16 魔導の色彩―2
ロザリーは個室の扉を開けた。
窓はなく、薄暗い。そして狭い部屋だ。
テーブルが一つ、それだけで部屋の半分近くを占めている。
テーブルの手前と奥に一脚ずつ椅子があり、奥には教官が座っていた。
白髭の老教官――魔導騎士養成学校校長、シモンヴランだ。
「あ~、突っ立っておらず座りなさい、ロザリー=スノウウルフ」
「はい、校長先生」
「んむ、んむ」
ロザリーはテーブルを挟んでシモンヴランと向き合った。
ロザリーの目は老教官の顔よりも、テーブルの上にあるものに釘付けになった。
眩く輝く鉱石。
まるで水晶のようだが、しかし何か違う。
「魔導鉱の結晶体じゃ。初めて見るかの?」
「はい……。水晶みたいで高そうですね」
「んむ。確かにとびきり高価じゃ。じゃがその値打ちは見た目の美しさとは別にある」
シモンヴランが魔導鉱に手をかざした。
すると透き通った鉱石の中に、小さな光がぽつりと灯った。
光は次第に大きくなり、同時に色を帯びていく。
やがて魔導鉱全体が、エメラルドグリーンに光り輝いた。
「――緑。儂は精霊騎士であるという証明じゃ」
シモンヴランが手を下ろすと、緑色の光はゆっくりと収まっていった。
「さ、やってみなさい」
ロザリーは、老教官がやって見せたように、魔導結晶体に手をかざした。
「お主の魔導を、魔導鉱へ注ぐのじゃ」
「はい」
体の中で血と共に流れる魔導を、手のひらから押し出すようにして魔導鉱へ注ぐ。
「落ち着いておるの、ロザリー。他の者は緊張のあまり、魔導が言うことを聞かん」
「はあ」
「そうか。お主はまじないを使えるのじゃったな」
「ええ、少し」
「自分の色を知っておれば緊張せぬのも道理か。……とはいえ、剣技会でまじないを使うのは感心せぬのう」
「……すいません、校長先生。集中できません」
「おっと。これはすまぬ」
ロザリーは魔導の流れに意識を集中した。
(大丈夫……)
(私の色は赤……)
やがて魔導鉱に小さな光が宿り、光は赤い色を帯びながら拡大していく。
「んむ、んむ。やはり赤か。――むっ!?」
突如、光の色が滲んだ。
色は渦を巻きながら変貌していく。
そして、最終的に魔導鉱全体を輝かせた色は――紫だった。
「むうぅ、紫じゃと? 赤と青の間ということか? いや、待て。確かイレギュラーの項目に……」
シモンヴランは側にあった分厚い古書を手に取り、忙しくページをめくる。
「これか」
手を止めたシモンヴランが、そこにある文章を読み上げる。
「紫は死者と語らう隠者の色。死霊使いの魔導騎士――死霊騎士と呼ばれる。死者を操る死霊術を使う。赤の変異魔導性とされる、か。ふむ……」
シモンヴランは下がった眼鏡の上から、ロザリーの顔を覗いた。
「顔色を変えぬな、ロザリー。さては知っておったか」
老教官の指摘通り、ロザリーの顔にはさざ波一つ立っていない。
しかし、心の中は激しく波打っていた。
グレンに対する不安の裏で、わずかばかり――だが確かに感じていた、自身の色の発覚への予感。
ロザリーは唾を飲み、努めて冷静に話し始めた。
「昔から、死者と話すことができました」
「いつから?」
「わかりません。物心ついたときには」
「死者はどのように話すのだ?」
「普通に、生きている人と同じように。といっても口は動きませんが」
「なるほど。んむ、んむ」
ロザリーは意を決し、疑問を投げかけた。
「私はソーサリエに残れますか?」
シモンヴランの白い眉が揺れる。
「なぜそのようなことを聞く?」
「……死体と話せるなんて、気味が悪いでしょう?」
「ふうむ」
シモンヴランはおもむろに席を立ち、壁に向かって立った。
そこに窓でもあるかのように一点を見つめたまま、ロザリーに問いかける。
「この魔導見の儀を行う理由はわかるかの?」
「三年生から魔術の授業が始まるからです」
「その通り。色によって魔術の体系がまるで異なるため、色別にクラス分けして授業を行うからじゃ。本当は入学のときに判別しておきたいのじゃが、それだと魔導が未熟で色がわからぬケースが多くなるでのう」
シモンヴランが顔だけで振り返る。
「では、魔導見の儀を密室でやる理由はわかるかの?」
「それは……これって、まるで個人面談ですよね?」
「まるでも何も、これは個人面談じゃ」
「ということは、生徒の個人の秘密を守るため?」
シモンヴランが大きく頷く。
「魔導見の儀の場合、守るべき秘密は生徒の色。これを他の生徒に知らせぬために、個人面談の形式で行っておる」
「でも……クラス分けするのですから、いずれわかることですよね?」
「クラスは四つの色に分かれる。しかし、その四つに含まれぬ色もあろう?」
「……無色ですね。ラナみたいな」
「ラナ=アローズがそうであったとは言わん。じゃが無色の生徒を守るためというのはその通りじゃ」
「無色の生徒って、これからどうなるのですか?」
「自主退学することになる。卒業が見込めぬでの」
「退学するならやはり、いずれわかることなのでは?」
「多くの者は、無色だからやめるとは言わん。家庭の事情や病など、もっともな理由をつけて退学することになる」
「でも、魔導見の儀の直後にやめたら誰だって……」
「確証がないことが大事なのじゃよ、ロザリー。特に貴族にとっては、それが家の体面を守る余地になる。血筋から無色が出たとあっては、その貴族家にとって大問題になるからの」
「そういうものですか」
シモンヴランは思い出したようにため息をついた。
「ラナのように自身で大騒ぎしてしまうと、それも徒労に終わるがの。彼女のこれからを思うと胸が痛む」
「校長先生。ラナが無色だとは言えないというお話では?」
「言ってはおらぬぞ? 言ってはおらぬとも」
シモンヴランは席に戻り、一枚の紙をロザリーに見せた。
「これは?」
「今日の面談結果じゃ。口外するでないぞ? 儂の首が飛ぶからのう」
「はあ」
ではなぜ見せるのか、と思いつつ、ロザリーは紙に目を落とした。
紙に記された内容は、実にシンプルなものだった。
生徒の名簿の横にそれぞれの色が書かれている。
ただそれだけだ。
するとシモンヴランは、ロザリーの見ている前で名簿のロザリーの名の横に〝赤〟と記した。
ロザリーは驚きをもって老教官の顔を見上げる。
「秘密にしてくださるのですか?」
「先に言ったように、守るべき秘密は生徒の色。秘密は守らねばならん」
「でも、嘘を書いては校長先生が……」
「嘘は書いておらぬ。これは生徒がどのクラスで魔術を学ぶべきか決めるためのもの。無色は魔術が使えぬからどのクラスにも入れられぬが……たしかお主は、まじないが――」
シモンヴランがとぼけた顔でロザリーに尋ねる。
「――はい、使えます」
「そうじゃった、そうじゃった。であれば、お主は赤のクラスじゃよ。魔女術を学ぶべき生徒が、赤のクラスへ配される。当然のことじゃ」
「……ありがとうございます」
ロザリーはただ、礼を述べた。
シモンヴランは礼に応えず、ロザリーに尋ねた。
「気味が悪いかと聞いたの。以前、そのように扱われたことがある、ということか?」
「……はい」
「儂はそのようなことはどうでもよい。それを言い出したら魔女術の呪詛など気持ちのよいものではないしのう。……じゃが、死霊騎士であると公になれば、そういう扱いを受けることもあるじゃろう。お主の危惧する通り、疎み、蔑む者も出てこよう。そして、公になる日もいずれ必ず来よう」
「そう……かもしれません」
「儂からの助言はひとつ。思わずバレてしまうことが無きように」
「思わず? 何ですか、それ?」
「突発的にバレるくらいなら、自分の意思で――自分の選択でバラしてしまえ、ということじゃ」
ロザリーは首を傾げた。
「それで、何か変わるのですか?」
「変わるかもしれん、変わらぬかもしれん」
シモンヴランが白眉の奥の目を細めた。
「すべてはお主次第。覚悟じゃよ、ロザリー」
個室を出たロザリーは、大教室への扉とは別の出口から出るよう指示された。
出口の扉を開けると、校舎の外へ直接続いていた。
「ロザリー」
声に振り向けば、校舎の壁に背中を預けたグレンがいた。
「遅かったな。何かあったか?」
ロザリーは周囲を見回した。
グレン以外に人影はない。
「私、最後?」
「ああ。見ての通りだ」
「グレンはどうだった? 待ってたってことは、無色じゃなさそうだけど」
「青だ。青を引くって言ったろ?」
グレンは、さも当然とばかりに言った。
「……なんかムカつく」
「なんでだよ」
「もういい。他の一般出身者は?」
「色があったのは三人だ」
「たった三人、か」
「そんなもんだろう。一般出身者は八割がた、無色だって聞いたことがある」
「私とグレンと……あと一人は?」
「ロロ」
「あの、年上同級生の? へえ、意外」
「同級生にずいぶん他人行儀な言い方だな」
「だって話したことないもん、避けられてるみたいで。あ、待って。ってことは、ロブロイもダメだった?」
ロブロイとは双子の兄弟、ロブとロイのこと。
王都の鍛冶屋の生まれで、ノリのいい彼らは一般出身者の人気者だった。
ロザリーとグレンも、彼らとはよく無駄話を楽しんでいた。
「ロブロイもダメだった」
「うわ、そっかぁ。残念だ」
「あいつら、ウィニィの誕生パーティーにも行ったのにな」
「ええ!? 鍛冶屋の倅が王宮のパーティーに!?」
「めっちゃ御馳走出た! って自慢してたぞ」
「ハート強いなぁ。私が行っても喉通らないと思う」
「無色とわかっても、まったく動揺してなかったな」
「ハート強いからね」
「ああ、ハート強いから」
そう言って、ロザリーとグレンは笑い合った。
ひとしきり笑うと、グレンは神妙な顔でロザリーに尋ねた。
「ロザリー。お前の色は赤だった。そうだな?」
ロザリーは再び笑顔を浮かべて答えた。
「ええ。赤よ」
◇
――〝蝙蝠のねぐら〟
「はァ。嫌な予感は当たるもノだ」
儀式の結果を聞いたヒューゴは、すぐに荷造りを始めた。
ベッドのマットレスを持ち上げ、下にあった本を床に積んでいく。
すべて取り出し終えると、次はベッドの上に大きなカバンを広げ、本を詰め始めた。
「キミはもう一度ソーサリエに行って、魔導書図書館で借りれるだけ借りてきてくれるかナ? 歴史書と魔女術の本を中心に」
ロザリーは恨みがましく言った。
「……ヒューゴ、バレないって言ったじゃない」
「ンー、判別技術が進歩したんだねェ」
「なによ、他人事みたいに」
「五百年も月日が経てば、そういうこともあるサ。そのブランクを補うために、ボクらは王都にいるンだよね?」
「それは……そうだけど」
ロザリーは言い返せず、ヒューゴの横に腰かけた。
「校長先生は、黙っていてくれるって」
「何かノ拍子に話してしまうかもしれない。そうなれば、すぐに広まってお友達も知ることになるだろう」
「そんなの、わかんないじゃない」
ヒューゴはスッと立ち上がった。
早足でクローゼットへ向かい、その両開きの扉を勢いよく開け放つ。
「さァ! 早くキミも荷造りしたまえ」
「……やだっ」
「忘れたのか、ベアトリスのことヲ!」
ロザリーは耳を塞いだ。
「その名前は口にしないで!」
「また起こるゾ、同じことが! キミはそれでいいのか!」
「ヒューゴにはわかんないよ、私の気持ちなんて!」
「わかるさ! ボクも死霊騎士だったンだから!」
ロザリーはハッとして、すぐにその言葉の意味を理解した。
「……ヒューゴも同じ経験があるの?」
「腐るほど。蔑みは毒、心を蝕む呪いサ。死霊に堕ちても、まだあの苦味を覚えている」
「……そっか」
「キミは若い。そして無垢だ。傷つきやすいキミの心が、毒に侵されて死人のようにはなってほしくないンだよ」
「ヒューゴ……」
「ボクは心を失った死霊だが、唯一キミのことだけは愛している。もしキミが深く傷つけられたら、ボクは耐えられない。傷つけた者たちヲ皆殺しにするだろう。こいつらは取るに足らない、無価値な存在だと証明するためにネ」
そこまで言うと、ヒューゴは気が抜けたように歩いてきて、ロザリーの横に座った。
ロザリーが、ヒューゴの肩に頭をもたれる。
「……ヒューゴ。私ね、ソーサリエで友達ができたの」
「グレンだネ」
「ううん、他にも。ウィニィはよく話してくれるし、双子のロブロイはすごく楽しいし……彼らは無色だったから、もう会えないのかもしれないけど」
「……うン」
「ヒューゴは私を守ろうとしてくれてる。それはわかってるの。でも――」
ロザリーはヒューゴの顔を見上げた。
「――私、いつまでそうしてればいいの? この先ずっと? 一生隠して、逃げながら生きていかなければいけないの? まるで逃亡者のように」
「ロザリー……」
ヒューゴは珍しく彼女を名で呼び、悲しげに顔を歪ませた。
「そんなことはなイ」
ヒューゴは絞り出すように言った。
「キミは自由だ」