プロローグ
「俺様は怪人レモネード!この街の人間をレモンの肥料にしてくれるわ!」
「悪事を働く怪人め。我の守る街で好き勝手はさせんぞ!」
「ヒーロー……。貴様らなぞに俺様が倒せるものか!」
レモンのような黄色い頭をした異形の人間と、赤色の全身タイツを身に纏った筋骨隆々の男が、道路の真ん中で睨み合っている。
──ヒーローと怪人。
日曜の朝のお楽しみのような彼らが突如、この世界に生まれた。
怪人は人間を滅ぼそうとし、その怪人を倒すヒーローに人々は大いに感動した。
また、ある戦争をきっかけに彼らは絶大な権力を得た。
ある街のどこにでもよくいる男の子。
羽原悠里の唯一の家族である姉はヒーローだった。
彼女は心優しく、人徳もあり、国民から愛されていた。
また、莫大な富を必要とせず、ごく普通の家庭と同じ生活を望む。
そんな彼女を悠里は心から誇りに思っていた。
当時、悠里は姉と違い、特別な才能を持っていないことから周りの子供や大人から冷笑を含んだ暗い視線に晒されていた。
そのせいもあり、友達はおろか、知り合いすら彼にはいなく、いつも寂しさに苛まれていた。
しかし、ある晴れた昼下がり、悠里はある少女と出会った。
いつものように一人、河川敷でぼーっとしていると、その子が話しかけてきたのだ。
「いっつもここにいるね」
「う、うん。君は……」悠里は人付き合いが少ないせいでキョドりながらも質問した。
「私、すがる。秡場すがる。あなたの名前は?」
「ぼ、僕は悠里。なに……かな?」
「特に用事はないんだけどね」少女は彼の横に腰を降ろした。
悠里は疑問に思いつつも、彼女の不思議な声に惹かれ、会話を続けることにした。
「そう……君は、その、僕を知らないの?」
「え〜?知らな〜い。あなたのこと、みんながみんな知ってるわけじゃないのよ?」
それはそうだと、悠里は顔を赤らめ、体が熱くなる感覚を覚えた。
「それにね、あたし結構見る目あるんだ。あなたがどういう子なのかは知らないけど、悪い人ではないのは分かるの。あなたはきっと優しい人ね。それに──ってちょっと!」
悠里は涙目になっているのを少女に見られ、慌てて腕で拭った。
ただヒーローの弟というだけでバカにされ、心無い言葉を投げつけられても彼は腐らずに生きてきた。
だが、彼は子供だ。何度も傷つけられれば気を落とす。
そんな彼にとって自分を肯定されるのはたまらなく嬉しいもの。
「なんでもない……なんでもないんだ」
「変なの」
それから他愛のない話を悠里は彼女と日が暮れるまでした。
初めて出来た友達に浮かれていた面もあるだろうが、彼の口調はいつもより軽やかだった。
聞けば、彼女は親に暴力を振るわれているらしい。
彼女は強かった。肉体がという意味ではなく、精神の話だ。
親から受けた虐待の痕を彼女は見せはしなかったが、彼女の服の下には赤や青の痛々しい痣がいくつもあった。
それでも彼女は笑顔を絶やさず、悠里の話を熱心に聞いた。
悠里も自分と歳の変わらない子供が自分よりも酷い目に合っていることに面食らいはしたものの、彼女の話に耳を傾けた。
それから一度、彼の家に彼女を誘い、家族で彼女をもてなした事があった。
「悠里のお嫁さんになってほしいくらい、可愛い子じゃないの〜」
「止めてよ姉さん。困ってるじゃないか」
「私は……な……りたい」
「──きゃー!悠里がッ!悠里がついに婚約者を連れてきたわぁ!パパ、ママ。羽原家は安泰よ!」
リビングの横の部屋に置かれた仏壇の前に滑り込み、両親の遺影の前ではしゃぐ。
「姉さんッ!やめてよ恥ずかしい!」
悠里は赤面して、姉を仏壇の前からどかそうとするもヒーローの姉を止めることなど到底出来ず。
そんな光景を見て、少女も静かに微笑んだ。
そんな風に和気あいあいと平和な日々を過ごしたこともあった。
だが、ある日、その平穏は終わりを迎える。
彼の家にヒーローが押しかけ、姉に少女の行方を聞いてきた。姉は何かを知っているようで、「知らない」と、シラをきった。
その時、彼と少女は事前にタンスの中で隠れさせられていた。
「どうしたんだろ?」
彼は小声でタンスの隙間から外の様子を覗いていた。
「分かんない。けど……良くないことな気がする」
「良くないこと?」
悠里は首を傾げる。──あんなに有名なヒーローがいるのに良くないことなんて起きるわけがないと、彼は思っているのだろう。
しかし、そんな彼の思いは実現しなかった。
姉がヒーローたちと口論をしていると、唐突に彼女はタンス目掛けて、吹き飛ばされた。
「姉さんッ!?」
髪型がツーブロックの派手な格好をしたヒーローが姉の髪を掴み、凄んだ。
「はよぉ言わんかい!!あのガキはどこや、ゆうとんねん!!」
「知らないって……言ってんでしょうが──ぐふッ!?」
さらに他のロン毛の和服を着た男性ヒーローが腹に蹴りをいれた。その蹴りの威力が高すぎたため、姉の体が再度タンスにぶつかり、タンスの戸が壊れ、中の二人の姿が外に晒された。
「なんやおるやないか!!このッ!クソアマッ!」
何度も何度も姉の頬をぶつヒーローを見て、悠里は唖然とする。
みんなのヒーローのはずの姉が、なぜ何度も痛めつけられているのか、理解できるはずもない。
「そこらへんにしなさいよ。ほんと、野蛮なんだから」
奥から赤髪の化粧の濃い若い女がモデルウォークをしながら、髪を掻き上げ言った。
「ああ!?なんやとアバズレ!!」
「──あなた達、黙りなさい。あの方がいらっしゃいます」
ロン毛が二人を黙らせると、一人の男が入り口から欠伸をして、歩いてきた。なんともふてぶてしいその男は土足で敷居を跨ぎ、姉を踏みつけ、笑顔で言った。
「それじゃ、行こっか」
少女はきょとんと、その男の顔を見つめ、悠里は顔を歪ませた。
「──どけ」
「君には言って」
「そこをどけって言ってんだよ!」
悠里は男に殴りかかったが、ロン毛の男にいとも容易く制圧されてしまった。
「まあいいや。君を連れていけたらそれでいいんだ」
「止めて、触らないでッ!!!」
彼女の手を取ろうとしたその男が、彼女の言った『触らないで』という言葉に従うように動きを止めた。
「やはり……素晴らしい英雄戦技だ。杏、彼女を代わりに」
杏と言われた化粧の濃い女が彼女を抱きかかえ、玄関へと向かう。
「やめてッ!離して!悠里!悠里、助けて!お姉さんッ!!」
「ゔゔゔゔゔゔッ!!!」
「止めるんだ少年。君の骨が折れてしまう」
ロン毛は悠里を拘束したまま、そう言うが、悠里からすればそんなことは関係ない。
彼女はヒーローの姉さんよりも先に悠里の名前を呼んだ。
それは彼女にとってのヒーローが彼であったことの証明に他ならないということを悠里は分かっている。
ここで動けなければ、自分はきっと後悔する。それも分かっていた。
だから、なんとかロン毛の拘束を解こうと身をよじり、無理矢理にでも引き剥がそうと体に力を込める。
「それじゃ、わいはお楽しみと、いこうかね」
うきうきと、ベルトを外し、局部を露出させたツーブロックの男はボロボロの姉に近寄っていった。
何が行われるのかを悠里は理解していなかったが、ロン毛の男は歯を噛み締め、それから目を逸らした。
「悠里……」
「姉さん゛っ!!!」
「あの子のヒーローに──なってあげるのよ」
ロン毛の男が悠里にそれが見えないよう、悠里の目を手で塞いだが、悠里は手の隙間から見てしまった。
自分の残された最後の家族。
姉が陵辱されている現場を。
彼は見てしまった。
ツーブロックの男の醜い顔に、興奮した声に、悠里は猛烈な不快感を覚えた。
「悠里ッ!ぐあッ!悠里ッあの子には、あなたが必要よ!あなたが救うのッ!」
「うるさいわ!おらっ!前々からおめーにはむかっ腹が立ってたんや」
男は再度、姉をぶった。何度も何度も何度も何度も殴った。
「やめろ……やめろぉぉぉぉぉ!!」
「ゆう……り……」
それを最後に姉は何も言わなくなった。
部屋には男の嬌声と、少年のうめき声だけが響いた。
──次の日、ある国民的ヒーローが怪人に襲われ、命を落としたと報道された。
それを見た悠里が何を思ったのかなど、悠里にしか分からない。
ただ一つ分かることは自分の家族をレイプされた上に殺された事実を受け入れ、前を見て生きる事が出来る人間などいないということだ。
それから彼は、取り憑かれたように努力した。何の才能も持たない凡夫だから。努力しなければ、奴らを殺せないと、ひたすらに。
時間は彼の憎悪を更に膨れ上がらせ、偶然か必然か。
いずれにせよ彼にヒーローを殺せるほどの力を身につけた。
やがて彼は警察になり、牙を研ぎ、復讐の時を待つ。
決して、ヒーローたちを許すことはない。
姉を苦しめたヒーローを根絶やしにする。
そう心に誓って。
ヒーローは超人です
そして、全員ちょっと人と感性がズレています