149 ウルスの贖罪―1
時は戻り――ラナが落第した魔導実技試験の始まる日。
この日は秘密の儀式の翌朝でもある。
夜を徹しての務めを終え、ウルスは城下にある自宅への帰路にあった。
「ロタンには悪いことをしてしまったな。しかし、あれほど嫌がらなくともいいだろう、私だって好き好んで裸を晒したわけでは……む?」
自宅が見えるところまできて、ウルスは異常に気づいた。
何やら騒がしい。人も集まっている。
ウルスの自宅の前だ。
「通してくれ!」
ウルスが人垣をかき分けていくと、家の前、地べたに座り込んで泣く妻がいた。
「何があった、セネガ!」
名を呼ばれた妻は、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。
「あなた! カイが! カイがっ!」
息子のカイは今年六つ。
一人息子だった。
攫われたのは夜半のこと。
五、六名の賊が侵入し、妻を縛り上げ、息子を革袋に入れて逃げ去った。
夜が明けて、隣家の住人がカーテンが閉まったままのウルス家を不審に思い、事件が発覚した。
「どうして……どうしてぇ……」
泣き崩れる妻の問いに、ウルスは答えることができなかった。
ウルスは金持ちではない。
特別な身分でもないし、恨まれる覚えもない。
腕にこそ自信はあるが、だったらなおのこと。
どうして我が息子を攫うのか。
「セネガ。賊は何か要求したのか」
妻は泣き崩れたまま、何度も首を横に振った。
「皆さん!」
ウルスは集まった人々に向かって声を張り上げた。
「カイを――私の息子を見かけたら、私か妻に教えてください。どうか、お願いします!」
そう言って、深々と頭を下げた。
「頭なんて下げるな、ウルスさん」
体格のいい精肉店の店主が、ウルスの身体を起こした。
「ああ、任せとけ!」
「手分けして捜すぞ」
「絶対に見つけてやる」
「隣区の連中にも声をかけようぜ」
次々に声が上がり、ウルスは再び頭を下げた。
そして今も泣き崩れる妻に寄り添い、囁くように言った。
「何も心配するな。家に入っていなさい」
「あなたは?」
「前の勤め先へ行く」
――王都守護騎士団本部、告発受付窓口。
「なるほど。訴えは承りました」
書類の記入を終えた受付嬢が、にこやかに笑った。
王都における事件の捜査も、王都守護騎士団の重要な任務のひとつである。
ミストラル市民は城下で起きた事件の解決や、いさかいの仲裁を求めてこの窓口を訪れる。
「では調査いたしますので、また後日お越しください」
受付嬢の言葉に、ウルスは眉を寄せた。
「後日? 今すぐ捜索隊を出していただけないのか?」
「ウルスさん。事件捜査の案件は立て込んでおります。順番に捜査しておりますので……」
「優先順位があるだろう! 誘拐事件で、攫われたのは昨晩だぞ!? 私が在籍していたころなら最優先であたる案件だ!」
受付嬢は、微笑みを湛えたまま言った。
「……前に王都守護騎士団におられたのですか?」
「ああ、そうだ!」
「……しかし、現在は在籍されていない以上、特別扱いをするわけには」
「そんなことは頼んでいない! 漫然と処理せず、王都守護の務めを果たしてほしいだけだ!」
受付嬢の微笑みが歪む。
「いい加減にしてくださいっ。騎士を呼びますよ?」
受付嬢が目配せすると、警備の騎士が集まってきた。
そのうちの一人が、ウルスの肩に手を置く。
「おっさん。痛い目見たくなければ帰りな」
ウルスはふーっと息を吐き、振り返った。
警備の騎士は四名。みな若い。
「立ち番は新入りの仕事。そこは変わらないのだな」
「? 何が言いたいんだ、おっさん」
「若造が。いい気になるな、と言ったのだ」
途端、四人の若騎士の目の色が変わった。
剣に手をかける者までいる。
その様を見て、ウルスは自身の手落ちに気づく。
「剣を持たずに来てしまうとは。慌てすぎだな、まったく」
いつもなら剣を吊るしている場所をポンと叩き、それから自分の手のひらに拳を叩きつけた。
「まあ、お前ら程度なら剣なしで丁度いいだろう」
「貴っ様……!」
受付嬢が顔を強ばらせてカウンターから離れ、若騎士四人がいよいよ剣を抜こうとした、そのとき。
「止めよ!」
受付カウンターの奥から怒声が響いた。
声の主は、眉間から左頬にかけて大きな傷のある、壮年の騎士だった。
それを認めた四人の若騎士は互いに顔を見合わせ、一斉に顔を青ざめさせた。
壮年の騎士が近づくと、もう顔を上げることさえできない。
「持ち場に戻れ」
壮年の騎士から命令が発せられると、四人は飛び上がる勢いで元の場所に戻っていった。
ウルスが頭を下げる。
「オパール卿」
壮年の騎士が舌打ちする。
「卿はよせ、ウルス」
「だが今の貴殿は、私たちが同じ部隊にいた頃の上司より上の階級だ」
「しつこいぞ。私もウルス卿と呼ぶか?」
ウルスは肩を竦め、「では、今まで通り」と言うと、オパールは満足げに頷いた。
ウルスが顔を寄せて囁く。
「助かったよ、オパール。正直、頭に血が上っていた」
「息子を攫われたとなれば仕方なかろう」
「聞いていたのか?」
「いや。知っていた」
「……どういう意味だ?」
「昨日、上から降りてきたんだ。『今夜起こる誘拐事件には関わらぬように』とな」
ウルスが目を見開く。
「そんなバカな! 王都守護騎士団に圧力をかけられるような地位にある人間が関係していると!? そんな人間が、なぜ私の息子を攫う!」
「シッ。声が大きい」
オパールは周囲を見回し、目の合った者を睨みつけてから、話を続けた。
「事が起きるまで、誘拐されるのがお前の息子だなんて思いもしなかった。理由もわからない」
ウルスは歯噛みして、踵を返した。
「わかった。邪魔したな」
「焦るな、ウルス」
オパールは去ろうとするウルスに近づき、耳元で囁いた。
「秘密裏に誘拐犯の潜伏場所を探らせている」
ウルスはハッとして、オパールを見返した。
オパールが頷く。
「信用のおける者しか使えないから、少し時間がかかる。許せ」
「……命令違反にならないか?」
「なるものか。正式な命令ではないし、私は王都守護騎士団だ。治安維持のために動いて何が悪い?」
「感謝する、オパール」
「礼はいい。誘拐犯から要求はないのだな?」
「ああ」
「ならば、お前はソーサリエへ行け。事件のことは誰にも話すな」
ウルスが訝しげに問う。
「息子が攫われたのに、何食わぬ顔で職場に行けと?」
「昔を思い出せ。誘拐犯は要求があるから人を攫うものだろう?」
ウルスが何度か頷く。
「そうだな、たしかにそうだ」
「お前の家に押し入ったのだから、要求する相手はお前だ。接触を待つなら騒ぎになっている自宅ではなくソーサリエがいい」
「……ただの教官だぞ。私に何を望むのだ」
「わからん。だが、相手はお前と話したがっている。すぐに接触してくるはずだ」