147 激情のロザリー―1
ニルトラン邸が見える路地の影。
オズとロロとルナールの三人が、路地に身を潜めて通りを監視している。
ネモは自分のやり方があるらしく、別の場所から監視するとのことだった。
王都を宵闇が包む。
人通りは疎ら。
大通りから離れたこの辺りは街灯も少なく、通る人の顔を判別するのも苦労する。
三人は物影に潜む野良猫の身になって、目を皿のようにして通行人に視線を送る。
「……本当にここでいいんですかね」
「先回りできたはずだ」
「でも」
それ以上続けると弱音を吐くことになりそうで、ロロはぎゅっと唇を結んだ。
「あいつは必ずここに来る。信じろ」
「……オズ君を?」
「ロザリーを、だ」
ロロはこくんと頷き、また通りに目をやった。
「スノウオウルがここに来たときには、すでに手遅れであるかもしれんがな」
ルナールのセリフに、オズがうんざりした顔で言う。
「あんたまでそんなことを言うのか」
「可能性の話だ。真相に至る過程で、すでに誰かを手にかけているかもしれない」
「そりゃまあ、そうだが……」
「スノウオウルがここに来ることは信じるとして。彼女はどうやって真相に至るのだろうか」
オズが考えを巡らせる。
「……まずは試験官。ラナを落第させた試験官を尋問する」
「口を割らなかったら?」
「魔女の手管を使ってでも聞きだす。ロザリーには可能だ」
「ふむ。だが、その試験管は黒幕を知るまい? それどころか脅した貴族の名さえ知らぬやも」
「にしてもだ。誰かしらに脅されたから行動したんだろ? だったら次はその誰かしらを尋問するだけだ」
ルナールの頭にネズミ顔の男が思い浮かぶ。
「だとすれば、その誰かから情報を得たスノウオウルが、次に怪しむであろう人物は――」
そのときだった。
「――ルナール教官」
三人の背後――路地の奥から、底冷えするような声が響いてきた。
三人は心臓を鷲掴みにされた心地になり、身体を硬直させる。
「そうだな、私か」
ルナールはゆっくりと振り向いた。
誰の声か、オズとロロにもすぐにわかった。
なのに、彼女の名を叫んで駆け寄ることができない。
唾を呑み、路地奥を凝視する。
やがて暗闇にロザリーの白い顔が浮かび上がった。
片手にはネズミ顔の男を引きずっている。
男は焦点が合わず、よだれを垂らして笑っている。
「この男からあなたの名が出た。あなたもこの男、知ってますね?」
ルナールが静かに頷く。
「待て、ロザリー」
オズがルナールとロザリーの間に割って入った。
「落ち着け。ルナールは違う」
「なぜオズがルナール教官をかばうの?」
「ルナールじゃないからな」
「言い切れる?」
その問いかけは氷の刃のようだった。
あんなに捜していたのに、会うべきではなかったと後悔したくなるような声色。
オズは身をもって、校長が「震えた」と言っていたのは冗談ではないと知った。
怯えを振り払うように、オズは居丈高にロザリーに言った。
「だいたい、その男は誰なんだ? 説明しろよ、ロザリー。お前のために今日一日駆けずり回った俺たちによ!」
ロザリーはスッと目を細め、それからネズミ顔の男を三人の前に投げ捨てた。
「ウルス教官を脅した男よ」
「えっ、じゃあ不可評価をつけたのはウルス教官!? 信じられない!」
ウルスは青クラス担任の武人然とした教官である。
ロロは思わずそう叫んだし、オズにしても意外な人物だった。
しかし、ルナールは違った。
「やはりそうだったか」
「ルナール教官、あんた勘づいていたのか?」
「可能性が高いのは彼だと思っていた。実直で真面目な人物だが、生まれ持っての貴族ではないのだ。王都守護騎士団に抜擢され、功を上げて貴族となったが……こういう境遇だと他家に縁がないので標的にされやすい」
ロザリーが後を継ぐ。
「秘密の儀式の夜。ウルス教官の不在を狙って、彼の家に賊が入った。この男と、その手下たちよ。賊は幼い息子を攫い、ラナを落第させるよう脅迫したの。ウルス教官も息子を取り返そうとしたようだけど、息子の耳が入った封筒が届いて、抗うのをやめたそう」
オズが地面に唾を吐く。
「吐き気がするやり方だな。……で、もちろん息子さんは助けたんだろうな?」
ロザリーが頷く。
「隠れ家を探し当てるのに時間がかかったけど。耳も聖文術で元に戻るそうよ」
ロロが胸を抱え込むようにして、ボロボロと涙を流した。
「よかった。ほんとうによかった……」
その涙はウルスの息子が戻ったことだけでなく、ロザリーが人を助ける行動をとったことに対しても向けられていた。
ロザリーは一瞬、悲しげな表情を浮かべたが、すぐに冷酷な顔へと戻った。
「私の説明はこれで終わり。次はあなたが答える番」
鋭い視線がオズを射抜く。
「ルナール教官が関係ないと、ほんとに言い切れる?」
オズは唇をぎゅっと噛みしめて、大きく頷いた。
「今日一日、ルナールと一緒にお前を捜し回ったんだよ。一度は俺も疑ったが、ルナールは違う。本気でお前を止めようとしてる。こいつ悪い奴じゃねーよ、ムカつく教官なのは変わりないけどな」
ロザリーは眉をひそめた。
「根拠に乏しいわ。ルナール教官は私を目の敵にしてた。ラナを苦しめて、間接的に私を苦しめる気なのかも」
「ねーって。俺の言うこと信用できないのか?」
「ほとんど勘じゃない」
「は? 信じろよ、俺の勘を。信じねーのかよ」
「……」
ロザリーは言葉を返さず、大きなため息を吐いた。
「私も証言しよう」
三人の後ろに、いつの間にか黒衣の騎士――ネモが立っていた。
「あら。久しぶりね、ネモ」
「ああ」
「私の前に顔を見せるなと言ったはずだけど」
「お前がミストラルに戻るまで、という条件付きでな」
「んー、そうだったかも。『二度と』と言うべきだったわね?」
「そう邪険にするな。こうしてお前にとって有益な情報を知らせることもできるのだから」
「ルナール教官について?」
ネモは頷き、まるでメモでも読んでいるかのように、よどみなく話し出した。
「五日前――魔導実技試験が始まる二日前。午後四時頃。ルナールの教官室にそのネズミ顔の男が現れた。その男は有名な〝汚れた手〟であり、さる貴族の依頼を受けていた。その依頼内容はラナ=アローズのソーサリエからの排除。ルナールはお前とラナが近しいことを理由に断った。以後、この男とルナールは接触していない」
「なるほどね」
ロザリーは片眉を上げて頷いた。
「オズとネモがそう言うのなら、きっと関係ないんでしょう。二人にはルナール教官をかばう理由はないから」
オズがじろっとロザリーを見る。
「『だけど』って続きそうだな、ロザリー」
「納得できないわ。ルナール教官が私に敵対しない理由がないから」
そしてロザリーはルナールに正対した。
「私を嫌うあなたにとって、ラナを落第させる依頼は千載一遇のチャンスだったはず。なのに、どうして依頼を断ったのです?」
そして一歩踏み込み、問いを投げかけた。
「あなたは私の敵ですか、ルナール教官?」
ルナールは俯き、黙りこんだ。
そしてやっと、絞り出すようにして、心の内を語り出した。
「……魔導とは偉大だ。大いなる存在にじかに触れたとき、人は思想や価値観を粉砕される。私が人生経験から導き出した騎士社会の在り方など、それに比べれば実に儚いものだ」
ルナール以外の四人はそこまで聞いて、それぞれに首を傾げた。
オズが言う。
「ルナール教官、それじゃ何言いたいのかわかんねーよ?」
しかしルナールは気にする様子もなく、言葉を継ぐ。
「スノウオウルも測るべきだとシモンヴラン校長に具申し、変装した上で立ち合いも許可して頂いた。ただの好奇心だったのだ。さて、どれほどのものか見てやろうと。その程度の動機。なのに――あの紫の光の膨張。高純度魔導石が耐えきれず鳴くほどの魔導。まさか、あのようなものに触れることになるとは……そう、あのとき私は大いなる魔導に触れたのだ」
そしてルナールは、瞳を輝かせてロザリーを見つめた。
「スノウオウル。私が変わったとするならば、それはお前の魔導計測のとき。あの瞬間、私はあの場にいたのだ」
オズがルナールの顔を覗きこむ。
「それが理由? それでアンチから信者に鞍替えしたのか?」
「信者というわけではない。が、スノウオウルを排除しようなどという気は毛頭なくなった。大空を悠々と泳ぐ巨竜を見て、射落としてやろうとは思うまい? 存在の大きさに身を縮めるのがせいぜいであろう」
「ふーん、そんなもんかね」
オズは納得しかねる様子だが、ネモは違った。
「俺はわかる気がするよ」
「へー。あんたもロザリーにビビった口か」
「お前も本気の彼女と相対すればわかるだろうよ」
「フン。俺はビビらないがな」
ロザリーがルナールに歩み寄った。
彼の両手を取り、まっすぐに見つめる。
「ルナール教官。あなたの心の奥底が見えなかった。でも、話を聞いて少しだけわかった気がします」
「う、む」
両手を握られ、見つめられて、照れを隠せないルナール。
その不意をつき、鋭利な問いが投げられた。
「最後にもう一つ。黒幕はニルトランですね?」
「!!」
動揺して言葉にならず、ルナールは思わずオズたちを振り返る。
助けを求められたオズたちも、どうしてよいかわからない。
「ありがとう。その反応で十分です」
ロザリーは微笑み、ニルトラン邸に向かってつかつかと歩き出した。
「チィッ! やはり割り出していなかったか!」
ネモは舌打ちし、吐き捨てるように言った。
ロロが言う。
「えっ? 真相に辿り着いたからこそ、ロザリーさんはここに来たのでは――」
「ああ、そうか! クソッ!!」
オズが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「ど、どういうことです、オズ君!?」
「ロザリーは黒幕をわかってなかった! たぶん、ウルスの息子を救い出すのに本当に手間取ったんだ!」
「え……じゃあどうしてここに」
「つけたんだよ、俺たちを! 先回りして待ち伏せたつもりが、尾行されてた!」
「な、っ!」
「……きっと王宮だ。ロザリーもコクトー様から情報を得ようとして、俺たちの動きに気づいたんだ」
「じゃあ私たちは……黒幕を知らないロザリーさんを、わざわざ黒幕の所に連れてきちゃったんですか!?」
「ああ、その通りだよ! ちくしょう!」
ロロがオズの胸ぐらを掴む。
「止めなくちゃ!」
「どうやって! 腕づくでか!? あいつの目を見ただろう!」
「でもっ!」
ロロはすがるような目をネモに向けるが、ネモは腕組みして鼻を鳴らしただけ。
ここからは結末を見守るつもりでいるようだ。
ただ一人。
ルナールだけが、ロザリーのあとを追って歩き出した。
「お、おい、ルナール教官?」
オズの声にも反応しない。
意を決した表情で、足早にロザリーとの距離を詰めていく。
ニルトラン邸前には門衛が二人立っていて、近づいてくるロザリーに気づいた。
「止まれ! 何者だ!」
「主に伝えなさい。ロザリー=スノウオウルが会いに来たと。五分待つ。返答がなければ押し入る」
「貴様ッ! この不埒者めええおふっ……」
門衛の一人がロザリーを咎め、剣を抜こうとして、その姿勢のまま崩れ落ちた。
ロザリーはもう一人の門衛に目配せする。
「早く伝えて」
「はっ、はいいい!」
門衛は這う這うの体で屋敷の中に駆け込んでいった。
追いついたルナールがロザリーの肩に手をかける。
「やめろ、スノウオウル!」