154 ウルスの贖罪―6
オパールは刻印騎士が大半を占める王都守護騎士団においては、珍しい聖騎士の中核騎士であった。
ウルスの膝に抱かれたカイに向かって、聖文術による治療を行っている。
暖かな光に満たされて、気を失っているカイの表情が次第に穏やかになっていく。
「喉を潰されていた。おそらく薬物だな」
ウルスが心配そうにオパールに尋ねる。
「治るのか?」
「もう治った。あとは耳だな」
「っ! 切り取られた耳は家にある。冷やしておいてあるから、すぐに――」
「――いや、いい。指先だとか耳だとかは聖文術で回復可能だ。少々時間をくれ」
「……わかった」
「ウルス。お前は少し休め」
オパールがそう言うと、弓を持った女騎士がウルスの隣に座り、カイを自分の膝へ引き取った。
ウルスが膝に手をつき、立ち上がる。
たしかに疲れていた。
ここ数日の疲労が、自覚した途端に身体に重くのしかかる。
ゆっくりと歩き、ネズミ顔の男の死体に向かった。
(何年ぶりだろうか、人を殺めたのは)
死体の側にはロザリーが座っていて、二度と動かない男の口元をじっと見つめている。
その近くでは頭のない人骨の死霊がおぼつかない足取りで立っていて、短剣を咥えた頭蓋骨を首に乗っけては外し、向きをずらしてまた乗っけては外している。
「お気になさらずに」
死体を見つめたまま、ロザリーが言った。
「頭の収まりがしっくりこないみたいです。だから無闇に投げるなと言ってるのに」
ウルスは死霊を避けつつ死体に近づき、死体を挟んでロザリーの対面にしゃがみ込んだ。
「すまない、ロザリー。せめて情報を聞き出してからにすべきだった」
「問題ありません、ウルス教官」
「問題ない?」
「必要な情報は聞き出せましたので」
「……死体からか?」
「ええ」
「驚いたな。死霊騎士とは、そんなこともできるのか」
「しかし、期待外れでした」
ロザリーが死体に手をかざすと、地面に落ちた暗がりに死体が沈んでいく。
呆気にとられるウルスをよそに、ロザリーはすっくと立ち上がった。
「この男は黒幕を知りません」
「そうなのか? 知っているような口ぶりだったが……」
「やってきた代理人と報酬の額から、依頼主を想像していたに過ぎません」
「そうか……。〝汚れた手〟はいつでも切り離せるから、貴族にとって価値がある。だからこそ、あえて深いところは知らないまま動いていたのだな。……お前はこれからどうする気だ? 息子の恩人だ、私も手伝うぞ」
しかし、ロザリーはそれに答えなかった。
返事がないのを不審に思ったウルスがロザリーを見上げると、彼女もこちらを見ていた。
しかし、こちらを見ているのに、何も見えていないかのような目つきをしている。
「……またカラスを通して何か見ているのか?」
「ええ。どうやら私たちの他にも、この件を調べている者たちがいるようです」
「なに?」
「それも、この男とつながりがある人物も一緒に」
「なに? それはどういう――」
「――ここからは私の役目です。ウルス教官は息子さんを」
そしてロザリーは、女騎士のほうを指さした。
カイは彼女の膝から体を起こし、戸惑った様子で辺りを見回し、そして父親の姿に気づいた。
「パパ……」
ウルスも立ち上がる。
「カイ」
「パパぁ~!」
「カイッ!」
互いに駆け寄り、ひしっと抱き合う。
息子が誘拐されたあの日から初めて、ウルスの目から涙がこぼれた。
カイの汗ばんだ髪をかき撫で、彼の顔に自分の顔を擦りつける。
「パパ!」
「なんだ、カイ」
「おひげが痛いよ!」
「ん? はは、そうか。すまん、ここのところ剃ってなかった」
ウルスはカイの肩を持って彼を引き離し、息子の顔を眺めてから、また抱きしめた。
そして、振り返りながら言う。
「ロザリー。君のおかげだ」
しかし、そこにもうロザリーはいなかった。
ウルスはカイを連れて妻の元へ帰った。
妻は息子の元気な姿を見て、ただただ泣いて我が子を抱きしめた。
オパールに礼を言うと、彼は「毎度のことさ」と笑った。
オパールたちを見送り、その日はずっと自宅から出なかった。
家族三人で再会を喜び、久しぶりに三人で食卓を囲み、夜は一つのベッドに三人で寝た。
そして――翌日。
ソーサリエ、校長室前。
ウルスにはやるべきことがあった。
ドアをノックして、扉を開く。
「失礼します、シモンヴラン校長」
シモンヴランは白髭を撫でつけ、にこやかに言った。
「うむ。来る頃だと思っておったぞ、ウルス」
ウルスはシモンヴランのデスクの前まで歩み出て、姿勢を正して言った。
「私は卒業試験の試験官を務めるにあたり、個人的な事情を理由に不当な評価を下しました。騎士候補生たる生徒たちを導き、新たな騎士として送り出すことを使命とする教官にあるまじき行いであり、恥じ入るばかりです」
そしてもう一歩、歩み出て、デスクの上に封筒を置いた。
シモンヴランはその封筒を手に取り、書かれた文字をまじまじと見つめる。
「……辞表?」
ウルスは瞼を閉じて頷いた。
「ふぅむ、困ったのう」
シモンヴランは右手に持った封筒で、空いた左手のひらをぽんぽんと打つ。
「そうなると儂も辞めなくてはならなくなってしまうのう……」
ウルスが目を開け、シモンヴランを怪訝そうに見る。
「なぜですか?」
「試験官の息子が誘拐されていると知っていて、その試験官が下した評価を受け入れたからじゃ」
「なっ……!」
ウルスが目を見開く。
「……ご存じだったのですか」
「ラナ=アローズの試験官に立候補などすれば、いかにも怪しいからの。お主は誠実な男じゃが、誰もやりたがらぬ仕事を進んで引き受けるほど献身的でもない」
「その時点で疑われていたとは……しかし、どうやって息子のことをお調べに?」
「まずはヴィルマの占いじゃ。切迫した状況にあると出たので、儂のファミリアを密かにお主の部屋に忍ばせた。あとは試験から戻ったお主自身が語ってくれたの」
「……まさか、見られていたとは」
「問題はそこからじゃ。攫われたカイはどこにいるのか。取り戻す方法はあるのか頭を悩ませておると、魔導院務めの古なじみが警告してきおった。背後に高位貴族が複数いる。関わるな、とな。不埒者相手であれば教官たちで人質奪還も可能かもしれぬが、こうなると厳しい。教官たちにもそれぞれ暮らしがあるからのう」
「そうでしたか。それで私の評価を受け入れたと」
「受け入れねばカイがどうなるか予測がつかぬ。それに――」
シモンヴランはウルスから視線を逸らし、遠くを見つめて目を細めた。
「――気づいたからじゃ。我が校には並外れた生徒がいて、その者はラナ=アローズと親しいと。彼女は比類なき魔導者であり、なおかつ高位貴族など意に介さぬ」
「ロザリー=スノウオウル」
「うむ。共に戦ってみてどうであった?」
「それもご存じなのですか。本当にすべて見ておられたのですね」
ウルスは微笑みを浮かべて俯き、しかし次の瞬間、真剣な顔でシモンヴランを見つめた。
「ロザリーは黒幕の高位貴族まで手にかけるでしょう。彼女にはそれができる。我々にできることはないのでしょうか」
シモンヴランは首を横に振った。
「昨晩、ルナールから報告があっての。ロザリーは止まった。ルナールと彼女の友人たちが説得したようじゃ」
「まことですか? それはよかった!」
「何はともあれ一件落着じゃ」
「……校長。ラナ=アローズはどうなるのでしょうか」
「試験結果は変えられぬ。が……なるようになろう、道は閉ざされてはおらぬ」
ウルスが眉を寄せる。
「閉ざされていない? 少なくとも今年は卒業できないでしょう。となれば彼女の場合、来年以降も……」
「ふむ。ウルスもその認識であるなら、教官の中で抜け道に気づいておるのはルナールくらいなのかもしれぬのう」
「抜け道? なんですかそれは?」
シモンヴランは愉快そうに笑った。
「ふっふ。秘密じゃ」