第8話.様子がおかしいです
それからの日々は、わりと平和に流れていった。
四月のお花見の会は、熱が出たと嘘をついて欠席。
五月の新入生交流会は、具合が悪いと嘘をついて途中退席。
六月の中間試験は、ピンピンしてたのに順位は最悪。
……私だってみんなとお花見したかったし、交流会だって最後まで参加したかったんだけどね?
でもお花見の会は、ユナトが一緒に行動しよう、なんて誘ってきたので思わず欠席してしまった。
お花見といえば令嬢たちはみんな張り切るイベントだからね。そこで私という名の虫除けスプレーの力を遺憾なく発揮するつもりだったんだろうけど、そうはいかないよ! あなたには桜の樹の下でクレアちゃんに声を掛けるっていう大事な役割があるんだから。
……でも、ゲーム内でクレアちゃんが桜の下で泣いていたのは、リオーネにいじめられたからだったよね?
するとあのイベントも、発生しなくなっちゃうのかな?
気になったけど、ユナトに直接訊くわけにもいかなかった。私が彼の恋愛事情に興味を持っているように思われると、今後の命運に関わるからだ。
新入生交流会ではリィカちゃんたちと仲良く談笑していたのに、途中でユナトとライルが話しかけてきたからもう最悪……。
あの二人といるとただでさえ目立ってしまう。そして周りの人たちは自然と遠ざかっていく。せっかく、クラスメイトが数人話しかけてくれたところだったのに!
そしてユナト。本当にやる気あるのか!?
このイベントで主人公とユナトの関係が大きく動き出すんだよ! ストーリー上、すっごく重要なイベントなんだよー!
イベントシナリオ通りならクレアちゃんは屋上に居るはず、と思って私も何度かユナトを誘導しようとした。
でも当の本人は不思議そうに「どうしてお前が居ない場所に俺が足を向けなければならない?」なんて言っていた。あなたの愛おしい主人公が待ってるからですけど!? まったく、もう!
そうして私の学園生活三か月目も、無事に終わろうとしている。
いまいち楽しかった、と言い難い思い出もあるけれど、私としては満足。
というのも、六月三十日を迎えた今日も、ユナトから追放or殺害されていないからだ。今のところそのお達しもないしね。
これは完全に、乗り越えた――と思っていいんじゃないかな!?
今のわたしはもはや悪役令嬢ならず。ふつうの公爵令嬢、リオーネ・カスティネッタよ!
いやあ、最初は不安だったけど、意外とどうにかなるものだ。
基本的に逃げ回ったり、愛想笑いを浮かべたりしてただけだけど……でも頑張った。頑張りました! 誰も褒めてくれないから、自分だけは私を褒めてあげないとね!
明日は七月一日。
まだまだこの先、気は抜けないけど……でもなんだか自信がついてきた!
「ふふふ、おやすみなさーい……」
すっかり慣れた寮の自室で、私はそうして眠りについたのだった。ああ、ふかふかですぐに眠っちゃう。
「――いい加減起きなさい、リオーネ!」
雷に打たれたような衝撃だった。
あまりにびっくりして目を見開いた私は、上半身を起こして慌てて声のする方を向く。
何かと思えばベッドの脇で、怒髪天を衝く形相のお母様が仁王立ちしていた。
「もう、メイドたちが困っていてよ。何度声を掛けてもお嬢様が起きません、と部屋の前を右往左往して」
え? え? ……なんで?
「な、なぜお母様が寮に居るのですか……!?」
「……は?」
まさか、私があまりに寝ぼすけだから学園にまで押しかけてきたの!?
しかも大量のメイドさんたちまで引き連れて!
確かに私は朝が苦手だけど、ここまでするほど!? 今まで遅刻だって、ほとんどしてないのにい!
「……リオーネ、寝ぼけているの? ここがどこか分かる?」
「ここって、それはもちろん」
私の寮の自室です。
そう答えようとして、私は――固まった。
…………どうして?
見まわしたらすぐに分かった。
ここは、寮なんかじゃない。
豪奢に過ぎる天蓋付きのベッド。
お気に入りの調度品。
アンティーク調で統一した、女の子らしいかわいいお部屋。
だけど、私はこの場所のことをよく知っている。
お母様ははあっと大きなため息を吐いた。
「今日は入学式典の日でしょう。早くベッドを出て、朝食を終えたらすぐ着替えなさいね」
「……あの、お母様。今日は何日でしたっけ?」
「もう、本当に寝ぼけてるわね……」
すっかり呆れ顔のお母様が、さも当然のように言い放った。
「今日は、四月一日――あなたがスティリアーナ魔法学園に入学する、記念すべき日じゃないの」
う――――嘘でしょ?
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
もたもたしていたら、ユナトの使いの人たちがやって来てしまい、私は呆然と馬車に揺られていた。
学園に着いたが、時間が合わなかったらしくリィカちゃんやシルビアちゃんたちには会えなかった。私はユナトの従者に付き添われ、入学式典が行われる講堂へと向かう。
そこではユナトが式典挨拶の予行練習を終えたところだった。
「リオーネ、来たか」
すぐに私たちに気がつき、壇上から降りてくるユナト。
だけど今はいつもみたいに、愛想笑いを返す余裕もない。
「ユナト様……今日は何月何日ですか?」
「……お前、また寝ぼけているのか? 夜更かしでもしたのか?」
失礼なことを言いつつ、ユナトが呆れ口調で答えてくれる。
「今日は四月一日だ。この後は魔法学園の入学式典が催される。……これでいいか?」
……ああ、やっぱり。
ユナトもお母様やメイドさんたちと、まったく同じことを言っている。
今日が四月一日? そんなわけがない。
今日は七月一日のはずだ。だって私はこの三ヶ月間、魔法学園での日々を送ってきたもの。
それなのにそのことを、私以外の誰も覚えていないの……?
「ユナト様。おかしなことを聞くようですが……前にもこの式典に出たことはありませんか?」
「どういう意味だ?」
ユナトは不可解そうな表情をしている。
私は何だか自分だけ、どこか知らない場所に放り出されたような気持ちになってしまった。
ぽかんとするユナトに「何でもありませんわ」と告げ、私は席に移動しようとする。
その途中、足がもつれて転びかけてしまった。
けれど倒れる直前、私は誰かの腕に抱き留められていた。
フリート・カスティネッタ――。
式典では新入生の誘導係を務める、私の実の兄だった。
「どうしたの? リオーネ。ずいぶんとフラフラしてるけど……もしかして睡眠時間が足りなかったのかい?」
……何でだろう。みんな私の様子がおかしいと、いの一番に睡眠の心配をしてくれる。
しかし自分で思っていた以上に私の心は決壊寸前だったらしい。
信頼するお兄様の顔を見た途端に、泣き出しそうになる。
「お、お兄様……」
「ええ? 何で涙ぐんでるの。講堂出ようか?」
それ以上言葉が出てこなくて、私はただお兄様の提案にコクコクと頷く。
私を連れ出す間、お兄様は何度か後ろを振り返っていた。ユナトがこちらを見ていたのかもしれないが、私はもうそれどころではなかった。
私は講堂から離れた位置のベンチに座っていた。
式典はそろそろ始まっている頃かな。入学初日から大事な行事をサボってしまったことに多少の罪悪感はあったが、今はそれより、不安な気持ちを誰かに打ち明けたかった。
だけどお兄様は「ちょっと待ってて」と言ったきり、どこかに姿を消してしまった。
どこ行っちゃったんだろう……教師か誰かに見つかったらと思うと、けっこうドキドキするんだけど。
「どわっ!?」
なに!? 急に首の後ろが冷たくなった!
驚いて振り向くと、そこには――
「ごめん冷たかった? でも、涙は引っ込んだかな?」
とか言って濡れタオルを手に悪戯っぽくウィンクする、お兄様の姿がありました。
お……お兄様~~!!
アオハル! いきなり私の元にアオハルがやって来たぞ!
これって前世で言う、冷えたペットボトルを首元に押し当てられるアレじゃない! きゃっ、冷たい、あははごめん、っていう……リア充ド定番の夏のアレじゃないですか!
そしてときめく私の目蓋を、そっとタオルで冷やしてくれるお兄様。私は目を閉じて、されるがままになっていた。タオルの感触が心地よい。
ああ、実の妹でさえなければ、私はこの人と付き合いたい……!
そんな最高の時間を過ごして元気を取り戻した後。
隣に腰掛けたお兄様が「それで?」とやさしい口調で促した。
でも……何から話せばいいのかな。
この世界はゲームです! なんて言ったら、ただの頭おかしいヤツだし……。
時間が巻き戻っているんです! なんて言っても、やっぱり頭おかしいし……。
「お兄様は……ある日突然、理解不能なことが起こったときはどうされますか?」
私の問いに、お兄様が目を丸くする。
抽象的すぎたかな? でも、こんな訊き方くらいしかできないよ。
お兄様は顎に手を当てて、しばらく考えていたかと思うと、花壇の方を眺めたまま言った。
「これは僕が魔法について研究しているときの話だけど。……そうだね。理解できないような難問に立ち会った場合は、アプローチの仕方を何度か変えてみるかな」
「アプローチ、ですか?」
「そう。思いつく限り、いろいろなことを試してみるんだ。すると少しずつ理解と納得が積み重なるだろう? 時間はかかるけど、それを何度も繰り返していけば、やがて答えらしいものにたどり着くことができるからね」
私はお兄様の言葉の意味を、心の中で何度か反芻する。
今は訳が分からなくても、時間をかけていろんなことを試してみる……
まだこの状況の理由はサッパリ分からない。
だけどお兄様の言葉は、私に安心を与えてくれた。
分からない、のまま立ち止まっていちゃダメなんだ。少しでも、どうにかしようと足掻いてみなきゃ。
「……僕や周りの人間が手伝えることは、限られているんだね?」
気づけばお兄様が、私の方に顔を向けていた。
私はおずおずと頷く。するとお兄様の大きな手が、私の頭を撫でてくれた。
「そうか。でも、本当に追い詰められたときは必ず僕に言って。ひとりで抱え込んだりはしないでくれよ?」
「……はい、お兄様」
ああ、困る。また涙が出てきちゃいそうだ。
私はずびびっと鼻を啜って、お兄様の肩にもたれ掛かった。
そうして私は繰り返した。
四月から六月の三ヶ月間を――計五回。




