104 チェンジリング――2
教室を出たヴィルマが廊下を見渡す。
「……いない」
ロザリーの姿はない。
ヴィルマは渡り廊下のほうへ走り出した。
靴のヒールがガツガツと床を鳴らす。
「もうっ、走りにくいな!」
靴を脱ぎ、手に持って走り出す。
このヴィルマの中身、実はロザリーであった。
先ほどの儀式は精神を入れ替えるものだったのだ。
慣れない身体で廊下を走り抜け、ヴィルマは校舎を出た。
キョロキョロと四方を見回すが、やはりロザリーの姿はない。
ヴィルマは上を見上げた。
校舎には、一階ごとに庇がある。
ヴィルマは一階の庇へと跳んだ。その庇を足がかりに二階の庇の上へ。
二階から三階、そして三階の庇から屋上へと出た。
高い視点からロザリーを捜す。
「……いないっ! どこ行ったのよ、私っ!」
苛立ち、焦るヴィルマ。
「落ち着け、落ち着け……そうだ、墓鴉! もっと高い視点から捜せば――」
そうして自身の影を見つめるが、なんの反応もない。
ヴィルマは頭を掻きむしった。
「そうよね! 私の身体じゃないもんね! もうっ!」
そこまで言って、掻きむしっていた手が止まる。
「そうだ! これなら……」
持っていた本から一冊選び、残りを投げ捨てる。
その一冊から、一枚ページを破った。
そして破ったページを折り紙して、鳥の形にする。
それを手のひらに乗せ、唇を寄せてヴィルマは囁いた。
「ロザリー=スノウオウルの元へ飛べ」
鳥の折り紙に命が吹きこまれ、宙に羽ばたいた。
【手紙鳥】はヴィルマの頭上を二、三度旋回し、ロザリーを目指して飛び立った。
ヴィルマはそのあとを追って、また駆け出す。
地面に下りて追いかける暇はない。
今いる屋上から、隣の校舎の屋上へ跳ぶ。
だが、目算が狂い、隣の屋上に届かない。
「っと、危なっ」
思いきり右手を伸ばし、指の先がギリギリかかった。
左手も伸ばし、屋上へ這い上がる。
「身体が重いな。いつもより魔導が少ないからだ。気をつけなきゃ」
空に【手紙鳥】を探し、追跡を再開する。
「……魔導ごと入れ代わる。こんな恐ろしい魔女術が存在するなんて。急がなきゃ、私の身体で何をされるか。……ヴィルマ教官、何をするつもりなんだろう?」
それを想像しようとして、ヴィルマはブルリと身体を震わせた。
「あの人の頭の中なんて想像つかない。でも、すごく恐ろしいことをやりかねない気がする」
そのとき。【手紙鳥】が降下を始めた。
一階の高さまで下りて、開いていた窓から校舎へ入っていく。
「あれは……教員棟? 自室に戻ったの?」
ヴィルマは走り、勢いよく宙に身体を投げ出した。
そのまま一気に、教員棟近くの渡り廊下の横に飛び降りる。
膝を折り曲げ、着地した瞬間。
「ぬおっ!?」
頭上から声がした。
見上げると、嫌味な教官――ルナールがすぐそこにいた。
(しまった! 下を確認してから飛び下りるんだった!)
ヴィルマが心の中で舌打ちしていると、ルナールが目を細めて言った。
「感心しませんなあ、サラマン教官」
ヴィルマは作り笑顔で返答した。
「すいません、ルナール教官。最近、身体が鈍っていたので運動をと……」
「私が言いたいのは、そういうことではない」
「ではなんでしょう?」
そこでヴィルマが気づく。
ルナールの視線は、ヴィルマの目より低いところへ向かっている。
「脚の付け根が見えておりますぞ」
「あっ!」
ヴィルマは慌てて立ち上がり、スカートの裾を直した。
「私だったからよかったものの、生徒だったらなんとしますか。少しは恥じらいというものをお持ちなさい、はしたない」
そう言ってルナールは、汚物を見るような目でこちらを見てきた。
(やっぱムカつく、ルナール。ヴィルマ教官だったら、なんて返すかな……?)
それを想像し、ヴィルマはにっこりと笑った。
「あら。あなたのお顔ほど、はしたなくはありませんわ」
「なっ、なぬっ!?」
思わぬ答えに、目を白黒させるルナール。
「それでは急ぎますので。ごきげんよう」
ヴィルマは笑顔で会釈し、教員棟へ向かった。
(これで合ってたのかな。ま、スッキリしたからいいか)
そして教員棟に一歩入って、ヴィルマはふと立ち止まった。
ささっと影に隠れ、周囲に誰の目もないことを確認する。
そして、そっと自分の服の胸元を引っ張った。
できた隙間に視線を落とす。
(うわあ、おっき……)
すぐに顔を上げ、再び歩き出したヴィルマ。
厳しい表情こそしているが、その頬は赤らんでいた。
やがてヴィルマの部屋が見えた。
部屋の扉に、【手紙鳥】がカツン、カツンとぶつかっている。
「間違いない、ここね」
ヴィルマは【手紙鳥】に近づき、素早く捕獲して懐に入れた。
ドアノブを握って回すが、扉は開かない。
「【鍵掛け】。さて、今の魔導で開けられるかな……」
ヴィルマは指を波打たせ、両手を重ねた。
手先を尖らせ、鍵穴に挿す動きをする。
「前と似た造り……いける……」
手首を左にねじると、ガチャリと鍵が開いた。
扉を開き、中へと入る。
「ヴィルマ教官!」
返事はない。
懐から【手紙鳥】が這いずり出てきた。
ヴィルマから飛び立って、部屋をぐるりと旋回する。
そして壁の一部分にカツン、カツンとぶつかり始めた。
「なんだろう?」
壁には魔女の夜宴の様子が描かれた、大きなタペストリーが掛けられている。
「隠し部屋? ……それはないか、この壁の向こうは廊下だしね」
しかし【手紙鳥】は、相も変わらずタペストリーの掛かった壁にカツン、カツンとぶつかり続けている。
ヴィルマは小さく名を呼んだ。
「……ヴィルマ教官?」
するとタペストリーの裏から聞き馴染みのある声がした。
「ここよ、ロザリー」
タペストリーをめくると、そこにも絵があった。
原寸大の、精巧な扉の絵だ。
「まさか、ね……」
絵の扉を引くことはできないので、恐る恐る押してみる。
すると、絵の扉はゆっくりと開いた。





