146 ロザリーを追え―2
――ミストラル城下。裏通りにひっそりと店を構える酒場〝猫のあくび亭〟。
人目に付かぬ店構えなのに、店内は赤ら顔の客であふれ返っている。
そんな店に教官一人と学生二人という、いかにも不釣り合いな三人組が現れたので、店員は怪訝そうな顔で出迎えた。
オズがコインを見せると、店員は何も聞かず二階の個室へ三人を通した。
正方形のテーブルが一つ、椅子が四つ。その割に部屋は広く、調度品も整えられている。
「お忍びで来た貴族のための部屋、ってとこか?」
そう言ってオズは革張りの椅子にどっかと腰を下ろした。
続いてルナールはオズの対面に、ロロは窓際の椅子に座る。
窓の外を見てロロが呟く。
「もう、日が暮れますね。先回りできるのかな」
オズもルナールも、それに答えなかった。
それからしばらく、三人は黙りこんだ。
朝から歩き通しだったし、何より精神的に疲弊していた。
下の階の喧騒が、やけに遠くに聞こえる。
三人それぞれ、どこかをぼんやりと眺めていると。
ぐうぅぅ。
大きな音が部屋に響き渡り、ロロはお腹を押さえて顔を赤くした。
オズが笑う。
「朝から何も食ってないもんな。俺も腹が減った」
「仕方ない。何か頼むか」
ルナールがテーブルをこぶしで二度ほど叩くと、すぐに扉が開いて店員が入ってきた。
「もしかして、ルナール教官の奢り?」
オズがニヤついて言うと、ルナールは注文しながら嫌そうに頷いた。
「やったぜ、ロロ。ルナール教官に奢ってもらえるなんて、ソーサリエでも俺らくらいじゃね?」
「はい、そうかもしれませんね」
ロロも笑顔で頷く。
注文を終えたルナールがぶっきらぼうに言う。
「卒業したら倍にして返してもらうがな」
「え~! そんなのすぐじゃんか!」
「ならばすぐ返してもらおう」
「へえへえ。覚えてたらな」
オズはふと思い出し、コクトーから持たされたコインを取り出した。
見たことのないコインではあるが、ただそれだけ。
裏返したり、光にかざしたりしてみるが、特別なものには見えない。
「海外のコインか?」
そう尋ねたルナールに、オズがコインを投げる。
慌てて受け止めたルナールは、それを注意深く観察した。
「ふむ……東方商国のものだろう。文字があの国のものだ」
そう言って、オズにコインを返す。
「しかし……こんなデザインのコインがあったか? 記憶にないな」
「ふーん。ルナール教官ってコインに詳しいの?」
「趣味だ。コインや切手を収集している」
「あー、ぽいわぁ」
「どういう意味だ、ミュジーニャ?」
「いや、別に」
ほどなく、注文した料理が運ばれてきた。
「あれっ? エール注文してないの?」
「当たり前だ、バカなのか貴様」
「そんなの確かめるまでもないですよ、ルナール教官。……あっ、この肉の串焼き!」
「どうした、ロタン」
「剣技会で食べて美味しかったんです! そっか、この店のだったんだ~」
「そうなのか。……ほう! たしかに旨い!」
「でしょう? 私のも取ってください」
と、そのとき。
音もなく扉が開き、黒衣の男が入ってきた。
また店員だと思って反応が遅れた三人は、男の様子に凍りつく。
腰に剣。漆黒の魔導騎士外套。
騎士章は見当たらないが、明らかに魔導騎士の出で立ち。
前髪の奥に光る猟犬のような瞳が、三人を値踏みするように見る。
「誰だ、お前たちは」
慌てて立ち上がったルナールが、早口に弁解する。
「怪しい者ではありません。私はソーサリエで教官を務めるルナールと申します。この子たちはソーサリエの学生です。ここに来たのはコクトー宮中伯より話を聞けと仰せつかったからで――」
黒衣の男は話の途中で踵を返し、入ってきた扉に手をかけた。
「お待ちを! 私たちはあなたに大事な用があって――」
「俺にはない」
肩越しにそう言って出ていこうとする黒衣の男に、オズがコインを投げつけた。
かなりの速さで投げたのに、黒衣の男は背中を向けたまま片手でコインを受け止めた。
そしてそのコインをじっと見つめると、再び踵を返して部屋の中に入ってきた。
そのまま静かに空いた席に腰を下ろす。
「で? 何を聞きたい」
「その前にさ」
オズがテーブルに身を乗り出し、黒衣の男の顔を覗きこむ。
「名前教えてくんない? コクトー様から言われてきたけど、こっちはあんたのこと知らないしさ。名前も知らない奴の話とか、信用できねーじゃん?」
「失礼ですよ、オズ君!」
「名前くらいいいだろ、ロロ」
黒衣の男は表情も変えず、名を明かした。
「ネモだ」
「フルネームは?」
「ただのネモだ」
「ふーん、ネモね。騎士だよな? どんな仕事してんの?」
「今はロザリー=スノウオウルの監視の任に就いている」
「!」
「ええっ!?」
「む……!」
驚く三人に、ネモは不思議そうに尋ねた。
「何を驚く? アトルシャンの襲撃以来、彼女は注目の的だ。野放しになっていると思うほうがおかしい」
ロロが自分の顔を指差す。
「じゃあ、私のことも知ってたり?」
「ロクサーヌ=ロタン、愛称はロロ。スノウオウルのルームメイトだ」
「はえ~。すごい」
ルナールが怪訝そうにロロを見る。
「なぜ嬉しそうなのだ」
「だって、監視とか物語の中で重要人物がされるものでしょう? 自分がその立場になるなんて、なんだか楽しくて」
「んなこたぁ、どうでもいい!」
オズがテーブルをガンッ! と叩く。
「その監視対象のロザリーは今、どこだ!」
ロロとルナールが、ハッとネモを見る。
しかしネモは、静かに首を横に振った。
「見失ったのか!? それでも監視かよ!」
ネモは初めて表情を変えた。眉を寄せ、目を細めてオズを見返す。
「一度、監視に気づかれてな。それ以来、通常より距離をあけて監視を行うようになった。……今回はそれが災いした」
オズが鼻を鳴らす。
「フン。負け惜しみにしか聞こえねーな」
「どうとでも。あのレベルの使い手は、一度見失うと本人の意思で出てくるまで発見が難しい。なので、行動を予測し先回りすることにした」
「先回りって、私たちと同じ……!」
ロロが目を見開いてオズを見ると、彼は微かに頷いた。
「で、先回りできそうなのか」
「ラナ=アローズの一件、黒幕はニルトラン子爵だ」
「ニルトラン? 聞き覚えが……」
首を傾げるオズに、ロロが言う。
「レントン君ですよ、緑のクラスのレントン=ニルトラン!」
ルナールが渋い顔で続く。
「ニルトランか……アローズが実習を終えたことに対して私に不満を訴えてくる生徒がいたが、彼もそのうちの一人だったと記憶している」
「じゃあ決まりですね! ラナさんに不満を持っていたレントン君が実家の力でラナさんを落第させた! 黒幕であるニルトラン家のお屋敷の前で待っていればロザリーさんも現れ――違う、レントン君のほうに行くかも? どっちだろう……」
頭を悩ませるロロに、オズが言う。
「いや、親のほうで合ってる。先にレントン襲ったら親が動くからな、親を殺って、レントンはその後だ。ロザリーはそういう順番は間違えない」
「殺るなどと不吉なことを言うな、ミュジーニャ!」
ルナールが教官然とした口調で口を挟むが、オズは片眉を上げて反論した。
「今さら言葉を濁してどうなる? それを止めるために俺たちはここにいるんだろ」
「それは……そうだがっ」
ルナールは言い返せず、視線を逸らした。
話を聞いていたネモが口を開く。
「お前たちはスノウオウルが黒幕を暴くと確信しているようだが、俺はそうではない」
「なぜだ?」
「この件に関わった貴族はかなり多いんだ。無色が騎士になることを快く思わない貴族なぞ、いくらでもいるからな。
本来、ソーサリエの試験評価に介入することは禁忌だ。高位貴族であっても許されるものではない。なのにソーサリエ側が王宮に訴え出ないのは、一貴族の企みではないからだ。
あらゆる方面から圧力がかかり、これは訴えても無駄だと知って、沈黙している。それほど多数の貴族の中から、果たしてスノウオウルは黒幕を割り出せるか?」
「でも、あんたは割り出したんだろ?」
「俺はこれが生業だ。宮中伯の情報網も使える」
「いや、ロザリーだって」
「彼女はあくまでもただの学生だ。その上、一人で調べている。ニルトランはやり手だ、人を操る術に長けている。今回も企みの中心にいるのに、関わった貴族たちの大半はニルトランの計画通りに動かされていると気づいていない。アローズの試験担当者を脅したのも、扇動された貴族が自発的に行っている」
「ううむ……であれば、そっちの貴族を狙うやもしれませんな」
ルナールも同意しかけたが、オズが斬り捨てた。
「いいや。絶対にロザリーは真相に辿り着く」
そしてロロ、ルナール、ネモの三人を見回す。
「ニルトランの屋敷に張り込むぞ!」