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彼らは等しく、彼女を愛していたのです。違ったのは、その愛の結末。
【ローガ視点】
長兄から話を聞いただけでは確証ができない私は、クローディアが一人になるのを見計らって彼女に接触することにした。
彼女は驚くほど柔らかく、私に笑顔を向けてきた。
これが以前の彼女であれば、憎悪と忿怒、僅かな恐怖を交わらせた瞳で睨みつけてきただろう。私でなくとも、長兄以外に興味のない彼女は、笑顔の仮面の下に獰猛な牙を覗かせたはずだ。
「……では、貴女がレティア嬢に嫉妬して、彼女を痛めつけている、という噂は本当ですか?」
「私は、そんなことは一切していません。……信じてもらえないと思いますけど」
「おや、何故ですか?」
「“私”はそれだけ、人の信頼をなくすような、卑しい行為をしてきましたから……」
私、の言い方に違和感を感じる。それは以前の自分という意味だろうか。それとも、自分以外の“自分”ということだろうか。
ああ、兄上の言った通りだ。彼女はこの体の中にいない。
瞳をじっと見つめる。彼女を探した。しかしどこまでも穏やかなその瞳の中に、彼女のかけらを見ることはできなかった。
「――変わりましたね、クローディア様」
「えっ……」
ひどく詰まらない寄生虫が、彼女の中にいるらしい。
こんなものを、私は欲したわけじゃないのに。
寄生虫に対する憤りなのか、彼女を見つけることができなかった絶望感なのか、色々な負の感情がないまぜになる。ぐちゃぐちゃの頭とは別に、口は自然と会話を紡いでいた。
「ええ、喜んで。明日会えるのを楽しみにしています」
……明日? ああ、明日もまたこの場所で会うという約束をしたのか。
寄生虫が操るクローディアの顔が朱色に染まり、純粋な少女のように微笑む。
こんなものが彼女に向けられた初めての笑顔になるなんて。
……まあ、でも、いいか。
彼女は死んでしまったのだ。彼女の死体を、寄生虫が操り、息をさせ、食事を摂らせている。
いわば腐らない、成長する死体だ。彼女は死んだが、彼女の死体は残った。
到底満足などできるはずもないが、それでも彼女を愛している。彼女が死体になろうとも、それは変わらない。
私は口元だけで笑んだ。
死体になっても君を愛すだなんて、なんて陳腐な言葉だろうか。
* * *
長兄の死から、一ヶ月が経った。“ちょうどいいタイミングで”父が崩御し、新しい王が必要になった。長兄が死んだ直後のことである。
残る次兄と私とを巡って王位継承権争いが起こることを貴族たちは覚悟しただろうが、そんなものは起きないことは私たちがよく知っている。
次兄は手はず通りに王位継承権を放棄し、私の補佐として下ることを誓った。
次兄がそうしなければ、案外王位は危うかったかもしれない。私は、私と同程度の派閥を持っていた長兄を、公衆の面前で処刑したのだ。
たとえそれが公爵令嬢を守るためであっても、兄殺しを弾劾されても文句の言えない立場にあった。
それを救ってくれたのは次兄だ。次兄は父に検出が不可能な毒物を盛り、死に追いやった。父の死により慌しくなった王族貴族は、長兄のことに構っていられなくなったのだ。
まったく、次兄は自分のことは多少まともな人間だと考えているようだが、それは違う。彼は誰よりも合理的だった。そして、人にあるべき箍がない。殺しという一手段を無意識に、全ての解決手段から外すのが正常な人間というものなのに。
もしかしたらクローディアもこの国に不利益を齎す存在と彼に判断されれば、処分されていたのかもしれない。まぁ、そんなことになる前に私が次兄を殺すが。
「陛下」
「……ああ、リカルドか」
次兄が恭しげにお辞儀をする。昔とは真逆の立場にいる兄弟だったが、次兄はこれが一番国のためにいいのだと断言していた。
「陛下、クローディア様の準備は整いました」
「そうか。……すぐ行く」
そう答えながらも、私は窓枠に足をかけたまま動かなかった。
窓の外に視線を落とす。そこにはかつて、クローディアと長兄が一時を過ごした庭園があった。
「……少し、お話ししても?」
「ああ……」
次兄が顔を上げ、部屋に入ってきた。誰にも聞こえないよう部屋のドアを閉める。
ばたん、という音を合図に、次兄の顔が従僕から兄へと変わった。
「こうやって落ちついて話すのは、いつぶりだろうな」
「兄上も私も、忙しかったですから……。兄上、お疲れ様です」
「ああ。まったく、予想以上に血が流れたな。ファウスト兄上があんな騒ぎを起こさなければ、もう少し穏やかにことが進められたというのに」
「まぁでも、あれは起こるべくして起こったものですから。クローディアが死ななかっただけで、十分ですよ」
次兄は不思議そうに首を傾げる。徹底的な合理主義の彼にとって、長兄のしでかしたことはあまりに非合理で、頭の悪い計画に映ったことだろう。
「なんだ、お前にはわかるのか? ファウスト兄上がなんであんな事件を起こしたのか。私にはどうしても、あの頭のいい兄上があんな無意味な猿芝居をするとは思えないんだが……」
「ふふ……リカルド兄上には到底想像つかない理由だと思いますよ。まぁ、私自身推測にしか過ぎませんが」
長兄は、寄生虫がクローディアの身体を操ることを許せないと言った。
そうして起こったあの事件。そこから導かれる、彼の心理は一つ。
「彼はクローディアを殺そうとしたんですよ」
「ん? ああ、確かに殺そうとはしていたが……」
「いえ、そうではなくて。彼はクローディアを殺すために、レティア嬢に近づき、あんな芝居をさせたんでしょう」
クローディアが生きているのであれば、近づく理由はなんとなく想像がつく。
彼女の嫉妬心を煽り、無様にも暴走する可愛いクローディアを見るために、長兄はほかの女を利用するだろう。実際に何度かはしていたようだ。
長兄は昔から、ことクローディアに関しては度の過ぎた嗜虐性を見せることがある。
他の女に優しくするたびに彼女が怒りの悲鳴をあげ、長兄に縋ってくるのを、長兄は無表情の仮面の下で悦んでいたのではないか
しかし長兄の執着対象であったクローディアが死んだ今、レティア嬢に近づくメリットはない。
それでも彼がレティア嬢のそばに居続けたのは……あの断罪の場を作り出すためだったのではないか。彼女の罪を裁き、自らの手で、彼女を殺すために。
次兄は眉間にシワを寄せる。思えば、私や長兄と話す時には大抵彼はこんな顔をしているかもしれない。
そしてすぐに嘆息し、“理解する必要はない”と判断するのだ。
「……仮にそうだったとして、別の方法はあっただろう。刺客を送るとか」
「そんなことするはずがないですよ。ファウスト兄上は、自分自身以外が彼女を傷つけることを何よりも嫌いましたから」
「意味がわからん。殺すほど憎んでいたのにか?」
私は微笑んだだけで次兄の質問には答えなかった。
次兄はクローディアに別のものが入っていることを知らない。私や長兄でなければ到底信じられないだろう。記憶喪失でも人格障害でもなく、全く違う誰かが、彼女を乗っ取ったなどと。
長兄は確かに、寄生虫のことを憎んでいた。同時に、彼女を愛していた。抜け殻すら、他に触れさせたくないと思うほど。
「……まあいい。だがそれにしても、人選ミスだな。もう少し頭の回る女を利用しないと、自らの立場も危うくなるというのに」
「そうですね。ですがそれもーー関係なかったんじゃないですか?」
「は?」
「だってどうせ」
ーー追いかけるつもりだったんでしょうし。
こともなげにそう言い、私は笑った。
長兄を愚かとは思わない。ただ彼は、強欲な人間だったと思う。それはいままで彼がクローディアに愛されていたがゆえの強欲さだ。
ずっと見られていたから、自分を見ないクローディアを許せなかった。ずっと好意を向けられていたから、自分以外に愛を囁くだろうクローディアを許せなかった。ずっとそばに居たから、自分から離れていくクローディアが許せなかった。
長兄にはわからないだろう。
別人に乗っ取られたとしても、彼女の目で私を見てほしい。彼女からじゃなかったとしても、彼女の唇から愛の言葉を紡いてほしい。彼女がすでに“クローディア”じゃなかったとしても、彼女にそばに居てほしい。
彼女以外の“クローディア”を許せなかった長兄と、その残滓でもいいから自分のものにしたかった私。
長兄も私も、クローディアを愛していたことに変わりはないのだ。
「なるほど……“到底私には想像がつかない”、か。まったくその通りだ」
「ははは、そうでしょう? まあ、あくまで推測、なんですけど。さあ、そろそろ行きましょうか。ーー婚約者様が待ってる」
私は窓枠から降り、身なりを整えた。
今日はクローディアとの婚約発表の日だった。彼女に惹かれて以来、何度この日を夢見たことか。
正直、心中複雑ではある。だが、私はもう決めたのだ。これから一生、彼女の生きる屍を愛する。そしてーー。
「……ローガ。ーーほんとうに、“あの”クローディアで、いいのか?」
私は驚いて次兄を見上げた。次兄は肉親の情をもって私を心配げに見ていた。
……なんだ、この人も知っていたのか。
私はふっと息を吐き、明るく微笑んだ。
「いいんです。私は、あの人の身体が自分のそばにいるだけでも満足ですから。ーーそれに、クローディアは、いましたから」
そう。確かにあの時、長兄に首を刎ねられる直前、クローディアはいたのだ。
ほんの一瞬、長兄をたまらなく愛おしげに見上げた、あの黒々とした瞳。あれは確かに、クローディアだった。
長兄はあの瞳に見つめられ、剣を振る手を止めた。彼もクローディアに気付いたのだろう。戸惑ったように彼女の名を呼んだ。
だから私は、長兄を殺した。
長兄はあのままでは剣を収め、自身とクローディアの関係が壊れないように、どんなことでもしただろう。
クローディアはたしかにあの身体にいたのだ。何かの拍子で寄生虫からの支配から解放されたのなら、彼女を殺す必要も自分が死ぬ理由もない。
そうやって全ての騒動が収まった時ーー彼女は再び、長兄のものとなるのだ。
だから、殺した。
長兄の首を刎ね、私はすぐにクローディアがいることを確かめた。
だが残念ながら、次の瞬間にはまたあの寄生虫の目に戻ってしまった。
だけど、いい。彼女はいる。いる。
「いつまでも、待ちますよ。彼女と再び逢えるまで」
あの瞳を、もう一度見ることができる日は、きっとそう遠くない。
そうして私は、新しい息吹の中に、“クローディア”を見つけた。
お疲れ様です。ルイです。
これにて、本編は終了です。これから父娘の近親相姦&復讐劇が始まりますが、それは気が向いたら番外編か続編かで書きます。
結局ファウストもローガもそれなりに特殊な趣味嗜好を持っているという展開に……。
ファウストは従順な子が好きなサディスト、ローガは否定はしていますがマゾヒスト寄りのサディストです。憎まれれば憎まれるほど興奮するという。
リカルドはクローディア編では影が薄かったのですが、実は色々動いていました。合理的手段の中から殺人を外さない、微サイコパスです。
※この作品中では侵入者やら寄生虫やら呼ばれていますけど、転生モノは好きです。嫌いじゃありません。
【2018/9/ 24】
物語中に明らかな矛盾点を見つけましたので、修正しました。
1話目→転生者侵入後にレティア嬢登場
5、6話目→転生者侵入前にレティア嬢登場
1話目に合わせています。
他にも勘違いしている箇所があるかもしれません。感想欄にて教えていただけると幸いです。