103 チェンジリング――1
「……まったく。本物を呼び出した人なんて初めて見たわ」
瞼を押さえるヴィルマに、オズが言う。
「ヴィルマ教官。俺たち成功だよな?」
ヴィルマは瞼から指を離し、それからロザリーたち一人一人を指差して怒鳴った。
「大! 失! 敗!」
ロザリーたち三人はうなだれ、クラスメイトたちが笑う。
小声でロロが言う。
「オズ君、あれでよく成功とか思えますね」
「だって、実物出したの俺たちだけじゃん。大成功だろ」
「本っ当にポジティブですねえ。うらやましい限りです」
「そうか? 照れるな」
「褒めてないです」
一方ヴィルマは、三人をじっと見つめていた。
特に、ロザリーのことを。
「ロロ、オズ。二人はウィリアスのグループに入れてもらいなさい。……ウィリアス! 悪いけどお願いね?」
ウィリアスは親指を立てて受け入れた。
ロザリーがおずおずと尋ねる。
「あの、私は?」
「ロザリーには無理ね。私とやりましょう」
そう言って、ヴィルマは教壇のほうへ向かう。
無理というワードに愕然とするロザリー。
後ろからオズが言う。
「や~っぱり、ロザリーのせいだ」
ロザリーはキッと振り返り、「連帯責任!」とオズの手首を掴んだ。
オズはその手を振り払い、教壇のほうを指差した。
見ればヴィルマがロザリーに手招きしている。
「ロザリー。早くいらっしゃい」
ロザリーは観念し、とぼとぼと教壇のほうへ歩き出した。
「いいなあ、ロザリー。ヴィルマ教官にマンツーマン指導してもらえるなんて!」
「オズ。黙って」
「手取り足取り……うらやましー!」
ロザリーは鼻に皺を寄せて、オズに向けてべーっと舌を出した。
それを見たオズはニヤニヤ笑いつつ、ウィリアスのグループに向かった。
ヴィルマは教壇の前の床に、ぺたりと座っていた。
「さ、ロザリーも」
ロザリーはヴィルマと対面する形で床に座った。
「……何をするんですか?」
「私と二人で儀式をするの」
「ルーシーさんを?」
「まさか。あなたにそれをやらせて学びがあるとは思えない。それに、私がやるとルーシーちゃんが出てきてしまうわ」
「あ、約束」
「そっ、約束。本来雑霊というのは、とるに足らない霊の集合体で、人格などないのだけどね」
「ルーシーさんとルーシーちゃんは違う?」
「少なくとも〝ルーシーさん〟の儀式で呼び出すものとは別物ね」
「……すいません、変なの呼び出して」
「構わないわ、ユニークな知り合いができるのも、楽しいものよ」
そう言ってヴィルマは微笑み、左の手のひらを差し出した。
「右手を上に重ねて。左手は逆。あなたが手を出して」
ロザリーは言われるがままに手を重ね、左の手のひらを差し出した。
ヴィルマがそれに右手を重ねる。
「ロザリー。あなたは魔女術をよくよく知ってる。おそらくは、私より多くの術を知っている」
「そんなことは」
「謙遜しなくていい。……でも、知らない術もある。【手紙鳥】は知らなかった。そうよね?」
「はい」
「なぜ?」
「……使っている魔導書が古いものなので」
「そう。なら、これからやる術も、おそらくは未知のもの」
「どんな術をやるんですか?」
「秘密。ちょっと待ってね、調整するから」
そう言って、ヴィルマは目を閉じた。
「調整、ですか?」
「儀式はね、参加者の間で魔導量に差がありすぎると、うまくいかないものなの」
「じゃあ、私たちが上手くいかなかったのって」
「ロザリーのスケールが大きすぎるから」
「ほんとに私のせいか……」
「ロロがもう一人いればうまくいったと思うのだけどね。彼女って何気に器用だし。でもロロは一人しかいなくて、もう一人のオズは調整なんてまったく気にしないから」
そして、ヴィルマは目を開けた。
「今からやる儀式は、必ず二人で行う。一人でも三人でもいけない。呪文は対話形式になる。先に私が質問するから、ロザリーはそれを否定してちょうだい」
「否定?」
「私の言うことに、『違う』『そうじゃない』というふうに答えればいい。でも『いいえ』ばかりじゃ冷めてしまうから、真に迫る感じで否定してほしいわ」
「……はあ。やってはみますが」
「気楽にね。とにかく否定すればいいから」
「わかりました」
「あ、そうそう。できるだけバレないようにね?」
「……はい?」
ヴィルマは一瞬いたずらっぽく笑って、すぐに真剣な顔つきに変わった。
「これより儀式を始める」
その声色に、空気が変わる。
ロザリーは神妙な面持ちで頷いた。
「赤ん坊は起きているか?」
ヴィルマの口から出たのは脈絡のない質問。
ロザリーは否定、否定と考えながら、彼女に答える。
「寝ている」
「かわいい子だね?」
ヴィルマが問うと、
「かわいくはない」
と、ロザリーが否定する。
ヴィルマの質問とロザリーの回答が繰り返されていく。
「赤ん坊の近くに人はいるか?」
「誰もいない」
「赤ん坊を盗んでいいか?」
「ダメだ」
「子供部屋の蝋燭は灯っているか?」
「消えている」
「ヤドリギの小枝はあるか?」
「そんなものはない」
「ゆりかごの上にハサミを置いたな?」
「置いていない」
「卵の殻で酒を醸す方法を知っているか?」
「知らない、聞いたこともない」
「盗めそうだな?」
「不可能だ」
「では盗むのはやめよう」
「いや、盗め」
「どっちだ?」
「どっちでもない」
「そう。どちらでもない」
「いや、どちらでもある」
「赤ん坊は起きたか?」
「寝ている」
「取り替えたのに気づいたか?」
「気づいていない」
ヴィルマはニヤリと笑い、繋いだ手を離した。
そして手をパンッ! と打って、最後に言った。
「取り替え完了」
すると、ロザリーもニヤリと笑った。
それを見たヴィルマの顔が、呆気にとられた表情に変わる。
驚いて固まるヴィルマをよそに、ロザリーがすっくと立ち上がった。
彼女はトコトコと扉へ向かい、そのまま教室を出ていく。
それに気がついたオズが、椅子ごと身体を仰け反らせた。
「あれ? ロザリーどこ行った?」
「オズ君! コインから手を離さないでください!」
ロロが口を尖らせて言うが、オズは気にもしない。
「なあ、ロザリーはどこ行ったんだ?」
「知りませんよ! ヴィルマ教官に聞いてください!」
するとオズは、手を挙げて立ち上がった。
「ヴィルマ教官!」
「ああ、もう……」
頭を抱えるロロと、オズを抗議の視線で見つめるウィリアスグループの面々。
でもやはり、オズは気にしない。
「ヴィルマ教官、聞いてますー?」
相変わらず驚いた表情のままのヴィルマが、ゆっくりとオズに視線を移す。
「どうしたんですか、ヴィルマ教官!」
ヴィルマは「あ、私?」と小さく呟き、上ずった声で言った。
「なに? オズ?」
「ロザリーはどこ行ったんですか?」
「どこって……えっ、どこに? どこに行って何をするつもり?」
ヴィルマの瞳が細かく揺れる。
「……ダメ。マズいかも。追いかけなくちゃ!」
ヴィルマは勢いよく立ち上がり、生徒たちに言った。
「はい、止め止め! 儀式中止! 残りは自習!」
教室じゅうから「えーっ!?」と抗議の声が上がる。
ヴィルマは教卓の上の本をかき集め、扉へと向かう。
今度はウィリアスが立ち上がった。
「ヴィルマ教官」
呼び止められたヴィルマが、振り返って怒鳴る。
「なによ!」
「志望騎士団の調査票を回収するのではなかったのですか?」
「そんなの明日でいいわ!」
「しかし、黄金城にも提出するから、絶対に忘れるなと」
「あーっ、もう! そういや、そんなこと言ってた気もするっ!」
ヴィルマは頭を掻きむしり、それからウィリアスの隣を指差した。
「ロロ! みんなから調査票を回収して、私の部屋まで持ってきなさい!」
「えーっ」
「断れば呪うわよ」
「……はあい」
「よろしい!」
ヴィルマは乱暴に扉を開けて、外へ出ていった。
ロロが言う。
「ヴィルマ教官、なんだか変でしたねえ」
するとオズが言う。
「ロザリーがまたなにかしでかしたんじゃね?」
「そうかもしれませんねえ」