160 ベルム、その意味
『金獅子! 〝首吊り公〟! ヴラドぉぉ……アンテュラアアァァァ!!』
興奮のるつぼと化す地下の闘技場。
ロロさえも激しく手を叩いて声を上げる中、ロザリーだけは違った。
周りの人々とは真逆の冷たさで、その人物を見つめていた。
(この人、強い……どのくらい? 生きていた頃のヒューゴと比べて……)
ロザリーの冷たさは、首吊り公の力を正確に測ろうとせんがため。
そしていかにすれば勝てるのか探るためだった。
(……ッ!)
ふいに首吊り公と目が合った。
気のせいではない。
彼の瞳に宿る赤き魔導は輝きを増し、ロザリーを見つめる表情には好奇の色が見て取れる。
(うぅ、探ってたの気づかれた?)
ロザリーがしゅんと俯くと、首吊り公は柔和な笑みを浮かべて目を逸らした。
その瞬間、観客と生徒がどよめいた。
およそ〝首吊り公〟の二つ名に似つかわしくない表情だったからだ。
「ああ、すまない。私としたことが、たくさんの歓声に頭が真っ白になってしまったよ」
そう言って首吊り公が笑うと、観客と生徒も笑う。
彼はこのアリーナの空気を完全に支配下に置いていた。
「さて。戦を始める前に説明しなければならないことがある。観客たる諸卿はもちろん存じておられようが、どうかお付き合い願いたい」
首吊り公はそう前置きしてから、説明を始めた。
「最終試練は戦である。騎士の本分は武。戦だ。戦とはどんなに美辞麗句で飾り付けようとも、その本質は血みどろの殺し合いだ。つまり最終試練とは、三年間ともに過ごした学友と殺し合う、血生臭い〝戦争ごっこ〟である」
不吉な説明の導入に、生徒たちの顔に緊張の色が浮かぶ。
「だが安心してくれたまえ。将来、獅子王国の礎となるべき君たちの命を、無意味に投げ捨てたりはしない。細かいルールは――あー、ヘラルド君?」
『お任せあれ! いいか、ひよっこども! これはガキの時分にやった〝騎士団ごっこ〟だ!』
そこからヘラルドが語った最終試練のルールは、たしかに多くの者がやったことのある〝騎士団ごっこ〟に非常によく似たものだった。
・バトルロイヤル方式
・ベルム参加者は運命を共にするチーム=騎士団に属することができる。
・ベルム参加者は〝候補地〟に旗を立てることで騎士団長となる。
・ベルム参加者は騎士団長に降伏の姿勢をとることで団員になることができる。
・団員になると他の騎士団長に降伏することはできない。
・騎士団は旗を立てた〝候補地〟=〝本拠地〟を敵に奪われるとベルムから除外される。
・騎士団は騎士団長が死亡するとベルムから除外される。
・騎士団長、団員、非団員に関わらず、死亡したらベルムから除外される。
・最後まで残った騎士団長にリル=リディル英雄剣が授与される。
ヘラルドの説明が終わると、生徒たちはざわざわと騒ぎ始めた。
「いや死亡したら除外って意味わかんなくない?」
「死んだらそれまでだもんな」
「命を無意味に投げ捨てないんじゃなかったの?」
「俺たち、これからほんとに殺し合うのか……?」
「だいたい、候補地ってどこよ?」
「アリーナの中、だよな」
「ここまできて、さすがに外ってことはないだろうけど……」
「でも狭いよ。ガキの頃でも、もっと広く場所使ってやってたのに」
「そうそう。公園の端と端とかな」
「俺は公園二つでやった。それぞれ本拠地にしてさ」
首吊り公はそんな生徒たちの様子を、しばし楽しげに眺めていた。
やがて生徒たちが首吊り公の視線に気づき騒ぎが収まると、彼は生徒たちに語りかけた。
「説明も終わったことだし、私としてはさっそく諸君を戦場に送りたいのだが――ヘラルド君の紹介にあったように、私には開催責任騎士という役目がある。ゆえに、諸君らの疑問と不安を取り除いておこうと思う。――ベルムを!」
首吊り公が叫ぶと、生徒たちが立つアリーナのちょうど中央の床が、ガコッと音を立てて沈んだ。代わりに何か大きな箱のような物がせり上がってくる。
「ロロ……あれ、なにかな?」
「なんでしょうか、ロザリーさん。……ミニチュア、かな?」
それは透明なガラスケースに囲われた、三メートル四方の立体模型だった。
とても精巧な模型で、ミニチュアサイズの城や砦、舘などの建造物。小さな木々でできた森。若草の草原。川や湖まである。
首吊り公が言う。
「諸君らはなぜ最終試練をベルムと呼ぶか考えたことはあるだろうか」
生徒たちは誰もわからない。
一方、観客席の貴族たちは誰もが知っていて、しきりに頷いている。
「これがそうだ」
首吊り公が立体模型を指差す。
「旧時代魔導具、ベルム。実戦による卒業試験を可能とした設置型の巨大魔導具だ。かつて〝旧時代〟の国家が練兵のために生み出したとされ、語源は『偽りの棺桶』だと言われている。最終試練の詳細を当日まで伏せるのも、君たちが目隠しされて連れてこられたのも、この巨大魔導具の存在を隠すため。仕組みは未だ判明していない。なぜそれができるのか、いかにして製造したのか、王国技師連が三百年かけても明らかにできていない。だが、利用方法はいたってシンプルだ」
首吊り公は生徒たちが立つアリーナをぐるりと指でなぞった。
「諸君が立つ場所はエントリーエリア。ベルムが起動したとき、そこに立つ者は仮初の命を宿し、立体模型の中に降り立つことになる。大きさは気にするな、転送されたとき相応しいサイズになる。ベルムの中で起こることはすべてまやかし。極めて現実に近いまやかしだ。まやかしゆえに遠慮は一切無用。なぜなら、その世界では殺されても死なないのだから!」
そして首吊り公が叫ぶ。
「最終試練は戦である! 思う存分、戦え! 殺せ!!」
沸き上がる観客席。今から始まる戦を前に、覚悟を決める生徒たち。
そんな中、ヘラルドが申し訳なさそうに言った。
『……あの~、すいません、公』
「なんだね、ヘラルド君」
『エントリー準備が……』
「そんなのいいから、すぐに始めようよ」
『まだ教官方もアリーナにおられますし』
「む、そうか。では任せるよ、ヘラルド君」
『はい、お任せを……オラッ! 三年生! 教官の指示があるから、それに従ってエントリー準備に入れ! 最終試練はすぐ始まるぞ! 気を抜いてんじゃねえぞ!!』
最終試練、直前。
教官たちが三年生の人数を最終確認し、数枚の紙を配っていく。
もらった紙に目を通しながら、ロザリーが言う。
「これは説明されたルール、と……あ、地図があるよ、ロロ」
「でも、ラナさんの持ってきたルールブックの地図と違いません?」
「違うね……あ、でも〝候補地〟の名称は共通のものが多いよ」
「たしかに……あ! 目的の〝候補地〟もあります!」
「じゃあ作戦に変更はなし。昨日考えた通りにやろう」
「はいっ! ……ラナさん、大丈夫でしょうか」
いつもより猫背になって不安げに問うロロに対し、ロザリーは笑顔で頷いた。
そんな彼女たちを離れた場所からじっと見つめる者がいた。
「ザスパール」
ハッと気づき、ロザリーたちから目を切って声の主のほうを向く。
「ジュノー」
「ルールは想定通りだったわね。ロザリー派の動きはどう?」
「すまない、わからなかった。ロザリー派はみんなマントで顔を隠して、まとまって動いてる。人数すらはっきりしない」
「謝ることない。あれじゃ隠したいものがあると告白しているようなものよ」
「アイシャ、いるかもな」
「たぶんね」
ジュノーは自分の派閥の顔ぶれを眺めた。
人数は十分。不安がる女子生徒を励ますベルの顔が見えた。
オズもこちらにいて、彼のそばにはポポーがいる。
昨晩見かけなかったことが気にかかっていたが、ポポーは元気な様子。
明るい顔の彼女とは対照的に、オズの顔は暗く落ち込んでいる。
(ごめんね、オズ。でもお互い様よ?)
次にウィニィの派閥に目をやる。
二十名程度の黄クラス生とともにいて、グレン派とは離れている。
(やはりグレンと同盟は難しかったようですね。それとも、隠してる?)
ジュノーはこの日のために長い期間をかけて準備してきた。
決して思い通りにはいかなかったが、自分なりに手応えはある。
自分の能力への自信。かけてきた労力への自負。そしてベルムの雰囲気に、ジュノーは高揚していた。
そのとき、生徒の一部がざわついた。
青のクラス担当のウルスが何か大きな物を担いできて、それに反応しているようだ。
「ありゃあ何だ?」
「私、知ってる。ロザリー派の本部にある鎧だよ」
「悪趣味な鎧だな」
「何でも本部に侵入しようとする部外者を襲うんだって」
「呪物!? そんなんアリかよ!」
「でも、持ち運べるものなら持ち込み自由だし」
ウルスはロザリーのそばまでやってきて、悪魔鎧をそっと床に下ろした。
「ロザリー、この鎧はここでいいな?」
「はい! ありがとうございます、ウルス教官!」
「なに、借りを返しただけだ」
そう言ってウルスは立ち去っていく。
その様子を見たザスパールがジュノーに囁く。
「何のつもりだろうか……警戒すべきか?」
しかしジュノーは自嘲気味に笑った。
「気にすることないわ。最終試練は持ち込み自由。私なんてもっと酷いものを持ち込むのだし」
「ククッ、たしかに。あれ、初めて使うんだろう?」
「もちろんよ。あんなもの、それこそ戦時でもないと使えない。だからかしら……私、今すごく興奮してるの!」
「へえ! そりゃ珍しいな。ガキの頃に一緒にドーフィナ伯の書斎から火酒を盗んだとき以来じゃないか?」
「嫌ね、ザスパール。古い話を」
「思い出しもするさ。勝とうぜ、ジュノー!」
「ええ!」
と、そのとき。
「ひとつ! 言い忘れた事がある!」
首吊り公だった。生徒たちの目が、ひな壇の彼に集まる。
「今回に限り特別ルールを採用する! 同士討ちを禁ずることとする!」
生徒たちがざわめく。
「えっと、どういう意味?」
「同士討ち禁止だから……同じ騎士団員を攻撃するなってことじゃない?」
「いやそれ、いちいち言うこと? っていうか、禁止されなきゃアリなの?」
生徒たちの疑問に答えるように、首吊り公が続ける。
「ベルムにおいての禁止とは無効化を意味する。即ち! 同じ騎士団員に対し殴ろうが斬ろうが術をかけようが、なんの効果もないということだ! こうしてレギュレーションを設定できるのもベルムの利点。そして、このルールを採用する目的は――ウィニィ殿下! お分かりになられるか?」
突然名を呼ばれて、ウィニィの目が泳ぐ。
しかし、なぜ自分を名指ししたのかという点から考えを巡らせ、結論に至った。
「私が王家の人間で、私を勝たせようとする敵が出てくるからでしょう」
首吊り公が満足げに頷く。
「その通り。これが単に、力ある貴族家の子弟というだけなら設定しないルールだ。実家の影響力を笠に着て戦を有利に進めたとしても、それもまた戦争。ルールに反するわけではない。――しかし、これが王族となると話が変わってくる」
首吊り公が自分の胸の金獅子章に手のひらを置いた。
「我が国に王家はひとつ。これは模擬戦だから、偽りの戦争だからと理由をつけても、剣を向けられない、王家を勝たせたいと考える者は必ずいるのだ。すると、どうなるか。王族と敵対する騎士団に所属しているのに、味方の足を引っ張る者や、騙し討ちにする者が出てきてしまう。これがいくつも起きてしまうと、もはや最終試練は試練とは言えなくなってしまうのだ。――ご理解いただけますかな、ウィニィ殿下?」
ウィニィは当然だ、と言わんばかりに強く胸を叩いた。
「よろしい! それでは……ヘラルド君?」
『お任せあれ! 三年生! ベルムエントリィィィ……スタートッ!!』
ヘラルドの声を合図に、アリーナのいたるところから魔導具の稼働音が響いてきた。
アリーナと観客席を隔てる高さ二メートルほどの壁がゆっくりと横方向に回転を始め、次第に加速していく。
中央の立体模型も薄く光り始め、壁の回転加速とリンクするように、次第に眩くなっていく。
「わわっ! ロザリーさん、透けてますよっ!」
「えっ?」
ロロに言われて両腕を持ち上げて見ると、ロザリーの腕が半透明に透けていた。
手のひらをかざして見ると、向こうにあるロロの顔がはっきりと透けて見える。
しかも、段々と薄くなっていく。
「うおっ!」「きゃっ!」
アリーナのあちこちから声が上がった。
ロザリーと同じように半透明になった者の悲鳴や驚嘆の声だ。
中にはすっかり消えてしまう者も現れたようだ。
「始まるのね……ロロ! 先に行くね!」
「ロザリーさぁぁん、お達者でぇぇ……」
ロザリーの視界が真っ白に染まり、ロロの声も遠ざかっていった。