101 狙う者――ウィニィ
黄金城、玉座の間。
エイリス王と宮中伯コクトーが政務について話している。
玉座の間の重い扉が開かれ、衛兵が入ってきた。
「陛下。王子殿下が参られました」
大鷲の玉座に深く座っていたエイリスが、背もたれから身体を起こす。
「ウィニィが? 通せ」
「はっ」
衛兵が玉座の間から出ると、入れ代わりに正装姿のウィニィが入ってきた。
エイリスの顔が見える位置まで進み出て、恭しく礼をした。
「獅子王陛下……」
父でなく王に対する姿勢のウィニィを見て、エイリスの側に侍るコクトーが言った。
「陛下。本日はこれにて」
「うむ。大儀であった、コクトー」
コクトーが玉座の間から退出し、重い扉が閉まる。
途端にエイリスの顔が、父親のものに変わった。
「ウィニィ、よく戻った。変わりないか?」
「はい、父上」
「実習が終わってしばらく経つが、授業には馴染めておるか?」
「問題ありません。今日は、母上のお見舞いに参りました」
「セルマか。……よくはなっているのだが、寒くなってくるとどうしても、な」
「ハイランド山羊の毛織物を差しいれました」
「それは良い。軽くて暖かだからな」
そこで会話は途切れた。
ウィニィは目を伏せ、エイリスは逆巻く髭をひたすら撫でている。
長い沈黙のあと。
やっとウィニィが口を開いた。
「今日は父上にお話があって」
「話?」
「最終試練のことです」
「おお、最終試練か。懐かしいな。その名を聞くと、今でも血が沸く思いだ」
愉快そうに懐かしむエイリス。
対するウィニィは、唇を噛んでいる。
「僕は……ジュノーに付くべきでしょうか」
「うむ?」
「婚約者のジュノー=ドーフィナです」
わずかに怒気を孕んだウィニィの言い方に、エイリスは慌てて否定する。
「それはわかっておる。付くべき、とは?」
「ジュノーは真剣にリル=リディル英雄剣を狙っています。僕は獅子王家と門閥貴族ドーフィナ家を繋ぐ楔。たかがソーサリエの試験といえど、彼女と敵対するような行動は避けるべきではないでしょうか」
「ふむ。ならばそうせい」
「ですが!」
ウィニィが一歩、前へ出る。
「僕は王家の一員。戦わずして降るのは、王家の権威を貶めることになりはしませんか?」
するとエイリスはこともなげに言った。
「そうか。ならば戦え」
「は!?」
またウィニィが一歩、二歩と前へ出る。
「どちらです!? 父上のお考えをお聞かせください!」
「余の考えを言っているつもりだ。どちらでもよいと」
「なっ……!」
「それしきのことでドーフィナと関係が悪くなるならなったでよいし、王家の権威は余とニドによってすでに示されている。ウィニィが思い悩む必要はないのだ」
「僕の悩みなど、どうでもよい矮小なものだと!?」
「そうは言っておらぬ」
「僕は、僕は! ……もう結構です!」
ウィニィは身を翻し、扉のほうへ去っていった。
なかなか開かない重い扉をガンッ! と叩き、ようやく衛兵によって開かれた扉の隙間に身体を滑りこませて出ていった。
再び扉が閉まり、一人となったエイリス。
大きなため息をついて、呟いた。
「今もって御し方がわからぬな――」
「――父上のバカ! 父上のバカ!」
ウィニィは石床に八つ当たりするように、大股で王宮の中を歩いた。
周囲の者はその足音に眉をひそめて振り返り、足音の主の素性を知って、そそくさと退散する。
「父上の――」
ウィニィは、はたと足を止めた。
(僕は父上に何と言ってほしかったのだ?)
(王家の誇りを胸に、自らの旗の下で戦え、と?)
(違う)
(王家の未来のため、ジュノーと手を携えて勝利を目指せ、と?)
(違う。そんなこと言ってほしくない)
(だって、どちらも僕の望みとは違うから)
(僕は――ロザリーに付きたい)
(思いのままに、彼女と――)
ウィニィは自嘲気味に笑った。
「そんなの、父上が言うはずないじゃないか」
黄――聖騎士のクラス。
担当教官は金髪碧眼で年若く、ソーサリエで最も女子人気の高いリーンホース。
そのよく通る声で生徒たちに語りかける。
「聖騎士は四魔導性の中で最も弱いと言われることがある。個人戦力は刻印騎士に劣り、瞬発力は精霊騎士に及ばず、手練手管で魔女騎士に敵わない。聖騎士は医務室で傷だけ治してりゃいい、とね」
話を聞く生徒たちの顔は険しい。
しかし誰一人として不満の声を上げず、姿勢を正して教官の話を聞いている。
「しかし、私に言わせればナンセンスだ。我々聖騎士はむやみやたらに暴力に訴えない。力を誇ったりもしない。そんな我らが剣を振るうのは、いつ、どのときか。――そう、戦場だ」
頷く生徒たちに向かって、リーンホースが続ける。
「戦場で一対一の決闘をする馬鹿がいるか? 戦場で瞬発力頼みのギャンブルをするのか? 戦場で搦め手ばかりで勝てるのか? 集団戦で勝てればいいのだ。そして、それこそが聖騎士の本領。なぜなら集団術を最も得意とするからだ。……机を寄せて円になれ。これより合唱の授業を行う!」
生徒たちは指示通り、てきぱきと動いた。
だがその動きとは裏腹に、誰もが興奮を隠せないでいる。
「よし、円になったな」
リーンホースは一つ頷き、生徒たちに説明を始めた。
「合唱とは、複数人で一つの聖文術を織り成すこと。核となる術者を指揮者といい、聖歌でサポートする術者を歌い手という。最初の指揮者は――ウィニィ! やってみるか?」
指名されたウィニィはコクリと頷き、円の中心に歩み出た。
「目を閉じて、精神を落ち着かせる。静かな湖をイメージするんだ。水面は清らかで、さざなみ一つ立っていない」
ウィニィの呼吸が深く、回数が少なくなっていく。
「使う聖文術は【守り給え】。口に出さなくていい。君は器。聖文術を共鳴させる楽器だ」
ウィニィの口元が微かに動き、彼の前に光の守護壁が現れた。
「いいぞ、ウィニィ。次は歌い手だ。こちらはさほど難しくない。指揮者を信頼して同じ聖文術を唱えれば、おのずと聖歌となり、合唱は成る。だから『私、音痴なんだよなあ』とか心配しなくていい」
円になった生徒たちから、クスクスと笑い声が漏れる。
「では……ロイド、やってみようか」
「はい」
呼ばれた男子生徒が歩み出た。
ウィニィを見つめ、「守り給え」と唱えると、それは旋律となって教室に響いた。
おおっ、とざわめきが起こる。
ロイドが歌う聖歌によって、防御壁の大きさがわずかに増した。
「とてもいいよ、二人とも。ウィニィはまだ余裕がありそうだね。限界までいってみようか」
リーンホースが指で指名し、その生徒が前へ歩み出る。
ロイドがそうしたように聖文術を唱えると、魔導が共鳴し、和声となる。
「うん、次。……次」
そうして一人、また一人と歌い手が増えていく。
二十人を超えると合唱は荘厳な音色となって鳴り響き、防護壁はウィニィの周囲を覆いつくす規模になっていた。
「……素晴らしい。普通は五人指揮するのにも何年も修練するものなのに。王の血がなせる業か」
しきりに感心するリーンホース。
ウィニィが薄く目を開けて、彼に尋ねた。
「リーンホース教官。もう終わりでしょうか?」
「……ん? ああ、そうだな、維持するのも辛いだろう。術を解いていい」
「いえ、そうではなく」
「ん?」
「まだ余裕があります」
リーンホースは目を見開いた。
やがて彼は我に返り、首を横に振った。
「いや、ここまでだ。他の生徒にも指揮者を体験させないといけないからね」
「あ、そうですね。失礼しました」
ウィニィが術を解くと美しい合唱は遠のき、光の防護壁は消えていった。
授業が終わり、リーンホースはウィニィを呼んだ。
「ウィニィ。あのまま続けていたら、あと何人くらいいけそうだった?」
彼の好奇心から出た質問だった。
ウィニィは首を傾げながら、合唱のときを思い出す。
「何人……器の半分くらいが埋まっていた気がします」
「四十人か。あのまま続けさせなくてよかったよ」
「なぜです?」
「私の最高記録が三十一人だからさ。教官として立つ瀬がなくなるだろう?」
「あ、それは」
ウィニィがどう答えてよいか悩んでいると、リーンホースは煌めくように笑った。
「気を使わなくていい。これでも私は指揮が上手いほうだからね。つまり私が劣っているということではなく、君が優れているということだ」
「は……ありがとうございます」
「誇っていい。指揮者のセンスは、統率者としての素質に直結するという。きっと君は素晴らしいリーダーになる」
「そう、なのでしょうか。自分ではわかりません」
「最終試練で自分を試すといい。狙うんだろう?」
「……」
「まさか、狙わないのか? 黄のクラスは君に付くぞ。さっきの合唱を見たから、なおさらだ」
「……まだわかりません」
「そうかあ。ま、君が決めることだけどね」
リーンホースはウィニィの肩にポン、と手を置いた。
「ウィニィに足りないのは、魔導でも技量でもなく自信かもしれないね」
目を伏せるウィニィに笑いかけ、リーンホースは教室を出ていった。