155 幹部会
卒業試験はいよいよ最終試練を残すのみとなった。
本番まではあと数日。
例年にも増して、狙う者たちの動きが活発化していく。
ロザリーがロロと共に学内を歩いていると、見慣れぬポスターが何枚も貼り出されていた。
ロロがその文面を読む。
「ジュノー派優勢! 集え、イルカのアーチの元へ! ですか。……イルカのアーチって何のことですかね?」
ロザリーが宙を見つめ、答える。
「ポートオルカの入り口にイルカの彫られたアーチがあるの。きっとそれのことだと思う」
「ああ! ジュノーさんのご実家が治めているから、ドーフィナ家の象徴ってわけですか。よくご存じですね、ロザリーさん」
「実習で行ったもん」
「ああ! そっか、そうでしたねぇ」
ポスターにはもともと美形のジュノーをさらに美化した彼女の横顔が描かれていて、その横に大きく〝勝利!〟の文字が躍っている。
「まるで城下で見かける組合選挙のポスターみたい」
「ですねぇ。ジュノー派のみなさん、最後まで手を抜く気ゼロのようです」
「あ、でも違うポスターもあるみたい」
ロザリーが近くに貼られた別のポスターに近寄る。
大きく〝女王戦〟と書かれ、二人の女性騎士のシルエットが対峙している絵が描かれている。
こちらのポスターはジュノーを応援するというより、最終試練自体を盛り上げる目的で描かれているようだ。
「これ……私とジュノーよね? 誰が作ったんだろう」
「フッフーフ。お気に召しましたか?」
ロザリーがハッとロロを見ると、彼女もニコニコと笑ってこちらを見ていた。
「え、ロロが作ったの?」
「正確には私とルヴィさんで作りました!」
「ルヴィ、さん? ああ、剣技会で私と当たった一年生? 私の信者がどうこうって言ってた……」
「そう! 新人信者のルヴィさんです! ロザリー信者として何かできないかと相談されまして。最初はロザリーさんを崇め奉るポスター案を考えていたのですが、それではロザリーさんが気分を害するのではないかと思い直しまして。二人で悩みに悩んでこのデザインと相成りました! いかがです? 褒めてくださって構わないのですよっ!」
ロザリーは自分を崇め奉るポスター案を想像して、それから今のポスターに目を戻し、渋々ながら頷いた。
「ロロ、よくやった」
「なんで棒読みなんですか、ロザリーさぁぁん!」
ちょうどその頃。
校舎のとある一室でジュノー派の会合が行われていた。
狭い部屋に長机がひとつだけで、その長机を囲むのは十名ほど。
集まった顔ぶれはジュノーと側近のザスパールを中心に、赤クラスのまとめ役であるベル、ポポーを始めとした緑クラスの中心人物たち。
つまるところ、これはジュノー派の幹部会である。
ジュノーが言う。
「今日からレントンが幹部に加わる。レントン、よくやってくれたわ」
呼ばれたレントンが立ち上がる。
「なに。父上はドーフィナほどではないが力あるお方だ。俺は何もしてないさ」
謙遜しているようで、顔は得意満面。
パラパラと拍手が起き、ベルも拍手に応じながらジュノーに尋ねる。
「何か功があって幹部に昇格したってこと?」
ジュノーが小さく頷き、隣に立つザスパールが答える。
「ラナの脱落はレントンの手柄だ」
「!」
ラナの落第は学年でも大きな話題となっていて、もちろん幹部会の面々も知っている。
落第の理由がレントンにあると聞いたベルは大きく目を見開き、他の幹部たちも同様に驚いていた。
しかし、中でも一番の反応を見せたのはポポーだった。
彼女は長机を軋むほど叩いて立ち上がり、大声でレントンに問うた。
「ラナさんにいったい何をしたんです!」
レントンは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに得意げな顔に戻って話し出した。
「別に何ってわけじゃない。おかしな状態だったのをあるべき姿に正しただけだ」
「答えになってませんっ!」
「いや、わかってんだろ? あいつは色無し。騎士になっていいはずがない。同じように考える貴族はたくさんいるってことだ。これ以上何を聞きたいんだよ、ポポー」
「最終試練本番で競えばいいでしょう! やり方が姑息だと言ってるんです!」
「何言ってんだ、最終試練は戦だろ? 戦は何でもアリだ。卑怯だなんだ言ってる奴はまっ先におっ死ぬぜ?」
「卑怯者の言いわけにしか聞こえません!」
「ああ? もう一度言ってみろ、ポポー」
レントンの目の色が変わり、それを見たポポーに怯む様子はない。
「あなたのせいで私たちジュノー派のみんなが卑怯者だと思われてしまいます! 誰よりもジュノーさんが!」
一触即発の空気を切り裂いたのはジュノーだった。
「ポポー!」
「え?」
その厳しく咎める声色に、ポポーは呆気にとられた顔をした。
「もういいから。座りなさい」
二言目はいつも通りの涼やかな、しかし冷たさを秘めた声色だった。
「で、でも、ジュノーさん」
「私はレントンを幹部にしたの。その意味がわからない?」
ポポーは視線を泳がせながら、力なく席に座った。
それを見届けてから、レントンも勝ち誇った顔でゆっくりと座る。
ジュノーは気分を変えるように、明るい調子で語りだした。
「さて。もう一人、みんなに紹介したかったのだけど。……遅いわね」
それにベルが問う。
「新しい幹部がもう一人?」
「ええ。でもあなたは知ってる。赤クラスよ」
「ああ、あいつ。いつも遅れてくるのよね」
と、そのとき。部屋の扉が乱暴に開かれた。
「悪ぃ、遅くなった!」
慌てた様子で入ってきたのはオズだった。
「あなた、時間通り来た試しがないわね」
「怒んなよ、ジュノー。ラナが消えて、そのせいでロザリーが荒れてさ。なかなか抜け出せなかったんだ」
するとレントンが愉快そうに笑った。
「ククッ。逃げ出したのか、ラナの奴。かわいそうになあ」
オズの目がすうっと細くなる。
「そうか、お前の仕業か。……うまくやったな」
「ありがとよ。で、お前はこっち側ってことでいいのか?」
問われたオズはそれに答えず、ジュノーのほうを向いた。
ジュノーは幹部たちを見回し、オズを手で指し示した。
「新しい仲間を紹介する。オズよ」
「よろしくな!」
オズは明るく挨拶したが、レントンのときに輪をかけて拍手はまばらだった。
ジュノーが言う。
「唐突に思うかもしれないけど、オズとは実習終わりから繋がっていたの。いきなりこちらについたわけではないわ」
それでも幹部たちは疑いの色が強い。
レントンが尋ねる。
「俺が知らないのは当然だが、幹部連中にも伏せてたのか?」
「一部は知っていたわ。ザスパールやポポー……それにベルもね?」
水を向けられたベルはこくんと頷きはしたが、表情は険しい。
そして次の瞬間、長机に身を乗り出してオズを問うた。
「本当に? あなたは本当に味方なの!?」
思わぬベルの反応に、ジュノーは押し黙った。ザスパールも口を噤み、ポポーは俯いている。
オズは半笑いで首筋を掻きながら、ベルに顔を合わせた。
「それは難いって、ベル。俺がどんなに真剣に味方だと言っても、お前は嘘だって言うんだろう?」
「それは……でも!」
「ロザリーはずっと前から俺の敵リストに載ってる。言えるのはこれだけだ。納得したか?」
ベルは身を乗り出していた姿勢をゆっくりと戻した。だが彼女の顔から疑念は消えておらず、それは他の幹部たちにしても同様だった。
すると、ザスパールがぽつりと言った。
「……アイシャは?」
多くの者は意図がわからず首を傾げる。
「オズ、お前に言ってるんだ。アイシャの件はどうなった?」
オズは大きく手を打った。
「ああ、それか! ちょっと待ってくれ。えーと、どこだっけ……」
オズは制服のありとあらゆるポケットを探し、最後に袖口から一通の封筒を取り出した。
「あったあった。これでいこうかと思ってんだけど、どう?」
オズは封筒をザスパールに手渡し、中の手紙を開いたザスパールは眉をひそめて固まった。
オズが言う。
「さっきも言ったが、ラナがソーサリエから消えたんだ。ラナは仲の良かったアイシャに書き置きを残した。で、その封筒がラナの書き置きってわけ」
ジュノーがザスパールに手招きした。ザスパールはジュノーの横で膝を折り、彼女に見やすいように手紙をめくっていく。
文面は鬱々としていて、時おり自死を連想させるような言葉が繰り返し出てくる。
「二人は本当に仲が良くてな。卒業後に一緒に旅行しようなんて話もしてた。ラナがどこへ行ったのかはわからないんだが、その手紙の中で場所を匂わせてる。アイシャにはわかる、二人が旅行を計画していた、あの場所だ」
ザスパールが尋ねる。
「どこだ?」
「ポートオルカの西、交易都市イクロスに至る河口付近。すっげえ綺麗な白い砂浜があるんだ。ラナが実習のときに目にしてひと目惚れしたらしい」
ジュノーは「あそこね」と何度か頷き、それからオズに言った。
「今から向かえば最終試練には間に合わないわね」
「間違いなくな。アイシャは情熱的な奴だから、書き置きを読んだら迷いなくラナを捜しに向かうだろう。これで彼女も脱落だ」
ジュノーは手紙を手に取り、しげしげと眺めた。
「この書き置きって?」
「もちろん俺が書いた」
オズの言葉に幹部たちがざわつく。
レントンが呆れたように言った。
「オーズ。お前、汚い奴だな?」
するとオズはニヤッと笑った。
「レントン。お前ほどじゃあ、ない」
言われたレントンもニヤリと笑った。
しかしジュノーは、納得しかねる様子で封筒を長机にぴらりと投げた。
「この策はどうかしらね」
「うえっ、ダメか? ラナの字を真似るのとか、結構苦労したんだぞ?」
「手紙はよくできてる。でも詰めが甘いわ。アイシャがラナを追う確証がないもの」
「えー、それはないだろジュノー。この手の計略に確証なんてないぜ? うまくいったら儲けもんくらいの心づもりでやるもんだ」
「……まあ、それはそうかも。――ベル、疑いは晴れたかしら?」
ベルはハッとしてオズを見た。それに気づいたオズは、ウィンクしながらピースして見せた。
ベルは不快感をありありと表しながら、小さく頷いた。
「まあ。一応は」
ジュノーは今日一番の笑顔で笑った。
「良かった。では本題に入りましょう。最終試練で私たちが勝つために」
その言葉を皮切りに、最終試練本番へ向けた最後の作戦会議が始まった。
「話によると、最終試練スタート時に参加者はエリア内にランダムに配置されるらしいわ。どういう方法で配置するのかはわからないけど」
「私も聞いた。となると、大派閥である私たちは集合方法を決めておくべき?」
「それって重要か? 俺らが一番多いんだから、ランダムに配置されても各所で俺らが多いわけだろう?」
「そうか! まずスタート地点で各個撃破して、それから集まれば――」
「でもロザリーがいる。全員集合したときにはすでに半分でした、とかシャレにならないわ」
「そういや父上から聞いたんだが……裏ルールって知ってるか?」
みな盛んに課題を口にし、取るべき行動を提案する。
そんな中。ポポーだけは一人押し黙り、長机の下でこぶしをギュッと握り締めていた。
青のクラス。
テスト期間に入って以来、一度も授業が行われていないこの教室で、たった一人、椅子に座っている生徒がいる。
グレンである。
どのくらいの時間こうしているのだろうか、腕組みしたまま目を閉じて、その姿勢から微動だにしない。
と、そのとき。教室の扉が開いた。
「お待たせ、グレン」
入ってきたのは青のクラスで一番小柄な男子生徒、ピートだった。
彼の後ろから、続々と青のクラス生が入ってくる。
全部で二十二人。いずれも高揚した顔をしている。
「もっと集めたかったんだけどね。これが限界だったよ」
グレンは顔ぶれを眺めた。
剣技会で決勝トーナメントに残ったツンツン髪の女子生徒――テレサを筆頭に、青のクラスの剛の者が揃っている。
ピートは「もっと集めたかった」と言ったが、彼が数ではなく強い人物から口説いて回ったことは、鈍いグレンにも察しがついた。
「十分だ」
グレンは椅子から立ち上がり、集まった仲間たちに微笑みかけた。
「集まってくれて嬉しい。そして、すまない」
グレンは皆の前で頭を下げた。
「勝ちたいんだ。俺のわがままに付き合ってほしい」
反骨心にあふれるグレンが自分たちに頭を下げたことに、面々は一様に驚いた。
そしてすぐに、それぞれに話し出す。
「水臭えこと言うなよ、グレン」
「任せろって」
「勝たせてやるさ」
「でもさ、もうちょい早く腹を決めてくれない? 危うく私が狙うとこだったんだけど」
「おーおー、泣き虫テレサが生意気に狙うってよ?」
「泣きむ……! 座れ、シリウス。膾にしてやる」
「おまっ、今どこから剣を取り出したんだ!?」
大騒ぎを始めた仲間たちを横目に、グレンはピートに礼を言った。
「ピート。お前のおかげだ、ありがとう」
「グレンが狙うから口説けたんだよ。刻印騎士は自分より強いと認めた者にしか従わない。僕らにとって、それはジュノーではなくグレンなのさ」
グレンは首を横に振った。
「いいや。お前の人望のおかげだ」
ピートは「ま、いいけど」と言って机に腰かけ、真面目な顔でグレンの表情を窺った。
「……正直、諦めたのかと思ってたよ。なかなか派閥立ち上げたいって言ってこないし」
「少し、迷ったんだ。剣技会で完敗したから」
「うん」
「だが俺は勝ちたい。勝つまで何度だって挑みたい。……ほんとわがままだよな、俺って」
「フフ、それは知ってたことさ」
ピートは机からぴょんと飛び降り、手を差し出した。
「最終試練は戦。戦の勝敗は一人の剣技じゃ決まらない」
「ああ」
「グレン! やるからには勝つよ!」
「ああ! もちろんだ!」
活動報告を更新しました。