"パワーストーン"って? 〜エセ宗教、そして犯罪被害者への誹謗中傷について〜
この作品の一日一話推敲作業も280話終了しました。
何しろ2年以上かけて書いたので、自分でもちょいちょい内容を忘れています。
その中でも2・9-32と2・9-33の間に挿入した"パワーストーンについて"は今読み返すとちょっと複雑な心境になりました。
旧統○教会問題と重なったからです。
心の弱さに付け込んで骨の髄までしゃぶり尽くすようなやり方には本当に反吐が出ます。
あんな物に騙される方がおかしい
これだけ話題になっているのにまだ信者がいる事が信じられない
そんな意見もあるようで、まあ、他人事として捉えればそんな感想が出るのも分からなくはないのですが、これは危険なことだと思います。
大前提として、騙すほうが完全に悪い。
よく犯罪被害者にも隙きがある、的な意見が出ます。
誘拐事件や痴漢被害で特に聞くような気がします。
"目を離していた親がわるい"
"そんな露出の多い格好をしているからいけない"
したり顔でこういう事を言うのは、遠回しに犯罪を肯定する事になっていると気付いてほしいものです。
こういうのは批判ではなくただの誹謗中傷です。
当然ですが、被害者にどの様な隙きがあろうと、犯罪を犯す者がいなければ犯罪は起きません。
被害者の行動・態度と、犯罪行為は完全に分けて考えるべきなのに一緒にしてしまうから話がおかしくなります。
分けて考えるべき事を一緒にしてしまうのは、論点が整理できず、きちんと議論できない人の典型です。
パワーストーンだってそうです。
騙されないように正しい知識を持つのが大切である事に間違いはありません。
だからといって、無知が原因で偽物をつかまされた人に、
「そんな物を騙されて買うほうが悪い」
というのは無知な相手なら騙してもいい、と言っているのと同じで、詐欺業者側に立った意見です。
そうと気づかずそんな事を言う根底には、
「自分はそんな詐欺には引っかからない立派な大人だ」
という幼稚な自己主張があるのでしょう。
本人は上から物を言って悦に入っていますが、痛々しく、情けない限りです。
誰とは言いませんがそういうコメンテーターだとかいますよね、、、。
そんな恥ずかしい大人にならないように、しっかり考える習慣を身につけたいものです。
そういう思いもあって、作品の中にもちょいちょい思考術のような物を混ぜ込んで、無駄に脱線させていますが、これから書く作品にもそういった事をさり気なく、読者様に気づかれずに盛り込めるよう、腕を磨きたいと思った次第です。