10 マイホーム
――時は戻り、剣技会のあと。
「ただいま~」
ロザリーが入学当時から住むのは、ミストラル城下にある〝蝙蝠のねぐら〟という宿。
ベッドルーム一間の安宿で、ベッドの他は椅子が一脚と壁掛け机、備え付けのクローゼットだけ。
そんな狭い部屋なのに、いるべき人物の気配がない。
「ヒューゴ?」
返事はない。
ロザリーはふと思いつき、ベッドのマットレスを持ち上げた。
するとベッドの土台部分に、気味が悪いほど色の白い、妖しい男がすっぽりと横たわっていた。
彼のそばには、ロザリーが魔導騎士養成学校で使う教本が数冊積まれている。
「返事くらいしてよ、ヒューゴ」
「やァ、お帰り御主人様。首を長くしてお待ちしておりました」
「寝転がったまま言う台詞?」
「ここがボクのマイホーム。狭くて暗くてジメジメしてるところが、とーっても好きなんだ」
「そんな死霊あるある言われてもわかんない」
「ネクロなのに? 世も末だねェ」
そう言って、また教本を読み始めるヒューゴ。
ロザリーは乱暴に教本をひったくった。
「私のよ」
間髪入れず、ヒューゴが教本をとり返す。
「教本はキミのもの。下僕であるボクもキミのもの。んン? ボクは教本で、教本はボク? つまりはボクと教本は一心同体で、常に一緒にいるべきなのカ!」
「もう、屁理屈やめて」
ロザリーはため息をつき、横目でヒューゴを見下ろした。
「そんなに教本が面白い?」
「面白いネ。書物はすべて興味深い。ぽっかり空いた五百年の空白を埋めてくれるから」
「ふぅん、そういうもの。……私、荷物置きに来ただけだから。バイト行ってくるね」
そう言って、ロザリーが荷物をベッドに放り投げて部屋を出ていこうとしたとき。
ヒューゴが彼女の背中に質問を投げた。
「なぜ帰りが遅かったンだい?」
ロザリーが足を止め、振り向かずに答える。
「えっ。いつも通りだよ」
「今日は剣技会だ。あっさり負けて帰ってくるよう言ったハズだが、それにしては随分と遅い」
「それは、みんなと観戦してたから」
「ウソだね。キミが低レベルで退屈な試合ノ連続に耐えられるとは思えない」
「そんなことない、お喋りしながらだし……」
「ごまかさなくていい。何回戦で負けてきたンだい? 一回戦負け? 二回戦負け?」
ロザリーは口を尖らせて、もごもごと答えた。
「……しょう負け」
「何だイ? よく聞こえない」
「もう! 決勝負け!」
ヒューゴはあんぐりと口を開けて立ち上がった。
「決勝……? バカかキミは! それは準優勝と言うンだ!」
「知ってるよ! 目立つなって言いたいんでしょう!? わかってるっ!」
「決勝に残るなンて、まるでわかってないじゃないか!」
「仕方ないじゃない! あっさり負けたら手抜きしたってバレバレだもん!」
「それはキミが去年、調子に乗ってポンポン勝ち進んだからだろう?」
「だから今年は、グレンが負けたら私も負けようと思ってたの! 同級生と同じなら不自然じゃないでしょう?」
「……そうしたら、彼が決勝まで残ってしまったわけか」
ロザリーが大きく頷く。
「ヤレヤレ、彼は見所があるねェ。将来有望だよ、まったく」
「もういい? 行ってくる」
「あァ。気をつけ――」
ヒューゴが言い終わる前に、扉はバタン! と閉められた。
残されたヒューゴが首を捻る。
「……反抗期、かナ?」
◇
ロザリーは一軒の大衆食堂を訪れた。
店の名は〈エイブズダイナー〉。
店内は外から見ても賑わっていて、ロザリーは表から入らず裏へと回った。
そうして裏口の戸を開け、店の主人に声をかける。
「こんにちは。荷運びでーす」
樽のような体つきの店の主人が、忙しく手を動かしながら振り向いた。
「よう、ロザリー! いつもすまねえな」
「仕事ですから。これから倉庫に運び入れますので――」
「――覗くなってんだろ? わかってるさ」
「じゃ、後で」
ロザリーはにっこり笑って会釈して、戸口から姿を消した。
その様子を見ていた新入りの店員が、主人に問う。
「彼女が荷運び屋?」
「ああ」
「あんな華奢な女の子が?」
「そうだ」
「彼女、手ぶらでしたよ」
「だな」
「荷はどこに? 今から運ぶんですかね?」
「ロザリーはいつも手ぶらだ。でも荷はきちんと運んでる」
「なんです、それ」
「魔導騎士養成学校の学生だからな。荷運びの魔術かなんかだろうよ」
店員がプッと吹き出す。
「そんな俗っぽい魔術、あります?」
「知るか。運んでくれればなんでもいい。うちの荷は肉やら魚やら酒やら重いのばかりだからな」
「もしかして……ここの材料、全部あの女の子が?」
「そうだ。ほら、テーブル空いたぞ。片づけてこい」
「へーい」
ロザリーは裏口近くの倉庫小屋に入った。
扉を閉め、念のため鍵もかける。
真っ暗になった小屋の中で、ロザリーは命令した。
「出てこい、〝野郎共〟」
暗闇に溶けたロザリーの影が波打った。
小屋の床に、白い髑髏が続々と浮き上がってくる。
髑髏は周囲を確認すると、整然とした動きで影から這い出てきた。
かつて研究所で使った〝亡者共〟と違い、肉も皮もない。
完全に白骨化し、眼窩だけが暗く光っている――いわゆるスケルトンだ。
ヒューゴは彼らのことを〝死の軍勢〟と呼んでいた。
普段は完全武装しているが、今は楯と武器の代わりに大きな木箱を持っている。
従順でよく働く彼らを、ロザリーは親しみを込めて〝野郎共〟と呼んだ。
「生モノはそっち。干し肉はここ。こら、果物の箱を雑に置いちゃダメだよ」
〝野郎共〟の面々は、木箱を指示通りに積み重ね、荷下ろしを終えたら整然と並んでロザリーの影へ戻っていく。
生活費を稼ぐために、ロザリーが選んだ仕事は荷運び屋だった。
大都市ミストラルでは、荷運びは重要な仕事だ。
毎日、数百の馬車によって何万もの木箱が運び込まれてくる。
城門にある荷入れ倉庫に山と積まれた木箱は、荷運びによって城門から各住所へと運ばれる。
荷運びはミストラルの隅々まで必要物資を行き渡らせる、いわば都市の血液のような存在だ。
ただし、誰もが荷運びを雇えるわけではない。
ミストラルが丘の上にあることもあり、荷運びは過酷な職業で賃金も高かった。
だからこそ、ロザリーはそこに目をつけた。
城門の荷入れ倉庫で荷物を〝野郎共〟に持たせ、影に入れてから手ぶらで移動する。
そして指定の場所で影から〝野郎共〟を出して荷物を下ろす。
これがロザリーのやり方だった。
ヒューゴは「〝死の軍勢〟を人夫扱いするなんて」とこぼしていたが。
仕事を終えたロザリーは、裏口の戸を開けた。
「終わりました、エイブさん」
「えっ、もう!?」
新入りの店員が目を丸くする。
「いつも早いな」
店の主人はのっしのっしと歩いてきて、ロザリーの手に銀貨を三枚、握らせた。
ロザリーが主人の顔を見つめる。
「エイブさん、荷の確認がまだです」
「信頼してる。今日も間違いはない、そうだろう?」
ロザリーはにっこり笑い、銀貨をポケットに突っ込んだ。
「そうだ、ロザリー。三年には上がれそうか?」
「ええ、うまくいけば」
「そうなったら、お前も寮に入るのか?」
「おそらく」
「そうか。ってえと、荷運びも辞めちまうよな?」
「んーと、たぶん」
主人は腹を揺らして笑った。
「たぶんとかおそらくばっかだな」
ロザリーは困って、肘を擦った。
「わかんないんです、ほんとに。予定は未定っていうか。そのときになってみなくちゃ」
「わかった、わかった。もし辞めるときは代わりのソーサリエ生、紹介してくれよ?」
「それは難しいかも。魔導持ちってほとんど貴族の子弟ですから」
「貴族の坊ちゃんはバイトなんかしないか。ま、ダメ元で当たってくれたら嬉しい」
「わかりました」
ロザリーは軽く会釈して、主人と別れた。