102 テーブルターニング
実習が終わり、授業が再開して、ひと月が過ぎた。
三年生のクラスは、最後の学園生活を満喫しようとする生徒たちで活気に満ちている。
それに応えるように、授業内容も実践的な内容が多くなっていた。
赤のクラス。
教室はカーテンが閉め切られ、昼間なのに薄暗い。
教室にいる生徒たちは、みんな揃いの黒ローブ。
フードを目深に被り、興奮した様子で雑談している。
そこへヴィルマが入ってきた。
「はいはい。ワクワクドキドキも結構だけど、これも授業だってことは忘れないで?」
生徒たちは自分の席に戻り、それでも近くの生徒と話している。
「今日はお待ちかね、儀式の授業よ。儀式とは魔女術における集団術。リスクの分散、高等魔女術の難易度緩和、その両方において効果がある。でも――」
ヴィルマの声のトーンが変わる。
「――忘れないで。儀式とは手軽にやるものではない。儀式を執り行うということは、それだけ危険で難しい術に挑戦するということ。そういった術は代償も大きい。いくら大人数で分け合っても、結局は致命的な代償を払わされるやもしれない。その儀式の成功率はいかほどか。その儀式は本当に参加する価値はあるのか。それらを慎重に判断し、参加を決断しなければいけない。参加を決断し儀式に臨む上でも、慎重さが必要よ。なぜならあなたの失敗が、儀式の参加者全員の失敗となるから」
しん、と静まり返る生徒たち。
その様子をじっくり眺めてから、ヴィルマがパン! と手を打った。
「脅しは終わり。儀式をはじめましょう。さあ、三人一組になって!」
わっ、と声が上がり、黒ローブたちが立ち上がる。
仲の良い者たちが三人ずつかたまり、その後であぶれた生徒たちが三人組を作る。
ロザリーはロロ、オズと組むことになった。
ロザリーとオズが椅子を持ってきて、ロロの机を囲む。
ヴィルマが言う。
「これからやるのは〝ルーシーさん〟。やったことある人もいるかもしれないわね」
〝ルーシーさん〟とは、ミストラル地方で広く知られるテーブルターニングの一種である。
用意するものはすべての文字と「はい」「いいえ」、それに六芒星を描いた一枚の紙。
それと一枚のコイン。
三人がコインに指を置き、その動きで占いを行う。
「三人の魔女がやる〝ルーシーさん〟は、巷のお遊びとは別物よ。雑霊を呼び、コインに宿らせ、予言や透視を依頼する、れっきとした魔女術。雑霊が知りえないことまでは見通せないけど、知り得ることならならほぼ当たる。その精度は、騎士団の調査任務でも使われるほどよ」
ヴィルマが三人組に一枚ずつ、紙とコインを配っていく。
生徒たちは興奮を隠せず、ついつい笑顔で話してしまう。
配り終えたヴィルマが、口元に指を当る。
「しっ。……静かに。儀式を執り行う上で、雰囲気作りは重要よ。成功率に影響することも実証されているわ」
生徒たちは口をぎゅっと閉ざしたが、それでも頬が緩んでいる。
「やり方は一般的なものと同じ。六芒星の上にコインを置き、その上に三人の人差し指を重ねる。そして声を合わせて『ルーシーさん、ルーシーさん、出ておいで』と呪文を唱える。『はい』の上にコインが動いたとき、魔導が抜ける感覚があれば成功よ。さ、やってみましょう」
ロロが紙の六芒星の上にコインを置いた。
そしてロザリー、オズ、ロロの順に人差し指を重ねる。
「では、呪文を唱えましょう。せーのっ」
ロロのかけ声に合わせ、三人が呪文を唱える。
「「「ルーシーさん、ルーシーさん、出ておいで」」」
じっとコインを見つめる三人。
しかし、コインは動かない。
「……動かねえな」
「オズ君、ちゃんとやってますか?」
「なんで俺なんだよ。ロロかもしれないだろ」
「いや、オズが怪しい」
「ロザリーまで!」
そのとき、わっと歓声が上がった。
声を上げたグループの机を、他のグループが立ち上がって覗きこんでいる。
「ウィリアスのグループか、早いな」
「ね、もう一度やってみよう?」
「ですね」
そうしてロザリーたちがまた、呪文を唱える。
しかし、コインはピクリともしない。
そうしているうちに、あちらこちらから歓声が上がっている。
机の間を巡回するヴィルマが言う。
「成功したら、いろいろ質問してみて。……いろいろといっても、他人のプライバシーに関わる質問はダメよ? あと、私に関する質問もダメ。もしやったら、とっておきの呪詛で虫に変えてあげるわ」
笑い声が起こり、教室は楽しげな雰囲気に包まれる。
ロロが額を寄せて言う。
「……もしかして。成功してないの私たちだけ?」
オズが周囲を見渡した。
「いや、ギリアムのグループが――あっ、成功しやがった!」
「うちだけぜんっぜん、動かないね……」
巡回するヴィルマがロザリーたちの近くまでやって来た。
未だ六芒星の上にあるコインを見て、それから三人の顔を一人一人順番に眺め、最後にフッと笑う。
そしてそのまま去っていった。
「くそ、なんだあの態度! 成功したら教官の下着の色を聞いてやる!」
「ダメですよ、オズ君。虫にされたいんですか?」
「されたいわけあるかっ! つーか、原因はロザリーじゃねえの?」
「なんでよ」
「死霊を呼び出せる死霊騎士だから、雑霊ごときで儀式なんてやってらんねー、とか内心思ってんじゃねえか?」
「思ってないよ! ってかさ、ルーシーさんって死霊なの?」
「知るか!」
「……でも、ロザリーさんが原因かも」
「酷い! ロロまで!」
「コインをぎゅーっと押しつけてませんか? ロザリーさんの力だと、雑霊は動けないと思います」
「あのねぇ。力加減くらいできるから」
「そうですか? 朝起きて、うがいするときにコップを握り潰したことがありましたが――」
「あれは、寝ぼけてて!」
口論するロザリーたちを見て、近くのグループから嘲笑が漏れ聞こえてきた。
「もういい」
オズが低い声で言った。
「ロザリー。お前、真剣にやれ」
「だからやってるってば!」
「そうじゃない。お前の魔導量と死霊騎士のスキルをフルに使って、とにかくコインを動かせ。もう雑霊でも悪霊でもなんでもいい。この際だ、地獄の王とか召喚してくれて構わない」
「オズ君!」
「劣等生扱いされるのはごめんだ。ロロは平気か?」
「いえ、それは……」
「ロザリー、できるな?」
ロザリーは渋い表情を浮かべた。
「地獄の王とか知らないんだけど」
「だからどうした。やるか、やられるかだ」
ロザリーは深くため息をつき、それからオズとロロに手を差し出した。
「なんだ、この手?」
「連帯責任」
オズはロザリーと手を繋ぎ、空いた手をロロに差し出した。
ロロは観念したようにため息をつき、ロザリーとオズの手を握る。
「……あったけえ。これ、ロザリーの魔導が流れてんのか?」
「そう、なんですかね」
「ロザリーからはガンガン流れてくるけど、ロロのはチマチマしてんなあ」
「ロザリーさんと比べられても困ります。オズ君だって――」
「なんだよ」
「――手汗が酷いです」
「緊張してんだよ!」
そのとき。
オズとロロの手が、ロザリーの手にぎゅっと握られた。
二人がロザリーを見ると、彼女はほとんど瞼を閉じていた。
「……もう少しで何かと繋がりそうなの。集中して」
「わ、わかった。集中……」
「集中……」
三人の耳から雑音が遠のく。
暗い闇にゆるゆると沈んでいく心地。
そしてある瞬間、三人の首筋を冷たいものが撫でた。
三人は弾かれたように目を開き、声を揃えて呪文を唱える。
「「「ルーシーさん、ルーシーさん、出ておいで!!」」」
すると六芒星の上のコインが、ガタガタと揺れ始めた。
「やった! 動いた! 動いたよ!」
「でも、なんか動きがおかしくね?」
「あっ。指、置いてないです」
「置いてないのに動いてんな……」
コインは次第にくるくると回り始めた。
回転する速度はどんどん早まり、高速回転しながら宙に浮かぶ。
そして三人の目の高さまで浮かび上がったとき。
パァン! と弾けて、二つに割れた。
紙の上に落ちた、割れたコインを見てオズが言う。
「成功か?」
ロロが首を横に振って言う。
「これが成功に見えるそのポジティブ思考、見習いたいものです」
「えーっ。動けば成功だろ? なあ、ロザ……」
オズが見ると、ロザリーは天井を見上げていた。
その視線を追って初めて、頭上に浮かぶものにオズも気づく。
それは三、四才ほどの幼女で、半透明に透けていた。
ロザリーがごくりと唾を呑む。
「……もしかして、ルーシーさん?」
幼女は嬉しそうに頷く。
「うん!」
オズが仰け反って言った。
「なっ、なんで実物が出てくるんだよ!?」
するとルーシーさんはオズに言った。
「だって、よばれたもん」
「呼んでない、呼んでない」
首を横に振るオズに、すかさずロザリーとロロが言う。
「いや、呼んだよオズ」「呼びましたよ、オズ君」
オズは「ああ、そうか」と口を覆い、それから机を叩いた。
「呼んだ! たしかに呼んだけどさ! ほんとに出てくることねーだろ!? こっちは呪文唱えただけなんだよ!」
するとルーシーさんは、口をへの字に曲げた。
目だけで上を見上げ、肩が震える。
そしてついに、「うわーん!」と大声で泣き出してしまった。
「あー。泣かしたー」
「酷いです、オズ君」
「俺か!? 俺が悪いのか!? ……すまないルーシー! でも俺は悪くないと思う!」
立ち上がり、なだめようとするオズ。
しかし、ルーシーさんは泣き止む様子はない。
「謝罪する態度じゃないわ、オズ」
「ええ、反省の色が見えません」
「お前らなあ!」
声を荒げたオズの背後から、コホンと咳払いが聞こえた。
振り向くとヴィルマが立っていて、その後ろにはこちらの様子を窺うクラスメイトたちの顔が見えた。
ヴィルマはにっこり笑って、ルーシーさんに語りかけた。
「ごめんね、ルーシー。ちょっとした手違いなの。今夜、私が呼び出してみるから、そのときにまた来てくれる? そしたら夜の間じゅう、一緒に遊びましょう!」
ルーシーさんは、ぐしぐしとしゃくり上げながらヴィルマに聞いた。
「……ほんと? ほんとにあそんでくれる?」
「もちろん! たーくさん、遊び道具も用意しておくわ。あと、お菓子とジュースもね?」
そう言ってヴィルマがウィンクすると、ルーシーさんはにまーっと笑った。
そしてヴィルマの前までふよふよと飛んできて、小指を突き出した。
「やくそく!」
「ええ、約束!」
ヴィルマと指切りすると、ルーシーさんは「バイバイ」と手を振って、薄らいで消えた。
見届けたヴィルマはふーっと息をつき、瞼を指で押さえて言った。
「……まったく。本物を呼び出した人なんて初めて見たわ」