謀殺
五階建て雑居ビルの屋上、インカムを着けた作業着姿の青年が立っていた。ツーブロックにオールバック。それ以外なんの特徴もないことが特徴の青年は黒い左手を口元へ持ってきて小さくつぶやく。
「活性化」
左手の甲が丸い形に淡く黄色に光る。
「第三種戦闘、限定解除」
青年は続けて左手に向けてつぶやく。
《イエス、マスター。強化開始。防護円環展開》
女声で青年の左手が答える。薄っすらと青年の体が一瞬発光した。
繁華街の路地裏に建てられた雑居ビルに面した細い路地に、似つかわしくない黒塗りの高級外車がゆっくりと移動している。
10月23日金曜日、午後9時。バーやスナックの看板が壁面から張り出すビルがあちこちにあるのに外車以外の人の気配がない。
「衝撃」
《イエス、マスター。速攻魔術発動》
青年の声に合わせて、空中に小さな魔術陣が描かれ、きらめき、消滅すると同時に轟音が鳴り響く。跳ね回る外車。青年は屋上から飛び降り、車の左脇に着地した。
青年は無造作に右ストレートを車の後部座席のドアに叩き込む。拳がドアを貫通し、そしてまるで紙でできたかのようにそのドアをむしり取る。
むしり取ったドアの向こうに角刈りの巨躯が座っていた。巨躯はのっそりと出て手を青年に伸ばすが、そのまま前につんのめって倒れる。頭部に光の矢が刺さっていた。しばらくすると矢は消えるが、巨躯はそのまま動かない。
右後部ドアが開いて小柄な和服老人が降りてきた。
「ガーランド……ということは、お前は……」
和装老人は呆然とした表情のまま呟く。
「分解」
青年の声に彼の左手が答える。
《イエス、マスター。妖術展開》
大きな魔術陣が空中に投影され、きらめき、回転する。老人の頭が消し飛び、糸の切れた操り人形のように倒れる。
運転席と助手席のドアが開き、のたのたと大柄な男たちが出てこようとする。
《捕縛発動します》
小さな魔術陣がきらめいた。助手席の男はつんのめり、頭を青年の前にさらけ出す。青年はオーバーハンドの右を叩き込む。頭部が消し飛び脳漿と神経細胞、返り血を浴びる青年。
運転席の男の頭には光る矢が刺さり、そのまま倒れる。
青年はインカムに向かって話しかけた。
「処理完了。なあ、射手。なぜターゲットを撃たなかった?」
インカムの応答を聞きため息をつく青年。
「くだらないなあ、もう」
青年は軽く飛び上がり、元いたビルの屋上へ戻る。周囲のビルから数人の男が飛び出し、死体を回収。血をざっと洗い流す。男たちがビルに戻ると同時に街が喧騒を取り戻す。路地裏に壊れた外車がポツンと置かれている。青年はしばらく見下ろした後、雑居ビルの屋上から中に入っていった。
雑居ビルの五階、デュバン綜合警備保障と書かれたオフィスにある更衣室に設えてあるシャワールームに青年が入っていく。着ていた作業着を脱ぎ、シャワーブースそばにあるバスケットに放り込む。
鍛え抜かれた体をしているが、一つだけ違和感がある。彼の左手は前腕部中程から黒い硬質の精巧な作りの義手になっていた。
鼻歌交じりに汚れを洗い流し、やはり備え付けのタオルでガシガシと頭を拭いたあとバスケットに放り込んだ青年は、高瀬諒と書かれたロッカーの前に立つ。
高瀬はロッカーから整髪料を取り出してオールバックになでつけ、シャツ、ブレザー、スラックスを取り出して着る。中に置いていた青いデイバッグを背負い、スマホを内ポケットへ、スマートウォッチを右手に付ける。
スマートウォッチにメッセージ着信を告げるマーカーが出る。スマホを取り出し、画面を一瞥するとタップしてメッセージを消す。
高瀬はそのままエレベーターで下に降り、ビルを出て、脇に止めてある自転車に向かう。
ビルに国産のワンボックスが横付けされ、ウィンドウがスルスルと開く。
「よう、高瀬」
茶髪でショートウルフ、整えられた眉とひげ、紺のスリムスーツ、ノーネクタイできれいな水色のひし形のペンダントを下げた男が高瀬に話しかける。
「村野さん、なにか用?」
「これから飯でもどうだ?」
「遠慮しとく。明日も学校だし」
「あ……高校生だっけか?」
「そうだよ」
村野は車から降り、ビルを指差す。二人はビルに入り、エレベーターで五階に上がり、デュバン綜合警備保障の更衣室に入る。
「リースのマガジンにチャージしてくれないか。リースに言わせるとお前のところのが一番美味い、んだとさ」
ライフルのマガジンのような形をしたものを村野が高瀬に渡す。
「自分のパートナーのぶんくらいちゃんと自分でなんとかしなよ」
「俺のリースは可愛いからさ、我儘の一つや二つ、どうしても聞きたくなっちゃうんだよね」
「……次からチャージしない。自分で領土確保しなよ」
「えー、面倒くせえんだよ、あれ」
高瀬は村野にマガジンを返す。
「お、サンキュ」
「だからいつまで立ってもSクラスに上がれないんじゃん」
「そりゃお互い様だろ」
高瀬はじっと村野を見つめ、ため息交じりに答える。
「もう少し真面目にやればすぐSクラス行きでしょ? リースとの関係もかなり良好みたいだし」
「お前はどうなんだよ。そもそもなんで打撃型なんかやってるんだ?」
「そりゃ楽だからだよ」
「楽って……」
村野が呆れたように言う。
「打撃型は魔力の計算がほとんどいらないからね。使うのは最初の強化とあとは防護円環の維持だけ。今回は間に車があったから妖術使ったけど、そうじゃなかったら撲殺してる」
「おーおー、怖い怖い。撲殺かー」
「それに射撃型やるならガーランドは相性が悪い。どうやって狙う? リースみたいなのは例外だが、杖に比べりゃ狙いにくい」
《心外な! 私は射撃型としてもやっていけますよ》
高瀬の左手の甲の丸いコアが点滅し、ガーランドと呼ばれたその左手が抗議の声を上げる。
「近距離ならな。結局打撃型に近いレンジでやるしかない」
《あら、格闘家。あたしってばそんなに優秀でしたでしょうか?》
村瀬のペンダントトップが明滅し、声を出す。
「遠距離だけならね。それ以外のレンジなら俺とガーランドのほうがずっと上だ。そして遠距離でもせいぜい互角だよ」
「なんでだ?」
村野の疑問に高瀬が涼しい顔で答える。
「俺は真面目に領有魔法具を設置したからね。その上に魔力炉も魔石もちゃんと用意している。よってリースの魔石が尽きるまで防護円環は維持できる。その後はお前との体力勝負だ」
溜め息とともに首を振る村野。
「ああ、たしかに無理だな。全くなんでこんなのがBクラスに居るんだよ」
「高校生だからだろうね」
高瀬は村野にウィンクをすると更衣室を出てエレベータで下に降り、ビル脇に止めてある自転車にまたがるとそのまま夜の街へ消えていった。