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最近、どうやらレティーツィア姫の元気がないらしい。
勉強をしてみないか、と聞いたあの日。彼女はためらいがちながらもうなずいた。そこで信頼できる王室教師に紹介してもらった家庭教師を秘密裏に招いているのだが…
「どこか、居心地が割そうにしていらして。なにかお嫌なことがありましたか、と聞いてもなにも…以前はこんなことなかったのに…。一度、授業の際に私も付添をお願いさせていただけるように口添え頂けませんか?」
定例となったアンナの報告に驚く。普通、学習の進捗具合を第三者の目から雇い主に伝えられるように部屋に一人は侍女を置く。
「侍女の付添は許されていないのか?」
「え?ええ。授業は1対1でやらねば気が散るだろう、という方針の方らしく…」
「……次の時授業はいつだ?」
「明後日のお昼からになります」
「そうか。予定を開けよう。…隣の部屋は空いているな?」
「はい、あのときのままとなっております。」
「ならば家庭教師が来る前にはそちらに移動しておこう。」
王室教師の紹介、ということで家庭教師の選別は軽くで終えてしまっていた。
かつて敵国の第三王女であったレティーツィアを第二王子が保護しているという噂が王宮にも広まっている。けれど、その内容を外部にもれないように気を使っていた。
そのため、今回の家庭教師の招待はレティーツィアに勉強を教えるためとはしていない。王族にゆかりのある病弱な少女を、王宮医師に見せるために一時的に預かっている。その子は病で勉強も遅れていたため、初歩的なところから1から教えてほしいという依頼をしたはずだった。
だが、どうやら雲行きが怪しいらしい。そこで普段レティーツィアが使い部屋の隣、隠し扉でつながっている隣の部屋で様子をうかがうことにした。廊下を繋ぐ扉は防音性に優れているが、小部屋と小部屋を繋ぐ隠し扉には防音性はあまりない。もともと王族がパートナーと住むことを想定した部屋の一つであるため、隣の部屋同士の様子を伺えるようになっているのだった。
以前、レティーツィアを連れ帰ってすぐの2日ほど、環境の変化で体調を崩さないか心配だった第二王子がそばにいるために使った場所だった。
その部屋の扉近く、音が聞こえやすいような場所に第二王子とアンナは佇み、家庭教師が入室してくるのを待った。
それからは、何度飛び出していこうとするアンナを止めることになったのかわからない。
入室早々下手くそなカーテシーですね、と言い放ってから、教師はただひたすらにレティーツィアにきつい口調で当たり散らすのだった。
「また貴女はだんまりなのですか。みっともない礼儀作法に、その年齢でこのような初歩的なこともわからないとは・・・・今まで一体何をされていたので?」
「はあ、こんなにイライラする相手とは知らずにこの仕事を受けてしまったことを後悔していますよ。王宮での教育と聞いたので王族もしくはゆかりのある高位貴族の子女かと思えば…どこかもわからない田舎貴族の末娘?それも貴族の振る舞いを一切身につけていないとは・・・先日出した課題のレポートはやってきたのでしょうね?」
「なっ!全くやっていない?!真っ白じゃないですか!こんなふざけた生徒は産まれて初めてでめまいがしてきました。一言も喋らず貴族としての挨拶もできず宿題もやって来ないときた!まったく!私をなめているんだな?!」
聞くに堪えない罵詈雑言については我慢していたが、暴力となれば話は別だ。扉から飛び出すようにして駆け寄ると、レティーツィアに手をあげようとしていた中年の男の腕を掴む。
「お前は解雇だ。」
「誰だっ!・・・なっ・・・・でっ殿下!?なぜこのようなところにっ・・・」
「今回の依頼、王室教師を介してはいるがもともとは私の依頼でな。」
「っなっな・・・なぜそうとおっしゃってくださらなかったのです!そうと知っていたら「そうと知っていたら、何なのだ?生徒にあてつけのような態度を取ることはしなかった、と?」
言葉をかぶせるように問で返すと、家庭教師は顔色を少し回復させながらまくしたてるように話し始めた
「えっええ!もちろんですとも!片田舎の礼儀のなっていない分際で王都の人間である私に歯向かっているのかと…それでつい!そう!ついしっかりと礼儀を教えてやろうと思っていただけなのです!ま、まさか殿下のお知り合いのご令嬢だとは知らず…大変失礼しました。」
そう言って家庭教師がへこへこと頭を下げるのは第二王子殿下のみ。きつく当たり散らしていたレティーツィアには目もくれなかった。
その姿に苛立ちが募る。
「謝るのは私ではないだろう。」
そういった私に、不承不承、本当にいやいやと言った様子でレティーツィアに向かって謝罪の言葉を口にした家庭教師を護衛騎士に連れて行くように命令し、部屋の外へ追い出した。
「すまなかった。私がちゃんと人選をしなかったばかりにそなたに嫌な思いをさせたな。」
一連の流れを呆然と見送っていたレティーツィアに告げると、キョトンとした顔をしたのにゆっくりと首を横に降った。まるできにしないで、というかのように。
あるいは、私はああ罵られても仕方ない人間なんだ、と言っているようでもあった。
「私は、焦っていたのかもしれないな…。まずは君にとって何が幸せなのかを見つけてもらおうと思っていたのだが…裏目に出たようだ。君の心を傷つけたことには変わらない。本当に済まなかった。」
王族はみだりに頭を下げ、謝罪してはならない。それは王族としての立場を揺らがすことにつながるから。その掟を知りながら、第二王子はためらいなくレティーツィアに頭を下げる。
慌てたように、レティーツィアは立ち上がり、王子の手を取った。
「・・・あり・・・と・・・・」
それはレティーツィアが数年ぶりに、自らの意思を持って話そうとした瞬間だった。
ずっと使われていなかった声帯から、しぼりだすように、けれど懸命に伝えようとしたのは、感謝の言葉。
ありがとう、そうレティーツィアが言おうとしたのだと察した王子は、自らの手を握っていたその手を引き、抱きしめた。
急に抱きしめられたことにレティーツィアは一瞬身を固くしたものの、あたたかい抱擁にいつしか体を預けていった。
「あの男は?」
「牢へ。調べからも、低位貴族の令嬢に好き勝手やっていたことがわかりましたので…裁判所にも届け出は済んでおります。また、やつを紹介した王室教師には、王子が”誰に”教育をしようと考えているかを知っていてやったかもしれないという情報が。」
「…宰相か」
「ええ、そのためお話をきくために取り調べを、と言ったのですが…」
「まあ、逃げるだろうな。それはわかっている。」
「それと、こちらを」
部下から手渡されたそれは、宰相の娘、公爵家令嬢メアリーからの手紙だった。
「…なるほど。早急にメアリー嬢との会談を」
「かしこまりました。」
したためられた手紙を要約すると、父がしたことを知っていながら止められずもうしわけございません。代わりに、私が”ご令嬢”の家庭教師役を努めることをお許し頂けませんでしょうか。”婚約者候補”の私と殿下とのお茶会という名目で開けば、各方面からのうるさいあれこれも少しは解消されるでしょう。とあった。
宰相の娘であるエルダー・メアリー公爵令嬢の望みは国で初の女性”医師”になること。そのために第二王子との婚約を拒み、貴族学校を卒業後は国立学院への進学を志す令嬢であった。すでに、公爵領内の孤児院や病院では、学んだ医術を惜しみなく伝授することで死者を減らしている。そういった実績も相まって、国を思う第二王子としては彼女の道を応援しているのだった。
「なるほど。たしかにこれならいい手やもしれないな」
手短に返信を書き、側近に手渡す。お付きのメイドも護衛も部屋の外に出してから、ようやく部屋で一人になった。
人前では決してしないような、崩した座り方でソファに身を預ける。
目を閉じると浮かぶのは、レティーツィアの顔。
はじめて声を聞けたことがこんなにも嬉しいとは思っていなかった。
今日の出来事は荒療治に近いものだったが、これからゆっくりなれていけばいい。そう思った。