151 ウルスの贖罪―3
明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い致します。
成績発表――ラナの不可評価が判明した日。
人目につかない校舎の陰。
ウィリアスのルームメイトの小柄な男の子――ルークがロザリーに捕まっていた。
ロザリーは後ろから抱きつくようにルークを拘束していて、ルークは怯えた小動物のような顔でただ校舎の壁を見つめている。
「ルーク。何を嗅ぎまわっていたの?」
「な、何も! ただ朝の散歩をしてただけだよっ」
「ううん、それは嘘」
ルークの肩に顎を乗せ、ロザリーが囀る。
吐く息がルークの耳にかかるたび、彼の身体がビクッと震える。
「あなたが教官棟を散歩なんてするわけない」
「うっ、嘘じゃないよー」
「へぇ。私を騙す気ね?」
「み、みんな心配してるっ! ラナだけじゃなく、ロザリーのことも捜しているんだよっ! 早く作戦本部に顔を出して――」
ロザリーがルークの耳にフーッと息を吐いた。
ルークが仰け反る。
「――あひゅっ!」
「聞かれたことだけ答えればいいの。ラナを不可にした教官が誰か、探っていた。そうよね?」
「あうぅ」
「誰だった?」
「まだわかんないよっ!」
「怪しいのは?」
「そっ、それは……」
「まだ足りないようね、ルーク」
ロザリーの唇がルークの耳にさらに近づき、ルークは逃れようと必死に顔を背ける。
「もう許してよ、ロザリィ~!」
「じゃあ答えなさい。誰?」
ルークは迷いながらも仕方なく、調査結果を話し出した。
「ウッ、ウルス教官が怪しいっ」
「ウルス教官が? 本当?」
「残り二人の教官は、つけた点数まで教えてくれたんだっ。なぜ失格になったのか、わけがわからないって!」
「ウルス教官はなんて?」
「聞いてないっ! 今日はソーサリエに来てないからっ!」
「……そう。ありがと、ルーク」
フッ、とロザリーの手が緩んだ。
拘束が解けたルークは、振り向きながら言った。
「あのさ、ロザリー! みんなが捜してるってのは本当、で……」
振り返ったルークの視界に、ロザリーの姿は影も形もなかった。
ウルスは自宅にいた。
無断欠勤など、王都守護騎士団時代から通しても初めてだった。
ラナの評価には点をつけず、ただ「不適切」とだけ記した。
にもかかわらず、息子のカイは行方知れずのまま。
誘拐犯からの連絡もない。
教職者として不正に手を貸し、息子も戻らない。
ウルスにとってはまさに最悪の結果であるが、予想された事態でもあった。
要求を聞いたからといって誘拐犯が人質を返す保証がないことは、前職の経験から十分に知っていたからだ。
捜査結果の報告に来ていたオパールが、ウルスに人相書きを手渡した。
「どうだ?」
ウルスが人相書きを受け取り、何度も頷きながら言う。
「ああ。よく似ている。あの男だ。手配するのか?」
「高位貴族とつながりのある〝汚れた手〟だ。手配をかけても上から潰されるだろう」
「ではどうする?」
「これとカイの似顔絵を王都じゅうにばら撒こうかと、な」
ウルスの顔が曇る。
「邪魔になったカイが消されやしないか?」
「……そうだな。ばら撒くのはやめる。だが、聞き込みでは使うぞ?」
「わかった。しかし……」
ウルスがテーブルに広げられた地図を眺めて歯噛みする。
「カイはいったいどこにいるんだ……」
「空き家や貧民街はくまなく捜したが、なにも見つからなかった。捜査できない高位貴族の舘に匿われている可能性もなくはないが――」
「その線はないだろう。関与の証拠を残さぬためにわざわざ〝汚れた手〟を使っているのに、自宅で匿っては本末転倒だ」
「その通り。だがそうなると――カイと誘拐犯は王都外にいる、という話になる」
ウルスはテーブルに両手をつき、大きなため息をついた。
捜索に当たっているのはオパールと、部下十名ほど。
王都の外を捜索するには明らかに人手が足りない。
「……しかし、そう遠くまでは行けぬだろう?」
そうウルスが問うと、オパールは黙って地図にペンを走らせた。
王都を中心に、歪んだ円を描く。
「……こんなに広いのか?」
「カイが攫われて四日目だ。徒歩では移動しないだろう。何らかの交通手段を使っていると仮定すると、この範囲になってしまう」
「しかし、目立つ街道は行かぬだろう? 馬車で昼夜問わず走るにも替え馬がいるのだぞ?」
「水路がある」
オパールは、地図上の王都から川へ流れ込む水路を指でなぞった。
「水路のドブ攫いから証言を得た。事件当夜、小舟に乗った男を見たと。ランタンひとつで夜の水路をよくもまあ、と驚いたので覚えていたようだ。話では、重そうな革袋を背負っていたと」
話し終わると同時に、ウルスがオパールの胸ぐらを掴んだ。
「そいつじゃないか! なぜ早く言わない!」
「落ち着け、ウルス。今、部下に裏を取らせている。確認できたら川沿いを捜索だ。範囲が広くとも、川沿いに限定できるなら見つけられる」
ウルスは胸ぐらから手を放し、言った。
「捜索には私も行くぞ」
「当たり前だ。いつまでもサボってられると思うなよ?」
旧友の冗談に、数日ぶりにウルスの口元に笑みが浮かんだ。
「あなた。ちょっといい?」
ウルスの妻――セネガが、お茶の入ったカップを二つ、お盆に乗せてやってきた。
「なんだ、セネガ」
セネガはカップをテーブルに置きながら、話を続けた。
「ミストラルトリビューンの記者の方がね、あなたの不在中にいらっしゃったの。カイの誘拐の件を記事にしたいって。記事になればみんなが知ることになるから――」
「よせ」
ウルスは即座に拒絶した。
「私に任せろといったはずだ。信用できないのか?」
セネガはお盆を胸に抱いて、声を荒らげた。
「信じてるわ! でも見つからないじゃない! もう四日目よ!?」
「だめだ」
「あなた!」
「奥方。先ほどウルスとも話していたんだが、知れ渡ることが誘拐犯を追い詰めることになるかもしれないのだ。そうなれば、カイの命が余計に危うくなる。だから――」
「でも!」
と、そのとき。
玄関のドアがコンコン、とノックされた。
「記者の方だわ!」
「待て、セネガ!」
玄関のほうへ飛び出していった妻を、ウルスが慌てて追う。
セネガが鍵を開けたところで、彼女の手首をウルスが掴んだ。
「あなた、止めないで!」
「誘拐犯かもしれないだろう!?」
二人が睨み合った、その瞬間――ドアがキィッ、と開いた。
ウルスは来訪者を見て、目を見開いた。
「……ロザリー」