153 ウルスの贖罪―5
坑道を走るウルスの耳に、悲鳴がいくつも重なって聞こえてきた。
何が起きたか不明だが、想像はつく。
賊がたむろしている場所にロザリーが突っ込んだに違いない。
そして賊がたむろしているならば、そこに息子と犯人がいる可能性も高い。
ウルスは焦る気持ちを抑えて曲がりくねった道を抜けると、向かう先に広い部屋が見えた。
(無事でいてくれ、カイ!)
部屋に飛び込むと、そこは採掘場の跡だった。
ロザリー、オパールとその部下たちがいて、地面には十数名の賊が転がっている。
「……女。何をした?」
声の主はネズミ顔の男だった。
部屋の奥に立っていて、そこにカイもいた。
ネズミ顔の男はカイの首に腕を巻いて吊り上げ、もう片方の手に持った短刀をカイに突きつけている。
カイは苦しそうにもがくが、男から逃れられないでいる。
「カイっ!!」
ウルスの叫びに、ネズミ顔の男が気づく。
「おや、ウルス先生じゃあないか。いいところに」
ウルスが男を睨む。
「何がメッセンジャーだ。貴様が首魁ではないか!」
「それは誤解だ、ウルス先生。俺は依頼をこなすだけ。仕事だよ」
「ぬかせ!」
「そう怒るなって。そうだ、軽く自己紹介をしよう。俺は騎士章こそないが、これでも魔女騎士でな? 専門は薬学なんだ」
そしてカイに突きつけていた短刀を、ひけらかすようにかざして見せた。
短刀の刃はぬめった何かで濡れている。
「この短刀に塗られているのは〝幸福〟という名の薬だ。ヒヒッ、いい名前だろう? ひとたび身体の内に入れば、天にも昇る心地で死に至ることができるって寸法さ。だから――」
再びカイに短刀を突きつけ、男が笑う。
「あんまり俺を追い詰めると、震えて手元が、な?」
「卑劣な……ッ!」
「それも誤解だよ、先生。これでも俺は善い人間だ。子供を手にかけたくはない。仕事だから仕方ないが、だからこそ〝幸福〟を選んだ。苦しむことなく逝けるよう、せめてもの情けってわけさ」
怒りに震えるウルスの元に、先ほどの女騎士が近づいて耳打ちした。
(あの男が薬学に詳しいのは事実です。騎士章を剥奪された理由も、麻薬を自身で製造し、密売した罪によるもの。短刀の毒についてもおそらくブラフではありません)
ウルスは微かに頷き、男に向かって言った。
「カイを放してくれ。代わりに俺が人質になる」
「ウルス!」
オパールが咎めるように言うが、ウルスは聞かない。
手に持った剣を捨て、予備武器のショートソードも腰から外して鞘ごと捨てた。
両手を上げて、男に歩み寄る。
「さあ!」
しかし男は、ニヤリと笑みを浮かべたまま後ずさった。
「それは聞けんよ、ウルス先生。誰が元王都守護騎士団を人質になどするものか。あんたじゃ人質にならない」
「カイを放してくれれば、抵抗はしない!」
「この子が助かる方法はひとつだ。俺を逃がせ。逃げおおせたら解放しよう」
「信用できるか! 私はラナを落第させたのに、お前はカイを解放しなかった!」
「解放するつもりだったさ。先生がそれより早く来ちまっただけ。ただの行き違いだよ」
「ふざけたことを……!」
「思い出してくれよ。俺は即時解放するなんて一言も言っていない。だが、今回は約束しよう。俺が無事に逃げられたら、息子さんは誓って解放する」
「……ッ」
ウルスが顔を歪めて立ち止まると、ネズミ顔の男は嬉しそうに笑った。
「わかってくれると思ったよ、ウルス先生。じゃあこいつらに道を開けさせてくれ」
ウルスは周囲を見回した。
オパールとその部下たちは、男を包囲すべく広がっている。
一方、ロザリーは包囲には参加せず、腕組みして素知らぬ顔をしている。
しかし、ネズミ顔の男が警戒心を向けたのは、そのロザリーだった。
「特にその女! おかしな術を使って仲間をいっぺんにやりやがった!」
男が声を荒らげると、カイの顔がみるみる青ざめていった。
「カイ!」
「おっといけねえ。つい力が入っちまった。……わかっただろう、ウルス先生? 俺を興奮させちゃあ、いけない」
「……ッ」
ウルスは苦渋の表情でロザリーを見た。
視線を向けられたロザリーは、男をちらりと見て居丈高に言った。
「別に大した術ではないのだけれど。タネ明かししてあげましょうか?」
「おい。おかしな真似するなよ?」
男が短刀をロザリーに向けた、その瞬間。
突如として飛来した頭蓋骨が、男の短剣を咥えこんだ。
「なっ、なんだっ!?」
男は驚いて短刀をブンブン振るが、頭蓋骨は短刀に喰いついて離れない。
短刀を飲み込み、指に喰いつかれそうになり、男は短刀を取り落としてしまった。
頭蓋骨はそれでも短刀を放さない。
転がったまま、歯をガチガチ鳴らして奇声を上げる。
「ウメーッ! 毒ウメーッ! 死ニタクナルクライウメェェッ!」
「はしたないわよ、三号。あと、頭を投げるのはやめなさい」
三号とは、ロザリーの僕、死の軍勢の中でも特別な十体――ナンバーズの整列番号三番の個体のこと。
ネズミ顔の男が、頭蓋骨を見下ろし、呻くように言う。
「こいつ、どこから……!」
するとロザリーが不気味に笑った。
「影や暗がりはあの世とつながっているという。死霊騎士である私は、そこからいつでもアンデッドを召喚できるの。日の光の入らない洞窟は、私にとって絶好地というわけ。――そう、こんなふうに」
ロザリーがパチンと指を鳴らすと、倒れた十数名の賊の側の暗がりから、それぞれナンバーズの個体が出現した。
「つまり影から素早く出して敵を屠らせ、すぐに影に引っ込めたってわけ。ね? タネを明かしてしまえば、どうってことないでしょう?」
「~~ッ!」
短刀を失った男は、カイの喉笛を爪を立てて掴んだ。
「それがどうした! 俺を逃がせっつってんだよ! このガキがどうなってもいいのか!」
ロザリーは首を横に振った。
「いいえ。あなたはもう、終わり」
その言葉をきっかけに、男の両手首に激痛が走った。
「うっ、ぐあァァッ!」
男が痛みの元を見れば、自分の両手首をそれぞれ骨の腕に掴まれていた。
振り返ると、首のない人骨――三号の身体がすぐ後ろに立っている。
背後から覆い被さるようにして、両手を押さえられている格好だ。
「いっ゛! うぐぅぅ」
三号は恐ろしい怪力の持ち主だった。
骨の指が肉に食い込み、手首の骨をじかに掴まれる。
あまりの激痛に、男の顔が引き攣った。
「ウシャシャシャ! ゲラゲラゲラ!」
地面に転がる三号の頭蓋骨が、苦しむ男を見上げて高笑いする。
恐怖におののいた男はついに、カイを手放した。
地面に落ち、うずくまるカイ。
カイは、危機的状況にあるこの男にとって生命線である。
男は最後の気力を振り絞り、足を伸ばしてカイを踏みつけにして押さえようとした。
しかし、途中でハッと顔を上げた。
ネズミ顔の男が最期に見た光景は、怒りに燃えるウルスが剣を振り下ろす瞬間だった。