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※残酷な描写/性行為を匂わせる描写があります。ご注意ください
愉快ですね、転生する側は。愉快ですね、侵入者は。
私は両手で力一杯自身の首を絞めた。首の骨を折らんばかりの力を両手に込める。自らの手で首を絞めて自殺できた例など聞いたことがないが、そんなことを思うほどの冷静さは既になかった。
絞めたつもりだった。なのにこの喉はなおも変わらず、清流のように淀みなく、音を紡ぐ。当たり前だ。私には首を絞める両手すらなかったのだから。
「さて……階段の件は私はその場にいなかった、盗賊の件は公の証言を得られないため証拠不十分、ということになりますけど、他には何かありまして?」
「うっ……そ、そうだ、横領! フォルクテンド侯爵は横領をしていたっていう設定だったわ」
「立証できまして?」
「それはっ、あんたが捕まれば芋づる式にあんたの周りの悪事もバレるのよ!」
「お話になりませんこと。どれもこれも、現段階では推測の域をでないではありませんか」
周りの視線が温度を消していくのを感じる。それは侵入者に対してではなく、レティア嬢への白い眼だった。
元平民ということでレティア嬢を支持していた平民の面々も、レティア嬢の旗色が悪くなってきたのを感じると、まるで素知らぬ他人のように皿に目を落とした。
あわよくば公爵の足を引っ張ることができると思い傍観者に徹していた貴族たちは、今度はヒソヒソと身内同士で囁き始めた。
会話の内容は嫌でも拾うことができる。
ーーこれでもう、ファウスト殿下も終わりだな。
ああ。私は泣き叫ぶ。
涙はでなかった。
「ではそろそろ、あなたの罪を償ってもらいましょうか」
「わ、私の罪って何よ! 私は何にもしていないわっ」
「まず、真実であるということを立証されていないにも関わらず、公然と貴族を侮辱した罪ーー貴人侮辱罪。次に、捕縛したという盗賊を長期間公的な騎士団に引き出さなかった罪ーー犯人蔵匿および証拠隠滅罪。最後に、王太子の婚約者である私を貶めることで国家の転覆を謀った罪ーー国家転覆未遂。……続きは法廷でどうぞ。これだけの証人がいるんです、言い逃れはできないと思いなさい」
「な、によ、何よ何よっ! ばっかじゃないの? いい? 私はヒロインなのよ、このゲームのヒロイン! ヒロインがそんな訳の分からない罪で捕まるわけないじゃない!」
冷静さを失ったレティア嬢が目を見開き、彼女を連行しようとする騎士たちの顔を殴る。
訓練もされていないひ弱な子爵令嬢の拳などに騎士が怯むはずもなく、がっちりと両手を拘束されたレティア嬢はずるずると引きずられて会場を去っていった。
侵入者は残されたファウスト殿下と目を合わせる。
ファウスト殿下はレティア嬢の連行された先を見もしないで、侵入者をずっと睨み据えていた。
「ファウスト殿下、“私”は殿下のことをずっとお慕い申し上げていました」
「……」
「ですが、レティア様にお優しくされているファウスト殿下を見て……目が覚めました。ファウスト殿下、お望み通り婚約破棄をしましょう。ですがその前に、言わせてください」
侵入者はファウスト殿下から少しも目をそらすことなく、毅然とした態度で言い放った。
私の、最も言われたくなかった言葉を。
「あなたは、憐れには思いませんでしたか。幼い頃からひたむきにあなたを慕い、血の滲むような努力で王妃教育を受けて、あなたの隣に立とうとした“私”を」
《な、にを、いってるの》
まさか、この女は。まさかまさかまさか!
私を“憐れんで”いるのか?
薄っぺらな同情心を、この私に向けているのか?
他人から聞きかじった、あるいは“ゲーム”とやらで垣間見た“設定”とやらで、私を“可哀想な人間”と断じているのか?
「どうして少しも愛してくれなかったんですか」
《やめて、よ》
私に身体があったら、この耳をそぎ落としている。聞きたくない、聞きたくない。
ガタガタと震えた。魂のような存在になっても、全身が泡立つような寒気を覚えた。あるいはそれは恐怖や嫌悪といったものなのかもしれない。
やめてよ。違うよ。私は憐れなんかじゃない。惨め、惨めなんかじゃない。幸せだったのよ、幸せだったの、あんたが入ってくるまでは。
たとえファウスト殿下に生涯愛されなくても、ファウスト殿下に殺される運命にあったとしても、幸せだったの。満足だったの。私が“そう”信じている限り“そう”だったの。
あんたの、あんたの勝手な同情なんかでどうして私が不幸だと決めつけられないといけないの。やめてよ。
「どうしてーー」
「黙れ」
憎悪や憤怒を噛みしめるような低い声が、侵入者の言葉を遮る。
キラリと、銀色の光が彼の腰元から光った。軍人の兄をもつ私はそれが長剣の光だと即座に気づき、歓喜した。侵入者はまだ気づいていないのか、ムッとしてさらに言葉を募ろうとした。
「安っぽい言葉で“彼女”を汚すな」
死にたかった。彼の手で。彼の手で。
ファウスト殿下が刀身の半分まで抜き、ようやく生命の危機を察した侵入者は咄嗟に背後に下がろうとする。
《だめよ》
私は全身に力を集中した。その一瞬だけでよかった、その一瞬だけ、私が体の主導権を握ることだけを考えた。
神様は、いたのだろうか。
《逃げ……!》
頭の中に、自分の声以外の女の声が響く。私よりも随分年のいってそうな中年女の声だった。
ああ、彼女が“侵入者”なのだ。
私は、背後に下がろうとした足の動きを止めた。何ヶ月かぶりに自由になった自身の体の一瞬一瞬を噛みしめる。
瞬きの間だけ閉じていた瞼を開ける。この目で、自分の意思で、最期にファウスト殿下の顔を見たかった。
白刃は私の首元すぐそこまで迫っていた。勢いをつけて私の首をはねようとする、愛しの殿下。
私を憎しみのまま殺そうとする彼の、なんて美しいことか。
やはり私は、彼が好きなのだ。
「ーーディア?」
想像していた痛みはこなかった。
ファウスト殿下の目に戸惑いの光が揺れる。彼が私の、“私”の、名前を呼んだ。
神様はいたのだろうか。
極めて慈悲深く、ーー残酷な、神様は。
視界に赤が飛び散る。それは私の首から吹き出たしぶきではなかった。それは、
ファウスト殿下の、首、から。
《え……?》
呆然とした声は自身の頭の中に響いた。たった一瞬、たった一瞬だけの自身の体。
がくりと、首を失ったファウスト殿下の身体が膝をつく。小さな噴水のように噴き上がる血のしぶきが、侵入者の体を赤く赤く濡らした。
ファウスト殿下の背後に立っていたのは、ローガ殿下だった。彼は赤く染まった長剣を握りしめたまま、侵入者の目を凝視している。
斬り捨てた兄殿下の体を一息に跨ぎ、ローガ殿下は侵入者のすぐ傍まで寄ってきた。
呆然としたままの侵入者の顔を掴み、怖いほど真剣に目を覗き込んでくる。
「クローディア? いるの?」
「で、でんか」
「……ちっ」
苛立たしげに舌を打つ。その真意など、私にはどうでもよかった。
なぜ、私は生きてる。なぜ。
殿下。
《あ、あああっ、あああああ!!》
誰にも聞こえぬ慟哭が、響いた。
* * *
あるところに、心優しい公爵令嬢がいました。彼女には第一王子という婚約者がいましたが、彼は子爵令嬢に夢中で公爵令嬢のことを疎かにしていました。
第一王子と子爵令嬢は、二人が結ばれるためには公爵令嬢が邪魔だと常々考えていました。
ある日のこと、第一王子と子爵令嬢は、公爵令嬢を排除するために婚約破棄を突きつけ、犯してもいない罪で罰しようとしたのです。
しかし少女は屈しません。見事自分の潔白を証明し、第一王子と子爵令嬢を返り討ちにしたのです。
《……ない》
第一王子は逆上し、公爵令嬢を殺そうと斬りかかってきます。しかしすんでのところで、彼女は第三王子に助けられました。
第三王子は、公爵令嬢の命を狙った罪で、第一王子をその場で処刑しました。
会場にいた貴族平民は皆一様に驚きましたが、公爵令嬢の無事を歓び、第三王子の勇敢さを褒め称えました。
《さ、ない》
捕まった子爵令嬢は、重い罰を下され、数日後に処刑されました。これにて、悪しき二人は罰せられたのです。
冷徹な第一王子から解放された公爵令嬢は、温厚な第三王子と結婚しました。善き二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。
《ゆるさない》
めでたし、めでたし。
《ゆるすものか!! 必ず貴様らを、絶望の中殺してやる!!》
さて、未だ聞こえるこの怨嗟の声はだぁれ?
* * *
どろりとした粘着質の闇が、私を包み込んでいた。眼は開き、太陽の下青々と光る草木を見ているはずなのに、なお暗い。
よく見知った女と男の声が、楽しげに会話をしていた。会話、している。音は入ってきても内容まではわからない。わかる必要はない。必要最低限の情報だけを拾えればそれでいい。
ーーそろそろ。
ーーほしいわ。
ーーそうだね。
ーー急かされてる。
ーー世継ぎを。
闇の中、私は笑った。ああ、今日こそ、実るだろうか。私も待ち望んでいるよ。
少し時間が経ってーーといっても時間の感覚などとうの昔に失せたがーー男女の営みの時間が訪れたようだった。女の肉に入り込んでくる生々しい男の感触。
私は目を凝らしてその様子をじっと伺う。日々の訓練の成果の賜物なのか、私は女の身体内部の様子を覗き見ることができるようになった。
子を産む器官が収縮し、男の感触を悦ぶかのように躍動する。そこに一つの、薄透明色の球体を見つけた。
《ふふ……》
排出された柔らかい苗床が、管の道をとおって種を迎えに行く。しばらくの律動のうち、無数の種が子宮に吐き出された。四方八方を目指して浮遊する種たちの中の一部が、苗床を見つけた。
女はうっとりと自身の白い腹をさすった。私も同じ気分だった。苗床に群がる種たち。やがて一つの種が、苗床に宿ることを許された。
一対の存在となった種と苗床はゆっくりと心地の良い場所を求めて浮遊する。力尽きたその他大勢の種たちの死骸を掻き分けて、ようやく、一つの場所に収まった。
《ありがとう、感謝するわ》
裸のまま抱き合う男と女に、まぎれもない感謝の言葉を吐き出す。
《私の新しい身体を作ってくれて》
数ヶ月後、私は女の中の胎児を殺した。
殺した、という表現は過激すぎるだろうか。正しくは、意識を乗っ取った。私が胎児の侵入者となったのだ。女にされたことを、私もしてやった。
胎児の意識はどこにいったのだろうか。消え失せたのか、それとも私同様まだそこにいて、困惑の声をあげているのだろうか。だとしたら、それが怨嗟の声に変わる日も近い。
罪悪感などない。いっそ清々しい気分だ。男も女も気付きはしないだろうが、私は密かに一つ、復讐を成し得たのだ。憎き二人の子供を殺してやった。
歓喜のあまり四肢らしきものを伸ばし、バタバタと振った。
遠くで、女が呻いた。
* * *
「王妃様! 王妃様しっかり!」
私は、難産を極めた。それもそのはず、産まれる直前になって私が母体への攻撃を始めたからだ。
といっても所詮は歯も生えていない胎児。できることは渾身の力で子宮を蹴り飛ばしてやることだけだったが。
それでも出産で弱ったこの女には十分の効果だったらしい。産中に女の体力は尽き、産まれる我が子の顔を見ることなく死んだ。
私は女が死んだことを確認すると、全ての抵抗をやめ産婆のなすがままになった。ずるりと女の股座から産まれた私を必死に女の前に掲げて「王妃様」と呼びかけるが、女はうっすらと目を開いたまま黙して動かない。
無念とも言えるその表情に、私は産声をあげながら笑っていた。
「くっ……王妃は残念だったが、この子だけでも生き残ってくれたことが救いだ」
男が産婆の腕の中から私を奪う。私はうっすらとだけ開いていた目に力を入れ、可能な限り目を見開いた。
男の整った顔が凍りつく。
次はお前だ。ローガ。
「クロー、ディア」
必ず、必ず復讐をしてやる。
きゃっきゃっと無邪気に手を伸ばす。その手が、いつかこの男の首を絞めるのを夢見て。
これにて、クローディア視点は終わりです。
なんか誰かに似ていると思ったら、前に書いた泣き虫令嬢のエリザベスにそっくりでした。狂的に婚約者を愛するヒロインは一周回って可愛いと思います。だけど何故か成就させてやれない。
というか物語の雰囲気が泣き虫令嬢に激似だなと、途中で気付きました……。うーむ、しまった……。
まぁ物語の筋は違うからいっかと割り切ってはいるんですが。
次話は別視点で、残していた伏線を回収しにまわります。