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歪んだ彼女を嫌う人もいれば、好む人もいるのでしょう。


【ローガ視点】

 ーー私には理解できないだろうが。


 次兄がおもむろに口を開いた。持って回った言い回しをするのが彼の癖だ。3兄弟のうちの真ん中、それも家柄的にも能力的にも評価されないという状況にあって、自然と身についた彼なりの護身術なのかもしれない。

 私は窓の外から目を逸らさずに「何でしょう、リカルド兄上」と尋ねる。


「なぜそんなにもフォルクテンド公爵令嬢に執着するんだ」


 それは非難も嗜めも含まれていない、純粋な疑問だった。

 次兄は決してクローディアのことを嫌っているわけではない。煩わしいぐらいには思っているかもしれないが、それでも彼がクローディアに対して抱いている印象はこの国の大半が抱いているものと大差ないだろう。


 地位も教養もあるが、貴賎差別が激しく、高慢かつ残忍な、悪女。表立って噂されることこそないが、彼女はその振る舞いから悪評を垂れ流している。

 やれ八つ当たりで使用人を解雇しただの、やれ平民を鞭で打っただの、やれ散財をした挙句ツケを踏み倒しただの、どこまで本当か嘘かは分からないが、こと平民や下級貴族に嫌われるような振る舞いをしているのは確かだ。


「だって、可愛いじゃないですか」


 私は頰を朱色に染めた。視線の先の庭園には、クローディアと長兄ファウストがいた。

 クローディアは半刻も前からそこで長兄ファウストを待っていた。学園の休暇中に、時折行われる二人きりのお茶会。長兄がすっぽかすことも多いが、今日は王妃に厳命されてたため来ざるを得なかったらしい。


 長兄がクローディアの座るベンチに近付いてくる。クローディアは待ちきれないとばかりに立ち上がり、長兄の側に寄った。

 この部屋からは彼女たちの顔までは見えないが、きっと彼女はこれ以上ないほどに幸せそうな笑みを浮かべているのだろう。反対に長兄は、表情一つ動かさずにクローディアを見下ろしているのだろう。


 なんて、可愛いのだろう。


「あのファウスト兄上に一途で、ひよこのように後をついて回って、どんなに冷たくあしらわれてもなお慕って」

「……まぁ、確かに、一途ではあるな」


 次兄の苦い言い方も理解できる。彼女の“一途”はいささか過激すぎるところもある上、邪魔なものを排除するのに躊躇いのない人だから、迷惑にもなる。


「でもきっと、兄上に向けるあの好意は、虚飾なんですよ」

「虚飾?」

「彼女は幼い頃からずっと、兄上と結婚することを親に義務付けられてきました。何度も何度も、刷り込むように兄上と結婚することこそが存在する“意義”だと言われ続けて……彼女はそう思い込んだ。彼女は兄上を愛しているのではない。本当は、兄上を愛するという存在意義に必死にしがみついているだけなんです」

「親が子供に刷り込むなど、貴賎問わずよくやることだろう」

「ええ、よくやることです。普通の子供は一定時期から反発し、疑問を持つようになります。あるいは素直に従ったとしても、外部的要因で少しずつ変化をする。ーーですが彼女は、違う」


 白い紙に刷られた絵は、一度染み込んだら二度と消えない。多少の軌道修正はできるかと思われたが、彼女の刷り込まれた絵は、どんな絵の具を持ってしても変えることはできなかった。


「私も、びっくりしました。フォルクテンド侯爵家が私の派閥に転向し、彼女の両親からも色々言われているだろうあの時期に、ーー彼女の処女を奪えば、私のものになると踏んだんですけどね」

「……そうだな」


 次兄は一瞬顔を歪めたが、すぐに平静な声で応じる。こういうところは、血の繋がった兄弟だなと思った。


 私と次兄は多額の賄賂をもってフォルクテンド侯爵家を買収し、私の派閥に転向させた上で、彼女を襲った。

 抵抗する彼女を抑えつけ、無理矢理処女を散らしたあの事件を、裏から揉み消したのは次兄とフォルクテンド侯爵家だ。

 次兄はとうの昔に王位を諦め、私を王位につかせるため協力してくれる。王位のための布石として、条件のいい婚約者が必要だった。


 何のことはない、当時彼女を襲ったのは、単に条件のいい女を長兄から引き剥がし、自身のものにしたかった。ただそれだけだ。


「でも彼女は一向に私に靡かなかった。両親が婚約者を挿げ替えようとすると、自害までしようとした。おかしいですね。両親が刷り込んだ絵なのに、もはやそれ自身が彼女の確固たる意志となって、誰にも描き変えられないものになってしまっている」


 あれ以来、彼女にはすっかり嫌われたようで、会う度に憎しみを込めた目で睨みつけられる。

 あの目に見られると背筋がぞくりとして興奮が止まらなかった。自分がマゾヒストなのかを疑ったが、おそらく違う。ただ単に憎しみを向けられただけではこうも胸が熱くなるようなことはないだろう。


「だからクローディアは可愛いんです。素直で、頑なで、高慢で、依存しやすくて、弱くて、ーー愚かで」


 長兄を慕っていると自分自身に強く思い込ませて、それが真実か虚飾かもわからなくなった少女。

 愚かなまでに素直な少女を、私は心底愛おしく思った。彼女の信じる“存在意義”とやらを壊すことができたら、彼女はどんな顔をするだろうか。

 泣き叫ぶのか。怨嗟の悲鳴をあげるのか。私を一層憎むのか。ああーー興奮する。


「……皆まできいても、お前の性癖が歪んでいることぐらいしか分からなかったな」

「そうですね。うん。クローディアは可哀想ですね。私や兄上のような人間に執着されて」

「……? ファウスト兄上のことか? 兄上は彼女を愛してなど……」

「愛しているかはわかりませんが、執着はしてますよ。彼は彼なりに、歪んだやり方でね」


 長兄の心のすべてなどわかりはしないが、それだけは断言することができる。

 フォルクテンド侯爵は私の派閥に転向して以降、幾度となくクローディアとの婚約破棄をもちかけた。直接的には言わないが、それとなく、長兄の方から破棄をしてもらえるように仕組んだのだ。

 代わりに婚約者として提案されたのがクローディアの異母妹。フォルクテンド家のいつもの手だ。対立する二つの派閥、どちらが勝っても家の血が残るように画策する。所詮あの家にとって令嬢など、血を永続させるための道具に過ぎないのだ。


 だが結局、長兄は彼女との婚約破棄はしなかった。フォルクテンド侯爵の後ろ盾がほしいのであれば姉妹どちらでもよかったはずだ。

 どれだけ冷たく接しようとも、長兄はクローディアを手放すことをよしとしなかった。


 それに長兄は、私の所業にも気がついていたのではないだろうか。命を狙われる率が高くなった。

 フォルクテンド侯爵が漏らしたのか、自身で調査したのかは分からなかったが、彼はクローディアの処女が奪われたのを知り、しかしそれを公表はしなかった。処女性が重視される婚約では、あの一件が彼女との関係を壊すだろうことを知っていたからだ。

 公爵令嬢への暴行などという私を貶める格好の材料を、彼女との関係のために使うことをしなかった。


 長兄は、決して無関心な婚約者などではない。


「だから、厄介なんですけど」


 窓の外、長兄が鬱陶しそうにクローディアが絡めようとしてきた手を振り払う。一瞬傷ついた顔をしたが、すぐに気を取り直し自分の下腹部で手を組んだクローディア。

 そんな彼女を睨みつける瞳には、かすかに愉悦の炎が燃えていた。




 * * *




 クローディアが長兄から関心を失った。


 それはいつも通りの、春季休暇の明けのこと。

 久々に見た彼女はーー別人だった。


 まず、彼女は昔から忌み嫌ってきた異母弟と仲睦まじそうに登校してきた。彼の母親は高級娼婦で、彼自身物心つくまでは下町で育ってきたためか、クローディアは彼のことを蛇蝎のごとく嫌っていた。

 それどころか彼女は、今までさげずむばかりだった平民相手にも積極的に声をかけていったのだ。これには学園の生徒一同目を剥いた。


 次に、あれだけ熾烈を極めていた他の令嬢への嫌がらせ行為を、一切やらなくなった。

 彼女は常に取り巻きを従え、長兄に好意を向ける令嬢がいるとそれを敏感に察知して、徹底的に虐めることでその淡い恋心を踏みにじっていたのだ。

 その日からどういうわけか、彼女なりの威嚇行為はすっかり鳴りを潜め、付き従えていた取り巻き達からも距離を取っていた。


 そしてーー彼女は、長兄を徹底的に避けた。長兄が行きそうな場所にはよりつかなくなったし、勿論彼に話しかけることもなくなった。

 長兄に焦がれるような表情も、長兄に依存する言動も、すべて、なくなった。


「私をどう思っている?」

「え……お慕いしておりますが」

「そうか。……もういい、下がれ」


 それに一番に気づいたのは私とーーそして、長兄だった。

 クローディア“らしきもの”の表面だけの好意を聞き流し、すぐに踵を返す。長兄は私の隠れている柱の方へと足を進めてきた。

 どうせ盗み見されていたこともわかっていたのだろう。私は肩をすくめ、彼に声をかける。


「ファウスト兄上」

「……ローガ」

「どうでした?」


 一瞥を寄越しただけでペースを落とさず歩き続ける長兄の横に並ぶ。

 “何が”など言わずとも長兄は察した。吐き捨てるように乱暴に言う。


「抜け殻だ」

「……彼女はどこへ?」

「知らん。あの中にはいない」

「そうですか? 案外、兄上に愛想を尽かしただけかも」

「ふっ……」


 長兄は怒鳴るでもなく、憎しみの目を向けるのでもなく、ただ嘲笑っただけだった。

 なるほど、長兄は私を一番苛立たせる言動を熟知しているようだ。「そんなことはあり得ない」と言わんばかりの余裕のある笑みは、私が最も見たくないものだった。


「それで? 兄上はこれからどうするんですか?」

「ーーただの抜け殻なら、私のそばに置いてやってもよかったんだがな」


 長兄の横顔を見て、私は凍りついた。彼と同じペースで歩いていた足が止まる。

 長兄はどこか取り憑かれたように前方に視線を固定させたまま、


 凄絶な殺意を込めて、笑んだ。


「“あれ”に別のものが寄生して、私が支配しない人生を“あれ”の顔で、身体で、生きる。ーーそんなこと、許せると思うか?」


 虫唾が走る。そう言い捨てて歩き去った長兄の背中を、私は静かに見送った。


5話で終わりませんでした。あともう1話続きます。

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