161 ベルム開幕
闘技場の上から生徒たちの姿が残らず消えた。
ひな壇の上にテーブルと椅子が運ばれてきて、そこにヘラルドと首吊り公が座る。
テーブルの上には魔導拡声器が置かれ、ここがベルム実況席となる。
二人の会話が観客席に響く。
『それでは公、引き続きよろしくお願いします!』
『はい、よろしく。……君、実況では敬語でしゃべるんだね?』
『ずっとあれでは観客の皆様が疲れてしまいますので』
『ん~、プロだねぇ』
『恐縮です。さて、今大会は第三百回の記念大会ですが……公はちょうど三十年前ですね、見事にリル=リディルの栄誉を勝ち取っておられます』
『懐かしいね、三十年か。どうりで物忘れが酷くなるはずだよ、ハッハッハ……』
『公の〝一人騎士団〟は伝説です。自分以外の全生徒を敵に回し、それを残らず吊るし――ゴホン! 全員を撃退して優勝されました』
『フフッ。そうさ、吊るした、吊るした。あれは痛快だった。……けど、やり過ぎたね。同級生を吊るすたびに観客席が阿鼻叫喚だったらしいから』
『それは……凄まじいですね』
『観客のほとんどが保護者であることを失念していたよ。若気の至りだね』
『っと、少々お待ちください……さあ、ここで生徒全員のエントリーが確認されたようです』
『さあ、いよいよだ』
『ではベルムの観覧形態への移行をよろしくお願いします』
ヘラルドの声に応えるように、立体模型が稼働音を発し始めた。
立体模型はみるみるうちに大きくなり、闘技場にぴったりと収まる大きさまで拡大した。
大きくなった立体模型のあちこちで虫のように動くものがある。
最終試練にエントリーした三年生だ。
『ベルムは広大です。現在の観覧形態でも詳細を把握することは難しいかもしれません。そこで――上空をご覧ください』
『ほう。ビジョンだね』
『はい。ベルム運営が見どころと判断した場面を、この四つのビジョンで映し出し、観客の皆様につぶさにご覧いただけます』
『よくできてるねえ』
そのとき、感心する首吊り公の手元に、スタッフからボタン付きの小箱が運ばれてきた。
『それでは公……よろしいですか?』
『うん。これ、押してみたかったんだよ』
『それではよろしくお願いします!』
『よし。……最終試練、開戦!』
首吊り公が小箱のボタンを押すと、立体模型の夜空に小さな花火がいくつも上がった。
――ベルム、南東の端。山岳エリア。
「うおう! ビビったぁ……」
花火の轟音に身を固くしたオズは、夜空に上がった色とりどりの光端を見つめ、そう漏らした。
オズはアリーナから薄らいで消えると、次の瞬間にはこの場所に立っていた。
「これがベルム……面白!」
周囲には人影なく、オズ一人。
しかしオズは油断せず、まずは身を隠すことにした。
幸い山岳エリアは見通しが悪く、隠れる場所には困らなかった。
「ここでいいか。……しかしなんで夜スタートなんだ?」
茂みに身を埋め、事前に教官から配られた地図を取り出す。
地図には大まかな地形と拠点〝候補地〟の名称、そして自分の現在地を示すマーカーが記されている。
「またへんぴなところに転送されたな。隅っこじゃねーか」
オズは背伸びして南東の方角を眺めた。
しばらく上り傾斜の山肌が続いているが、地図にない部分になると、いきなり山肌が途絶えているように見える。
「あそこが山の頂上ってことも……んなわけねーな、地図にない部分は存在しないんだ」
今度は逆――北西の方角を眺める。オズが今いる地点も二、三百メートルの標高があり、ある程度の展望がきく。
「開始地点はたぶんランダム。隅っこは良くないよな、狙われたら逃げられねーもん。早いとこ誰かと合流したいが、そううまくいくか……」
そんなことを考えていると、ふいに帳が降りて地図が見えなくなった。
花火が終わったのだ。
オズは腰につけていたポーチ型の道具袋を手で探った。
小型のランプと火打石を取り出し、明かりをつけようとした。
が、寸前で思いとどまった。
ランプと火打石を道具袋に戻し、地図もたたんでそこに入れた。
「花火は開始の合図だろう。明かりは禁物だな」
オズは立ちあがり、茂みを伝って移動を始めた。
目的地はとりあえず地図でいうと中央エリア付近だ。
「隠れてやり過ごすだけなら、ここは上々なんだけど……っ!」
変化に気づいたオズが、すぐさま腰を落とす。
枝葉の隙間から彼が覗く先には、明かりが見えている。
「……直前に『光あれ』が聞こえた。迂闊な奴だ。戦は始まってるんだぞ?」
オズの言葉を肯定するように光が揺れた。
同時に聞こえてくる叫び声。
勇ましい騎士の掛け声とはほど遠い、裏返った悲鳴のような声が二種類聞こえる。
やがてひと際甲高い声が辺りに響き、光が消えた。
「……殺った。さて、どうするか」
オズはしばし考え、それからため息をついて地面に胡坐をかいた。
早く中央付近へ移動したいが、目の前にリスクがある。
移動するためには、光が消えた付近にいる迂闊者を殺した生徒への対処が必要だ。
方法は二つ。
相手を殺すか、気づかれずにすり抜けるか。
オズは腕っぷしには自信がある。剣技会の好成績がその自信を裏付けている。
しかし相手はベルム開始早々、躊躇いなく同級生を殺す奴だ。
狂暴なのか、残酷なのか。それとも錯乱しているのか。
どれにしても近づきたくない相手だ。
「焦っても仕方ねーしな」
オズが選んだのは〝見〟。様子見だ。
相手に先に動いてもらい、その動向をオズは漏らさず見て、対応する。
オズは光が消えた付近を注視しながら、腰の道具袋に手をやった。
道具袋には魔導充填薬がひとつ入っている。
自作ではなく、薬学が得意なロロからせしめたもの。効果は折り紙付きだ。
魔導の高まりは身体能力に転化され、再生・治癒能力をも促進させる。
即ち高性能な傷薬として使えるのだが、虎の子の魔導充填薬を開始直後に使いたくはない。
(……いきなり戦闘はちょっと、な)
そんなふうに思案を巡らせる彼のすぐ近くで音がした。
真横の茂みが動いている。
(あぶねー! 声出そうだったっ!)
オズが口を両手で押さえてうずくまるその横を、気づかずに通り過ぎる人影。
夜の闇でもシルエットでわかる、女子生徒だ。
音を立てず、目を凝らす。
赤のクラス生、ジュノー派幹部。ずっとオズを疑っていたベルだ。
(悲鳴を聞いて向かってきたのか。どうする気だ……?)
ベルはオズに気づかない。
用心してるのか、ゆっくりとした足取りで先ほどの光が消えた付近へと進んでいく。
オズは彼女を見送ってからゆっくりと立ち上がり、あとをつけ始めた。
決して気づかれない、しかし見失わない距離を保って。
やがてベルは歩みを止めた。オズがその場に伏せる。ベルはじっと足元を見ているようだ。
(光が消えたのはあの辺り……死体を見てるのか?)
オズはそっと姿勢を起こし、身体を伸ばしてベルの足元を見た。見てすぐに身体を伏せる。
(大きな血だまりはあるが死体はない。死んだらベルムから消えるのか)
そのとき、どこからか声がした。
オズに対してではない、ベルを呼んだようだ。
ベルは警戒を解いたようで、声がしたほうへ無造作に歩いていく。
するとそちらから男子生徒が二人、ベルのほうへ向かってきた。
三人は合流すると、顔を突き合わせて何やら口論を始めた。
(なぁるほど、そういうことね。さっきのルールの話も合わせれば……いけるかも!)
オズはぴょんと起き上がり、ズンズンと三人のほうへ歩き出した。
「いいわ、もう。このことはジュノーに報告するから」
「固いこと言うなよ、ベル。お前だって同じ状況なら殺すって」
「そうそう! 俺らは悪くないんだよ!」
「あんたは黙ってて、ギリアム」
「うっ……」
「だいたいあんたはお供がいなきゃ何の役にも――誰っ!?」
ベルが初めに気づき、男子生徒二人もオズに気づいた。
「……オズ。脅かさないで」
「そりゃこっちのセリフだって、ベル。こんなとこで言い争いされちゃあ、気になって来ちまうってもんだろ」
そう言ってヘラヘラと笑うオズを、三人は目を細めたり、横目で見たりしている。
猜疑心。
ありありとその感情が浮かんでいる。
「どうした、レントン? お喋りなお前がずいぶんと静かだな?」
二人目は赤クラスの嫌なやつ、ギリアム。
そして三人目はニルトラン子爵の息子、ラナを目の敵にしていたレントンだった。
レントンは片眉を上げただけで、言葉を返さなかった。
「お喋りキャラはやめたわけね。ま、いいや。最初にお前らと合流できたのはラッキーだ。四人でジュノーに合流しに向かおうぜ?」
「冗談はやめろ」
レントンが腕組みして首を傾げる。
「オズ。お前は入れない。信用できねーよ」
オズは大袈裟に驚いてみせた。
「冗談ってなんだよ! 信用できねえ? 知ってんだろ、俺はジュノー派だ。昨日の夜、公表したじゃないか!」
三人はそれに答えない。
レントンは疑いの目を隠そうとせず、ベルは俯き、ギリアムはベルとレントンの顔を交互にキョロキョロと見ている。
「ベル。お前は公表したとき、すぐ近くにいたじゃないか」
するとベルは顔を上げ、言いにくそうに言った。
「……私もレントンと同じ。あなたを信用できないわ。後ろから襲われるかも」
「そりゃないぜ! こいつらは? 信用できるって言うのかよ!」
ベルは再び俯いた。
レントンが言う。
「俺たちゃ最初から同じジュノー派だ。潜入だなんだ怪しい真似してたお前とは違う。な、ギリアム?」
「っ、ああ! そうだ! だいたい俺は一年の頃からお前が気に食わねーんだよ!」
言われたオズは後頭部をボリボリと掻き、それから突拍子もなくギリアムに言った。
「……ウィニィ派か?」
「はあ? 俺はジュノー派だ、寝惚けたこと言ってんじゃねえ!」
「お前のことじゃない。さっき殺った相手のことだ」
ギリアムは「うっ」と詰まり、黙り込んだ。
代わりにレントンが答える。
「オズ、何の話をしているんだ?」
「ごまかすな。殺ったんだろう? ジュノー派の仲間を」
レントンは不敵に笑い、ギリアムは頭を抱えて「あああ!」と奇声を上げ、しゃがみ込んだ。
ベルがぼそりと言う。
「……なぜ、死んだのがジュノー派だってわかったの?」
「口論の理由さ。殺されたのは聖騎士。聖騎士がいるのはジュノー派とウィニィ派だけ。口論になるのは、仲間殺しだったからだろう?」
「……やっぱりあなたは油断ならないわね」
〝仲間殺し〟という言葉に反応したのか、ギリアムが悲鳴のような声で叫んだ。
「仕方ないだろう!? この暗さじゃ誰かなんてわからないし! いきなり近くで『光あれ』なんてやられたら殺るしかないじゃないか!」
「ま、そんなとこだろうな。……レントンは?」
「あん?」
「トドメ刺したのはお前だろ? お供無しのギリアムにそんな度胸ねーもん」
「わーかったよ。認める」
レントンは剣ではなく、腰の後ろに差したナイフを抜いてオズに見せた。
血濡れのナイフだった。
「ギリアムが誰かと戦ってるのが見えてな。俺はすぐ加勢したんだ。後ろから襲って、顔をよく見てなかった。しくじったよ」
オズはそれを鼻で笑った。
「嘘くせえ」
「ああ? 嘘じゃねえよ」
「後ろから襲った。獲物はナイフ。喉笛を掻っ切ったんだろ、お前」
「……だとしたら何だ」
「切る前に顔を見たはずだ。俺なら見るね、反射的に」
「……見てねえ」
「ほ~ら嘘くせえ」
「見てねえ!」
「どうだ、ベル? 俺より仲間殺しのこいつらを信じるのか?」
ギリアムは〝仲間殺し〟の言葉に再び頭を抱え、レントンはベルをキッと睨んだ。
ベルは答えに窮し、ただ顔を歪めた。
「こっちを見ろ、ベル! こいつはオズだぞ!? 騙されるな!」
「おー、怖。レントン君の仲間殺しはまだまだ序章なのかもなー」
「ふざっけんな、オズ!」
「ベル、知ってるか? 快楽殺人者って女を標的にすることが多いらしいぜ?」
「かいら……オズッ! まずお前を殺してやる!」
「うわわ! 殺されるぅ~!」
オズはふざけて逃げ回り、ギリアムは「ヒイッ」と短く悲鳴を上げた。
「落ち着いて、レントン」
ベルはレントンにゆっくりと近づき、彼の背中を擦った。
そしてオズに言う。
「オズ。あなた何がしたいの?」
「へ? 何って……そりゃ初めに言った通りだよ。四人で組んで、ジュノーに合流したいのさ」
「逆のことしてる」
「そうか?」
「私たち三人の仲を引き裂こうとしてる」
「それは誤解だ。俺はお前に見せたかったのさ。スパイの俺と、臆病なギリアムと、残酷なレントンを。信用に足る奴なんざ、俺たちの中にはいないって」
「……ジュノーと合流するまでの辛抱よ。団員になれば同士討ち禁止だから、傷つけ合うこともなくなる」
「そう、それ! 信用できなくても同士討ちがあるんだよ!」
「……だったら、何?」
「あのさ、お前ら――」
オズはたっぷりと間を取ってから、悪い笑みを浮かべて言った。
「――裏ルールって知ってる?」
オズ「ここでいいか。……しかしなんで夜スタートなんだ?」
首吊り公「だって花火が見えないじゃないか」