159 首吊り公
最終試練当日の朝。
三年生は〝しじまの森〟の前にある広場に集められた。
森から流れてくる朝靄が辺りを包んでいる。
「最終試練って〝しじまの森〟でやるんですかね?」
黒マントを羽織り、フードを被ったロロが言う。
同じ格好のロザリーが首を傾げる。
「ん~、最終試練をやる場所って秘密なんでしょ? ここでやるならみんな知ってるんじゃないかな。その気になれば校舎からも見えそうだし」
「それもそうですねぇ。じゃあ、今から移動するのでしょうか?」
「たぶん、ね」
ロザリーが後ろを振り返る。
ロザリー派の面々が後ろに集まっているが、皆揃って黒マントにフード姿で顔は良く見えない。
すると近くにいた一人がフードをわずかに上げてロザリーを睨んだ。
ウィリアスである。
「ロザリー。あまりキョロキョロするな」
「ごめん、気をつける」
「作戦通りにな」
ロザリーが再び前に向き直ると、教官たちが森のほうからやってきた。
赤担当のヴィルマ、青担当のウルス、黄担当のリーンホース、緑担当のアラミド。
三年担当の教官が揃い踏みである。
ヴィルマが言う。
「みんな! いよいよこの日がやってきたわ! 魔導の祭典! あなたたちの集大成よ!」
リーンホースが言う。
「緊張してるかい? 足が震える? 構わないさ、それは武者震いというものだ!」
ウルスが言う。
「これより戦場へ向かう! ……が、知っての通りその場所は極秘だ」
アラミドが言う。
「だからしばらくの間、君たちの目を奪うこととする。――スピカ!」
アラミドが名を呼ぶと、手のひらほどの青白い小妖精が現れた。
スピカは二対の翅を器用に使って、くるりくるりと回り飛ぶ。
すると――
「え! 霧がどんどん濃くなってます、ロザリーさん!」
「精霊術の霧……!」
「あれ!? 私たち、森のほう向いてましたよね!? 何だか方向感覚までおかしくなってる!?」
「教官たちは動いてないからそのはずだけど……わかんないね、これ」
「わわ! もうロザリーさんの顔すら霞んで……怖いですぅぅ!」
「落ち着いて、ロロ。手を握ってあげるから」
「はいぃ」
乳白色の目隠しが生徒たちの目を眩ました。もはや隣に立つ人の判別すらできない。
そこへ、リーンホースの声が響いてくる。
「光、あれ!」
真っ白な世界に明るい光がぽつりと灯った。続いて松明の灯りであろう、赤い光が二つ。
リーンホースが言う。
「聖騎士の生徒は【灯火】を使って構わない。構わないが、魔導の霧は【灯火】でも遠くまでは照らし出せないからね。あくまで目印だ。私たちが先導するから、見失わないように」
それからすぐ、あちこちで「光あれ」の声が聞こえ、いくつもの小さな灯りが霧の中に浮かんだ。
「では、行こう」
リーンホースの【灯火】が動き出し、近くにあった松明の灯りも動き出す。
生徒たちはそれを見失わぬよう、脇目も振らず後に続いた。
――十分、二十分。ずっと歩いている。
「ロザリーさぁん」
手をつないだ先から、ロロの不安げな声が聞こえた。
「何だか同じところをぐるぐる回ってる気がしますぅ」
「気が合うね、ロロ。私もそう思ってたとこ」
「もしや! 教官たち迷われたんじゃ……!」
「あはは。ない、ない」
ロザリーの言葉を肯定するように、足元の感触が変わった。
階段だ。
下に降りる階段で、よくよく目を凝らすと、階段を塞いでいたのであろう開かれた扉が見える。
「地下への隠し扉? 屋外に? ソーサリエにそんな場所あったかな……」
「ここがソーサリエとは限りませんよ、ロザリーさん。もうずいぶん歩きましたし、校外でも不思議じゃありません」
「ソーサリエだよ。どの方向に外に出ても城下の石畳だもん。私たち、土の地面しか歩いてない」
「あ、たしかに」
教官たちが階段を下りていく。階段は深く、三階ぶんは下った。
階段が終わると迷宮のような地下通路へ。
地下通路でも魔導の霧は健在で、【灯火】の明るさに頼らねば壁の方向もわからない。
ロザリーはふと立ち止まり、振り返った。
見えるのはぼんやり光る黄クラス生の【灯火】の群れだけ。
気配だけは無数に感じるが誰の顔も見えない。
と、次の瞬間。
霧の中からぬっと顔が出てきた。
「うっ!」「わ! ごめん!」
ウィリアスだった。
珍しく焦ったらしく、目を見開き、それからふーっと息を吐いた。
「ロザリー……キョロキョロするなって言っただろう」
「ご、ごめん。何かそわそわしちゃってさ」
「わかるが……歩こう、後ろとぶつかる」
「うん」
ウィリアスと並んで歩き出し、ロザリーが彼に尋ねる。
「ルークは?」
「わからん。霧に紛れた」
「フフッ、紛れるのは人だけじゃないんだ?」
「木にも紛れるぞ? あいつと森ではぐれたら悲惨だ」
「そういうとき、どうやって見つけるの?」
「見つけない。向こうに見つけてもらうのが早い」
「なるほど」
その時、すぐ前方からロロの悲痛な声が響いてきた。
「ロザリーさぁぁん、どこですかぁぁ」
「いるよ、ロロ。すぐ後ろ!」
「あっ! よかったぁ、迷子になるとこでしたよぉぉ」
「ごめん、ウィリアスがぶつかってきて、手を離しちゃった」
「俺のせいか? ロザリーが立ち止まってたせいだろう」
「あ、ウィリアス君もいたんですね。ウィリアス君、私たちどこへ向かってるんだと思います?」
「ロロ、そんなのウィリアスだってわかんないよ」
「黄金城方面だな」
「え? わかるの?」
「ソーサリエから地下に下りただろう? 体感で十メートルくらい地下に下りた」
「うん」「ええ」
「そこからはこの地下通路。地下通路もずいぶん歩いたが、ほぼ直線だった」
「方向感覚怪しいけど、はっきり曲がったりはしてないね」
「ええ。坂にもなってませんでした」
「王都ミストラルは丘の上にある。丘の中腹にあるソーサリエから地下に下りて、まっすぐ通路は伸びている。なのにまだ地下にいるということは……?」
「そっか! 丘の中心の方向――黄金城側に向かってないなら、丘の斜面から屋外に出てなきゃおかしい!」
「すごいですウィリアス君! 軍師! よっ、ロザリー派の軍師様!」
ウィリアスは軍師呼ばわりに少し笑ってから、言葉を次いだ。
「まあ丘の中心を突っ切って、丘の反対側に向かってる可能性もなくはないんだが……それはたぶん、無理なんだよな」
「無理?」「なぜです?」
「お爺様が言ってたんだ。黄金城は丘の頂上に建ってるんじゃない。丘に突き刺さってるんだ、って」
「突き、刺さる?」「どういうことです?」
「俺は黄金城地下に大きな構造物があるんだと解釈してる」
「そういうこと……! 構造物があるから突っ切れないと」
「さすがは軍師様のお爺様……!」
「……ロロ。むずがゆいから軍師様はやめろ」
それからも一行はずいぶんと歩き、そして突然、行進が終わった。
魔導の霧が薄らいで、周りの様子がロザリーたちの目にも見えてきた。
大きな、何もない部屋だ。
天井は低く、自分たちが入ってきた入り口の他に扉はない。
「行き止まり、ですかね?」
「そうみたい……」
後から来た生徒たちが続々と部屋に入ってきて、部屋のスペースを埋めていく。
やがて生徒全員が部屋に入ると、中はぎゅうぎゅう詰めになった。
リーンホースが部屋唯一の扉を閉める。
すると同時に天井からガコンッ! と音がして、吊り階段が降りてきた。
ウルスが階段脇に立ち、上を指差した。
「この先は戦場だ。覚悟はいいな?」
その脅すような物言いに、まっ先に反応したのはグレンだった。
ずいっと生徒の群れを割り、先頭を切って階段を上っていく。
その後ろにはピートたちグレン派が続いた。
そのあとは、近くにいた生徒から順番に上っていった。
しばらくして、ロザリーたちの番がきた。
いつの間にかウルスと反対側の階段脇にヴィルマが立っていて、こちらを見つめていた。
ロザリーが視線に気づき、見返しながら階段を上ろうとしたとき、ヴィルマの唇が動いた。
「暴れてらっしゃい」
上り階段は天井裏から螺旋階段になっていて、下った時より長かった。
そしてやっと階段を上り終えると。
「うっ、眩し……わあっ」
目が眩むほどのの照明。そしてたくさんの観客。
突如として大喝采が巻き起こり、階段から出てきた生徒はみな、呆気に取られて周囲を見上げている。
「ロザリーさん、ここって……」
背中越しにロロに問われ、ロザリーが頷く。
「地下の……闘技場?」
そこは地下に作られた円形闘技場だった。
剣技会が催された闘技場よりはだいぶ小さく、ソーサリエ施設で言えば入学式などの各種式典を行う大ホールくらいの規模だ。
闘技場は二メートルほどの壁で仕切られ、その上には観客席が階段状に設置されている。
観客席を埋め尽くしているのは貴族ばかりのようだ。
また、観客席の中央の一部は座席のないひな壇になっている。
「ねえ、ロロ」
「やっぱり。ロザリーさんもそう思います?」
「うん。だって、剣技会と違って学年全員が一斉に戦うんでしょ?」
「ええ、ええ。なのにこのアリーナは――」
「「狭すぎる」」
やがて三年生全員がアリーナの上に降り立った。
ロザリーとロロの予想通り、すでに闘技場は四百人の生徒で手狭だ。
とても全員で戦う距離感ではない。
生徒たちもそれに気づき、仲間と集まり他と距離を取ったり、壁際に陣取って背後を突かれないようにしている。
そこへ、やたら大きな声が響いてきた。
『ヘイ! ヘイ! ヘイ! 気が早えな三年生! ベルムはまだ始まってねーんだぜ?』
声の主は観客席のひな壇に現れた、魔導拡声器を持った派手な装いの男。
ラメ入りの背広に蝶ネクタイ、長い髪は天に向かって屹立するようにセットされている。
「あ! この人、剣技会で実況してた!」
「〝しじまの森〟の管理者のヘラルドさんですね!」
ヘラルドは生徒たちに向かって耳に手を当て、ふんふんと何かを聞き取る仕草をした。
『なになに? 騎士団ごっこやるのにこの闘技場は狭すぎる、と。なるほどねえ、たしかにそうだよねえ』
腕組みして、その通りだと頷いて見せるヘラルド。
だが次の瞬間、目を見開いて叫んだ。
『んなことは、わーかってるっての! ここでベルムやるの何回目だと思ってんだ? ちょうどぴったり三百回! わかるか? 今年のベルムは第三百回記念大会だ!』
それを聞いた観客の貴族たちが、拍手と共に立ち上がる。
ヘラルドは拍手の中で両手を広げ、たっぷり余韻に浸ってから、貴族たちに座るよう促す。
『このアリーナは手狭に見えるがとても広大なんだ。その理由は……俺ではなく開催責任騎士の口から説明していただこう』
再びの拍手。
ヘラルドは目に付いた生徒の顔を何人か指差しながら言った。
『ベルム開催責任騎士ってのはな? その年のベルム運営のすべての責任を負う魔導騎士のことだ。毎年、名のある騎士が務める。大変な役目だが、名誉ある役目であるからだ』
そしてヘラルドは唐突に声を潜め、続けた。
『今年のベルムはスペッシャルだ。第三百回の記念大会であり、この俺が実況する大会であり……その上、なんと開催責任騎士は〝金獅子〟だからな……?』
観客席の貴族たちから驚きの声が上がる。
間を置かず、ヘラルドの呼び込みが始まった。
『西方伯! 及び西方ハンギングツリー領主! 及びダヴィド城主!』
観客席にさらなるどよめきが起こる。
信じられない、といった顔の老年貴族。
口を大きく開けて顔を見合わせる貴婦人たち。
三年生たちの見つめる目も熱を帯び、手を叩いて雄叫びを上げる者までいる。
だがロザリーだけはピンときていなかった。
「金獅子……って何?」
すると興奮した様子のロロが言う。
「知らないんですか、ロザリーさん!?」
「う、ん。ロロはわかるの?」
「金獅子ですよぅ! 金獅子とは王国の誇る大魔導のこと! その三人のうちの一人が、今から出てくるんですよぉ!! あぁ、まさかお目にかかれるなんて!」
「大魔導……!」
ひな壇に中年男性が一人、歩み出てきた。
モスグリーンの魔導騎士外套を羽織り、胸には金色の獅子章が輝いている。
痩せていて長身。
ロマンスグレーの髪。
物静かな佇まいだが、その瞳は内に猛る魔導で赤く、爛々と輝いている。
ヘラルドが中年男性を指し示して、大声で叫ぶ。
『金獅子! 〝首吊り公〟! ヴラドぉぉ……アンテュラアアァァァ!!』
アリーナを揺るがす歓声。
観客の足踏みで地響きが起こる。
ヘラルドが魔導拡声器を向けると、首吊り公は生徒たちに語りかけた。
「さあ諸君。戦を始めよう」