第30話.歌声を響かせて
そうして私とクレアちゃんは真っ逆さまに落下――
――している最中なのだが、当然黙って落ちるわけにはいかない。
だって私、前世でも十六歳の若さで死んじゃったんだよ?
それなのに今世でも同じ年齢で死ぬなんてひどすぎる~! ゼッタイ嫌だ!
しかも私がいま抱きしめているクレアちゃんに至っては、何の罪もない十六歳の少女!
……このまま大人しく死んでたまるかあ!!
「り、リオーネ様……」
風に煽られて、身体は重力に従って今現在も落下していて、もう何が何だか分からないけど、クレアちゃんはそんな状況でも私の名前を呼んでくれた。
頭も顔も隠している不審者スタイルなのに、すぐに私に気づいてくれたみたいだ。
私は彼女の身体をより強く抱き寄せた。
大丈夫、何とかなるよクレアちゃん。
ううん、私が何とかする!
祈るような気持ちで、私はその言葉を叫んだ。
「水よ――!」
普段、私の無駄に強力な魔力はぜんぜん言うことを聞いてくれないんだけど――今だけは力を貸してほしい!
ていうかあと数秒も経たずに地面に激突しそうだからほんとに助けて!
そんながむしゃらな気持ちが届いたのかは分からない。
でも真下に向かって伸ばした左手から、底なしの魔力が漲るような感覚が急激に溢れた。
そうして何もない空間に突如として、超弩級サイズの……水の球が膨れ上がる。
私とクレアちゃんは、頭からその水球に向かって突っ込んだ。
バッシャ――ン! と、バカみたいに大きな音がした。
それは私が魔力によって作り出した水球に、私達二人が飛び込んだ音だった。
水に叩きつけられた瞬間は、痛みで息が詰まったけど……そのままゆっくりと割れた水は地面に広がっていき、やがて私とクレアちゃんの身体は何事もなく地上へと届けられていた。
「クレアさんっ……大丈夫!?」
むくりと起き上がった私は、ぐったりしているクレアちゃんの身体を軽く揺する。
何度か呼びかけると、クレアちゃんはのろのろと目を開けた。
「り、リオーネ様…………」
「大丈夫よ。わたくしたち、助かったの」
微笑みかけると、クレアちゃんはようやく安心したように笑ってくれた。
……うん、確認する限り怪我もないみたい。
一時はどうなるかと思ったけど、良かったぁ……魔法が使えなかったら二人揃ってお陀仏だったよ。
ご機嫌で顔を上げた私はそこでようやく、自分が百人近い生徒達から注目されていることに気がついた。
唖然とした顔で私たちのことを見ている人、人、人――。
何と運が悪いことに、私たちが着陸したのは屋外ステージの近くだったのだ。
水球の水は、広がるように地面を静かに流れていったので、彼らに被害はなさそうだけど……。
あれ? と私は何かおかしいのに気がつく。
ステージに上がっているのはユナト率いるツェークラスの面々ではなく、デークラスの生徒達だ。全員、何が起こったか分からないという顔でこっちを注視している。
そうか、ツェークラスの発表はもう終わったんだ。ユナトのヴィオラ、完全に聞き逃しちゃったよ。あとで文句とか言われないといいけど。
って――それどころじゃなーい!
仮面! それにマントは?!
慌てて装備を確認すると、それらは問題なく装着できている。
うおお、九死に一生を得た! これなら私が何者かはまだ皆にはバレてないはずだ。
でもどうする? ここから一刻も早く離脱したいけど……今の私はただの不審者!
生徒に危険な飛び降りをさせたヤバいヤツ、みたいに犯罪認定されるかも! 事実、ほぼその通りだし!
どうしよう、とオロオロしていたら、頭上からよく通る口笛の音が聞こえた。
何事かと思って振り向けば、屋上から――ライルが大きく手を振っている。
たぶん私たちにじゃない。
そうだ、後ろの……屋外ステージの上に居る、自分のクラスメイトたちに向かって。
それからライルは遠目にも分かるくらい、にっこりと微笑むと――スッと片手を高く掲げた。
そして私がポカンとしている間に、彼は右手を振り下ろし……その途端に、グランドピアノの前に座っていた女生徒が、滑らかに伴奏を始める。
……そうか、指揮!
ライルは屋上から直接、デークラスの指揮を行ってるんだ。
……って、この距離でそれをキチンと読み取る伴奏者の子もただ者じゃ無いな。私とライルの噂を広げた張本人かもしれないけど、純粋にすごいと思う。
最初は若干、戸惑いがちだった合唱メンバーもライルを見上げながら、歌声を響かせ始めた。ソプラノ、アルト、テノールにバス……混声合唱が大空の下で始まる。
私はライルの意図を汲み取って、呆然としたままのクレアちゃんに話しかける。
「歌って、クレアちゃん」
「え? でも……」
「あのね。……わたくしもあなたの歌、とても楽しみにしていたの」
私がそう言うと、クレアちゃんは大きく目を見開いた。
私に向かって鋭く頷くと、その場で立ち上がり――そして、唇を大きく開く。
……彼女の歌声は、そりゃもう素晴らしかった。
清らかなのに、どこかあどけなくて優しい。
ゲームの地の文では確か、「童話に出てくる愛らしい森の妖精が口ずさむメロディは、きっとこんな風に甘い響きをしているのだろう」なんて例えられていたけど……うんうん、よく分かるよ。
アニメだと第七話のラストで曲がサビに差し掛かり、そのまま特殊EDに突入したんだよね。
ゲームのユナトと主人公のスチルも好きだけど、アニメの演出も良かったなあ……主人公の生まれた頃から、魔法学園に入学するまでの思い出の写真風イラストが、スタッフロールの横に描かれていて。たまに一緒に映ってる家族の人達もすっごく優しそうだったんだよね。
そしてさすがはクレアちゃん。
誰もが彼女の歌声にうっとりと聴き入っていて、私のことに注目している人なんかもう誰も居なかった。
私はそれを良いことに、急いでその場を離れて校舎の後ろ――裏庭へと移動。
そこで仮面とマントを外して、ベンチの下にこっそりと隠した。あとで回収して、ちゃんと返しておかなくちゃ。
「ふぅ……」
ようやく一息が吐けた。
デークラスの合唱が終われば、次はイークラスの出番だけど……でも、さすがに参加するのは無理だよね。
だって全身が水浸しだもん。この格好じゃあ、交流会には出られない。
謎の仮面女の正体を他の生徒に知られるわけにはいかないし。何よりユナトに知られたら、「よくもクレアを危険な目に!」ってそのまま断罪されちゃうかも。ひいっ、考えるだけで怖いっ。
でもクラスのみんなには申し訳ないな。
それに指揮の練習、けっこう頑張ったのになあ……うわー、ちょっと泣きそうになってきた。
「あら? リオーネさん?」
「……えっ」
左横から声を掛けられて、驚いて目を向けると、そこにはディアナ部長とアグが立っていた。
裏庭は半ば園芸部の私有地みたいなものなので、二人がここにいるのは決して不自然ではないけど……
「まだ授業中じゃ……」
「四時限目が終わったから、休憩時間の間に畑をチェックしにきたの」
あっけからんと言うディアナ部長。
何と。怠惰な私とは格が違う……たった十五分の休憩も無駄にしない精神、恐れ入ります。
「リオーネこそどうした? 今日は交流会だろ?」
「そうよね。さっきも素敵な歌声が風に乗ってきこえてきたし……しかもどうしてずぶ濡れなの? 雨も降ってないのに」
「……何かあったのか?」
心配そうに眉を寄せる二人。
私は、そんな先輩達の顔を見つめて……だばぁ、と涙を流した。
「ど、どうしたのリオーネさん!?」
「じ、実は……いろいろありまして濡れ鼠になってしまって……このままじゃ交流会に出られなくって」
「いろいろって、まさか……」
虐めか? という言葉を同時に呑み込む二人。
そうだよね。公爵家の人間を虐められる人なんて中々居ないからね……そしてこれは自業自得なんです。
するとアグは、手にしていたタオルで私の濡れた頭を拭いてくれた。
「とりあえずこれ使え。まだ使ってないから」
「あ、ありがとうございます」
「アグ、ナイスよ。それでリオーネさん。ちょっと部室に行きましょう」
「え?」
「アタシの制服、貸すわ。ちょっとサイズが大きいかもしれないけどね」
え。……ええっ?
「次の授業は実技だから平気よ。それで濡れた髪の毛だけど。アグ、アレ使えるわよね?」
「ああ、大丈夫だと思います」
アレって何? 何か私の分からない間に話がどんどん進んでる?
「アグが作ってる植物性のオイルトリートメントがあるの。それでアレンジすれば、髪が濡れていてもゼッタイ可愛く仕上がるわ。髪紐もいっぱい使ってキュートにしましょうね」
「開発途中だけど、何度か試してるから問題はないと思う。安心しろ」
「最初の頃はアグの髪の毛、ダラダラに油っぽくなったりしたものね~」
「それ、すごい昔の話でしょ。……ほらリオーネ、行くぞ」
二人が軽口を叩き合いながら、何でもないように私を振り返る。
でも私は、しばらく動くことができなかった。
――何て。
何て頼りになる先輩達なんだ!
私はもう、感激のあまり二人に抱きついたい気持ちでいっぱいだったけど……どうにかそれは我慢して、力の限り叫んだ。
「お二人とも…………大好きですっ!」
ディアナ部長は「あら」と嬉しそうに笑ってくれたけど、アグは何故かその瞬間にスッ転んだのだった。
その頃には私の涙はすっかり引っ込んでいた。
……数分後。
私は二人の先輩のおかげで、どうにか無事指揮者としての役割を果たすことができた。
こうして波瀾万丈の新入生交流会が終わったのだった。




