118 卒業試験開始
卒業試験が始まった。
第一の試験は、座学全般と魔術学から出題される筆記テスト。
場所は四つの大教室。
魔導性ごとに分かれ、三日かけて行われる。
今日は筆記テスト最終日。
最後の科目は魔術――ロザリーの場合、魔女術になる。
カリ……カリ……。
羽根ペンの走る音が無数に聞こえ、たまにため息や咳払いが聞こえるだけ。
意識を向ければ、隣の生徒の呼吸音が聞こえるほど静かだ。
ロザリーは順調に、回答を重ねていた。
(ひも状の物体に仮初の命を宿し、意図通り動かす術は――【蛇縄術】、と)
(楽勝、楽勝!)
(次は――んっ? 次の文章のうち、間違っている部分を青のインクで正せ?)
(間違いはすぐにわかる……けど、青のインクなんて持ってきてないよ?)
視線だけでちらちらと他の机を見回すが、インク壺を複数持っている生徒は見当たらない。
もしかして用意されているのかもと思い、ロザリーは自分の机の引き出しに手をかけた。
引き出しは開かなかった。
鍵がかかっている。
(……なるほどね)
ロザリーは目立たぬように指を波打たせ、引き出しに【鍵開け】を使った。
引き出しを引くと、青のインク壺がぽつんと置かれている。
ロザリーは思わずにやけた。
(筆記テストに実技を混ぜるあたり、問題作成者はヴィルマ教官ね)
――それから一時間後。
試験終了を告げる鐘が鳴った。
「ふぅ~。終わったぁ」
ロザリーが仰け反って大きく伸びをすると、後ろの席のロロがクスッと笑った。
「大袈裟にため息なんかついて。ロザリーさんなら楽勝だったでしょう?」
ロザリーが顔だけで振り返る。
「そんなことないよ。ほんとに疲れた」
「またまたぁ。青インクの問題を、ずいぶん前に解いていたじゃないですか」
「うっかりミスが多いから、頭から見直してたんだ」
「ああ、なるほど」
ロザリーはふと、思い出し笑いをした。
「ロロってば、終了直前まで引き出しをガチャガチャやってたね?」
するとロロが口を尖らせる。
「この鍵、難しくありません? 【鍵開け】に気づけば、すぐ開けられるくらいの難易度でいいのに!」
「ロロの鍵だけ難しかったりして」
「ええっ!? ……ヴィルマ教官の意地悪さなら、十分にありそうですが」
大教室の皆が、ロザリーとロロのように雑談に興じている。
と、それを一喝する声が響いた。
「私語を慎め! まだ終わっていないぞ!」
この時間の試験官、ルナールである。
「伝えていた通り、今年は最後に小論文がある! これから問題と解答用紙を配る! 問題は裏返しのまま机に置き、指示を待つように!」
ロザリーは愕然とした。
回ってきた問題と解答用紙を受け取り、青ざめた顔で後ろのロロに回す。
「小、論、文?」
ロロは自分の後ろに用紙を回しつつ、こともなげに言った。
「ええ。先月くらいにルナール教官が言ってましたよね?」
「……覚えてない」
「ロザリーさん、ルナール教官の授業はよく寝てますもんねぇ。でも、テスト期間前に配られた試験概要にも書いてありましたけど」
ロザリーは頭を抱えた。
「……ちゃんと確認してない」
「あらら」
「ロロは準備した?」
「もちろん」
「うああ、ヤバい……」
「でも、ロザリーさんなら大丈夫かと」
ロザリーが頭を抱えたまま、ロロを睨んだ。
「なんで?」
「どうせ小論文のテーマは、この問題用紙をめくるまでわかりませんし」
「そうなの? ……じゃあ、ロロは何を準備したの?」
「テーマは不明ですが、ひとつ注意書きがあったんです。『古代魔導語を二語以上、覚えて臨むように』と」
「古代魔導語を?」
「昨今、古代魔導語を使える人材の減少が社会問題になっています。たぶん、それを受けてのことかと。来年か再来年あたりには、必修科目になっているかもしれませんねぇ」
ルナールの声が大教室に再び響く。
「問題と解答用紙、足りないものはいるか! ……いないな? では、始め!」
一斉に問題用紙をめくる音がこだまする。
ロザリーだけは、恐る恐ると問題用紙をめくった。
『あなたが属する魔導性について、他の魔導性と比較して優れた点を論じよ』
『ただし、古代魔導語を二語以上用いるものとする』
問題を読んで、ロザリーは安堵のため息をついた。
(テーマは難しくない)
(ああ、でも……私の場合、死霊騎士? 魔女騎士?)
(魔女騎士でいいか、なにも死霊騎士について教えてやることはない)
(古代魔導語を二語以上、か。これは点差がつきそうね)
(さて。どの単語を使おうか――)
ロザリーは頭の中にある、卓越した古代魔導語学者でもあるノアの知識にアクセスした。
が、そこには聞きなれぬ言葉の海が広がっていた。
ロザリーはめまいを感じ、すぐにノアの知識から意識を離した。
(――多すぎる。選ぶどころじゃない)
(古代魔導語で話そうとすれば、自然に出てくるんだけどな)
(そうだ。話すつもりで、全編古代魔導語で書いちゃえ!)
こうして、のちに古代魔導学会を揺るがすことになる〝ロザリー論文〟の執筆が行われたのだった――。
――三日間の筆記テストが終了し、ロザリーはロロたち赤のクラス生と共に作戦本部へと向かった。
すると、リビングのソファに寝転ぶラナの頭が見えた。
「ういーっす、ラナ。お疲れ~」
ラナが上半身をむくりと起こす。
「ロザリー、お疲れ~。ロロにウィリアスにルークもお疲れ~」
「お疲れ様です」「お疲れ」「おつー」
一人名を呼ばれなかったオズが、ムッとした顔を浮かべる。
「おい、俺は!」
「あー、いたんだ? オズもお疲れ~」
「チッ。お疲れ!」
ロザリーたちはそれぞれにソファや絨毯の上に腰を下ろした。
ラナが誰にともなく尋ねる。
「ねえ。赤のクラスの勧誘は失敗したの?」
ラナがそう言うのは、ロザリー派の顔ぶれが変わっていないからだ。
今いるのは、勧誘作戦を話し合ったときと同じ六人だけ。
「失敗ではないと思いますがね」
そう切り出したのはロロだった。
「ベルさんとギリアム君にジュノー派だと認めさせたのは大きな成果です。選択肢は二つだと誘導して、ジュノーに付かないならロザリーさんに付くべきだという印象も与えることもできた」
オズが頷く。
「見せ方よかったよな。ロザリーとウィリアスが握手した瞬間、完全にこっちのムードになったもん。ベルは歯ぎしりしてたぜ」
「……オズ君が考えなしに口出したときは、どうなるかと思いましたがねぇ?」
ロロは魔導充填薬の件の意趣返しとばかりに、嫌味ったらしくオズに言った。
しかし、オズは。
「台本通りだけど?」
と、一言。
ロロが驚いてウィリアスの顔を見ると、彼は苦笑した。
「オズは放っとくと何を口走るかわからないからな」
ロロはため息交じりに感嘆した。
「だから役割を与えて、オズ君を制御したわけですか。さすがはウィリアス君、不調法者の扱い方まで心得ているとは」
オズが首を捻る。
「ぶちょーほー? それって何語? 古代魔導語?」
「オズ君は気にしなくていいです」
ロザリーが口を開いた。
「でもさ。アイシャさえ顔を見せないのはどうなの?」
ウィリアスは問題ない、というふうに手のひらを振った。
「アイシャには、できるだけ女子を連れてきてくれと頼んでる」
「そうなんだ。……アイシャがそう動いてくれるなら、期待できる気がしてきた」
「期待していい。彼女をすんなり引き込めたのは大きい」
ロロも頷く。
「彼女って勝気で喧嘩っ早いですけど、不思議な魅力がありますからねえ。……ラナさんに似ているかも」
「私?」
ラナが自分を指差すと、オズがにんまり笑って頷いた。
「ああ。魅力以外はそっくりだ」
オズに向かってクッションが飛ぶ。
ウィリアスが話を続ける。
「男子のほうも、もう少しとれそうだ。これはギリアムの人気がないおかげだが」
「ふふ、ギリアムさまさまだね」
ロザリーが笑うと、ウィリアスは少し言いにくそうに切り出した。
「ロザリー。ギリアムに人気がない一方で、お前のことを嫌がってる――いや、怖がってる奴も想像よりいるようだ」
「わかってる、それは仕方ないよ」
「で、だな」
ウィリアスが他の五人の顔を見回した。
「勧誘作戦、第二弾をやろうと思う」
ロザリーが問う。
「何をやるの?」
「見学ツアーだ」
「見学ツアー!?」
オズが呆れたように言った。
「この忙しい時期に、どこを見学するってんだ?」
するとウィリアスは、腰を下ろしているソファをぽん、ぽんと二度叩いた。
「ここだ。この作戦本部を見てもらう」
「あー。そういうことか……」
オズは腑に落ちたようだ。
ラナやロロやルークも、納得した様子で頷いている。
ロザリーだけが、その意義がわからない。
「なんでここを見てもらうのが勧誘作戦なの?」
ウィリアスが答える。
「俺はこの部屋に入ったとき、とても驚いた。きっと、オズたちもそうだったはずだ」
オズとロロ、ラナが揃ってうんうんと頷く。
「同じように他のみんなにも驚いてもらおう、って寸法さ」