依頼
11月3日火曜日、午後7時。
高瀬の自宅は駅からは遠いが近隣にスーパー、医療モール、ドラッグストア、コンビニなどがあり最近人気になった地域のマンションにある。
12階建ての4階、3LDK+Sの間取り。高瀬はキッチンに立って夕食の準備をしている。
鶏もも肉にフォークを突き刺し慣れた手付きで鶏肉を一口大にカットする。塩麹と胡椒を保存バッグに入れ、そこへカットした鶏もも肉を入れてすこし揉んだあと、冷蔵庫へしまい込む。
高瀬のスマホが震えて着信を告げる。画面には「ありす」と表示されている。高瀬は手を拭いてスマホをタップ、スピーカーモードで通話開始しつつ、人参の皮を剥く。
「どうした?」
「ハイ、リオ、コンバンワ」
少しアクセントのおかしい女声。
「挨拶はいい、用件は?」
「えと、お仕事デス。平日の昼間のBGのお仕事デス」
「BGってそんなのNEAD-1の仕事だろう。だいたいこないだのあれだって」
高瀬はタマネギの皮を剥きつつ文句を言う。
「ゴメンナサイ。でモ、他にテキニンがいないのデス。クワシくは後で」
「……わかったよ。じゃあまた後で」
高瀬は通話を切り、忌々しげに舌打ちする。
「囁き手に文句を言うのはお門違いってやつだが、それでもな」
人参をいちょう切り、タマネギをくし切り、キャベツをざく切り。薄切りベーコンを1cm幅でカット。
鍋に湯を沸かして人参、タマネギ、キャベツ、ベーコンを入れていく。
フライパンを熱してにサラダ油、そこへ冷蔵庫から鶏肉を取り出す。取り出した肉の表面を拭って塩麹を落とし、皮目から焼き始める。
焼色がついたところで裏返し、蓋をして弱火に落とす。
炊飯器が炊きあがりを告げる。
《10分後、通知します》
「ああ、頼む」
高瀬は野菜を煮ていた鍋にコンソメ顆粒を入れて弱火に落とし、蓋をする。
「それにしても、だ。NEAD-2にややこしい仕事が回ってくるのはどうにかならないのか」
《難しいでしょうね。NEAD-1は今香港と中国、台湾で手一杯です》
高瀬は眉間にシワを寄せる。
「GDからも回せばいいのに」
《すでに回っていますが中東情勢が不安定でMEDからもヘルプ要請が出ています》
大きくため息をつく高瀬。
《仕事が増えるのはマスターが優秀だからですよ》
「……褒めても何も出んぞ」
《マスターには感謝しています。質のよい魔力が私を強化します》
「そうか」
コトコトとスープを煮る音が流れる。
《10分経過しました》
ガーランドの声に高瀬はしゃもじを持って炊飯器の蓋をあけ、中をほぐす。
「まあ、飯にでもするか」
高瀬は夕食を終えた後、サービスルームに移動。内部に設置されている防音室内に入り、内側から鍵をかける。
防音室に置かれていたPCを起動し、左手の甲をキーボード脇のプレートに接触させる。
「活性化」
《暗号通信システム起動。すべてのシーケンスは正常に完了しました。イヴの存在はありません。自動翻訳システム接続》
「遅かったデスね格闘家」
囁き手のアクセントが多少おかしいがきれいな女声がスピーカーから流れる。
「悪かったね。ちょうど飯だったんだよ。で、そっちには今誰がいる?」
「私と地獄耳がイマス」
「囁き手と地獄耳。何かの悪い冗談か?」
高瀬の声の後、低い嗄れた声の流暢な日本語が流れてくる。
「相変わらずだな格闘家。早速だがビジネスの話を片付けよう。概要は聞いているか?」
「護衛任務だろ? 平日限定、昼間の間だけの」
「そうだ。対象は来栖愛生。17歳。来栖グループのお嬢様だ。11月9日から脩文高校2-Aに編入し、年内いっぱい通う。本来は3年生だが護衛の都合上お前のクラスへ編入させる。今まで籠の鳥だったのだが結婚前に学生生活を送ってみたいという本人の希望を叶えるための遊学、というやつだ。おそらく狙われることはないだろうが念の為の護衛任務となる。勤務時間は平日の8時から18時まで」
高瀬は盛大なため息を吐き出す。
「迷惑な話だ。金持ちの道楽か。それとうちは7時限目があったときでも16時から放課後だぞ。なんで18時までなんだよ」
「本人の希望だ。学生生活は寄り道でしょう? だそうだよ」
「……俺の生活サイクルが壊れる。一人暮らししているんだよ、俺」
高瀬のため息まじりの返答に地獄耳は面白そうに答える。
「そこはちゃんと考慮してある。囁き手を派遣する」
「うぇええ⁉」
およそ女性らしからぬ悲鳴を上げる囁き手。
「囁き手って家事できるんですかね?」
「私は知らん」
無責任な地獄耳の発言に大きな溜め息をつく高瀬と猛抗議する囁き手。
「できマスよ! でもナンで⁉」
「オペレーターとしては暇だろう。担当が護衛任務中に何をする?」
「あー……すみませんがそのあたりはそっちでやってもらえませんか? 決まったらメールください。じゃあ切りますね」
「あ、おい、待て」
地獄耳の制止の声を無視して左手をプレートから上げる。
《システム切断。クリーンアップシーケンス完了……いいんですか、マスター》
「構わん。どうせ囁き手が来るのは決定事項だろ」
《まあ、そうでしょうね》
高瀬のスマホが鳴動する。画面には「お調子者」と表示されている。高瀬は拒否をタップ。即座に鳴動。拒否。再度鳴動。ため息、着信、スピーカーモード。
「いきなり着拒すんじゃねえ!」
「しつこいですよ、村野さん。あとスピーカーモードです」
「……とりあえず仕事の話なんだから聞けよ」
「すでに聞いてますよ。アリスさんがうちに来るみたいですね」
「……はあああぁぁあ⁉」
村野は沈黙したあと、叫んだ。
「うるさいです。切りますよ」
「ちょっちょっちょ、待てよ! どういうことだ」
「一人暮らしで生活がままならんとヴェンツェルさんに言ったら、家事担当として派遣が決まったみたい」
沈黙が流れる。
「代われ」
「は?」
「俺がやる。交代」
「交代したいのは山々だけどね……どうやって高校内で村野さんがやるの?」
再び沈黙。
「ところで高瀬、お前アリスと会ったことあったっけ?」
「ないですよ」
「まー、だからそれだけ冷静なんだな。くそ、羨ましい。しばらく同棲生活ってやつだ」
「は? あ……そうか。まあ姉さんの部屋も両親の部屋も使ってないから掃除して渡せばいいか」
「俺も住ませ」
「却下」
高瀬はかぶせ気味に拒否。
「なんでだよ」
「確実に間違いを起こすから。要件はそれだけ?」
「お前、俺を何だと思っている……まあいい。お前忙しくなるんだろ? リースのカートリッジを頼みたい。6ダースほど」
「6ダース……宅配ボックスに突っ込んでおいて。月曜日には渡すよ」
「助かる。んじゃな」
通話が切れる。
《大変ですね、マスター》
「お前もだぞ。しばらく魔力供給減るんだからな」
《あ!》