100 狙う者――グレン
青――刻印騎士のクラス。
屋外訓練場において、実戦練習が行われていた。
一対一で試合い、勝敗がつくと次の相手を見つけ、また試合う。
グレンが最も好む授業であるのだが、彼は退屈していた。
「ま、まいった」
グレンが頷き、剣を引く。
ぶざまに地面に尻餅をついたクラスメイトは、しかし負けたことを恥じ入る様子はない。
立ち上がって尻を払い、何事もなかったように次の相手を捜しに歩いていった。
――グレン相手じゃしょうがない。
似たような台詞は昔から言われることがあった。
だが実習から帰ると、前にも増して言われるようになった。
口に出さない者も、あからさまに態度で示してくる。
他人の気持ちを推し量るのが苦手なグレンだが、それに気づかぬほど鈍くもない。
初めから、勝つことを諦めている。
「やってみなきゃわからないだろう」
グレンは囁くように呟いた。
自分は諦めない。
いくらロザリーが化け物じみた強さでも、初めから勝ちを諦めたりしない。
思えば実習はよかった。
足掻いて足掻いて、それでも勝てない先輩騎士たち。
最後まで残ったジュノーとオズは自分と同じ、諦めの悪い連中だった。
そんなことをぼんやり考えていると、一人のクラスメイトと目が合った。
クラスで一番、小柄なピート。
青のクラスで最も弱い生徒だ。
この授業では、相手のいない者同士で目が合うと、それが次に試合う合図となる。
ピートは「しまった!」というふうに目をつむり、重い足取りでグレンの前に歩いてきた。
互いに向き合い、一礼。
剣を構え、試合が始まる。
すぐさまピートの右手の甲にルーンが宿った。
【盾のルーン】。
耐久力を増加させるルーンだ。
(怪我だけはしたくないということか)
グレンの奥歯がギシリと鳴る。
グレンは高々と剣を振り上げた。
ルーンは宿さない、その必要がない。
ピートが早々と剣を寝かせて防御の姿勢を取ると、その様にグレンは無性に腹が立った。
(俺は隙だらけだろう! なぜ受ける!)
グレンはピートの剣の腹へ、思いきり自分の剣を振り下ろした。
「あうっ!?」
重い衝撃音が響き、ピートの身体が揺れる。
(訓練用の剣だし、【盾のルーン】を宿してる。大怪我はしない)
そう判断すると、グレンは連続で剣を振り下ろした。
力任せに、何度も、何度も。
衝撃音のたびにピートの姿勢が崩れていく。
「うっ、ああっ!」
最後には勢いを殺せず、ピートは背中から地面に倒れてしまった。
ふと気づくと、周囲の生徒の注目がグレンとピートへ集まっている。
やりすぎたか。
冷めてゆく怒りに反比例して、自己嫌悪が襲ってきた。
グレンは倒れたピートへ手を差し出した。
「……大丈夫か?」
グレンが手を差し伸べると、ピートはキッと睨み、その手を払った。
剣を杖にしてよろよろと立ち上がり、立ち去っていく。
グレンがその背中を見送っていると、背後から声をかけられた。
「乱れているな、グレン」
振り向くと、黒い短髪に無精髭の教官が立っていた。
「ウルス教官」
ウルスは青のクラスの担当教官で、剣技を専門としている。
過去には王国一の名門騎士団、王都守護騎士団に在籍していたソーサリエきっての強者だ。
グレンは心の中で舌打ちした。
見られたか。いじめのように見えただろうな。
……いや、実力差がわかっててあんなふうに打ちこんだのだ。いじめに違いはないだろう。
グレンは殴られる覚悟をして、手を後ろ手に組み、首に力を入れた。
だが、こぶしは飛んでこなかった。
代わりに、ウルスは剣を抜いた。
「来い。相手をしてやろう」
グレンは驚いたが、ウルスの眼光からして冗談には見えない。
それはグレンにとって願ってもないことだった。
この教官であれば、相手に不足はない。
「では――」
グレンが剣を構えると、彼の右手の甲に【剣のルーン】が浮かぶ。
「――いきます」
言うや否や、ウルスへ突っ込んだ。
ウルスの手の甲にも【剣のルーン】が浮かんだ。
ピートに向けたものとは違う、鋭さと重さを兼ね備えた一撃。
ギィィィン! と硬質な音を上げ、剣が弾かれた。
ロザリーのような、流水のごとき受け流しではない。
反撃の突きが飛んでくるが、これもロザリーほどの鋭さはない。
しかし、経験を感じさせる剣だ。
その証拠に、突きを躱して繰り出した薙ぎも、予想通りとでもいうふうに捌かれた。
それでもグレンは手を休めない。
自分の剣は剛の剣だ。
隙がないなら打ち込んで隙を作るまで。
その決意のもと、何合も、何合も打ち合う。
まれにグレンの重い一撃によってウルスの剣が流れるが、瞬時に彼の体の軸に引き戻される。
いつのまにか、周囲に生徒たちの観戦の輪ができていた。
ソーサリエの誰もが認める強者であるウルスと、彼と互角に打ち合う剣技会優勝者。
この授業を受ける者しか観られない、屈指の好カードであった。
クラスメイトたちの目は釘付けで、打ち合うたびに歓声が沸く。
やがて、ウルスの動きがわずかに散漫になった。
ここぞとばかりにグレンが攻め込む。
ウルスは受ける一方になるが、それでも決定的な隙は生まれない。
(疲れたわけじゃない。散漫になった理由は――そうか、授業時間か)
瞬間、ウルスの目がグレンの後ろへ流れた。
そこに授業の開始と終了を告げる鐘楼がある。
「ここだ!」
グレンは剣を振り下ろした。最速の、そして渾身の一撃。
しかし。
「むぅん!」
グレンの振り下ろしに合わせて、ウルスも振り下ろした。
互いの剣がかち合い、その衝撃にグレンは剣を落としてしまった。
おおっ! とクラスメイトたちから声が上がる。
グレンは転がった剣を見つめた。
自分が力負けするなど信じられなかった。
ニドの訓練に耐えた自分は、魔導量――身体能力だけならウルスに劣らないと思っていた。
しかし、結果は明らかだ。
そして力負けした理由が、ウルスの手の甲に輝いていた。
「……【獅子のルーン】?」
ウルスは、答えに至った教え子に嬉しそうに笑った。
「そうだ。【剣のルーン】の上位ルーン。王国の刻印騎士は、これを修めて初めて、一流と認められる」
「散漫になったのは――誘いですか?」
「授業の終わりに間に合わせたいと考えたのは事実だ」
そのとき。
リロン、カロン、と鐘が鳴った。
ウルスが大声で生徒たちに告げる。
「これにて授業を終わる!」
続いて、クラスの代表であるグレンが号令をかけた。
「剣、納め! 教官殿に! 礼っ!」
生徒たちは礼を終えると、雑談しながら校舎に戻っていく。
今観た試合の感想を語り合う者が多いようだ。
そんな生徒たちにウルスが声をかける。
「剣の手入れを怠るな! ……そうだ、剣を座学に持ち込むなよ? ルナール教官に小言を言われるのは俺だからな!」
生徒たちは笑いながら去っていく。
グレンも校舎へ戻ろうと歩き出すと、ウルスに呼び止められた。
「グレン」
ウルスはグレンの肩に腕を回し、耳元で囁いた。
「時間はないが……やってみるか?」
「何をでしょうか、教官殿」
「【獅子のルーン】だ。習得してみるか?」
「!」
「俺も学生に教えたことはないが……ロザリーに正面から挑む気だろう? ならば、【獅子のルーン】習得は最低条件のように俺は思う」
グレンは迷わず頷いた。
「是非! お願いします!」
「よし、明日からだ」
ウルスはグレンの肩から手を放し、立ち去ろうとしてすぐに振り向いた。
「それと。相手が実力的に劣っていても、騎士には勝ち方というものがある。言ってる意味はわかるな?」
「はい、教官殿」
グレンはもう一度頷くと、ウルスは校舎へと戻っていった。
グレンも校舎に戻り、更衣室へと入った。
ほとんどの生徒はもう着替えを済ませて次の授業へ向かったようで、中はがらんとしていた。
ただ一人、ピートだけが残っていた。
ピートは着替えを済ませているのに、椅子に腰かけてこちらを見ている。
グレンは自分のロッカーに剣を放り込み、背中越しにピートに言った。
「早くいかないと、ルナールにどやされるぞ」
「それはグレンもだよ」
「だから急いで着替えてる」
「僕は君を待ってたんだ」
グレンは憂鬱そうに天井を見上げ、それから背中を向けたままピートに言った。
「さっきは悪かった。イラついてたんだ。あれはやりすぎだった」
「それはもういいんだ」
グレンが振り向いてピートを見る。
彼の顔に怒りや嫌悪は見当たらない。
本心のようだ。
「ウルス教官との試合を見ていて、そんなことどうでもよくなった。グレンは強い。きっとソーサリエの歴史の中でもピカイチだ。だから――勝たせたくなった」
そしてピートは真剣な眼差しをグレンに向けた。
「狙うよね?」
言わんとすることがわかり、グレンは一つ、頷いた。
「ああ」
「なら僕は、グレンに付く」
「ピート……」
「僕だけじゃない、さっきまで更衣室はその話でもちきりさ。もちろん、雛鳥になんて付かないって奴もいるけど。グレンが望むなら、僕が男子をまとめるよ。女子はテレサがやる」
「テレサはともかく、お前がか?」
「あーっ、知らないんだねグレン。僕は弱いけど、けっこう人望はあるんだよ? 全員は無理でも半分くらいは引っ張ってこれる」
「そうなのか。知らなかった」
「酷いなあ。で、どうする?」
ピートに問われ、グレンは迷った。
しかし、あのとき決めた一念がある。
ロザリーに勝つ。
この数か月はそれだけを求めて過ごしてきた。
それはまだ、達成していない。
長い沈黙のあと、グレンは謝罪の言葉を口にした。
「……すまない。俺は、俺個人として、ロザリーに勝ちたいんだ」
「ロザリーは一人で戦わないと思うけど?」
「わかってる。だが……すまない」
「言い出したら聞かないね、グレンは」
ピートはひょいと椅子から立ち上がった。
更衣室の扉まで行き、首だけで振り返る。
「気が変わったら声かけてよ。他は保証できないけど、僕は待ってるからさ」
そう言い残し、ピートは出ていった。
ついに記念すべき100話!
おかしいな、当初の予定では100話くらいで卒業してるハズなのに
まだ卒業試験も始まってないぞ、おかしい……