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捨てられ紅玉姫と蒼玉王子  作者: 口十 栂乃
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目覚め

「レティーツィア、姫」

時折、殿下はふらりと特別救護室へ来ると、保護してきた少女の手を握りながらそう呼びかけていた。


殿下が生死の境をさまよっていた少女を連れて来てから4ヶ月が経過した。

敵対関係にあった隣国との戦いに勝利し、王都の制圧後に見つけたこの少女。あまりに悲惨な監禁現場から助け出された当初はわからなかったが、治療を続けていくうちにだんだんと少女は元の美しさを取り戻すことができているようだ。

皮脂でベタつき土埃や埃で元の色すらわからなかった髪は、いまや侍女の手で光り輝くような美しいシルバーブロンドにかわり。骨と皮ばかりだった手足は、まだ健康的とは程遠いが少しばかり肉がつき。青紫色のカサカサとひび割れていた唇は、いまや侍女たちによってうるりと艶めく桃色に変わった。

骸骨人形のようだった少女は、医師と侍女たちの懸命な治療と看護により少しずつ、少しずつ健康体へむかっていっていた。


しかし、身体の回復とは裏腹に、いまだ少女は目覚める気配を見せなかった。


「お前の見立てでは、快復までどのくらいかかると思う?」

「…あまりにも、栄養が足りなさすぎます。寝たきりで目覚めない身体に出来ることはもうこれ以上はないのです。摂取させられる食事量も、運動も限りがございます。目覚めて自主的に動かない限りは、何年かかっても快復へ向かうことは…」

隣国で治療に当たらせた専属医師に、自国に帰っても引き続きこの少女の治療と看護を任せていた。口も固く、なにより腕がいい。王に仕える専属医師の中で最も信頼できると思っていたが、目に狂いは無かったらしい。

「そう、か。…目覚めは?」

「どうやら、本人が目覚めたがっていないように思います。…そう思うのも、仕方ないことかもしれませんが」

ため息のように、ささやくように後半に告げられた言葉の意味を私も理解していた。死のギリギリまで追い詰められた身体、醜い足枷と首輪、それらだけでも、この姫であったはずの少女が受けてきた扱いを察するにあまりある。

「…生を、生きることを、諦めているのか。だから、目覚めない?」

「…おそらくは。」

「…そう、か。」

この少女を連れ帰ったのは紛れもない私のエゴだった。

王族にあって、王族としての扱いをされず。死と隣り合わせに生き続けた姫。

そんな彼女は、どんな人間なのだろうかと興味がわいたのだ。

だから、連れ帰った。


ティゼーレ国第2王子として産まれた私は、これまでに他者に興味を持つことが極端に少なかった。王子として求められる仕事や振る舞いはちゃんとこなしていたと思うが、それ以外には何もなかった。

愛に生きたいと国の決定を覆し、己で選んだ女を伴侶にした第1王子のようにも、

国にすべてを捧げて生きたくないとして王族の権利を返上して平民になった第3王子のようにも、

自らの騎士になりたいという夢を捨てきれずに女騎士として在る第1王女のようにも、

自己を持ち、そして望みを叶えようとする欲が。…どうにも、私には無かったのだ。

第2王子として淡々と職務をこなすだけの日々に、内心では嫌気がさしていたのやもしれない。

だからこそ、異質だった少女に、興味がわいたのだろうか。


自国に連れ帰ってから、定期的に足を運んで様子を確認するくらいには、私は彼女の目覚めを待っていた。




このところ、なんだか体があたたかい。

やわらかで、あたたかくて、包み込まれるような。

揺蕩うように、まどろみ続ける。


そうしたら、いつの間にか、私は真っ白な世界に1人でいた。

ここは、どこだろう。

どんな夢、なんだろう?

見渡す限り真っ白な世界は、ずっと続いていて。

一人ぼっちには慣れっこだったから。

「あっちに、行ってみよう」

声がスルリと出たのにも驚きながら、なんだか気になった方向へ、歩きはじめた。


ほんのりとあたたかい白の世界を踏みしめて歩き続けると、何か黒いものが見えたような気がした。

「気の所為かな?」

でも、他にすることもないし、と、その黒いものの方へ歩き続けた。


「…ひと?」

見えていた黒いものにだんだんと近づき、ようやくそれが何なのかがわかった。

床に仰向けに倒れている人。

おそらくは男の人。

顔の横に膝をついて、倒れている人の顔を観察した。

闇色の髪に、長い睫毛、すっと通った鼻筋に少し薄い唇。

久しぶりに眺めた人の顔だった。


彫刻のように微動だにしないその人に、なんだか無性に目覚めてほしいと、そう思った。


これまで長いこと、人と会わなかったからだろうか?人恋しくて、そう思ったのだろうか。

自分の気持ちに戸惑いながら、そっと手を伸ばす。


伸ばした指が、頬に触れたとき、唐突に視界が白でおおわれた。




「医師を呼べ!姫が目覚めた!!」

「!早急にベリル医師を呼んでまいります!」

今日も今日とて、ふらりと姫の顔を見に来た。なにか今日は起こるような、そんな胸騒ぎにつられて。

いつものように姫の手を握り、そして彼女の名を呼んだその時、はじめて、反応があったのだ。

ピクリと動いた指に、

ふるりと震える睫毛。

薄らとあいた瞳は、この世のものと思えないほど美しい紅玉。

一目見た瞬間に。初めてみたその瞳に囚われた。

ぼう、と視点の合わない目にどうしても自分を映してほしくて身を乗り出して呼びかける。

「レティーツィア姫!聞こえるか!」

握っていた手に力を込め、呼びかけ続けると、ゆらりと瞳が動き、そして。


目と目が合った。


視線が交わる。


その途端に、王子には多くの映像が流れ込んできた。

優しく微笑む女性の姿

ぎこちなく頭に手を乗せる男

食事を運ぶ侍女の姿


黒い服に身を包む大人

突然与えられた石の部屋

誰も来ず、一人ぼっちの日々――


ぐるぐると目まぐるしく変わるそれらは、きっとこの眼の前の少女のもの。

流れ込んできた情報量に、くらりと目眩を覚えた。



「姫が目覚めたと…っ殿下!?どうなさいましたか!」

「いや、大丈夫だ。なんでもない。ただめまいがしただけだ。」

医師は侍女に呼び出され慌てて駆けつけた先で、少女がいるベッドの横で膝をつく王子に驚く。

健康優良児である彼が膝をついているところなんてとんと見たことがなかったからである。

大丈夫だ、と返事をした王子はゆっくりと立ち上がると再び少女に向き直った。

王子がいない側の枕元に向かうと、確かに王子の言うとおり、はじめて目をあけた少女が居た。

「体調はいかがです?レティーツィア姫」

声をかけるとどこか不思議そうな色をたたえた赤い瞳と目が合った。

まるでーー誰に問うているの?と聞くかのような瞳に、思わず息を呑んだ。


「声は、しばらく出すことは難しいでしょう。白湯を持ってきました。お飲みください。」

気を取り直して、姫に水差しを差し出す。しかし彼女は口を開こうとしなかった。

「…姫?喉が乾いておられないのですか?」

どこか困惑したような瞳に、こちらも困惑を隠せない。言葉が通じていないのだろうか?なにか悪いことをしたのだろうか?

「…貸せ」

戸惑っていると殿下が私の手から水差しを奪い。水差しから水を口に含んだと思うと、

躊躇いなく、少女の唇に口付けた。

いや、口付けではなく口移しというべきか。

こくり、と少女の喉が動く。

それを確認した殿下は一度口を離し、水差しを呷る。それからぽかんとした様子の少女に構わず、再び口移しで水を飲ませた。

それをさらに2度ほど繰り返したところで殿下は水差しをそばに控えていた侍女に渡した。


あまりの手早さに呆然とする私をよそに、

「なにか食べ物を」

強引に水を飲ませた殿下は、控えていた侍女に食べ物を持ってこさせるよう言った。

目覚めた、と聞いたときから用意をしていてくれていたのだろう。すぐに差し出された小さな器を殿下は受け取る。中身は温めた野菜スープのようだった。

「少し体を起こすぞ。痛かったら人差し指を動かせ。」

そういうが早いか、殿下は器用に片手で姫の身をゆっくりと起こした。

慌てて枕の位置を調節して姫が体を起こし続けられるようにする。

その後は、先程の繰り返しだった。

やわく咀嚼したスープを姫に口移しで与えるその姿は、ひな鳥に甲斐甲斐しく餌を運ぶ親鳥のようだった。あまりに不敬すぎて口には出せないが。


スープ皿が空になり、その後もう一度水を同様にした後。

されるがままになりながら、困惑と驚きと不安をないまぜにしたような色を瞳に浮かべる姫に、殿下は優しく語りかけた。

「ここにはそなたを虐げるものは居ない。安心しろ。そして…はやく元気になれ。」

と。

この方にお仕えして20年と少し。初めて見る慈愛と優しさをたたえた微笑に驚きを隠せなかった。



「…姫に、意思を聞くのはもう少し後のほうがいい。」

姫の世話を侍女に任せて部屋を出たのち、ぽつりと殿下がこぼした。

「おそらく…意思そのものを失わされているだろうから…な。しばらくは水も食事も頃合いを見計らってこちらから与えたほうがいい」

意図がつかめずにいた私に重ねて説明を続ける殿下の言葉に、ようやくなるほど、と得心がいった。

「かしこまりました。殿下のお心のままに」




「殿下!どちらに行かれていたので?!急がねば御前会議が始まってしまいます!お急ぎください!」

姫の部屋からこっそり執務室に戻ると側近の一人に見つかった。

慌てて会議へと送り出される道すがら、ずっとあの姫のことが頭を離れない。


世界を映しているようでいて、なにも見ていない赤い瞳。

目があった瞬間に起きたこと。


記憶を読み取る魔法はあれど、自らの記憶を相手に読ませる魔法など聞いたことがなかった。

後で魔術師団長に聞こうと考えながら、あの姫と言葉を交わせるようになる日を楽しみにしている自分に気がつく。

人のことを考えることも悪くない。

そう思いながら会議の席につくのだった。



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