124 自尊心
魔導量計測の試験が終わった。
採点の手間がないため、結果はすぐに貼り出された。
学生課下の大型掲示板の前に、大勢の生徒が集まっている。
【魔導量計測結果】
一位 1001点 ロザリー=スノウオウル(赤)
二位 832点 グレン=タイニィウィング(青)
三位 717点 ジュノー=ドーフィナ(緑)
四位 710点 オズモンド=ミュジーニャ(赤)
五位 456点 ウィニィ=ユーネリオン(黄)
六位 438点 ラナ=アローズ(無)
七位 435点 テレサ=エリソン(青)
八位 403点 ポポー=クーラン(緑)
九位 343点 イザベル=ファートン(赤)
十位 329点 デリック=レイバーン(青)
三年生の男子生徒数名が、結果を見ながら話し込んでいる。
「ずいぶんと差がついたな……」
「ロザリーが一位、か」
「ま、それはそうだろうよ」
「でもさ、1001点ってなんだ? 1000点満点だろ?」
「そりゃあ……」
「満点を超えてるってことか」
「ん……」
「ロザリーはいいさ、想定内だ。問題はその下の三人だろ? なんでこんなに他と差がつく?」
「俺ら、出来が悪いのかもな」
「そんなことはない。去年の魔導量トップのミンツ先輩が、たしか300点台後半だったはずだ」
「そうなのか?」
「よく知ってんな」
「ってことは……もしかして俺たちって黄金世代?」
「いや、上位が特殊なだけで、俺らは例年通りだからな?」
「つーかさ。グレンとジュノーはわかるよ。オズモンドって、あのオズだろ? 赤のクラスの!」
「ああ」「ヘタレのオズな」
「なんであいつがこんなに魔導多いんだよ! ジュノーとほとんど同じくらい……」
「たしかオズは実習先、黒獅子騎士団だったろ」
「っ! そうか、グレンやジュノーと同じ……」
「黒獅子の生き残り三人か。そう考えると妥当かもな」
「ちょっと待てよ。黒獅子騎士団に実習行けば、ヘタレでも魔導量増えるのか?」
「結果を見る限りそういうことなんじゃないか?」
「なんだよ。俺も黒獅子行けばよかったぜ」
すると、そう発言した生徒以外が絶句し、続いて一斉に笑い出した。
「フハッ! お前じゃ無理無理! 三日で逃げ出すって!」
「わかってんのか? 生き残れたらの話だぞ?」
「何人消えたと思ってんだよ、ククッ」
笑われた生徒が、口を尖らせる。
「じょっ、冗談だよ、冗談! ……そんなに笑わなくてもいいだろ」
そんな彼らから離れた場所に、一人の男子生徒がいた。
歯噛みして、憎々しげに掲示板を睨んでいる。
(馬鹿げてる!)
(なんでラナの名前があんなとこにあるんだ!)
彼の名はレントン=ニルトラン。
親友が実習から戻れなかったことを契機に、なぜか実習を乗り越えた無色――ラナのことを強く憎むようになっていた。
ラナを潰すべく仲間と画策したが、実行に移す前に断念していた。
それは彼女がロザリー派に入り、共に行動するようになったからだ。
レントンは激情家であったが、同時に忍耐強くもあった。
彼の尊敬する父が常々、彼に我慢強くあるよう求めたからだ。
ロザリーと事を構えるのは得策ではない。
そう判断したから、どうにか我慢した。我慢できた。
しかしここにきて、レントンの我慢は限界に達していた。
(……許せねえ)
(魔導量六位だと?)
(俺より多いだと!?)
(術も使えない不良品が、そんなわけあるか!)
(何か不正な手段を使ったんだ、でなきゃあり得ない!)
(そうさ、そもそも実習なんて行けるわけないんだ、実習先が無いんだから!)
(ロザリーか。ロザリーが何かしたんだ、そうに決まってる!)
(無色が俺より優れているはずがない!)
その夜。
貴族の邸宅が並ぶミストラル上層。
そのうちの一つ、ニルトラン家の邸。
「あなた、お帰りなさいませ」
「うむ」
差し出された妻の手に、腰から外した剣を置く。
ニルトラン子爵。
長身痩躯のこの男は、俊英として知られる有力貴族である。
疲れた様子で魔導騎士外套の襟を開き、居間のほうへ歩いていく。
「遅くまでご苦労様でした」
「なに、いつものことだ。変わったことは?」
「あの、レントンが――」
「レントンがどうした?」
ニルトラン子爵が聞き返した、そのとき。
「――父上!」
レントンが階段を駆け下りてきた。
いるはずのない息子の姿に、ニルトラン子爵が眉をひそめる。
「レントン。今は卒業試験中で戻れぬはずだ、なぜここにいる」
「実は、父上に折り入ってお願いしたいことが――」
「無事卒業したら聞こう。たいていの願いは叶えてやるとも」
「父上! 今でないとだめなんです!」
ニルトラン子爵は大きなため息をついた。
「……レントン。父は遅くまでの宮廷務めで疲れている。お前もソーサリエに戻り、自分の務めを果たしなさい」
「父上のおっしゃる通りよ。さ、レントン」
母の手がレントンの背中に伸びる。
レントンは父から諭されると、俯いて黙ってしまうのがお決まりだった。
それを母が励ますのも、またお決まり。
だが今回は、涙目になりながらも父を見据えた。
「卒業してからでは遅いのです」
ニルトラン子爵はいつもと違う息子の様子に、目を細めた。
「言ってみなさい」
レントンの顔がパアッと明るくなった。
父に認められた気がして、興奮気味に話し出した。
「貴族として、騎士を志す者として、どうしても看過できない同級生がいるのです! 本来なら私が自分でどうにかしなければいけないのですが、そいつは化け物じみていて……いや、化け物なんて生温い、もっとおぞましいものです。同じ学年にいるというだけでも気分が悪いのですが、そいつが――」
ニルトラン子爵が話を遮った。
「――待て。それはロザリー=スノウオウルのことか?」
「そうです! 父上もご存じなのですね! あいつが――」
「――彼女には手を出すな」
「はっ?」
ぽかんと口を開けるレントンに、ニルトラン子爵が語り出した。
「コクトー宮中伯は知っているな? 宮中を一手に取り仕切る、陛下の右腕。私の上役でもある。スノウオウルはその御仁のお気に入りだ」
「お気に入り……」
「伯曰く、スノウオウルは大魔導に次ぐ魔導の持ち主ではないかという話。であれば王国有数の騎士となるのは明白だ」
「は……」
レントンの瞳が激しく揺れる。
「人脈、能力、将来。三つが揃うスノウオウルと争うべきではない。むしろ媚びを売るくらいで丁度いいだろう。卒業までに親交を深めておきなさい。お前の将来に役に立つ日が来るかもしれない」
母が何度も頷く。
「父上はあなたのためにおっしゃってくれているのよ。わかるわね、レントン。……レントン?」
レントンは震えていた。
尊敬する父がロザリーを評価したことが、彼女への憎悪を増幅させた。
「父上……悪い冗談です」
「なに?」
ニルトラン子爵の顔が曇る。
「あんな死体臭い女に媚びへつらう? そんなのご免だ、死んだほうがマシです! 騎士の誇りが許さない!」
ニルトラン子爵が、ゆらりと首を回した。
「父には騎士の誇りがないと。そう申すか、レントン」
「ゔっ」
「出世のために媚びへつらってばかりいると。息子のお前までそう言うのか」
父が発する威圧感にレントンの足がすくむ。
母が青ざめた顔で間に入る。
「そうではありません、あなた! ……レントン! 父上になんてことを! 謝りなさい、さ、早く!」
取り成しも虚しく、ニルトラン子爵のこぶしがレントンに降ってきた。
「ぎゃっ!」
一発、二発……レントンが床に崩れても、暴力は止まない。
「甘やかしすぎたようだ! 一人息子だからと! 話して聞かせればわかると!」
「止めて、あなた! 止めてくださいましっ!」
妻に止められ、やっとニルトラン子爵はこぶしを下ろした。
肩で息する彼の足元で、レントンは頭を抱えてうずくまっていた。
「話は済んだ。ソーサリエへ戻りなさい」
そう言ってニルトラン子爵は、踵を返した。
自室へ向かう彼の耳に、呻くようなレントンの声が聞こえる。
「……色なのです」
「レントン! もう止めなさい!」
母が制止しても、レントンは止めない。
思いのたけが次々と、口からこぼれていく。
「無色なのです! 無色のくせに騎士を目指してる!」
「どうせなれないと思ってた! でもなろうとしてる!」
「このままじゃ卒業してしまう!」
「無色が魔導量が六位とか、絶対おかしいんだ!」
「ロザリーが何かやったんだっ! そうじゃなければこんなこと……っ!」
レントンは涙とよだれでぐちゃぐちゃになった顔で、床を殴りつけた。
そのまま突っ伏して泣いていると。
「……あなた?」
母の声がして、レントンは顔を上げた。
ニルトラン子爵は、レントンのすぐそばに立っていた。
父は静かに膝を折り、息子の顔を覗き込んだ。
「詳しく話しなさい」
同刻。
ソーサリエ、校舎屋上。
「ふっ! ふっ!」
滝のように汗を流しながらカシナ刀を振る、ラナの姿があった。
前髪は額に張り付き、背中はぐっしょりと濡れている。
手すりに腰かけ、それを眺めるのはヒューゴ。
ヒューゴが言う。
「無色が役立たずと罵られるのは、術を使えないからだけではなイ」
「ふっ! ふっ!」
「魔導が貧弱だからサ」
「ふっ! ふっ!」
「術を使えないから魔導を多く消費することができズ、消費できないから魔導ガ成長しない」
「ふっ! ふっ!」
「キミは違う。術は使えずとも、消費する術を持っていル」
「ふっ! ふっ!」
「倒れるまでカシナ刀を振るんダ。今よりも明日、強くあるために」
「ふっ! ふっ!」
「罵る者たちを見返したいならば、キミは無色の魔導を極めなさイ」
「ふっ! ……ねえ、ヒューゴ。聞いていい?」
「なんだイ?」
「卒業試験。ロザリーに協力しないって本当なの?」
「アァ、本当だとも。黒犬やグラットンも影の中でボクが止めル」
「なぜそんなことを?」
「だってつまらないじゃないカ」
そう言って、ヒューゴは小石を指で弾いた。
小石は糸を引くように飛び、ラナの脇腹にビシッと当たる。
「いったっ!」
「手がお留守だヨ。続けなさい」
「はーい……ふっ!」
「そりゃあボクがいれば楽勝サ。でも楽して得た勝利になんの価値がある?」
「ふっ! ふっ!」
「ベルムとは戦だという。ごっこにせよ、戦の経験を積める機会は貴重ダ。苦労したほうがイイ」
「ふっ! ふっ!」
「何ヨリせっかくの大舞台なんダ。楽しちゃダメだ、楽しまなきゃ」
「ふっ! ふ――うっ!?」
ラナがバランスを崩し、倒れ込む。
それを見て、ヒューゴが手すりから飛び降りる。
「おおかた消費できたようだネ。では稽古を始めよう」
ヒューゴが細剣を抜くと、ラナは膝に手をつきフラフラと立ち上がった。
そしてカシナ刀を眼前にピタリと構える。
ヒューゴはほくそ笑んだ。
(若さとは実にいいものダ)
(ひたむきで。まっすぐで。嫉妬してしまうヨ)
ラナは大きく息を吸い、声を上げた。
「行きます!」
「アァ。いらっしゃい」
ヒューゴに立ち向かうラナの瞳は、月のように輝いていた。
「負けない! 絶対に騎士になる!」