第1話.悪役なんて嫌なので
――大人気乙女ゲーム『無敵な恋のプレリュード』こと『恋プレ』。
中世ヨーロッパ風の剣あり魔法ありなファンタジーワールドでイケメンたちとの学園生活を楽しむ、大人気乙女ゲームの名称である。
ゲームの主人公はクレア・メロディ(※名称変更可能)という名の少女。ごくごく普通の一般家庭に生まれた、平凡な女の子である。
この世界の住人のほとんどは【魔力】という特別な力が使えるんだけど、クレアはその中でも特別な存在だ。本来は攻撃特化な炎の魔力の持ち主でありながら、何とクレアの炎は、他者を傷つけたり攻撃するのではなく、治療することができるからだ。傷を癒すなんて力は、全世界探しても彼女ひとりしか持っていなかった。
噂は国王の元にまで届き、その稀少性ゆえに国王直々の招待を受け、クレアは貴族の子息令嬢が集う名門魔法学校――スティリアーナ魔法学園へと入学することになる。
そこでクレアは、華々しい青年たちとの甘くて苦い恋の日々へと飛び込んでいく……なんて感じの、けっこう王道ストーリーな乙女ゲーム。それが『恋プレ』だ。
「…………ふむ」
私はそこまでを机の上に広げていた紙に綴り、しばし沈黙した。
ユナト王子との顔合わせから一日が経った今、私の記憶はかなり鮮明になってきている。
昨日は、公爵令嬢リオーネとしての七年分の記憶、それに前世である村瀬理音としての十六年分の記憶の整理がうまくつかなくて、ちょっと混乱してたけど……うん、大丈夫。今はかなりハッキリしている。王子が帰った後、ふらふらベッドに潜り込んで日が昇るまで爆睡した甲斐があったね。
……前世、か。
そう断定していいのか分からないけど、私は既に現実を受け入れつつあった。
というのも、理音であった頃の私はどうやら本当に死んじゃったっぽいのだ。そのあたりの記憶は曖昧だけど、たぶん間違いないと思う。
ある日の朝、すごく慌てて家を飛び出して高校に向かっていて……頭に「ドカンッ」と強い衝撃が来たのを覚えてるから、たぶん車に轢かれたか、転んだか。何もないところですっ転ぶのは、私の数少ない特技のひとつでもあるしね。
ショックはあるけど、死んだ実感がほとんど無いので、自分でもびっくりするくらいわりと冷静。
とりあえず過去のことより今後のことを考えなければ、と私は前向きだった。というのももちろん、死んでしまった私の転生先が――よく知っているゲームの世界だったから。
前世の私も大好きだった乙女ゲーム『恋プレ』。続編の『恋プレ2』も売り上げ好調で、アニメ化もした大人気ゲーム。何度も繰り返しプレイするくらいにはどハマりして、やり込んでいた。
その『恋プレ』の世界に転生した。それはいい。むしろちょっとうれしい。だってファンにとっては憧れの世界だよ? 剣……はともかく、魔法と恋愛だよ? 何だかとっても楽しそうじゃない!
だけど、何でだよと思う。
転生先、何でよりにもよって悪役令嬢なの!? フツーに主人公で良かったのに!
そしたら私の今世は、浮かれたことは何一つなかったオタクな前世とは真逆の、イケメンにモテモテの逆ハー確定だったのに……!
「ぐぬぬぬぬ!」
私は頭を掻きむしりながら、紙に続きを書いていく。
あらすじの次は、リオーネの情報だ。覚えている限り、鮮明に記しておかなくては!
悪役令嬢リオーネ・カスティネッタは、いくつかのルートで登場する『恋プレ』悪役キャラクターだ。
初見のときは「私と名前が似てるな」と親近感が湧いて、登場のたびにわりと注目していた。攻略対象のうちのひとりを兄に持つだけあって、リオーネはものすごくきれいな顔立ちの女の子で、空色の髪を持つ彼女は画面に出てくるだけで華やかだったしね。
でも、リオーネはとにかく性格が悪い。公爵令嬢の立場を笠に着て、結構えげつないいじめで主人公を追い詰めて、何度も傷つけるのだ。
そして悪役の性というべきか、最終的にはだいたい罪が露見し、酷い目に遭う。まぁ、悪役ですからね。そこまでがお仕事だよね。
特にひどいのは、リオーネの婚約者のユナト王子と主人公が結ばれるルート。
ハッピーエンドだと、ユナトは王城でリオーネを断罪した末に婚約破棄を告げ、主人公と婚姻を結ぶ。そして公爵令嬢という立場を奪われたリオーネは国外に追放されてしまうのだ。
バッドエンドだと、ユナトはリオーネが主人公をいじめている現場に遭遇してしまう。やめさせようとするユナトだったが、誤ってリオーネを殺害してしまうんだ。
しかしこれは序の口。何とその後ユナトは、その場に居た他の人間全員を殺害し、最後に主人公の記憶の一部を自分の魔法で奪ってしまう。そうしてリオーネのことをすべて忘れた主人公とユナトは、誰も邪魔する者のいない世界で、正式に婚姻関係を結ぶのでした。めでたし、めでたし……
……じゃないっ! 何でこう、乙ゲーの攻略対象ってやたら闇が深いの!?
人を殺したならまず自首しろ! さらに罪を重ねてどーする! ていうか主人公ちゃんだって、そんな男と結婚するのはゼッタイ嫌でしょ! って思うのは私だけ?
『恋プレ』の攻略対象はユナト以外にも三人居るけど、ほとんどのキャラが、ハッピーエンドの方はともかくバッドエンドの方は悲惨だったもんね……。主人公を棺に閉じ込めて土の中に埋めて、毎日通い詰めて話しかける、とかって別の攻略対象のバッドエンドもすっごく怖くて、初めてプレイした日は怖くて眠れなかったもんなあ。ぶるぶるっ。これは乙ゲーというよりホラーゲームです!
記憶を取り戻した原因についても思いを馳せてみる。
そのきっかけはほぼ間違いなく、婚約者であるユナト・ヴィオラストに会ったことだろう。
今までの七年間は、『恋プレ』を想起させるような出来事はほとんど発生してなかったから、私は前世を思い出せなかったんだろうな。
でもユナトルートで見たイベントCG、幼いユナトと幼いリオーネが向かい合う一枚絵が、昨日の状況にぴたりと合致して――きっと私は、前世のことを思い出した。
七歳にして、どうにか思い出せたのだ。ある意味、それは幸運だったかもしれない。
リオーネがユナトたちと共にスティリアーナ魔法学園に入学するのは十六歳の春だから、単純計算でもあと九年の猶予がある。これはかなり大きいぞ。
できればユナトとの婚約が決定する前に記憶を取り戻したかったけど……こればっかりはどうにもならないよね。
ちなみに昨日の食事会の後、「ユナト殿下は利発な方だったわねぇ」とにこやかにやりとりしている両親に、私はお願いという名の直談判もしてきている。自分が未来の悪役令嬢だと気づいた私は、今ならまだ間に合うかも! と必死にふたりに訴えたのだ。
「お父様、お母様。王子はとっても素敵な方だったけど、わたくしに彼の婚約者としての器はないと思います!」
「何を言うの、リオーネちゃん。ユナト殿下だってあなたを気に入っている様子だったから、不安がらなくても大丈夫よ」
「そうだよ、リオーネは誰よりかわいい女の子なんだから。もっと自分に自信を持っていいんだよ?」
結果。ぜんぜんダメでした。そりゃそうでしょうね。何せ第二王子との婚約だもんねぇ。娘がちょっと駄々をこねたくらいじゃ、こんな良縁は手放さないよねぇ。
私の二歳年上の兄はといえば、私が婚約を嫌がったのを意外に思ったようで、不審そうな顔つきでこっちを見ていただけだった。当然だ。昨日までの私……リオーネは、「王子様と結婚なんて~!」とキャアキャア騒ぎ立てていたんだから。
そんな兄はわがままで高飛車なリオーネのことをあまり良く思ってないようで、私もあまり話したことがないので、結局昨日も支援は見込めなかった。うぅ、無念!
私はシクシクと涙ぐみつつも、せっせと書き記していった。
ゲームの世界観。攻略対象四人それぞれの詳細情報。
特に詳しくは、ルートによって分かれるリオーネの末路について。そこが一番重要なので、記憶を呼び起こしてどうにか書いていく。
ちなみに続編に関しては、予約特典つきで購入してはいたけど、結局未プレイのままだったんだよね……。今になっては、その詳しい情報を把握してないのは悔やまれる。
というのも私、わりとひとつの作品に固執して何年もハマるタイプなので、好きな作品の続編といえどもそうすぐに切り替えてプレイできないのだ。新しい世界に踏み込もうとするとどうにも尻込みする。『恋プレ』のアニメ化が決まってPVが発表されたときも、それを見るのに一ヶ月も心の準備に当てたくらいだし……。
いや、だってキャラデザとか、主人公の声のイメージが自分の思い描いてたのと違ったら嫌なんだもん。それだけでSNSに「あー、ごめん。何か違う」とか「主人公の声はできれば○○さんが良かった。それか○○さん。でもアニメから入ってくれる人も居るし、今さらあんまり言うべきじゃないんだろうな……うん……とりあえず放送楽しみ」とか鬱気味なご意見連投しちゃうくらい、場合によってはショック受けるんだもん。実際、ゲームではCV無しだった主人公の声は有名な女性声優さんが務めてて可愛かったけどさぁ。キャラデザも結構整ってて、アニメの内容は推しルートじゃなかったものの、けっこう満足だったけどさぁ! BDも限定版を買ったけどさぁ!
……と、今はそれどころじゃない。とにかく今後の方針を決めよう。
私は最後に紙を一枚まるごと使って、大きな文字で書き殴った。
1.追放されるのも殺害されるのもゼッタイ、嫌! 性格の良いパーフェクトな令嬢に育ち、今度こそ穏やかに天寿を全うしよう!
2.攻略対象とも主人公ともなるべく関わらない! 別のところで友だちをたくさん作って、楽しい毎日を過ごそう!(でも、お兄様とは仲良くなりたい)
3.「いける!」と思ったら婚約破棄に乗り出そう! ただしあくまで控えめに、ユナトの方から言い出すように仕向けよう!
「……よし、出来た!」
これぞリオーネ三箇条。今後リオーネ・カスティネッタは、この三箇条を病めるときも、健やかなるときも、愛をもって守ることを神に誓います! この世界をゲーム通りにはさせないからね、目指せ潔癖令嬢!
だけどそのときの私は知る由もなかった。
まさかこの三箇条を上回るレベルの困難が、この先に待ち受けているとは――。