144 失意のラナ
ロザリー派作戦本部。
オズは扉を蹴破る勢いで室内に飛び込んだ。
「大変だ! ラナはいるか!」
大声で叫んだのに、誰もそれに答えない。
本部内には十名ほどの仲間たちがいたが、誰もが本部内をバタバタと忙しく走り回っていたからだ。
一人だけオズの声に気づいたウィリアスが、キッチンのほうから顔を出した。
その表情には焦りが見える。
「ラナの不可評価のことだな?」
「知っていたか」
「ああ」
そこにオズから遅れること数十秒。
息を切らせてロロが走りこんできた。
「っ、はっ、はあ……ラナさんは!?」
ウィリアスは苦い顔で首を横に振った。
「捜しているんだが、見つからない」
「いないんですか!?」
と、そのとき。
二階の手すりから身を乗り出したアイシャが、吹き抜けを見下ろして叫んだ。
「ダメ! 【鍵開け】して入ったけど、ラナの部屋にもいない!」
「そうか……」
ウィリアスはそう呟いて、考え込んだ。
オズが顔をしかめる。
「もう掲示板を見たんだろう。マズいな……」
ウィリアスが頷く。
「ああ。自暴自棄になって何をしでかすか……」
ロロが泣きそうな顔で言った。
「ラナさんはちゃんと披露しましたよ! 魔導具の剣で、担当したウルス教官も舌を巻くほどだったって! なのに……なんでこんなことに!」
二階から下りてきたアイシャが、吐き捨てるように言った。
「そんなの決まってるじゃない、無色だからよ。意地でも卒業させない気なんだわ」
「でも、ここまでの三つの試験は普通に結果が出ていたのに!」
「教官たちはどうせ卒業できないと高を括ってたのよ。で、ほんとに卒業しそうだから、最後の最後で無理やり不可をつけた」
「そんなの酷い!」
「ええ。ほんっっと、ムカつくやり方だわ!」
するとオズが意外そうな顔で言った。
「アイシャ。お前、無色は仲間にいらない派じゃなかったか?」
言われたアイシャは言葉に詰まり、そっぽを向いた。
「……じゃない」
「あん?」
「仕方ないじゃない、もう知っちゃったんだもん! ラナはまっすぐで強い子よ! ムカついて悪い!?」
「悪くない、悪くない。確認しただけだ」
するとロロが、ふとオズの顔を見つめた。
「オズ君。私も確認していいですか?」
「なんだ、急に」
「さきほど、ザスパール君とコソコソ話していましたよね? そしてその直後、慌ててラナさんの名前を探し始めた。ザスパール君から何を聞いたんですか?」
「そのまんまだよ、ラナは脱落したってな」
「なぜそんなことオズ君に?」
「警告かな? 次は俺だって」
その場のオズ以外の全員がギョッとする。
ウィリアスが低く、言う。
「……教員側の都合じゃなく、ジュノー派の差し金だってことか?」
「だろうよ。さっきアイシャが言った『どうせ卒業できないと高を括ってた』って話。あれは俺たち以外の三年生こそ、そうなんじゃないか? 剣技会でのラナの活躍を見て、卒業できないどころか上位成績者に食い込む実力だと皆が認識したわけだ。ジュノー派には高位貴族が多くいるから――」
聞きながら、ウィリアスが細かく何度も頷く。
「――親に頼んでソーサリエに圧をかけた、か。そっちのほうが辻褄が合うな」
「ますますムカつく……!」
アイシャが歯軋りする。
「しかし、困ったな」
ウィリアスが頭を掻いた。
「ラナを見つけて、一緒に校長に抗議しに行こうと思ってたんだ。だが圧力によって不本意ながらそうなったのなら、いくら正当性を訴えても覆りそうにない」
「それでもやるべきだ」
オズが言うと、ウィリアスが片眉を上げた。
「意味がなくてもか?」
「抗議したって事実は残るだろ。じゃなきゃ受け入れたとみなされるぞ」
「……確かに、な。受け入れた上で留年するという手もあるにはあるが――」
すぐにオズが首を横に振る。
「――ラナには使えない。また不可つけられるのがオチだ」
「俺もそう思う。ラナが騎士になるには、おそらく今年がラストチャンスだ」
「まあとにかく、まずはラナ本人だ。あいつ、どこにいる? 当てがある奴はいないか?」
オズは本部内にいる全員に問いかけるように言ったのだが、なかなか答えが返って来ない。
「あの」
やっとアイシャがおずおずと手を挙げた。
「当てがあるってほどでもないんだけど……」
「確かじゃなくていいんだ。どこだ?」
「どこかは知らないんだけど」
「なんだそりゃ? 当てがあるのかないのかはっきりしろよ!」
「だから当てがあるってほどじゃないって言ったでしょ!?」
口喧嘩が始まりそうになり、ウィリアスが割って入る。
「落ち着け、アイシャ、オズも。……アイシャ、教えてくれないか?」
アイシャはまた自信なさげになりながらも、ぽつりと言った。
「……コソ練の場所」
「コソ練?」
「コソコソ隠れて訓練することよ。ラナは実習帰ってからどこかで剣のコソ練してるの。そこって一人になれて、誰にも見られない場所だと思うから」
「なるほど。落ち込んで一人になるのにもってこいの場所かもな」
「ただ、それがどこかわからないのよね」
「いや、それなら捜せる。ソーサリエ内だからな」
ウィリアスがパンッと手を叩いた。
「ラナのためにやれることをやろう。ルーク! 試験を担当した教官三人を割り出し、不可評価の理由を聞きだしてくれ」
「簡単に言うけど……難しいよー?」
「表向きの理由でいいんだ。それに反論する形で校長に抗議する。そのときはオズとロロもついてきてくれ」
「ああ」「わかりました」
「他のみんなはラナの捜索だ。人気がないか、死角の多い場所。それでいて、剣を振る広さのある場所だ。この廃校舎棟から始めて、捜索範囲を広げていこう。同時にこの件を知らない仲間を見かけたら、伝えて捜索に加わってもらう。アイシャ、捜索班を仕切ってくれるか?」
「ええ、任せて!」
「俺とオズとロロはルークが戻るまで待機だ。遅れてきた仲間に事情を伝える必要もあるからな。抗議するときにはロザリーもいてくれるといいんだが……遅いな、まだ寝てるのか?」
と、ウィリアスがロザリーの名を口にした瞬間。
「あっ? ……ああああああ!!」
オズがいきなり大声を上げた。
ウィリアスとアイシャは驚いてのけ反り、ロロなどはのけ反った拍子に尻餅をついてしまった。
他の面々も目を見開いてオズを見つめる。
当のオズは「しまった……!」と呟きながらゆっくりしゃがみ込み、顔を手で覆った。
「びっくりさせないでくださいよ、オズ君! 一体なんなんですか!」
尻餅をついたロロが、しゃがみ込むオズの顔を四つん這いになって覗きこむ。
オズは顔面蒼白でロロを見返した。
「……ロロ。さっき、俺と掲示板前で会ったよな?」
「へ?」
「そこでラナの結果を見て、走ってここに来た」
「ええ、そうですけど」
「なんで一人だった?」
「なんでって」
「ロザリーは? いつも一緒だろ」
「ああ、ロザリーさんなら試験結果が気になるからって、私より先に部屋を出ましたけど。珍しく自信がなかったみたいで」
「俺はあいつを見てない」
「私よりけっこう前に出ましたからね。オズ君が来るより前だったんじゃないですか?」
「あいつ、ラナの結果見たよな?」
「えっ。それは……そうですね、たぶん見たかと」
「で、なんで今、ここにいないんだ」
ロロの顔がみるみる青ざめていく。
「ラナさんの結果を見てないなら、たぶんここに来ます。他に予定はないはずですから。見てたとしても普通なら不満を言うためにここに……そうですよ、ここにいなきゃおかしいです」
「普通じゃないってことだ」
オズがゆっくり仲間たちを見回す。
「ロザリーとラナは実習も一緒だった仲だ。アイシャ以上にラナに肩入れしてる。ラナが卒業できないと知ったロザリーは何をする?」
ウィリアスの瞳が細かく揺れる。
「……マズい。見当もつかない」
オズが頷く。
「何をするかわからない。圧力をかけた貴族を割り出して、血祭りにあげるくらいするかもな」
不吉なことを言うオズに、ロロが食ってかかる。
「そんな! ロザリーさんはそんなことしませんよっ!」
「わからないだろう!? あいつは俺たちとはできることの大きさが違うんだ!」
「だからって!」
「俺たちならどうする? 悔しさを晴らすために壁を殴る? 物を投げる? じゃあロザリーは? 悔しさの元を潰す力があるのに、それをしないとなぜ言える!」
「それは、っ」
オズは決意を込めて立ち上がった。
「行くぞ、ロロ。俺たちでロザリーを止める!」
「っ! はい!」
その頃、掲示板前。
陰湿な性格で知られる教官――ルナールが貼り出された成績を遠くから眺めていた。
(圧に屈したか)
ルナールにとって思いがけぬ状況、というわけでもない。
むしろ十分に予測できた結果であるし、無色の生徒が卒業できないというのはルナールにしてみれば本来、歓迎すべき事柄のはずだった。
しかし、彼の胸の内は波立っていた。
それは先日のこと。
「――申し訳ないが、私はもうスノウオウルに関わる気はない」
ルナールの教官室。
それを聞いたネズミのような顔をした男が、意外そうに言った。
「どうした。あれほど忌み嫌っていたのに」
この男は多くの有力貴族とつながりを持つ、有名な〝汚れた手〟であった。
それは情報屋であり、仲介業者、脅し屋、そして始末屋でもある。
自分の手を汚したくない貴族の代わりに手を汚す、裏の何でも屋が彼らであった。
「別にどうしたというわけでもない」
「ビビったならそう言えよ、ヒヒッ」
ルナールはこの男が嫌いだった。
特に気に食わないのは、常にルナールを見下したような態度をとること。
この部屋に断りもなく入ってくるのはいつものことだし、今もお気に入りのデスクの上に腰を下ろして、膝まで立てている。
それでもルナールが嫌悪感を表に出さぬよう忍耐を続けるのは、この男に依頼する貴族たちの家名を恐れているからに他ならない。
「……そうだな。私は恐れているのかもしれない」
ネズミ顔の男はそんなルナールの顔をじっと見つめていたが、やがてデスクから飛び降りた。
ルナールに近づき肩に手を回し、親しげに話し出す。
「なあ、ルナール先生。なにも心配しなくていいんだ、うん。今回の的はスノウオウルじゃないんだから」
そう言って男は、生徒の名前が書かれた紙をルナールに見せた。
「ラナ=アローズ?」
「無色ごとき、ルナール先生なら簡単だろう?」
「……」
「ココだけの話、今回の依頼主には将来性がある。ここで恩を売っておけば、先生がソーサリエの校長になる日もグッと近づくと思うぞ?」
しかし、ルナールは首を横に振った。
「……アローズはスノウオウルに近しい。私には無理だ」
するとネズミ顔の男は、スッとルナールから離れて教官室の扉へと向かった。
「フン。腑抜けめ」
そう言い残し、男は姿を消した――。
(私は後悔しているのか?)
(受けておけばよかったと。断ったとしても、どうせ結果は変わらないのだから)
(だから私の心はこんなにもざわめいて)
(違う。私は――)
そのとき。
思いを馳せていたルナールの肩を、誰かがふいに掴んだ。
ギョッとして振り返ると、そこには顔を紅潮させたオズとロロが立っていた。
「なんだ、お前たち。教官の肩をいきなり掴むなど――」
ルナールはオズの手を振り払ったが、今度は襟の後ろを掴まれた。
「ちょっと来い!」「来てください!」
「やめろ! 離さんか!」
掲示板前を離れ、物陰まで来て、やっとオズは手を離した。
「どういうつもりだミュジーニャ! 貴様、魔導実技試験で試験官である私に呪詛をかけたこと忘れておらんぞ!」
叱責しようとするルナールに対し、オズは自ら顔を近づけてきた。
「んなことはどうでもいい。あんたか?」
「いったい何のことだ!」
「ラナのことだ! 手を回したのはあんたなのか?」「なのですか!?」
ルナールはようやく二人の意図を理解した。
大きく息を吐き、乱れた襟を正す。
「私ではない」
「とぼけるな!」「信用できません!」
するとルナールは、右手のひらを顔の横まで持ち上げて言った。
「亡き母と私の信ずる神に誓おう。アローズの件に私は関わっていない」
オズとロロは顔を見合わせた。
「もういいか? では行かせてもらうぞ」
そう言って立ち去ろうとするルナールの腕を、オズがガシッと掴む。
「ミュジーニャ!」
「ダメだ。一緒に来てもらう」
「なんだ、私を拷問でもする気か?」
「違う。あんたの命が危うい」
「はあ? 何を言ってる?」
「ロザリーが消えたんだ」
途端、ルナールの顔が凍りついた。
そのままゆっくりとロロへ視線を向けると、彼女も頷いた。
「それを早く言わんか!」
ルナールはオズの手を振り払い、早足で歩き始めた。
「待て! ロザリーはあんたを狙うかもしれない! だから一緒に来いと――」
「――お前たちが私について来い! 手遅れになる前にスノウオウルを止めるぞ!」
オズとロロは再び顔を見合わせ、それから小走りにルナールの後ろに続いた。
「どこへ行く気なんだ、ルナール教官?」
「スノウオウルが最初に行くであろう場所だ!」