシッと蹴り上げた。
「こいつっ!」
レントンは反射的に、ギリアムを殴りつけた。
ギリアムは殴られて固まり、それからゆっくりとレントンのほうへ首を回す。
「……痛くねぇ。押された感覚はあるが、全然痛くねえ!!」
ギリアムは飛び上がって喜び、それからレントンとオズの尻をゲシッゲシッと交互に蹴りまくった。
「ハハハ! これでお前らに殺される心配はなくなったぜ!」
オズもレントンもやはり痛みはなく、しかし蹴られている感覚はある。
「……オズ。こいつを殺す方法はないか?」
「簡単だ。敵を見つけて、こいつを差し出せばいい」
「なるほど。そうしよう」
そして二人がキッとギリアムを睨む。
「うえっ!?」
怯えたギリアムは、虫のように素早くベルの背後に隠れた。
ベルは男たちの行動には目もくれず、熱心に地図を覗き込んでいる。
「何を見てんだ、ベル団長?」
オズはからかうように言ったのだが、ベルは緊張した面持ちでオズを見つめた。
「見て。私たちの旗が」
オズたちが地図を覗き込む。
地図上の〝リザン山地の物見塔〟の場所に、先ほどまではなかった赤地に銀の鈴の旗が描かれていた。
レントンが呻くように言う。
「マジか。本拠地モロバレじゃねえか」
オズがその旗印の輪郭を指でなぞる。
「……なんか、旗が二重に見えねえ?」
「あっ、ほんとだ。俺も二重に見えるぞ」
そう言って、ギリアムがしきりに頷く。
「これはおそらく……」
オズがベルを見ると、彼女は青い顔で頷いた。
「団長の位置。私がいる場所ね」
レントンが天を仰ぐ。
「おいおい! 団長の位置までモロバレなのかよ! どうすんだよ、ベル!」
「後戻りはできない。合流を急ぎましょう」
「正気か!? 本拠地を離れてるってのもモロバレなんだぞ!」
「じゃあ籠城するの、レントン? 四人ぽっちで? この頼りないおんぼろ塔で!?」
「っ、それは……」
「急ぐしかないの。私たちにはそれしかない」
「一応、二人くらい守りに残しておいても……」
「しない。私たちには分散できるほどの戦力はない」
「……クソッ。最初から最悪じゃねぇか」
そう言って俯くレントンに、ベルは反論しなかった。
そこへオズがぽつりと言う。
「いや。案外うまくいくかもしれないぞ?」
オズは未だ地図を眺めていて、それを横からギリアムも見ている。
「お前がそんな励ますようなこと言うなんてなあ?」
半笑いを浮かべるレントン。そんな彼に、オズは地図を見せた。
「俺らだけじゃないぜ?」
ベルの目の色が変わり、オズから地図をひったくる。
「ほんとだ……私たち以外にも二箇所、旗揚げしてる!」
「今が旗揚げのタイミングなんだろうな。これで俺たちだけに目が行く状況ではなくなった」
「青地に天秤のほうは誰かわからないけど、黄色地に王冠は……」
ベルの推測にオズが頷く。
「王冠……ウィニィだな」